「ブラザーフード(四海同胞)の世界主義が、すなわち、略奪的帝国主義を掃蕩し、刈除することができるわけである」
(幸徳秋水『20世紀の怪物・帝国主義』より)
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「日の丸・君が代」法制化を糾弾し、闘いを呼びかける声明 | 千葉高教組「日の丸・君が代」対策委員会 |
この間の千葉高教組の「日の丸・君が代」法制化反対闘争 | 千葉高教組「日の丸・君が代」対策委員会 |
「日の丸・君が代」法案の審議を傍聴して | 佐久間美弥子(千葉工業高校、千葉高教組中央執行委員) |
7・17国旗・国歌法反対東葛市民集会の報告 | 武田泰彦(教育労働者) |
埼玉県・福岡高校「日の丸」訴訟 行政追随、司法退廃の判決 |
近 正美(佐倉高校分会) |
編集後記 | stylo rouge |
自自連立政権と公明党ならびに民主党の一部は、8月9日、「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」とする法案を強引に国会を通過させた。
しかし、この法案には次のような多くの問題点があった。
われわれは、このような多くの問題点を持ち、かつ危険な法制化に対し、大きな怒りをもって、糾弾するものである。
しかし、この法制化反対闘争の発展の中で、われわれは、新しい連帯の輪が広がりつつあるのをみることができた。7月23日、8月5日に日比谷野外音楽堂で開かれた「大集会」には、宗教者や知識人の呼びかけに応え、法制化に反対する共産・社民を含め多くの労働者・学生・市民などが結集し、さらに日教組や全教の単組も、ともに参加した。7・23集会で、千葉高教組の本間委員長は、「国民の意識と国会の間には大きな乖離がある。あらゆる組織を結集し、国会を包囲し、廃案をかちとろう」と挨拶、大きな拍手を浴びた。
またわれわれは、職場から独自に運動が起きている実態をも見た。日教組の指示がなくとも、8月9日には、お互いに連絡を取り合い、日教組の23の単組が自主的に国会前の座り込みに参加した。
さらにこの間、日教組に対する闘争強化を求める声が相次いだ。
だからわれわれは、この間の闘いは、これからの闘いへの大きな土台を築くことができたと考えている。
県内外の皆さん、引き続き闘いを堅持し、強制をはね返す態勢をともに築き上げましょう。そして、連帯の輪を広げ、敵を包囲していきましょう。
(衆議院段階で) | |
7月以降 | 駅頭宣伝が、市川、君津、市原、東葛支部などでやられた。 |
7月17日 | 東葛支部が呼びかけ「国旗・国歌法反対東葛飾市民集会」とデモ。80名参加。 |
7月19日 | 千葉駅頭にて街頭宣伝活動。その後「日の丸・君が代」法制化阻止千葉県民集会。講師は前都立大学総長の山住正巳氏。参加者は、170名。 |
7月22日 | 国会議員要請行動と衆議院本会議傍聴に12名が参加。 |
7月23日 | 「日の丸・君が代」法制化反対!7・23大集会(日比谷野外音楽堂)とデモに60名以上が参加。本間委員長が挨拶。 |
(参議院段階で) | |
7月28日 | 日教組動員の「国民的合意なき『日の丸・君が代』法制化反対全国集会に、19名が参加。日教組川上委員長への闘争強化を求める野次が飛び交う |
7月31日 | 君津支部が呼びかけ市民団体と共催で集会とビラまき。約50名参加。 |
8月2日 | 参議院特別委員会傍聴と国会議員要請行動。5名参加。 |
8月3日 | 参議院特別委員会傍聴と日教組の「院内集会」。5名参加。 市原地区労で「日の丸・君が代」法制化反対集会、30〜40名参加。 |
8月5日 | 国会前座り込み、約40名。その後「日の丸・君が代」法制化反対!8・5大集会(日比谷野外音楽堂)とデモに参加、約50名。 |
8月6日 | 国会前座り込み、5名参加。 |
8月9日 | 国会前座り込みと中央公聴会、参議院本会議の傍聴。約50名参加。 その後、日教組の「総括集会」にも参加。日教組本部への批判相次ぐ。 |
夏休みにもかかわらず、多くの組合員がこれらの取り組みに結集した。また、駅頭ビラまき、国会議員への要請行動、国会傍聴行動、国会前座り込み行動など、これまでの行動の枠を広げ、活動の飛躍があった。ある組合員は、「国会だって県議会と変わりない」「国会が遠い存在ではなくなった」と言っていた。
7月22日、千葉高教組の組合員11人とOB1人の12人で、衆議院議員請願と国会傍聴にとりくんだ。10時に衆議院議員面会所に集合し、2人ずつのグループになって、それぞれの居住地の地元議員を中心に、各グループが6人の議員に対して、請願行動を行った。私は角谷さんと共に、共産党、自民党、自由党の議員を回った。自民党と自由党は、秘書が丁寧に請願書(千葉高教組主催「7・19『日の丸・君が代』阻止県民集会」で採択された決議を持参した。)を受け取るだけだった。共産党は志位書記局長は不在だったが、応接室で秘書に、私たちの取り組みや高校現場での状況を語ってきた。中路議員は、議員が在室されており、国会審議の動向について、自自公の数で押し切られている事実を率直に語ってくれた。
12時30分頃、再び議員面会所に行くと、受付のロビーで全教と日高教が集会をしていた。山住正巳氏も傍聴に駆けつけていた。7・19集会での講演のお礼を言いながら、一緒に議事堂に入った。傍聴の際の警備は、非常に厳しく感じた。荷物は筆記用具以外はすべてロッカーに入れる。ボディチェックも非常に丁寧だった。私の前の女性は、裾出ししていたTシャツをズボンの中に入れるように、とまで言われていた。
傍聴席に着くと、警備員による「傍聴の仕方」の説明があった。はるか高い傍聴席から議場を見下ろしていると、議員たちが三々五々集まってきた。私たちも議員同様談笑していると、突然「始まりましたので話はやめてください。」という警備員の声。いつの間に始まったというのか。始まった事も分からない程、議場はザワザワうるさく、立ち歩いている議員もいるではないか。自民党議員が登壇して、農業関連法案の提案をしているというのに、議場の議員は全く聞いてなんかいない。国会議員が「学級崩壊」を語る資格など全くないとつくづく感じた。国会議員が最近の若者をさして「道徳性、公共性の欠如」など言えたものじゃない。見ているうちにばかばかしくなってしまった。
つづいて「国旗・国歌」法案の審議が始まった。自民党が提案理由を説明し、その後民主党の鳩山由紀夫氏が修正案の趣旨説明にたった。「日の丸・君が代」は定着しているのだから、今さらわざわざ法制化する必要はないという基本認識だった。しかし国民的な議論もなく、たった13時間の審議で決めてしまうことには反対し、国を愛する心は、強制されてできるものではないと主張していた。自民党は、「日の丸・君が代」は国民の間に定着している、と学校やスポーツ行事での実施を強調していた。これは、自然に「定着」したものではなく、みな彼等が強制して「定着」をはかったものばかりではないか。そして法的根拠がない為に広島の世羅高校の校長は犠牲になったと。学校での「強制」への危険を強く感じさせられた。
共産党の山原議員は、「定着」の認識に対して、この間の各種世論調査の具体的な数字を示しながら、国民世論は決して賛成していない事実、しかも半数以上が「時間をかけた議論を要求している」事実を示した。氏の発言中、自民党側からの野次はものすごかったが、発言中のここのところでは、野次が起こらなかったことが印象的だった。具体的事実の重みと、世論の重みを感じた。そして「日の丸・君が代」が戦争中に果たした役割と学校現場での異常な程の強制の事実を語った。私としては、もっと天皇制との関係にも言及してほしかったとも思って聞いていたが、最後に内村鑑三の「君が代は国歌ではない。天子を讃える歌である」という言葉を引用していた。
公明党の川井議員が、冒頭まず、「賛成」を明らかにすると、自民党から拍手が上がった。「日の丸・君が代」と15年戦争は切り離して考えるべきと語った。そして「生徒の内心にまで立ち入って指導するべきではない」との政府答弁を紹介して、だから学校での「強制」はあり得ないと強調していた。
社会民主党の浜田議員は、反対の立場から、3点にわたって整理して発言していた。[1]学校での強制が強化されていくだろうし、それが地域へ、社会へと広がって内心の自由を侵害する社会風潮が生まれて行く事への危惧。[2]歴史的事実を踏まえると決して「国旗・国歌」とは認められない。[3]国民世論はけっして「定着」しているとはいえない。自民党は「定着」と言っているがその根拠を示していない。整理された発言だった。
圧巻だったのは、自由党の三沢議員だった。(どうでもいいことだが、彼は中日の投手だったという。)今の社会は、健全な愛国心がなく、その為に他を思いやる心が欠如し、利己主義が蔓延している。日本人としてのアイデンティティーが持てないでいる。日本には優れた歴史や文化や伝統がある。これらを正しく継承し、日本人としての誇りを取り戻すべきだ。その為には日本の文化そのものである「日の丸・君が代」を学校、家庭、社会で教えなければならない。多様で豊かな「日本」の文化や伝統を「日の丸・君が代」に集約してしまうなんて、乱暴だし、なんと危険な主張ではないか。それがしかも国会の場における発言とは…。
討論が終り、採決が行われた。民主党提出の「日の丸」を国旗とする法案は、民主党議員だけの起立で少数否決された。その後、法案そのものの記名投票があった。議員が一人づつ前の投票箱に投じる。民主党議院は「賛成」と「反対」に別れたが、なんと自民党の原案に「反対」の立場から討論に立った鳩山が「賛成」に投じたとは。民主党議員が「賛成」に入れる度に、自民党からは拍手が巻き上がった。公明党議員の「賛成」発言への拍手といい、ここでの拍手といい、自民党は明かに公明党と民主党への揺さぶりをかけている。彼等の意識には、国会内での駆け引きしかないのだろう。403対86、なんという大差。いつの間に保守勢力がこんなに大きくなったのだろう。本当に力なくす瞬間だった。
私たちが退席しようと後ろを振り返ると、多数の警備員たちも帰ろうとしていた。いつの間にか多数の警備員たちに私たちは見張られていたのだった。するとその時、ある女性が思い余って「日の丸・君が代は許さない。」と叫んだ。するとすぐさま警備員が4,5人集まって彼女の口を押さえ、両足、両手をつかんで、引きずるように連れ出そうとした。注意するなら1人で十分ではないか。私語はいけないと注意を受け、静かに退場を始めた傍聴者たちが、自然に「暴力反対!」と警備員に対して声を上げていた。近くにいたある男性は、「暴力はいけない」と警備員に言っただけで、警備員に手をつかまれ、連れ去られてしまった。彼はすぐ出てきたが。
異常な警備。無責任な国会の議論。とにかく落胆し、憤りを感じてしょうがなかった。千葉高教組のメンバー12人で、総括集会を開いた。一人一人感想を言った。私の前に、渡部さんも三橋さんも「これからが我々の闘いだ」と語った。なぜそんなに前向きになれるのか。今あの現実を見たばかりのこの瞬間に。
でも私は3年前の千葉県議会での「従軍慰安婦の教科書からの記述削除を求める」あの県議会本会議を思い出した。あの時も県議会の議論とその結果に大きく落胆した。でもその後運動は高まり、千葉市議会では、撤回させ、今後この種の提案は千葉県ではできない状況を作っている。また、千葉高教組の運動も街頭へ出て訴え、県議会へはたらきかけるという進展をみせている。みんなが言うように、運動はこれからだし、実は、彼らだって国民世論を恐れながらも通さざるを得ないぎりぎりの選択をしたのかもしれない。そうであるなら、今こそ大きな局面なのかもしれない。落胆していては始まらない。
(1999、7、23)
本紙にも度々登場している「『日の丸・君が代』の押し付けに反対する東葛の会」は、1990年代初めから活動を始め、「日の丸・君が代」の押し付け、つまり旗や歌といった象徴を利用した国家権力による民衆統制への反対運動に、地元の東葛地域で取り組んで来た。今回の法制化の動きは、こちらの虚を突いて急であり、しかも跳ね返せる展望はあまりない。しかし、これを黙って見過ごしにできようか。7月1日に「会」で打ち合わせを持ち、その場で地域集会をやろうと話がまとまり、様々な立場のなるべく多くの人々に声をかけるために、我が千高教組東葛支部に呼びかけの中心になってもらいたいと白羽(赤羽?)の矢がたった。
国旗・国歌崇拝強制の当面の焦点となる学校現場の労働者が、まず反対運動の声を上げるべきことは当然であり、またご存知の通り、小・中学校の教職員組合は組織を割ってしまっていて、確かに千高教組東葛支部が、東葛地域のあらゆる立場の左派系の政党・市民団体や個人に声をかける中心を担うべき立場にあるのは事実であろう。加えて、地理的にも人材的にも支部の中心にある県立東葛高校は、活発な生徒会活動を背景に、「日の丸・君が代」なしの卒・入学式を維持している千葉県内公立高校3校のうちの1校である。
7月3日に千高教組東葛支部の総会が開かれ、その場で私が勤務校分会有志で国旗・国歌法反対の集会開催の緊急提案を行うと、会場から次々と賛成意見が出され、支部長・執行部も異論なく受け入れた。すかさず様々なつてを頼って集会実行委員会
への参加を募り、7月9日に最初で最後の実行委員会を開催。参加者は7人で高教組以外は5人3団体、しかも大所の代表者はいない。心もとないが仕方ない。会場は柏駅徒歩5分の「アミュゼ柏」という新設の公民館の400人のホールを確保(ここしか空いていなかった)。千高教組東葛支部が呼びかけ団体、集会主催者は実行委員会とし、委員長は成り行きで武田、警察にもデモ申請に行って、実行委員会で決まった集会後のデモ行進も実施できる運びとなった。
集会直前には50人と100人の間ぐらいの参加者数と読んだが、はたして7月17日の集会当日、開場前に集まっていたのはわずか10人ほど。これはまずいなと思ったが仕方ない。始まりを少し遅らせて待っていると、ようよう40人ほどになったので開会。参加者の中身は期待どおりに、千高教組東葛支部を中心に、千高教組松戸支部(県内で「日の丸・君が代」なしの公立高校2校がある)、千高教組本部の皆川副委員長、千葉学校労働者合同組合、東葛教組(全教千葉加盟)、千教組東葛支部、東京西部の独立教組「アイム89」、共産党、新社会党、その他個人の参加者と多彩であった(社民党と民主党は呼びかけたが来なかった)。各団体・個人からのアピールを次々に受けて、デモ出発時刻の7時半が過ぎる頃には参加者は80人に。特に学校関係者は終業式直前の忙しい時なのに、けっこう熱くなっているようだ。
集会のトリを取って、参加者最高齢とおぼしき松戸市民の山本菊代さんというおばあさん(実はその筋ではたいへん有名な方)に無理にマイクを向けて話をしてもらった。固辞していた彼女もやおら立ち上がってマイクを握ってくれる。「私は、現在94歳でございます。戦前に反戦運動・社会主義運動にかかわったかどで7年間刑務所で青春の日々を過ごしました。拷問も受けました。私にとって『日の丸・君が代』はまさにそういう時代のシンボルでございます。いかなる理由をつけても、決して今の時代に蘇ることは許せません。皆様と共に戦って行きたいと思います」…大拍手で集会終了、デモ行進へ。
柏駅までのわずか5分の道程だが、めったにデモ行進などない道を「国旗・国歌法反対!」と叫びながら歩くのは楽しい。参加者の出す声も、かったるそうな組織動員デモと違ってはっきりと大きい。予定時刻の8時ちょうどにデモ終了、解散。
さて、7月22日には衆議院本会議で国旗・国歌法案が可決してしまった。反対の議論はだんだん高まりつつあるが、参議院で跳ね返す望みもあまりなく、この原稿を書いている7月28日には参議院で審議入りしたそうだ。そのような情勢下でのこの集会の意義は何だったと総括すれば良いだろうか。私は、実はけっこう大きな一歩だったと思っている。
今日の「日の丸・君が代」は戦前戦中の日本の象徴ではなく、戦後の自民党開発独裁政権の象徴である。ここを見誤ってはいけない。彼らは戦前の日本を愛せ、と言っているのではなく、戦前の日本から権力の系譜を引き継いだ現在の自分たちの政権を愛せと言っているのだ。現在「自・自・公」路線の確立で、自民党開発独裁政権が積年の課題として来た法案群が一気に成立の方向に動き始め、その流れの中に「日の丸・君が代」の法制化もある。すべての開発独裁政権、いやすべての権力者が夢見る永久政権への布石に、自らの政権への国民精神の糾合装置として「日の丸・君が代」を公然と使って行こう、というわけだ。しかしその背景には、冷戦終結後すでに10年の月日が経ち、ソ連という敵もいなくなり、失政のツケもどんどんふくらんで、自らの存立基盤が決定的に揺らいでいることへの自民党(およびその取り巻き政党)開発独裁政権の焦りがある。徳川幕府、オスマン帝国、ロマノフ王朝などなど、歴史的にはよくある、長期政権末期の反動化と体制内改革のあがきの過程に、我らが自民党開発独裁政権も入っているのだ。実はあと一押しなのだ。
日本の政局の当面の焦点は、言うまでもなく衆議院の解散総選挙であり、その結果いかんでは憲法9条の改憲発議が現実のものとなる。今日の日本の平和の基礎となって来た、そして世界の平和を願う人々の希望でもある9条を当面守れるかどうか(もちろんあらゆる現在の日本社会の制度的な基盤が問われているが中心的な問題はここになるだろう)は、衆議院の何議席を改憲反対派が取るかという、極めて具体的な課題にかかっている。そして、改憲を阻止するに足る3分の1の議席を改憲反対派が得るには、比例代表だけでなく、何としても小選挙区での選挙戦に勝たねばならない。言うまでもなく小選挙区制は大政党に有利であり、改憲反対派の不利は否めないかに思われる。しかし、そこであきらめたくなる方は、ぜひ新聞の縮刷版などで前回の総選挙のデータをじっくり読んでみて頂きたい。
例えば、東葛地区の東半分と言って良い柏市・我孫子市・沼南町の選挙区(千葉8区)では、自民党の当選者の得票数が約7万票、次点の新進党候補者が約6万3千票、次次点の民主党候補者が4万票、その次の共産党候補者が3万票で、投票率は55%である。有権者が本当にその気になれば、投票率が90%ぐらいにはなることは各地の住民投票を見ればわかる。たとえ小選挙区でも、「9条を守ろう」という立場に人々が結集し、5万票ぐらい(投票率次第だが)を新たに1人の候補者に集中できれば、自民党候補者を粉砕することも難無く可能なのだ。自民党開発独裁政権の延命に力を貸して長期的には自滅の道を選択した公明党は、その固い組織票をもって政界に幅を利かせているが、その数や各小選挙区平均で2万票と言われる。憲法9条の支持率が創価学会の支持率を下回ることは絶対にない。問題は票固めができるかどうかにかかっている。
幸い、ぎりぎりだがまだ時間はありそうだ。この運動が全国の小選挙区で取り組まれ、大きな潮流となったとき、つまり次回では総選挙では9条改憲阻止=ネオ55年体制= 2000年体制?が手一杯かもしれないが、次次回には、自民党開発独裁政権は選挙による無血革命で崩壊し、日本人民は実質的に歴史上初めて、真に自らの手に政権を握ることになる。そのための誰でもできる手軽な運動手段として、急速に普及しつつあるインターネットその他の通信手段が有効であるはずだ。同時に、現在右翼の囲い込みの標的になっている、スポーツ新聞や雑誌や漫画しか読まない人々の層への浸透も図らねばならない。そのための有効なメディアは、雑誌や漫画に加えて、新聞の折り込み広告ではあるまいかと常々思っている。
ともかく、我々も決戦に向けての準備に急いで入らなければならないことは事実である。徳川幕府は黒船来航から15年で崩壊した。今年は冷戦終結後10年。向こうが「平和主義・国民主権・基本的人権の尊重」を葬り去ろうというなら、こちらは「日米安保体制・象徴天皇制・腐れ議院内閣制」の全てをして「平和主義・国民主権・基本的人権の尊重」の原則のもとに屈服させ、歴史の彼方に流し去ろうではないか。人材はどこにでもいるし、運動体も新たに立ち上げれば良い。むしろそれが不可能
ならば、こちら側に勝機はない。向こう側のなりふりかまわぬ連帯ぶりを見よ。「日米安保体制・象徴天皇制・腐れ議院内閣制」の中にどっぷり浸かった既成政党に、
この決戦の一方の本陣を丸投げして任せられると期待してはなるまい。限定された時間と空間の中で、80人を集めデモ行進を実行し得た今回の集会のごとき寄り合い所帯をどう増殖させて行くかが勝負なのだ。その一歩が今回の集会であった、そう回想できる運動を作って行かなければならないのだ。
埼玉県立福岡高校の1990年3月の卒業式で、職員会議の決定を無視して「日の丸」を強行するとした校長の発言で混乱した状態を収拾するために卒業式予行を中止して生徒を放課にし、職員会議を開いたことを理由に全学年の担任25名が処分されるという事件が起こった。そして、7年間の人事委員会審理とその後の民事訴訟とで10年間の闘いが行われ、1999年6月28日、浦和地裁にて判決がだされた。
福岡高校は大変丁寧な学校運営を民主的に積み重ね、厳しい自己管理と原理・原則に則った学校づくりを行うという独自の学校文化を持つ高校として知られている。簡単に言うと、福岡高校の先生方は「朝から晩まで良くやっている実によくやってくれる、感謝している」という処分当時の校長も認めるところとなる。
処分は、「職務専念義務違反」と「信用失墜行為」を理由としているが、県教委が担任「全員」を処分したことによって、学校・教育・生徒に責任を持って当たっていたのが校長でないことが明かになったと言える。
その後の人事委員会審理でも、当時の江野校長の学校運営の不手際が明らかにされ、また、県教委も「日の丸・君が代強制マニュアル」を各校長に配布して「日の丸・君が代」を導入する場合には、「卒業式直前まで秘密にする」「反対の動きを逐一記録し、写真などで証拠を集めておく」などと指示していたことが明らかにされた。
また、人事委員の渡辺圭一は元・県教委の幹部職員で福岡高校の事件のときの教育局指導部次長であり、事件の調査を命じた立場の人間であった。このような人物に中立、公平、公正な判断を期待することは常識的に無理である。
この裁判では、「職員会議の決定を無視した校長の責任」「処分手続きの不適正」「不適切な人事委員会構成」を問題とした。しかし、判決では、これらについてはまったく原告の主張は採用されず、人事委員会裁決をも踏み越えて、専ら県教委側の言い分のみを採用した。
また、裁判所は、
「日の丸」を国旗とする法規は存在しないが、諸外国からは「日の丸」は国旗として取り扱われて是認されている。また、「日の丸」以外に国旗として取り扱われているものも存しないし、国旗として認容されていることは公知の事実である。
とした。
そして、
校長の命令によって予行演習を行うことは当然のことであり、また、その事によって原告らの内心の自由が侵害されるものではない。
とした。
このような判断は、県人事委員会裁決よりも後退した判決であり、その事実誤認、判断・解釈の誤り、証拠吟味の杜撰さなど許すことができない内容である。
判決後の報告集会が、さいたま共済会館で行われ、人事委員会審理からこの10年間弁護を続けてきた3名の弁護士さんからお話があった。
吉田健弁護士は「『日の丸』についての論がない」「校長と職員が『日の丸』問題で対立という単純な図式化が行われた」「校長が予行を指示したなどという、当日の事実認定の不適正」「処分庁べったりの判決、校長の指示に従うのは何があっても当然、決めるのは校長だという単純化」「人事委員の選任は手続きの問題とするだけで、あまりに『中立・公正』という視点にかける」と5点の問題点を指摘された。
吉永克彦弁護士は「重要な証拠をまったく採用していない、例えば、『日の丸・君が代』強制マニュアルなどは当時新聞でも大きく取り上げられたにもかかわらずまったく無視し、ことさらに事実を都合よくそぎ落として、単純化している」「学校に『日の丸』を強制しても教員の内心の自由に強制したことにはならないという論は明治憲法と同じ論であり、明治憲法下の『心境の自由』と『国家神道』との関係が想起される」と話された。
内田雅敏弁護士は「『日の丸・君が代』と『日米安保』は裁判所のタブーであり、この二つについては裁判所は形式的に逃げるのが常套であり、今回も中身に踏み込まない、学校・教育の実態を見ない、裁判官自身の感性・良心のカケラもない中身のない判決である」「国旗そのものが必要な時代か、21世紀に向けて『国の旗』などを振る時代かどうか、今後も議論しなければならないだろう」と述べられた。
その後、原告を代表して福岡高校の竹沢彰一先生が「福岡高校では、教員は全責任を持って教育に当たっている、そのためには、職員会議で共通理解をもち、校長も教員も一体となって学校運営が行われなくてはならない」「『日の丸・君が代』強制マニュアルによる、行政の学校・教育への不当な介入を人事委員会は裁定せず、今回の判決ではさらに無視されたことを許すことができない」「県教委の言い分を鵜呑みにした判決で、まるで江野校長が英雄のように描かれ、憤懣やるかたない」と怒りの発言をされた。
8名の原告の代表として、福岡高校の川上定雄先生は「1990年3月から目茶苦茶な強制がマニュアルに基づいて指示・命令が校長に行われていた」「今後、もっと強烈な強制がすすむだろう、現場でもっと考えなければならない」「人事委員会、裁判を通して、学校運営において職員会議が大変重要な位置にあることが深く認識された、また、埼玉県教委の理不尽な介入が明かになりよく理解されたことは大きな成果だと思う」とまとめられた。
今後のことについて竹沢先生から「闘いのための闘いではなく、9年間おかしなことはおかしいというところでめいいっぱいやってきた。今後、上告して公正な判断が得られるというのであればやりたいが…正直、検討中ということ」とお話があった。
7月9日の毎日新聞で「控訴を断念した」ことを知った。福岡高校の先生方は自前の闘いを十分に闘いきった。今後は私たちがどうするかということだろう。
(お詫び:「お知らせ」はページ数の関係上掲載できませんでした)
編集後記この夏休みの半分は「日の丸・君が代」法制化反対闘争に明け暮れた。国会にも何度か行った。そして、国会のレベルの低さを実感した。一方、新しく知り合った人たちとの連帯の輪が広がった。ホームページの「ひのきみ通信」を読んで、国会前の座り込みにかけつけてくれた人もいた。二学期以降我々は、3学期の卒業式に向けて、強制を迎え撃つため、大規模な県民運動の構築を考えている。
stylo rouge
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