本家・世紀末を生き抜く言葉[5] 「君の原稿はりっぱで独創的だ──ただりっぱな部分は独創じゃないし、独創の部分はりっぱじゃない。」(A.O'Malley) 「誰だ?俺の悪口を言ってる奴は」(T.T.) |
埼玉県教委の「通知」を笑う 鹿を逐(お)う者は山を見ず |
「日の丸・君が代」対策委員会 |
所沢高校/「日記」より 卒業記念祭前夜 |
HIDEAKI(埼玉県立所沢高校生徒) |
中国山地教育を支援する会の活動を通して見えてきたこと 人民レベルの平和・友好関係を築く |
J.A.(「中国山地教育を支援する会」) |
「GAMA・月桃の花」続編 映画「MABUI」完成披露試写会開催 |
みつはし ひさお(船橋旭高校分会) |
お知らせ |
11月14日(土)の『朝日新聞』夕刊に、埼玉県教委が、今年8月、全県立高校155校に、卒業式や入学式に地元選出の県議を招待するよう通知を出していたことが報道された。
報道によれば、通知の直前、自民党県議団は県教委に対し、校長の指揮権の確立や学習指導要領の徹底を求める提言を提出。県教委は入学式や卒業式について学校を指導することを文書で約束した。県議会文教委員会の自民党委員からは「卒業式や入学式に県議を呼ぶべきだ」という意見も出ていた。
そして、この通知を出した桐川卓雄・県教育長は次のように話している。
「所沢高校問題をきっかけに地域の人を式に呼ぶべきだという意見を市町村長らからいただいた。中央教育審議会が地域に根ざした学校づくりを打ち出したこともあって通知を出したが、選挙のことは全く意識していなかった。」
ここから以下の4つのことが明らかになるのではないかと思う。
第1には、この「通知」は明らかに、所沢高校のたたかいを潰すための圧力であるということである。そのことは、県教育長のことばを見てもわかる。そして、圧力ということで思い出すのは、1994年春の小金高校の「日の丸・君が代」強制反対の闘いに対し、千葉県教委が出した「11・18通知」である。この通知で、千葉県教委は現場の教職員に対し、「妨害や不起立等の違法行為がなされた場合には、教育委員会としては、当該職員に対して厳正に措置する」と脅しをかけた。しかし、この通知は逆に教職員、生徒、保護者の反発を買い、小金の保護者、生徒たちまで、県教委に抗議に押しかけ、その年度の卒業式では、多くの職場で脅しを蹴って、不起立闘争が闘われた。焦点の小金高校では、「日の丸勝手に掲揚事件」が起き、花井校長はさらに追い詰められ、翌年3月には飛ばされてしまった。
今回の埼玉県教委の「通知」は議員の力で職場に直接圧力を加えようとしているものだが、彼等もまた、千葉県教委や花井校長と同じ運命を辿らないとは限らない。
第2には、この「通知」は明らかに、教育の「政治的中立」を県教委みずから踏み躙るものであるということである。そのことは、記事の中に、以下のような自治省の見解が出ていることからもわかる。
「式が選挙期間中なら公共施設での演説を禁じた公職選挙法に触れ、告示前であっても事前運動にあたる恐れがある・・・『特に来賓としてあいさつした場合、違法となる可能性がある。』」
このような自治省の見解を待つまでもなく、『教育基本法』第10条には次のように述べられているのである。
「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」
これを読めば、埼玉県教委は、たんに政治的中立を踏み躙るだけでなく、「諸条件の整備確立を目標」という仕事からも離れ、越権行為をしていると言わざるを得ない。
しかも、地元選出の県議として、一部の党派しか呼ばなければ、問題が残ろう。さりとて、みんなを呼べば、式というよりは選挙運動の場となろう。
第3には、中教審のいう「地域に根ざした学校づくり」の中味、あるいは本音が見えたということである。「答申」では、耳障りのいいことを述べているが、要するに、本音は地域のボスや権力組織を使って、学校に圧力をかけるということなのである。簡単にいえば、所沢高校のように、生徒や教職員、保護者の自治的な活動が保証された学校ではなく、お上に忠実な、学校づくりを進めるというのである。そこから、職員会議なども邪魔になり、職員に対しては、黙って校長に従えということになる。埼玉県教委のやろうとしたことはその先取り実施である。しかし、これは、明らかに、教育委員会が指針としなければならない『教育基本法』第10条違反である。
したがって、第4には、埼玉県教委は、所沢高校をいかに潰すか、いかに「日の丸・君が代」を実施するか、などの事ばかり頭にあり、自分たちがやっていることの客観的な意味が分からなくなってしまった、と言うことができよう。そのことは、「選挙のことは全く意識していなかった」という教育長のことばによく現れている。彼等がやっていることが、教育に不当な圧力をかけることであり、教育の政治的中立を犯すことであるなどのことは、彼等は考えもしなかったのである。
「鹿を逐(お)う者は山を見ず」であり、高じれば馬鹿となる。
○今、僕は「97年度第1回卒業記念祭」を日曜日を挟んだ明後日にひかえ、体育館で・・・壁に花を貼っていた。もちろん当日の飾り付け。だけど、つらすぎる〜!そもそもこんな面倒な仕事をやるハメになったのは、僕がHR(ホ−ムル−ム)委員だからだった。入学してすぐ、クラス内の委員・係を決めた(お約束)。その時、一番目に付いたのがHR委員。初めて聞くその名に「おおっ!?なんじゃこりゃああ!!」と好奇心から即行で立候補。翌日、HR委員=(イコ−ル)学級委員と知り、驚愕。その責任の重さにつぶされそうになりつつも、今日まで頑張ってやってきた。あの大混乱の入学式から約一年。僕も「自由」とか「権利」とか考えて、自分の意見が持てるようになっていたんだと思う。そして、HR委員では入学式以来、再び混乱が起きぬようずっと話し合いを委員の内外で続けてきた。その努力の結果が明後日の「卒業記念祭」だ。絶対に成功させたい。全校生徒にアンケ−トを採って「卒業式」に代わる生徒主催の式を行う事を決め、またそれは、生徒総会や職員会議でも承認されていた。内田校長も何も言わなかった。全て順調に進んでいる、はずだった。
○内田校長の発言は突然だった。それまで、沈黙を守ってきた内田校長は、二学期の終業式で「第一部卒業式、第二部卒業記念祭を行う」とした。三学期になって生徒と話し合うも平行線のまま。さらに内田校長は、生徒会・三年学年団からの「卒業記念祭」の案内の配布を職務命令(これを守らない教員は処分の対象となります)を使って差し押さえ、三年生保護者に「卒業式」の案内を郵送した。しかも、後日内田校長の示した「卒業式」のプログラムの時間は、すでに決まっていた「卒業記念祭」のプログラムの時間に重ねてあった。悔しかった。「卒業式の代わりの式を」ということでずっと頑張ってきたのに、何故?生徒総会・職員会議でも承認されたことなのに。校長だから?校長ってそんなに偉いのか?僕は、自分たちの一年間の努力の結晶をこんな強引なやり方で曲げてしまおうとする内田校長の行為は納得できなかった。ただ、ひたすら、悔しかった。悲しかった。
○そんな訳で、「卒業記念祭」の前々日、HR委員に招集がかかった。生徒会長やHR委員長たちに、これからの準備と当日の動きの指示を受け、早速準備に取り掛かる。体育館の装飾。「あああっ!!なんでこんなにあるんだっ!!」僕はおそらく千はあるだろう紙の花を、仲間と協力してぺたぺたと貼っていく。後ろでは上級生が「作業は(夜の)10時までかかるかも」などと不吉なことを言っている。この日は土曜日だったので、1時過ぎから作業が始まり、そして今は夜の7時。休憩はここまで無し!疲れた。テストも近いのに〜。・・・結局、作業が終わったのは夜の8時だった。帰ってすぐに食事、風呂、寝る。まるっきりサラリ−マンな俺。明くる日曜日は、テスト勉強で一日中家にいた。そして夜。明日の自分が取るべき行動を何度も確認し、いつもより早くベッドに入った。
【あとがき】 真面目な場面とそうでない場面のギャップが大きかったり、時間がたびたび跳んでしまうなど、読みにくい点も多いかもしれませんが、感想など聞かせてくれるとすごく嬉しいです。 |
さる10月31日、「中国河北省興隆県訪問の旅」報告会[2]を行なった。今後県教研「平和と人権」分科会等でも報告する予定である。具体的な旅の話は報告会の場に譲って、今年で3回目になる旅を通して考えたことをまとめてみたい。なお、興隆県は「三光」の最も徹底して行なわれた「無人区」になったところである。
初めての興隆行きは96年の夏、ボランティア貯金の配分金を贈呈するためだった。直前に洪水があり、鉄砲水で流され仮修復した道をジープにゆられて目的地にたどりついたのは予定より2日後だった。焼かれて森林を破壊された山はもろく地肌をさらしていた。興隆県はこの年4月、解放後初めて外国人にたいして開放したばかりであった。それだけ、外国、特に日本人に対する警戒心・悪感情が強い所だったのだろうと思う。
2回目の昨年の夏は、カンパを届けながら寄宿舎の落成式典に参加し、旅館もない2つの村では農家に分宿(ホームステイ)させてもらい、3つの学校で授業交流を行なった。同時に、「無人区」の実態を学んだ。
今年、98年は「三光」の実態を現場で見て聞いて確かめることを主目的に旅は計画された。さらに、中学校での音楽と理科の授業をとおして教師の交流と、教材を届けることとした。千葉の友人や生徒からプレゼントされた教材は大水泉とモクイに贈り、モクイでは大薮さん(大多喜高校分会)が生物の授業を行なった。
先週、勤務校の文化祭で少しのスペースをもらって写真展示をしたところ、中国の中学生のひたむきな表情に注目が集まり、日中の教育事情について考えさせられるところである。
教科書から「慰安婦」記述を削除せよという決議が千葉県議会で可決されて1年あまり経つ。映画「南京1937」に対する暴力による妨害が相次ぐ一方で映画「プライド」が上映されている。国家・政府の責任をどうとるべきか。「アジア女性基金」をめぐっては国民としての責任の有無が問題になっている。そうした時期であることから、今回の旅の主な目的は証言を聞くことであり、現地に足を運んだからこその衝撃的な体験をすることになった。
![]() 銃弾の跡を見せる人 6カ所ある 義弟(左)が証明 (本人は耳が不自由でしゃべれない) |
結論めいたことを言えば、「三光」の被害者たちは50数年の時を経た今にいたっても、加害者からのお詫びの言葉すら受け取らないまま当時の傷を身体と心に抱えている、ということ。私たちが今まで見聞してきた被害者の証言は、何度か加害者側のお詫びの言葉を聞き、「罪は日本軍国主義にあり、日本人民には無い」「今後は中日友好を子々孫々に伝えねばならない」ということを学習して納得した人々で、納得し切れていない人も少なくないということを思い知らされた旅だった。
私たちが、(惨害の実行者であった)父祖の罪を子孫として詫びながら、被害者の側にたって話を聞くことは、多少とも被害者のトラウマを癒す役割を果たすことになったかも知れない。旅の後半で気付いたことであった。寄宿舎・校舎の建設を支援し、教材を持ち込むことは謝罪の気持ちの表現ではあるがそのこと自体が謝罪になるわけではない。それ以前のお詫びに意味があり、また教育を仲立ちとして日中の人民が直接ふれあうこと(起居・食を共にして)を繰り返すことで互いに友人としての信頼が生まれて来たと思えるようになった。非常に局地的ではある。しかし「中国の山村に学校を贈る会」や「中国に緑を、基金」など同様の趣旨で活動するNGOもある。このような人民レベルの連帯の積み上げは日中の平和的な関係の基礎を作るのではないだろうか。国際交流といえば「国旗、国歌」を持ち出す人々にはぜひ考えてもらいたいことである。謝罪することが民族の誇りを失うと考える人々こそ、「プライド」の無い人ではなかろうか。だからこそ、政府による国家としての謝罪の意味は大きい。「国家としての謝罪」は人民レベルの友好をより推進する筈である。
【追記】
体験について詳しく書くことができませんが、中国の人々から「伝えて」と要請され、「伝えます」と約束してきたことなので、要請があればどこへでも写真、スライド、ビデオを持って出かけるつもりです。どうか、声をかけてください。
第2次大戦終結50周年を期して沖縄県民映画として製作された「GAMA・月桃の花」は、ひとりの母親の体験をとおして沖縄戦の悲惨さを描いたものでした。この映画は、各地の上映会や沖縄修学旅行の事前指導などで、ご覧になったかたも多いと思います。この「GAMA」の戦後編として製作されたのが、映画「MABUI」です。映画の完成披露試写会が、11月8日に中野ZEROで開催されましたので、報告します。
"MABUI(マブイ)"とは、ウチナーグチ(沖縄の言葉)で「魂」というような意味合いの言葉です。日本による支配、沖縄戦、アメリカによる支配という時代を経て、失われてしまった沖縄のマブイを取り戻し、さらには日本自身のマブイも取り戻そうという願いが、タイトルに込められているようです。映画のなかの一場面、落としてしまったマブイを呼び戻すおまじない、「マブヤーマブヤー、ウーティクーヨー」というのは、この映画全体をとおしての製作者のメッセージなのではないでしょうか。
映画は、沖縄戦末期、家族と生き別れ幼い妹と二人だけになってしまった主人公の清秀少年が、のちに親友になる武輝少年と出会う場面から始まります。妹は死に、二人は米軍に捕らえられて収容所に移送されますが、そこで母と祖父に再会することができます。収容所を出た清秀一家と武輝は、コザの闇市で母親がはじめた断髪屋で生計を立てることになります。清秀と武輝は、闇市のなかで「戦果」(米軍物資の横流し)に加担したりして、たくましく生きていきます。そんな中で、もう一人の親友になる身寄りのない少女アヤとその弟に出会います。弟は、ほどなくして米軍のジープにひき逃げされ、命を落としてしまいます。それでも、親友三人は力強く生きようとします。薬きょう拾い、不発弾の解体というような、今から見ればどん底の生活の中にあっても、希望を持って明るく生きてゆく若者たちの姿は、マブイを見失わずに生きることの大切さをわたしたちに訴えているように思えます。
戦争直後の沖縄の状況を記録した資料は、沖縄でも散逸してしまっており、この「空白の時代」を映像化することが、この映画のもう一つの大きな目的でもあったようです。そういえば、清秀少年と同じ姓の「ちば沖縄倶楽部」の金城さんも、この時代の沖縄を生きてきました。千葉MABUI製作上映実行委員会では、千葉県在住の沖縄出身者のかたにお願いして、「『わたしの沖縄戦後史』を聞く会」を連続開催しています。機会があったら、ぜひご参加ください。
映画の出演者は、主人公の三人の少年少女を、笠原秀幸、新田亮、江川有未の三人が熱演し、母親役は美保純が好演しています。音楽は、映画製作者でもある海勢頭豊が担当し、主題歌「マブイ口説(クドゥチ)」は少年少女たちの生きかたのように明るい雰囲気を出しています。監督の松本泰生は、苛酷なこの時代の沖縄をすがすがしい青春映画に仕上げています。
「MABUI」は、来年3月にロードショー公開、4月からは地域上映会に入る予定です。「GAMA・月桃の花」と同様の実行委員会形式をとって上映運動を推進していきたいと思いますので、またご協力ください。またこの映画は、製作費をすべて賛同者の出資金でまかなうという方式をとっていますので、出資(1口1万円)にも引き続きご協力ください。
11月28日(土) | 14:00〜 | あおぞら裁判判決10周年集会 | いのはな会館 |
11月28日(土) | 17:30〜 | 反天皇制連続講座「戦争責任と戦後責任」 | 文京区民センター |
11月28日(土) | 18:30〜 | 梁石日&船戸与一「難民の世紀を語る」 | 竹橋駅・毎日ホール |
11月29日(日) | 13:00〜 | 教育問題リレー討論「学校教育をダメにしたのはマスコミか」 | 松戸駅・松戸市勤労会館 |
11月29日(日) | 13:00〜 | 学習会「もうひとつの歴史/廃娼運動から見た日本『近代』」 | シニアワーク東京5階セミナー室 |
12月1日(火) | 18:30〜 | 世界人権宣言50周年チャリティーコンサート 「音楽で出会う世界人権宣言」 |
サントリーホール/有料 |
12月1日(火) | 13:00〜 | 三栄紙製品争議「地労委審問」 | 県庁南庁舎3階 |
12月4日(金) | 14:00〜 | 県教研「障害児の高校進学」 講師:岩佐晴夫(元・神奈川県立百合ヶ丘高校長) |
教育会館304号 |
12月6日(日) | 10:00〜 | 教育委員会の準公選をすすめるための全国交流会 「教育委員会の再生はなるか」 |
渋谷区勤労福祉会館 |
12月7日(月) | 18:30〜 | めざす会交流会「桜沢敏夫さんを囲んで」 | タンポポ舎 |