第二部 いま


もくじ

1 .小金高校
2 .K高校
3 .九十九里高校
4 .国府台高校
5 .浦安高校
6 .東葛飾高校
7 .船橋旭高校
8 .木更津東高校
9 .安房南高校
10.京葉工業高校

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1.小金高校 1995年

 「日の丸」を掲揚しようとする花井校長と四者会談で、ねばり強く交渉を続け、生徒会・卒業委員会はは対面式・生徒司会の卒業式を実現した。

卒業生のことば

 …(略)…
 本来はここで終わるはずでした。終わろうと思ったのですが、是非、ここに居る皆さんに聞いておいてもらいたい事があります。
  奴等の頭は言葉でガラガラになり、
  奴等の心は根も葉もないのだ。
  野望の上に造花は咲いて
  迷った心は造花に縋る。
  造花作りは花屋を恨む。
  さて、花は造花程 口がきけない。
  造花作りの羽振りのよさは、
  ああ、滑稽なこった滑稽なこった。
  それが滑稽だとは見えないばかりに、
  花の言葉はみなしゃらくさい。
  舌、もつれようともつれまいと
  花に嘘などつけやしないんだ。
 これは中原中也さんの「辛いこった辛いこった」という詩の一部です。作者はどうであれ、私はこの詩のこの部分が今の小金高校、又は、社会に合っていると思います。この詩の「奴等」とは誰で「造花作り」とは誰を指すのか、花とは何か?は、皆さんに考えていただきたいと思います。
 造花に頼ることなく、自分たちの独自の花を咲かせて下さい。何時か小金に返ってきた時、「これこそ小金だ」と思える様な、そんな本物の花を咲かせて下さい。
 それからこれはこの場に居る皆さんにですが、真実を見定めて下さい。表面だけの新聞記事にながされずに教育的に、社会的に、そして人間的に何が問題なのか、考えてみて下さい。
 私は、少なくてもここにいる人達だけには、真実をつきつめようとしない、あるいは、真実を曲げてしまう様な人や、自らの欲の為だけに物事を運ぼうとし、当事者の事を考えないような人になってもらいたくないと願っています。長くなりましたが、卒業生のことばを終わります。

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2.K高校(定時制)1995年

 早いものでこの学校の門をくぐって四年間が過ぎてしまいました。この四年間いろいろなことがあり、いろいろなことを学びました。学校の勉強は当然ながら、専門学科や友達との信頼関係、先生方の優しさなど、いろいろです。
 その中でも、ここにいる卒業生が一番に学んだこと、それは、学校と仕事の両立だったと思います。入学当初は、あまり大変だとは思いませんでしたが、二年目が過ぎ、三年目が過ぎ、四年目になるまでに、両立の二文字が、つらく肩にのしかかるようになってきました。
 何らかの事情でやめていった仲間達…年月がたつたびに、クラスの人数が少なくなっていき、四年目には、最初の半分位になってしまいました。「両立」という二文字、言葉で言うのは簡単です。しかし、実際には大変なことでした。同時に二つの目標をもち、それを成しとげるのは難しいことです。
 ほとんどの人は、学校生活という高校の三年間を過ごすか、社会人として就職するかのどちらか一つを選んでいるわけですが、私たちはその両方の混在する定時制を選びました。全日制の高校生活であれば三年間と、社会人として過ごした四年間、この定時制の四年間にはその二つの、合計七年間の意味があることになります。二つの人生を一つにしているということになります。
 両方に責任がありました。朝から四時までは仕事、五時四十五分からは授業が始まります。仕事がおわらないときは、仲間に頼んで退社することもありました。会社に心をのこして学校に行く、その逆に、学校を気にしながら仕事をすること…仕事帰りにみんなと遊びに行きたくなることもあります、学校がおわって友達と話しこむこともあります。
 一日、二十四時間はとても短いものです。もし、これが一つだけなら、もしこれが、もっと短い期間なら、もっとらくなところがあったかもしれない、と考えることもありました。
 …いろいろな迷いや悩みにゆれながら、二つの日常を続けること、四年間継続することの重みを、ここにいる卒業生七十二名は、だれよりも知り、身をもって体験し、耐え抜いたのです。この後になにがあっても、どんなことがあっても、弱音をはかないと思います。
 在校生の皆さんも、頑張って、ぜひ、四年間やりとおして下さい。そうすれば今の私達の気持ちがわかるはずです。そして、「両立」という言葉の意味もわかると思います。
 最後になりましたが、いつも私達の健康を考えて給食を作って下さったみなさま、学校生活が快適になるように一生懸命になって下さった事務の方達に感謝の気持ちで胸がいっぱいです。
 そして、いつもいつも私達のわがままをきいて下さった、担任の先生がた、並びに諸先生のおかげで、私達は、今、ここに並んでいます。ほんとうにありがとうございました。今後の学校の発展と先生がたの健康をいのり、答辞とさせていただきます。
1995年3月8日

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3.九十九里高校 1996年

 梅の香りただよい、日々暖かくなりつつあるこの良き日に、多数の方々のご列席のもと、このように盛大な卒業式を開いて下さったことに卒業生を代表して感謝申し上げます。
 思えば三年前、入学試験を突破し、希望と不安で胸を一杯にして私達はこの体育館に集いました。入学式後のオリエンテーションや、新入生歓迎旅行などを通じて、先生方や先輩方の温かい歓迎を実感し、数多くの友人を作ることができ、不安な思いを一掃することができました。
 黒潮祭では各クラス、部活動、委員会または有志の人達で、連日放課後遅くまで準備をしました。特に文化の部は、毎年梅雨の季節に開催され、雨に崇られているので、「天晴」というタイトルをつけ、何としてでも成功させようと一致団結しました。その甲斐もあり文化の部、体育の部共に成功を収めることができました。
 また、修学旅行や春・秋の球技大会、冬のマラソン大会などは、高校生活を飾る良き思い出として私達の心に残っています。
 勉強の点では、私達が二年生の時に他校に類を見ないコース選択制の本格的な導入が行われました。これにより私達は希望の進路に合った科目を勉強できるようになり、大変役立ちました。
 部活動では、各部とも連日遅くまで練習を積み重ね、素晴らしい結果を残すことができました。また商業クラブ同好会の発足という新しい動きもありました。
 また、ボランティア推進グループを中心に行っているボランティア活動を通して、私達はボランティアの意味を考え、実践することができました。特に今年は阪神大震災という大きな災害がおこり、すぐに義援金を集めて送り、微力ながら復興の手助けをすることができました。
 そして九十九里高校の伝統である除草作業や大清掃も忘れられない思い出となりました。真夏の炎天下や真冬の北風を直接体に受けながらの作業は、大変厳しいものでした。しかしそれらの努力も球技大会や体育の授業の時には報われました。やわらかく暖かい芝生の上で思い切りプレーできる喜びは、何事にも代え難いことでした。
 私達はこの除草作業を通して、協力して一つの物事をやり遂げることの大切さ、また努力すれば、苦労すればそれらが必ず報われることを学びました。
 このように三年間を振り返ってみますと、数々の思い出が思い浮かびますが、同時に後悔の念もあります。自分の進路に対して、もっと貪欲になっていれば、もっと先生方のアドバイスを参考にしていれば、もっと一時間、一時間の授業を真剣に受けていれば、もっと良い高校生活がおくれたに遠いない。今、卒業生一人一人にその想いがあるのです。
 しかし、後悔先に立たず、今はもう前を見て行くしかないのです。私達はこれからは社会人としてそれぞれの道を進んでいきますが、この九十九里高校で培った経験や反省、先生方のアドバイスを活かし、精一杯頑張ります。
 後輩の皆さん、人生は一度しかなく、立ち止まることも、やり直すこともできません。1日1日を大切にし、充実した生活を送って下さい。それが九十九里高校を盛り上げることになり、自分自身の為になります。
 最後に校長先生はじめ諸先生方や、ご来賓の皆様、そしていつも暖かく見守ってくれた父兄の皆さんに感謝しつつ、答辞とさせていただきます。本当に有難うございました。
平成8年3月8日

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4.国府台高校 1998年

 各クラスから1名、計8名が「卒業の言葉」を述べる。冊子も配布される。

*過去には戻れません。タイムマシーンはきっと完成しないような気がします。自分が本当にやりたい事。今しか出来ない事。やればよかったって思うような事。後になったら出来ないかもしれません。失敗はしてもいいはずです。失敗してやらなきゃよかったって後悔しても、きっとそれはやってよかったに変わっていくと思います。だから自分をふるいたたせて、恥ずかしくても疲れても、大声で叫ぶ毎日。時間はたくさんあるんだからまだ若いんだから、おかしな枠に取り囲まれて身動きがとれなくなる前に、やったが勝ちだと思います。僕はこの学校とここで出会ったたくさんの友達にそういうことを教えてもらいました。もちろん自分の思うように出来ない物事はたくさんあります。でも僕は、これからも色々な事に挑戦していきたいと思っています。
 それにしても今日は悲しい日です。本当に悲しい日です。僕は国府台高校を卒業したくありません。やろうと思えば何でもできてしまいそうなこんなに楽しい学校。まだ何かやっていないような気がして、とてもさみしいです。でもこころから鴻陵生でよかったです。みなさんも胸がドキドキした時、心の底からうずうずした時、がまんせずに何かやってみて下さい。それが出来るうちに。やればよかったなんてつまんないから。国府台が自由な学校であるうちにやってみて下さい。ありがとうございました。

*最近思う事は何兆分の一ぐらいの確立で生れてきてしかもそれがヒト科で、これほど幸運な事はないんじやないかと思います。他の動物とかだったらその生れてきたすばらしさとかも考えないで死んじゃうわけで、そこにヒトとして生れてきた幸運のもう一つの理があります。
 「考える」ということ、それはほとんどヒトのための言葉で、いろんな哲学者もいっとるとおり、「考える、だから自分は存在する」ということがそのヒト科としてのある時代のある動物から個人、人間としての存在を確立するのです。そのようなことをふまえて、この3年間という高校生活は色々な事を考え、知り、自分自身にとっては変化の最も多い時期だったと思います。
 国府台高校には、考えるという時間が多いというか、とれる学校だと思うのでみんないろんな事を考え、自分が本当に心から、納得するように下さい。この学校には、そのような時間と校風があります。そのような校風を大事に。そして誇りを持って学校生活を送ってくれれば…と思います。

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5.浦安高校 1998年

 私達が浦安高校で過ごした3年間を振り返ってみると、色々な事が思い出されます。私達が入学した当初は、校舎が新しくきれいで設備も比較的に整っていました。ですから勉学するにはとても良い環境に恵まれていたと思います。
 しかし、周りの学友を見た感じはガラが悪い人がいるな、という印象でした。私はこの場でやっていく事が出来るかと不安になった思い出もあります。
 しかし、修学旅行や文化祭を共にやって行く中で仲良く馴染むことができ、それぞれ楽しい思い出やうれしくて喜んだ事が沢山ありました。部活動や学級生活の場で大きな失敗をして先生に迷惑をかけてしまった苦い思い出のある人もいると思います。それも将来、私達にとってなつかしい思い出となっていることと思います。私が入学してから三年間、クラスの中でも学校を辞める人が多く見られました。希望に燃えて入学した人達が次々に辞めて行くのは学友の一人として非常にさみしく感じました。しかし、こうして卒業という日を迎えられたのも、私達一人一人のやる気と努力があったからこそだと思います。また学校を辞めて行く人が多い中で、辞めずに残れたのも良い友人がいたからではないでしょうか?学校を辞めずに残った数少ない学友はこれからの将来きっとたよりになる友人になると思います。
 卒業しても共に学んだ学友としてこれからも友情をより良いものにしていきたいと思います。そしてまた私達を見守っていてくれた保護者の愛情がこの卒業という日を迎えるにあたっての大きなはげみにつながったと思います。先生方には、いろいろご指導頂き、大変お世話になり、とても言葉には言いつせませんが、卒業生を代表して、お礼の言葉を申し上げたいと思います。「三年間ご指導頂きありがとうございました。」
 最後に私達は、浦安高校で学んだ事を基に社会に出てからも人生を力強く歩んで行くことを誓い、答辞の言葉とさせていただきます。
1998年3月7日

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6.東葛飾高校 1998年

 Spring has come! ばねが来た。いいえ、そうではありません。春が、やって来たのです。
 校舎の陰の昨日の雪も、もうすぐ消えます。ウグイスはハミングし、春はもうカミングです。満開の兆しをみせる校庭の桜のまわりを、てふてふが舞う日も遠くなない今日この頃、僕ら三年生が、卒業するのも、いとをかし。
 三年間、東葛高校で生活してきて、僕らはもう、十八です。この年になると、いろいろなことを考えます。これまで見守っていてくれた両親のこと、先生のこと、友達のこと。しかし、なによリもさびしいのは、雑誌のグラビアに出てる子が、自分よリ年下であるのを発見したときの気持ちでしょう。そう、もうすぐ僕らは、大人になってしまうのです。
 ―――しかし、こうして卒業を前にして、目をとじると浮かんでくるの紛れもなく十五年前のあの日です。暖かな公園で、母は僕にこうききました。
 「ねえ、坊や。坊やは大きくなったら何になリたい?」
 「んー、オレンジジュース」
 残念ながら僕達は、オレンジジュースにはなれませんでしたが、今日この日、さらに大きな夢を抱えて、歩き出します。
 でもその前に、少しだけ、思い出に、別れを告げる時間をください。
 三年前、東葛高校に入学した、僕達。今思うと、あの日を境に、中学の頃の友達が、こう言うようになっていました。
 「お前、変わったな」そう、自分では気づかないうちに、僕らは、東葛と魂の契約を結んでいました。
 まず待ち受けていたのは、合唱祭。忘れられないのは、電光掲示板での順位発表の渦にまかれて味わった、すさまじい感動と、お約束の理科部ギャグ。笑顔の最下位というフレーズのもと、三十位のクラスが笑う隣で、優勝クラスがあべこべに泣きじゃくっている光景は、深く心に刻まれました。
 スポーツ祭では、誰もが、東葛の元卓の多さに感動し、クラスごとのオリジナルTシャツを自慢しました。四日間連続のスポーツ祭で、あのTシャツを、実は洗わずに着続けたのは僕だけじゃなかったはずだと信じています。
 夏休みは、文化祭の準備や練習に費やされます。そして、貴重な休みは台風のように過ぎていき、文化祭前日は、本物の台風が過ぎていきました。それでも、当日、見学に来てくれた他校の生徒は、校舎の汚れにがくぜんとし、僕たちは、女子校生のスカートの丈の短さに騒然とします。
 そして、ぼくらは気づくのです。いつの間にか、東葛に魂を売リ渡していたことに。けれど、後戻リはできません。「朱に交われば赤くなる」
 教室の片隅でぼんやリしながら、そんなことを考えるしかないのです。
 僕らが「東葛生」になってしまったのは、個性豊かな先生方にも責任があります。
 クラス担任の先生だけでも、まさに十人十色というほかありません。
 学年通信サボテンを三年間出し続け、ついに、顔がサボテンに似てきたM先生。
 顔に似合わず子煩悩な、A先生。
 水木茂の漫画から抜け出てきたようなS先生。
 体に気をつけてください、K。
 最近、三女ミキちゃんが生まれてゴキゲンの、P。
 ひそかに、大江健三郎のまねをしてるのでばないかと疑われるY先生。
 卒業誕書を一つ一つ書いてくださったH先生。
 学年集会で「壊れかけのラディオ」をうたった、O先生。
 数学もギャグもトツブレベルなU先生。
 白衣を普段着にしてそうな、S。
 そして、忘れてはならないのが、風呂場で転倒、骨折し、東葛をあとにした、Yであリます。
 そんな先生方に見守られて僕らはこれまで過ごしてきました。
「卒業写真のあの人は、優しい目をしてる」
 僕の大好きなユーミンはそう歌います。
 思い出のページをめくっていくと、きりがあリません。運動部の人たちは、グラウンドの砂ぼこりや、仲間と流した汗や涙や、部室の臭いが。文化部の人たちは、トランプをして過ごした日々やたわいない御喋りが。帰宅部の人たちは、通学路が、それぞれ、思い出として心に刻まれているでしょう。その一つ一つの場面を、丁寧に思い出すとき、僕遂は、そこに、いつだって、友人の影を見つけます。
 この三年間、海外に行ったという友人もたくさんいました。考えてみると、僕らの学年は、なかなかinternationalだったような気がします。イギリス、アメリカ、オーストラリア、そしてインドと、行き先もさまざまでした。旅の目的も、語学研修からヨガの修行といった具合に、実に幅広いといえそうです。
 しかし、どんな思い出も、東葛というおもちゃ箱の中にしまいこまねばなリません。この学校で、僕らは出会い、そして、もうすぐ、この学校にセイグッバイ。
 でも、まだ、僕らは、東葛のすべてを知りつくしたわけではあリません。わからないことはまだまだあります。例えば、多目的教室1はどこにあるのか、校長先生と用務員のおじさんの見分けはどこでつけるか。そして、なぜ修学旅行前になるとカップルが激増し、終わると、激減してしまうのか。これらは、今、大いなる謎としてわれわれの前に立ちはだかっているのです。しかし、それをとくのは、僕達ではなく、在校生である君達です。
 そして、君達に、かみしめてもらいたい言葉があります。それは、―――
「東葛が君達を選んだわけじゃない。君達が東葛を選んだんだ」
―――という、この言葉です。
 昔、僕らがまだ中学生だったころ、東葛に行こうと決めたあのときの、あつい気持ちは、受験のためにすり替えられて、いつしかやがて、自分がまるで、東葛に選ばれたからここにいるような、そんな気になってしまいます。でも、本当はそうではなくて、僕らはもうその瞬間に、自由への第一歩を踏み出していたのです。
 自由は、与えられるものでもなく、始めからそこにあるものでもなくて、自分で創り出してゆくもののはずです。自分の可能性に溢れたこの東葛を、好きになれるかどうかは、まさに自分次第です。
 僕らは三年間、少なくとも、この可能性を、大切にしてきました。だから、この学校を、好きになれたし、それに、ほんとは、別れたくあリません。今だって、卒業式のあとわずかな残り時間を、惜しむように数えています。
 今思うと、僕達は、卒業するためにこの学校に来たんじゃなかった。楽しいことや、そうでないこと、取るに足りない、ささいな出来事、そして、友達。そんなものが、本当は、卒業証書という紙切れよりも、ずっと大切なもののような気がします。
 ……だけどやっばり、今日、こうして、ぼくらのために、卒業式をあげてくれた皆さんに、お礼をいわなければなリません。そして、差向いだと恥ずかしいから、この場を借リて、父さんや母さんへも。
 東葛での三年間は、ながれるように過ぎてしまい、いつか、多分あっと言う間に僕達は、大人になってしまいます。それは少し、さびしいけれど、でも、きっと、容赦なく季節はめぐリ、過ぎ去ったこの三年間をふっと思い出す日が、やがて来るんだろうと思います。だから、最後に、その日のために、多くの懐かしい友達や、みんなへ。
 ―――この素敵な三年間を、本当にありがとう。
1998年3月7日

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7.船橋旭高校 1998年

 今日、私は答辞という大変大きな仕事をまかされました。そう今日は船橋旭の卒業式です。今、ここにいる卒業生みんなはどういう思いを胸にこの卒業式をむかえているのでしょう。楽しかった三年間を思い出している人、苦々しい高校生活に早く別れを告げたがっている人、友との別れを悲しんでいる人など様々な思いがその胸にあるのではないでしょうか。思い返せば三年前、僕がこの船橋旭高校に入学した当初は勉強が嫌で「早く卒業したい」という思いをいつも抱いていました。一時期は学校をやめようと思ったこともありました。けれども、日々の学校生活、行事、友達との交わりなどを通じてそんな思いは、日に日に薄れていきました。振り返ると、様々な行事、色々な友達との出会いがありました。ゴールをめざして走り、声をからしながら一生懸命応援をした体育祭。最初は文句を言ったり消極的な態度をとっていても、最後にはクラスー丸となって協力しあい、最高の出し物を披露した文化祭。生徒自身で計画を練り行動した修学旅行など他にもたくさんの行事が僕の心を大きく変えてくれました。そして何より自分を大きく変えてくれたのは全校生徒に名前を知ってもらいたいなどと いう不純な理由で始めた生徒会長という役職でした。当初は周りの人に、「旭も終わったな」などとよく言われていました。自分でもそうかもしれないなと思っていましたが、仕事をこなしていくうちに会長としての自覚が少しずつ芽生えてきました。確かに人から見れば、動機が不純な上、生徒の皆さんや先生方には大変迷惑をかけた最低な会長と写っていたかもしれません。しかしながら、自分自身では旭高校のため必死に努力し、他の生徒会役員とも協力して、旭高校を守りたてた、最高の会長だと思っています。自分にとってこの三年間はとても短いけれども生徒会長として得ることも沢山ありました。特に、全力投球をして、物事を成し得た時のあの感動には、何物にも変えがたいものがあります。自己の成長にも非常に役立ちました。その陰には多くの友人の有形無形の支えがありました。友人達がいなければ、今の自分はありません。つらく悲しい時、うれしい時楽しい時にもいつも側には、友人達がいました。僕はこの友人達を旭高校で得ることができた宝と思っています。そしていつまでも大切にしたいと思います。在校生の皆さん、これからは君達が、この船橋旭高校を作っていく時です。型 に縛られることなく、自由で楽しい高校生活を送って下さい。欲しい物は侍っていても向こうからは、やってきてくれません。全力でつかみ取りに行って下さい。別れの時が近づいてきました。僕達と部活動や、日々の学校生活を共にし、苦楽を分かち合った後輩達を残してゆくのはつらい事ですし、話したかった事などまだ沢山あります。けれども在校生の皆さんは、僕達の歩んできた足跡から自分達の力で新たな物を創っていって下さい。
 今日、卒業を迎えられるのも、今日まで私達を指導して下さった先生方やいつも温かく見守って下さった両親、その他多くの人々の支えがあったおかげです。厚くお礼を申し上げたいと思います。最後にたくさんの出会いをくれた船橋旭高校ありがとうございました。
1998年3月7日

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8.木更津東高校 1998年

 答辞は印刷され、配布される。表紙は学校の校舎のカラー写真。

 3年間通い慣れた通学路、笑顔あふれたにぎやかな校舎、着慣れた制服も今日が最後となり、私たちは卒業の時を迎えました。振り返ってみると、いろいろなことが鮮明に思い出されます。
 入学当時は、女子校という環境が新鮮で、不思議な気持ちと戸惑いを感じました。しかし、そんな気持ちも束の間で、すぐにみんなと仲良くなり、楽しい毎日を過ごすことができました。また、力仕事なども協力して、私たちだけで見事にやり遂げることができました。
 体育祭では、色鮮やかな浴衣を着て、東高恒例の民話を踊り、華やかな一面を見せたかと思うと打って変わって、騎馬戦や棒引きでは、迫力ある女の強さを肌で感じました。
 また、各色工夫を凝らした応援合戦では、よりよいものにするため、ちょっとした時間も惜しんで、練習を重ねました。その成果もあり、各色団結して楽しみながら、応援合戦をすることができました。その中で、普段の生活では見ることのできない、様々な表情を発見しました。
 文化祭では、各クラスが個性を生かした企画で参加しました。当日の盛り上がりはもちろんのこと、そこにたどり着くまでの準備すべてが、心に残っています。遅い時間まで残り、みんなで協力して一つのものを作り上げることの大切さを学びました。
 そして、私たち3年生が最もカを入れた音楽コンクール。全校がピアノのある部屋を有効に使い、他のクラスに刺激されながら、限られた期間で一生懸命練習を重ねました。時には全員が集まらず、思うように練習が進まないときもありましたが、コンクールが近づくにつれて、徐々にクラスがまとまり、一つの合唱となりました。当日は練習以上のカを発揮することができ、市民会館に響きわたる美しい歌声に、東高ならではの素晴らしきを感じました。
 部活動では、いくら練習してもなかなか伸びず落ち込んでいる時も、練習が厳しく逃げ出したくなる時もありました。そんな時、同じ目標を持った仲間や先生の支えが励みとなり、厳しい練習にも耐えることができました。たとえ、大会などで良い結果が出なくても、本当に大切なのは、それまでの努力であることに気づくほど成長しました。部活動を通して、精神的な強さを身につけ、自信と大きな満足感を得ることができました。部活動から学んだことは数えきれません。
 このように、私たちの姿を見守り続けてきた校舎も、創立87周年の伝統と共に古くなり、昨年度から、二年続けて改修工事が行われました。そのため、私たちは二年生の時にプレハブ校舎での生活を送ることになりました。ここでの生活は厳しく、夏はあまりの暑さにうちわを持参した人もいました。冬は絶えずすきま風が入ってきて、寒さとの戦いでした。そんなプレハブ生活にも慣れ、愛着がわく頃改修工事が終わり、住み慣れたプレハブは取り壊されて、少し寂しさを感じました。この他にも、修学旅行で思いがけないハプニングに遭遇したり、球技大会では、手に汗握る白熱した試合を展開したりと、この3年間でたくさんの思い出ができました。そして、たくさんの笑顔と数え切れないほどの努力が思い出されます。
 在校生の皆さん、今東高での生活は充実していますか。三年間は本当にあっという間です。平凡な毎日でも二度とない貴重な時間なので、一日一日を無駄にしないで下さい。それから進路や人間関係で悩むことがあるでしょう。その時は、広い視野で物事を考え、時には人に相談して冷静に自分を見つめ直して下さい。特に進路については、誰もが通る道です。安易に決定したり、人の真似をしたりするのではなく、自分が本当にやりたいことを見つけだして下さい。そのためにはまず努力をし、失敗を恐れない強さを身につけて下さい。努力しただけ夢は近づいてくるはずです。焦らず、自分の意志で納得のいく結論を出して下さい。また、人間関係の悩みもあると思いますが、友達の存在は時にはライバルになり、時には励みとなります。信頼できる素晴らしい仲間を大切にして下さい。
 また、東高には、個性豊かで情熱のある先生方がたくさんいらっしゃいます。学校生活の中で生徒と先生の間にはいつも親しみがあり、冗談をまじえた授業はとても楽しく、何気ない雑談までが知識となりました、もちろん優しいだけでなく、厳しい指導もして下さいました。先生の言葉を素直に受けとめられなかったことも、不満に思ったこともありました。しかし、今では厳しい言葉の重さやその時の先生の気持ちが痛いほどよくわかります。楽しいときは一緒になって笑い、悲しいときは一緒になって泣き、間違った方向へ進んだときは本気でしかって下さいました。そんな人間味あふれる先生方に感謝の気持ちで一杯です。
 この三年間、いろいろな人に見守られ、育ってきた私たちも、今日の卒業と共に、それぞれの道を歩み始めます。今私たちは、自分で考え決めた道に向かって、まっすぐに進もうとしています。まだ、夢を探しきれていない人も、自分に会った生き方を見つけようと頑張っています。これからの人生はまだ長くどんな試練や出来事が待っているかわかりません。しかし、決して夢をあきらめず、いつかその夢をつかみ取るために、一歩一歩着実に進んで行こうと思います。そして、喜びや悲しみを共に過ごした仲間や先生、家族がいて、今の自分があるということを、私たちは忘れません。
 いつも温かい心で見守り続けて下さったお父さん、お母さん。時には八つ当たりをしたり、迷惑をかけたりしたこともありました。私たちにはわからない苦労もあったことでしょう。しかし、どんな時でも私たちを陰で支えてくれました。こんなに成長した私たちの姿を見て下さい。言葉では言い表せないぐらい、感謝の気持ちで一杯です。
 私たちは東高の生徒であることを誇りに思い、今日この晴れの舞台で、三年生全員が卒業できることを嬉しく思います。
 今までお世話になった先生方、友達、在校生の皆さんへの、感謝とたくさんの思い出を胸に、私たちは新しい一歩を踏み出して行きます。三年間ありがとうございました。
平成10年8月8日

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9.安房南高校 1998年

 桜のつぼみもふくらみ始め、春の訪れが感じられるようになった今日、私たち二百七十五名は卒業証書を胸に、この学び舎であるひかり野を翔び立ちます。校長先生をはじめ、ご来賓の方々、在校生の皆さんからのお祝いと激励のお言葉と、安房南高等学校で培った「誠の心で優しく強く」という精神を大きな翼として。
 思えば三年前、私達は真新しいセーラー服に身を包み、今日と同じように不安と希望を胸に、桜が満開の正門をくぐり、入学式に臨みました。この日から、高校生活がスタートしたと共に、二度とない充実した生活が幕を開けました。一年生の頃はすべてが初めてで高校生活の新鮮さを感じていましたが、先生方の手をやかせたこともありました。合唱コンクールでは、指揮者、伴奏者を決めることができずに何度も話し合いました。練習にもなかなか取り組めず、シスター練習で先輩に注意されたこともありました。しかし、私達は、それらのプロセスの中で、クラスの先頭に立つことの難しさや一つのことを成し遂げる充実感を学ぶことができました。日々の授業に慣れてきた中、ひかり野祭を初めとして、持久走退会や予餞会など様々な行事がありました。毎日があっという間に過ぎていき、先輩方の後ろ姿を追いかけていくだけで精一杯でした。
 一つ学年が上がり、学校行事も二度目になり、高校生活に少し余裕が持てるようになりました。最初の頃はてれくさかった「先輩」という言葉もしだいに実感がわき、自覚をもてるようになりました。自分の将来を見つめる前に、自分のことを理解し、可能性に挑戦した一年でした。ひかり野祭では、クラス参加や舞台自分をアピールしたひともいました。京都、広島方面への修学旅行は、平和の尊さを改めて感じ、無惨な原爆ドームに胸を痛め、二度とくり返されることのない戦争への思いを胸に刻みました。また、友達と寝起きを共にすることで、友達との絆を深めることができました。予餞会では自分達が中心となり、一年生と協力して会を盛り上げました。この頃から、一人一人が、自分の将来を考え始めると共に、あと一年しかない高校生活を有意義なものにするため準備を始めました。
 三年生になると、先頭に立ち責任ある行動を学年になったと同時に、創立九十周年の記念すべき卒業生というプレッシャーをいつも背負っていた気がします。しかし、プレッシャーも時には力となり、私達を励ましてくれたこともありました。特に式典での諸先輩方のお姿には、夢を追い続ける力、九十年という長い歴史と母校の誇りを感じることができました。
 長い歴史の中で地道な努力によって積み重ねられた伝統の中で、私達も南高に根づき、新たな伝統と共に少しずつ歩んでいる気がしました。伝統ある合唱コンクールもこれが私達にとって最後だと思うと何となく寂しく、朝早くから夕方遅くまで練習し、クラス一丸となって一つのものを目指しました。その結果、一つの大きな力となって私達に返ってきたようでした。それは、生徒会活動や委員会活動でも感じることができました。互いに励まし合い、ライバルとして競い合い、つらい練習を重ねてきた部活動。それを共に乗りこえた仲間とは、今後もよき友となっていくでしょう。時には、やめたくなり、挫折を味わったこともありました。そんな時、力となって支え、励ましてくれたのは、辛い練習を共にした仲間でした。部活動という中から、すばらしい仲間を得、自分の可能性の限界に挑戦することに必要な努力の大切さを学びました。先行き不安定で不景気な世の中での進路決定には、誰もが悩み、苦労しました。自分を見つめることが欠けていた為に適性がわからず、先生方や友達に相談し、最終的には自分の意志を持ち、夢に向かって大海原を航海し始めました。
 私達をいつも温かい目で見守り、陰になり、日なたとなって支えて下さった先生方や地域の方々、そして両親。私達の先輩として、よきアドバイスを頂いたり、叱られたりしたこともありました。しかし、これらすべてが今、この場で私達の脳裏を鮮明に走馬灯のようにかけめぐっていきます。たくさんの友達に恵まれ、共に笑ったり、また泣いたりした日々は一生忘れられないものとなるでしょう。
 これからは、一人一人が自分の無限の可能性に向かい、若さというパワーを生かし頑張ろうと思います。また、目前に迫った二十一世紀を生きる女性として、自立と誇り、そして国際社会に対応できる広い視野をもち続けていきたいと思います。時には、試練に立ち向かうことができず、夢をあきらめそうになってしまう時があるかもしれません。そんな時には、この学び舎でのことを思い出して乗りこえていこうと思います。
 最後に、ご臨席下さった来賓の方々、校長先生をはじめ諸先生方、両親、そして在校生の皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのご健康とご多幸、また母校の限りない発展を心からお祈り申し上げ、感謝の気持ちをこめ答辞とさせていただきます。

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10.京葉工業高校 1998年

 降りしきる雨の中、多くの希望と少しの不安を胸に、この千葉県立京葉工業高校の門をくぐった日から、早3年の月日が流れました。私たちの門出に向けて、ご来賓の方々、校長先生、そして在校生の皆さんから心のこもったお言葉の数々を頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。いよいよ卒業するんだという実感が沸々とこみ上げて参りました。そして今、幾多の思い出が映画の回想シーンのように、私たちのこころのスクリーンに浮かび上がっております。
 この3年間にさまざまな行事がありました。本校に長い歴史の中、初めて私服で行ったディズニーランドへの遠足。実施されるまでにはきっと、学年の先生方の苦労があったと思われます。雨に祟られた高校生活最後の体育祭。綱引き、リレーなど楽しみにしていた種目の決着がつけられなかったのは心残りです。クラス一丸となり全力で戦った球技大会。前庭を中心に年々盛り上がりを見せた京工祭。楽しかった工場見学。そして高校生活のメインイベントである修学旅行。普段は真面目で硬いイメージだった前教頭の堤先生が、スキーの名手であり、大変驚きました。最終日には学年主任の前田先生を置き去りにしたままホテルを出発するというハプニングもありました。この他にも修学旅行でたくさんの想い出をつくることができました。もう一つ忘れることのできない行事があります。先日行われた予餞会です。今年から芸術鑑賞会と分離したため、どんなことが行われるのだろうかという気持ちがありました。そんな私たちの目に飛び込んできたのは、普段からは伺い知ることの出来ない3学年の先生方の姿でした。若かりし頃作ったオリジナル曲やエピソードを聴かせて下さった前田先生。満面の笑 みで雪を振りまいて下さった何木先生。サボテン姿で踊って下さった白石先生。楽しそうに女装していた原先生。私たちのためにここまでやって下さるとは思ってもみませんでした。時にはぶつかり合ったりもした先生がたですが、私たちに対する思い入れの強さを肌で感じることが出来ました。
 行事の話ばかり続きましたが、学生の本分は勉強です。専門科目・普通科目の学習を通して、私たちは様々な知識・技能を身につけることが出来ました。特に忘れることが出来ないのは、小人数の班に分かれて行った実習や課題研究などです。それぞれの担当に先生が手取り足取り教えて下さり、楽しみながら学ぶことが出来ました。普通教科では家庭科が強く印象に残っています。物を作る厳しさ、大変さと作り上げたときに感動を味わうことが出来ました。味わうと言えば、電子工業科以外の大半が味わうであろう国語の強烈な「漢ベ」も今となっては楽しい思い出です。この他にも様々な持ち味を持った先生方に教えていただいた授業の数々はいつまでも私たちの脳裏を離れることはないでしょう。また、資格取得にも意欲を燃やしました。先生方の熱心な指導のお陰で、私たちは普通高校では取得することのできない資格を得て、社会へと旅立つことができるのです。
 高校生活の中で、もう一つ大切な物。それは部活動です。本校の花形である自動車部・自転車部は言うまでもなく、たくさんの部が活躍しました。運動部では関東大会に出場したレスリング部、県大会で上位進出を果たした卓球部・柔道部・バドミントン部、久方ぶりに県大会に駒を進めた野球部などの活躍が印象に残ります。文化系では、各種のコンクールで賞を総なめにしたS君率いる写真部。夜遅くまで頑張っていたマイコン研究部、様々な行事を精力的にこなしながら、コンクールでは金賞を獲得した吹奏楽部。野球応援や京工祭で大活躍したMさん率いるジャズダンス同好会等の活躍が思い出されなす。わたし自身はJRC同好会でボランティア活動はじめ、数々の活動をしました。先日はネパールへ文具を送る活動をしました。この活動は新聞にも取り上げられ、大きな思い出となりました。今挙げた以外にもそれぞれの部活動で青春の火を燃やし続けた人がたくさんいます。この3年間の努力は社会に出てからきっと何らかの形で実を結ぶことでしょう。
 私たち卒業生は7学級編制となってからは最多の252名という数で巣立つことになりました。その中には最後の土木科となる35名もいます。諸行無常というように私たちを取り巻く環境は激変し、決して楽観できるものではありません。しかし、この3年間で培ったさまざまな力を駆使し、社会の荒波を乗り越えてみせます。1・2年生の皆さんには、先輩方の築いた伝統をさらに輝かしいものへと磨き上げてくれると信じています。先生方には、後輩たちのために厳しくかつ優しくふれあっていただきたいと思います。
 千葉県立京葉工業高等学校の発展と、ご来賓の方々、そして校長先生をはじめ先生方のご健勝と在校生の皆さんのご活躍を心より祈りつつ、卒業生を代表し、感謝の言葉と致します。ありがとうございました。
平成10年3月8日

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