ひのきみ通信 第40号

1999年12月10日

 「唯物論は、歴史上つねに、宗教、又は少なくとも伝統的宗教に対する否定的態度と科学の進歩とを前提とし、同時にこの二者に助力することを主要任務とした。だから唯物論はつねに一定の歴史的時代において社会発展の利益を代表する階級の哲学として展開された。」
(永田広志「日本唯物論史」より)

目次

「日の丸」「君が代」の正体は何か 大島孝一(戦争責任を考える千葉8月の会)
職場で日の丸・君が代の学習会をやってみて A高校分会
2・11集会と「新聞広告」の成功のために 「日の丸・君が代」対策委員会
編集後記 stylo rouge
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「日の丸」「君が代」の正体は何か

大島孝一(戦争責任を考える千葉8月の会)

 この原稿は、2・11集会の成功のために、「千高教組新聞」に寄せてもらったものですが、全国の読者の皆さんにも読んで頂きたいと思い、「ひのきみ通信」にも掲載させて頂きました。
(編集部)

 ヴァイマール憲法をもっていたドイツが合法的な手続きでヒトラー政権を成立させたように、日本では日本国憲法のもとで合法的に自自公連立政権を作りあげた。「日の丸」「君が代」の法制化は、その一つの「成果」であったかもしれない。
 「法匪」という言葉を知っている人はあまりいないと思う。これは、中国東北部の傀儡国家「満州国」が、その地域の住民の意向にかかわりなく、勝手な「法律」を乱発した「匪賊」のことをいう。「匪賊」とは「徒党」を組んで出没し、殺人略奪を事とする盗賊」(『広辞苑』)であって、昔の「満州国」ばかりでなく、今の永田町あたりにたむろするやからにも似ている。
 ともあれ、「日の丸」「君が代」が「国旗」「国歌」として法律によって規定された。ある人びとは「国旗」「国歌」を尊重するのが日本人として当然だと言うかもしれない。ところで、法律で定めれば、おのずから有形無形の強制力が伴うものである。しかも、「日の丸」「君が代」、あるいは「国旗」「国歌」を批判するばかりでなく、「みんなで考えよう」という授業をした教師に対して、そのことだけで、「処分」という処罰が現に起こっている。それは、「日の丸」「君が代」が神聖なものだとするイデオロギーが根底に流れているからである。
 しかも、この法律には「罰則」など規定されていないのに、「職務命令」と称するものによって強制することになるのは、「上官ノ命ハ即チ朕ガ命令ナリト心得ヨ」という軍人勅諭のくだりを思わせる。「国旗・国歌法」はそんなことを規定しなくても、いったん法制化してしまったら「日の丸」「君が代」は神聖なものになってしまうとでもいうのであろうか。例えば「日の丸」を拝んで見せる人がいる。それは、旗を神聖だとする「物神化」の問題であって、思想、信条の自由にかかわる問題である。そのようにして、「国旗・国歌」を尊重するという暗黙の強制につながるものである。
 かつての植民地、朝鮮で「皇国民の誓詞」というものを学校で子どもたちに強制してきた。一方、同じ世代の私など、内地――植民地に対して本国のこと――の小学校で「教育ニ関スル勅語」を教えられ、暗唱させられて、かなり自然に教育勅語を受け入れてきた。朝鮮の学校のようなあからさまな強制を伴わなかったのと対照的である。いまのところ、教師に対する厳しい強制で政府とそれに追随する者は「日の丸」「君が代」の実施にやっきになっている。実施率が100%になれば、文部省は満足するのかもしれない。しかし、それは形だけではすまないはずである。
 自衛官合祀拒否訴訟を提起した中谷康子さんとその支持者たちが、毎年山口県護国神社に合祀取り下げの請求をしているが、そこの神主が「あなたがたがキリスト教の信仰を持っているのは結構ですが、「合祀」は形だけのことであなたがたの信仰に立ち入るものではありません」と言うのを聞いた。遠藤周作の「沈黙」のくだりに、「心より踏めとは言うとらぬ」「ほんの形だけのことだ。形などどうでもいいことではないか」と言うのと通じるものがある。文部省が「日の丸」「君が代」の実施率を問題にしているのも、形式だけのこととして見過ごしてよいはずはない。
 形だけの儀礼が、心の中までも支配することになるものである。不承不承、頭を下げても、やがて大多数の人が同じ仕草をするようになると、習性になり、あたりまえのことになってしまう。そのとき、知らない間に「日の丸」「君が代」に追随してしまって、他人にも強制する側になってしまうのである。
 教師が、「日の丸」「君が代」に抵抗しているのは、自分自身が子どもたちに「日の丸」「君が代」を強制するような「加害者」になることを拒むからこそ、教育行政当局の弾圧に耐えようとするのではないだろうか。戦争中のあらゆる体制が、「被害者」を「加害者」に仕向けることにあった。「日の丸」「君が代」の問題もここにあるのである。
 「君が代」について、文部省は新しい解釈を示した。それは日本国憲法の特定の字句、「日本国民統合の象徴」(日本国憲法第一条)を利用して勝手な説明をしている。ここで、大日本帝国憲法(明治憲法)の理念によってすでに「国民」を「統合」したとする象徴として天皇が位置しているというのである。しかし、明治憲法は、日本国憲法が実施されたと同時に廃棄されたはずであり、かつての天皇によって「統合」されたものではなく、むしろ日本国憲法の前文の精神に向かって「統合」すべき方向を示すものではないだろうか。少なくとも、「君が代」が文部省のくだんの解釈などによって正当づけるべきではない。
 もし議論するならば、日本国憲法の前文の精神で「日本国民」が「統合」されるべきであるとするとき、「日本国民」と限定されているのは、まさにあの侵略戦争で加害の責任を具体的に認識し、そのことを表明し、明確に謝罪して、「再び戦争の惨禍が起ることのない」ことを世界に約束すべき主体であるはすだからである。そのためには、もちろん「日の丸」も「君が代」も「国旗」とか「国歌」としてふさわしいものではない。また、かりに「日の丸」「君が代」に代わるものがあるとしても、日本はそもそも「国旗」とか「国歌」というものを持つべきかどうか問題である。もしかすると、「国旗」も「国歌」も必要のない国を目ざすことこそ、戦争を放棄した国の目標になるはずである。
 再び戦争を起こすような「普通の国」を目ざすのでなく、この混乱した時代にこそ世界の隅ずみにいたるまで、戦乱のない、そして武器をもって威嚇することのない、そしてまた武器の商売で儲けるようなことのない、「平和」を作り出すために、かつての日本を招き寄せるような「日の丸・君が代」を拒否しようではないか。

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職場で日の丸・君が代の学習会をやってみて

A高校分会

はじめに

 今更日の丸・君が代で何もやれない、法制化もされたことだし、無理してやっても浮くだけだという気分は結構ある。私もそういう感じもないわけではなかった。
 しかし、今年の春から日の丸・君が代法制化の動きが出てきて、一般新聞などに関係記事がどんどん登場するようになった。そしてこれは何とかしなくてはいけないと思い始めた。
 5年前に今の職場に転入してびっくりしたことは、玄関前のポールに常時日の丸が掲揚されていること、さらに入学式以外に始業式にも国歌斉唱がされることだった。しかも国歌斉唱のとき隣近所の先生方がみんな歌っているのである。その後体育祭にも運動場のポールに国旗掲揚が国歌吹奏と共に行われること、体育館には常時日の丸が掲揚されていること、国際交流の行事にも国歌演奏とまさに日の丸・君が代づけの状況に大変なところに来てしまったという思いがつのった。
 しかし組合員は他にいないし、ちょっと動けそうもないとあきらめていた。その後分会ができても日の丸・君が代は重い課題だという先入観があり、切り出せなかった。1人で国歌斉唱の時、着席するか外へ出るかしていた。今年の3月ごろからの法制化の動きの中で、マスコミ報道にも乗せられて国歌斉唱の時の着席は堂々とした気分でできるようになった。座っている間は戦場の日の丸の旗を思い浮かべたりしている。また卒業生が大きな声で斉唱する姿を見て、これは強制以外の何物でもないし、民主主義のために頑張らなければいけないと肝に命じたりしていた。
 7月の職貝会議に体育祭が議題に入っているので、その式次第の時思い切って発言することを決意した。仲間の1人に相談してみると、いい機会かも知れないということになった。今回やらなければもうやれないのではないか。やってだめだったらあきらめがつくが、やらないでもんもんとしているより気分がすっきりする。結果は発言者が3人だけで、司会の教頭がかなり持論を展開、校長のまとめの発言に「研修会をやってみてもいいのではないか」が入ったが、従来どおりとなった。
 すぐに研修会というわけにもいかず、とりあえず参考資料を配布していくことにした。最初は15頁ほどの資料をつくり8月にかけて配布した。「分厚いね」という反応があった。何でも良いから日の丸・君が代について書いてもらいたいと書いたが、誰からも届かなかった。その後知ってほしいことが次々出てきて資料は11月までに6号になった。「熱心ですね」「すごいエネルギーですね」という反応も出始めた。

1.日の丸・君が代職場学習会

 11月22日職場学習会が会議室で14人の参加で開かれた。日程は教頭と相談して決めた。チラシは全員に配り、朝会で参加を1週間前と当日呼びかけた。15人くらい集まるといいなという希望を持ちながら、個人個人にも訴えた。
 当日はまず都教組などが企画・製作したビデオ「みんなで考えよう 日の丸・君が代」(21分)とアメリカ人ジャーナリストが1944年に製作した「日中戦争」というビデオ(65分)を見てもらった。前者は8月に買い求めたもので、まだ法制化前に製作されているが、よくまとまっている。後者は日中戦争の全体がわかるものだが、日本軍が日の丸を戦場でどのように使っているか動きの中で分かるものである。時間の関係でほんの2分ぐらいだけ見た。
 何人かに10分ぐらいで報告してもらおうとさそってみたが、断られた。私が20分ほどレジュメと資料3つを使って話した。内容は次のようなものである。

[1]今の日本の情勢をどう見るか
 新ガイドライン法(戦争法または憲法9条廃止法)の発動へ向けて準備中、2000年1月の通常国会で有事立法の成立がめざされているなどと国旗・国歌法の成立を考えると戦後50数年というより新たな戦前ととらえても良いのではないか。
[2]アジアへの侵略戦争の反省はきちんとしなければいけないのではないか
 日本政府は公式に侵略戦争とは認めていないし、ドイツがやっているような個人保障もしていない。アジアの学校できちんと50年前の戦争を教えているように、日本も教えなければいけない。日の丸・君が代が日本の侵略戦争と植民地支配・天皇主権のシンボルだったことも確認して教えていけるようにしたい。
[3]憲法や教育基本法に基づく教育をあらためてめざそう
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」平和の教育。
 「主権が国民に存する」という主権者づくりの教育。
 「真理を求め、自主的精神に充ちた」人間づくりの教育。
 文部省の学習指導要領は法律でも省令でもないのに、官報に告示したから法律に準ずるものとして押し付けられているが、憲法や教育基本法の立場で見直すことが必要である。
[4]法制化されても強制はだめ
 国旗・国歌法には尊重義務はないし、8月9日の総理大臣談話や文部大臣談話にも「国民にあらたに義務を課すものではありません」と明言しているように強制はだめだという職場の合意づくりがせめてできないか。憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」の具体化が大切。
  1. 国は特定の「思想」を強制できない。
  2. その思想・良心のゆえにその人を不利益に取り扱うことはできない。
  3. どのような思想をもっているか告白しなくてよい(沈黙の自由)。
[5]サミット参加国など「先進国」では、学校で国旗・国歌の強制はない
[6]本校でも日の丸・君が代の扱い方を変えられないか

2.いろいろ出た質問や意見

3.これからどうするか

 拡大中央委員会で「日の丸・君が代では闘えない。組合員拡大につながらない」というような意見があった。多忙化もあり、そういうように考えがちだ。
 でも7月から始めて5カ月になるが、正直言ってやってよかったという思いでいっぱいである。
 組合員7人の職場で組合員の参加が5人と教頭を含めて9人の未組合員と一緒に学習会をもてた。参加するつもりだったけど、突然用事が入って参加できなかったと言ってきた人が5人はいた。「資料が多くてよく分かった」という人もいたし、ほとんど意見も出ないで終わることも予想していたけど、かなりいろいろな意見交換ができた。5時5分で機械的に切ったという感じであった。
 重そうな課題でも一定程度の関心はあるのだ。これからはどうしたらさらに多くの参加を得られるかだ。引き続き資料も配り、学習会も企画して日の丸・君が代を切り口にして合意を広げていきたい。
 それが職場に民主主義を根付かせることになるからだ。

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2・11集会と「新聞広告」の成功のために

「日の丸・君が代」対策委員会

 天皇在位10年の「式典」「祭典」の後も、天皇制を強化する動きは強められている。「日の丸・君が代」を強制する動きもあちこちで目立つ。自由主義史観の立場で書かれた、『国民の歴史』という本も無料であちこちに送られているらしい。民主教育を守ろうとする人々に対する威嚇・嫌がらせ・弾圧もある。
 天皇制を強化したり、「日の丸・君が代」を強制しようと考えている連中は、国民の中のほんの少数であるが、その彼等が権力を傘に、必至になって、いろいろな手段に訴えて、国を彼等の思う方向に引っ張って行こうとしているのである。
 そのため、彼等は、実際の自分の姿よりも大きく見せかけ、人々を威嚇しながら、彼等の政策を進めようとしている。しかし、我々は、これらの一見はでな動きに目を奪われたり、恐れたりしてはならない。
 ただ、一方では、労働運動の分裂、野党の権力へのすりよりなどにより、そうした圧倒的多数の国民の世論を組織、結集できていないのも事実であるるが。
 今回の「2・11集会」「新聞広告」は、そうした状況を克服し、団結と連帯の輪を広げ、闘っている職場や仲間たちを孤立化させない意味を持つ取り組みでもある。
 すでに、多くの人から大田前知事が来ることに対する期待が寄せられている。
 また、「新聞広告」についても、先進的な取り組みが報告されている。S高校では、組合員全員が2口ずつカンパを出した。N高校でも、組合員全員がカンパし、氏名公表の方向で進んでいる。U高校では、ある未組合員が2口のカンパと氏名公表に同意した。また、保護者も「U高校保護者」という肩書きで、氏名公表することになった。
 市川教組は、前組合員にビラを配布してくれ、カンパと氏名公表を集めてくれている。千葉歴教協も取り組みに協力してくれることになった。本部も労組まわりなどで協力を依頼している。
 この取り組みを通じて、千葉県内の民主勢力が大同団結の方向へ一歩でも前進することが重要であろう。そうすれば、いずれ、強制する一部の連中を包囲、孤立化し、粉砕することができるようになろう。

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編集後記

 来年は2000年であり、政府自ら、「平成」を忘れたかのように、2000円札を出すなどと言っている。文部省も21世紀の教育などと言っている。彼等の伝統尊重、天皇崇拝など、この程度のものなのである。
(stylo rouge)

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お知らせ

12月10日(金) 13:00〜 戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォーラム 東京ウィメンズプラザ(表参道7分)
12月11日(土) 13:00〜 「象徴天皇制」と「日の丸・君が代」 講師:桜井大子、池添徳明他 埼玉県労働会館(JR北浦和西口5分)
12月11日(土) 13:30〜 シンポジウム「子どもたちの未来が危ない!」
 講師:姜尚中、金城睦、櫛渕万里、暉峻淑子
労働スクェア東京
 (日比谷線・京葉線八丁堀3分)
12月11日(土)
 〜12(日)
10:00〜 戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォーラム 社会文化会館(永田町8分)
12月12日(日) 14:00〜 教員への管理強化は子どもの自由を奪う「いじめ社会の子どもたち」
 講師:鎌田慧
赤坂区民センター(赤坂見附10分)
12月12日(日) 10:00〜 シンポジウム「戦時・性暴力 過去−現在 にどう立ち向かうか」 早稲田大学国際会議場
 (東西線早稲田3分)
12月12日(日) 10:00〜 三栄紙製品争議「清算人・元経営陣」への抗議行動 JR四ッ谷駅市ヶ谷寄り改札口集合
12月13日(月) 13:15〜 増田都子さん足立十六中名誉毀損捏造事件判決 東京地裁713
12月13日(月) 11:00〜 早川由紀子さん文京七中職業病解雇無効訴訟 東京地裁710
12月14日(火) 10:00〜 社会科教研 「授業実践報告」 「アイヌ民族解放と日本社会」 千葉県教育会館
12月14日(火)
 〜19日(日)
10:00〜
〜16:00
第1回ちば人権展 千葉市文化センター(千葉8分)
12月15日(水)
14:00〜
16:10〜
18:30〜
沖縄映画上映と島唄放談
 「沖縄列島」
 「沖縄列伝島小」
 「ゆんたんざ沖縄」
千葉市文化センター大ホール
 (千葉8分)
12月16日(木) 10:00〜 所沢高校不当処分人事委員会公開口頭審理 さいたま共済会館(JR浦和8分)
12月16日(木) 16:30〜 中村さん「分限免職」裁判 干葉地裁501
12月18日(土) 14:00〜 「新しい歴史」教科書を批判検討するシンポジウム カンダ・パンセ801
12月18日(土) 18:00〜 「えんとこ」上映会 千葉市文化センター(千葉8分)
12月19日(日) 13:00〜 GRAND WORKSHOP
 発言者:新崎盛暉、内田雅敏、ダグラス・スミス、宮崎学、太田武二
赤羽会館(JR赤羽5分)
12月20日(月) 16:00〜 大野真理子さん「公務災害認定」訴訟 浦和地裁101
12月21日(火) 18:30〜 喜納昌吉ライブ 北沢タウンホール
12月23日(木) 13:00〜 「学校を救え!脱学校崩壊宣言」 講師:喜納昌吉、寺脇研、保坂展人 四街道市文化センター
 (JR四街道10分、市役所隣り)
12月23日(木) 13:30〜 ぶっとばせ!「日の丸・君が代」行動する会設立集会 中野区勤労福祉会館(中野北口7分)
1月22日(土)
 〜23日(日)
14:00〜
〜12:00
第9回「日の丸・君が代」反対!学校と地域をむすぶ連絡会 日本基督教会館&早稲田奉仕園
1月31日(月) 13:30〜 アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求裁判 東京地裁713
2月5日(土) 18:30〜 「日の丸・君が代」強制を問う集会 かながわ県民センター
2月11日(金) 14:00〜 「日の丸・君が代」の強制に反対する県民集会 千葉市民会館

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