「意思の自由とは、事柄についての知識をもって決定をおこなう能力をさすものにほかならない。」(エンゲルス『反デューリング論』より) |
5・16有事立法に反対する千葉県民のつどいに参加して | 塩川希代子(松戸南高分会) |
やめませんか「一同敬礼」 | I高校分会A・S |
「困難校」で生徒たちが「君が代」の意味を理解し、着席した | M高校分会 畑中正造 |
うたはどこでおぼえた −日の丸・君が代の「指導強化」について− |
国府台高校分会 小村公次(音楽) |
日教組第85回定期大会を傍聴して | 浦安高校分会 渡部秀清 |
パートナー路線を打ち砕き、闘う日教組の再建を! | 日教組の路線転換に反対する連絡会 (代表世話人、千高教組・渡部秀清) |
日教組第85回定期大会における発言 | 佐久間美弥子(千高教組教文部長・検見川高校分会) |
編集記 | stylo rouge |
講師はどこかの教授(?)(明治大学助教授─編集部)の山田朗という人。「有事立法」という言葉は、私にも記憶がある。大学のOB会が中心になってパンフレットを作ったり、後援会をやったりしていて、ポスターなどを描いて手伝った。文学部日本文学科だったのだが・・。その頃山田さんという人は、1977年有事研究始まるという新聞報道を読んで、教員になるのをやめて、大学院に進んだといっていた。(私より若い!)
世界的には軍縮が進んでいるのに、アジアに限っては軍拡傾向なのだそうだ。ソ連崩壊の後、中国が妙に頑張って海軍を増強、それに刺激されてタイ、そしてマレーシア仲の悪いインドネシア、インドとパキスタンと、その影響は続いているそうだ。講演の内容は、日本の有事立法研究の流れと現在の新ガイドライン関連法案への結びつきについて、事実に即しながらも自分の説明に酔うこともなく、一貫性があるとてもわかりやすいものだった。
今いろんな法案を特別措置追加のようなかたちで改正、手直しを検討しているが、それは全体としてみると、基本的に不戦(戦争をしないこと)を前提に作ってある日本国憲法の内側からの崩壊、戦後法体系の突き崩しになる、とても危険なことだということだ。
そんなことは分かっていた。またぞろ戦前の亡霊が、軍靴の音が、教え子を再び戦場に送る手先となる時代がやってくるかも・・というもっともらしい脅し文句には嫌気がさしていた。でも何も知ろうとはしていなかった。そして山田さんの話しから、自衛隊の幹部は、軍人が復活したものだからまたぞろ同じ研究をやっていることがわかった。未だ威圧のための軍事力という概念から抜け出られていない人が日本の中枢にいて、手を替え品を替え、国民を出し抜いて戦争をやりたがっていること。だから「愛国心」などといって憚らないのだ。昔は「改憲」を標榜していたが、今やそれとセットで、惰眠をむさぼる、政治に無関心な国民の気付かぬうちに、実質的憲法グズグズを目論んでいるのだ。
そして小手先を弄して、さまざまな法律改正を目論まなければならないのは、この国の憲法が譬えアメリカからの押しつけだとしても、戦争を前提としない「平和」憲法だからということに、今更ながら感動を覚えた。
最後の、憲法を「守る」という発想ではなく、発展させていくことに結びつけていこうという言葉に(めずらしく)素直にうなずけたのだった。
折しも、インドネシアの政変に「邦人保護」の名目で、自衛隊を待機するとかいう情報を耳にした。国際法的にも許されない、いまどき戦争なんてのをはじめる口実としていちばんもっともらしく聞こえるのがそれだそうだ。気をつけねばなるまい。
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千葉北支部のI高校では、1998年3月の卒業式から、「一同敬礼」を廃止しました。
この「一同敬礼(もしくは一同礼)」は、卒業式や入学式の式次第には、開式の言葉の前と、閉式の言葉の後に必ず入っています。常に議論の焦点となる「日の丸・君が代」問題とも違って、号令に従って全員が礼をするこの習慣については、あまり深く考えたこともなく、何となく儀式の雰囲気を作る作法のようにして受け入れている人というのが多いのではないでしょうか。でも、あらためて考えてみると、誰に向かって礼をしているのでしょう。正面には誰がいるわけでもなく、校旗や日の丸が掲げてあっても、その旗に「敬礼」していると思っている人はいるのでしょうか。考えてみればおかしな風習です。
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I高校では、以前からA教諭の「一同敬礼」を廃止しようという問題提起があり、一部では考えられていましたが、1998年の卒業式に関する職員会議で、正式にこの提案が出されました。「日の丸・君が代」については開校以来の前例に従うということで、議論にはなっても廃止にはならないという、毎年恒例の(?)敗北感が流れましたが、「一同敬礼」問題については、「意外な提案だが、あらためて言われるとその通り・・・」という面もあって、活発な意見交換になりました。
「一同敬礼」実施肯定論では、儀式の前に威儀を正して厳粛な雰囲気をつくるのに良いという意見がありました。しかし、それならば、そのために「開式の言葉」がありますよね。また、誰に向かって礼をしているのかという問いには答えが出ません。そのほかにも、これまで無意識に礼をしてきたが、別に不便も感じないのでそのままでよいのではないかという、素直な意見もありました。
そもそもこの習慣のルーツは、戦前、学校での儀式において、正面に掲げた「御真影」に対して「敬礼」を行っていたことなのです。現在ではその天皇の写真も飾っていないのに、「敬礼」だけが痕跡となって残っているという、誰がどこからみてもおかしな風習と言えるでしょう。
この問題は、「日の丸・君が代」問題と違って、学習指導要領にも書かれていないし、「一同敬礼」をやるように教育委員会から指導されていることも、何もありませんから、管理職としても立場上のこだわりもなく、ことの是非を率直に判断できるわけです。職員会議での友好的で活発な議論の結果、I高校では、「一同敬礼」の廃止が決まりました。その結果、実際に3月の卒業式・4月の入学式では立ったり座ったりの回数も少なくなり、わけのわからないものに礼をするということもなくなって、すっきりした式典となり、何の違和感もクレームもありませんでした。
「日の丸・君が代」で例年の敗北感を味わっている学校・職員会議がしらけぎみで活発にならない学校などでは、「一同敬礼やめませんか」という提案をしてみてはいかがでしょうか?
(生徒の状況)
本校は、退学者の多さで県下有数の「困難校」である。近年、一般入試でも面接をやるようになったので、「他に影響のある」元気な生徒は入試で落ちる。そのため生徒の状況は大きく変化してきた。かつてのような大物がいない。しかし、2年前の1年などは、どの子も大変になってしまった。この学年は1年の時、その学年だけで80人退学している。そして、その特徴を端的に言うと、学校が嫌いというレベルではない、学校は関係ない、といった感じである。例えば、かつては欠点、点数などでおどかせば、なんとか指導に乗ってくる生徒たちが多かったのが、それさえ効かない。
また、家庭崩壊も凄まじく、大変な生徒を集めたせいもあるが、ある3年のクラスでは家庭が一応安定しているのが、22人のうち6人しかいない。残りの16人のうち、暴力団が親だというのが二人、うち一人は暴力団の親分、また、欠損家庭も多い。そのうち、母子家庭でありながら、しかも母親が分裂病、鬱病など、深刻な精神障害を背負っている家庭の生徒が3人、などなど、きりがない。22人のうち、安定している生徒が3人だけといった状態である。
他方で、去年の1年生などは、面接入試の影響から、いわゆる「普通のおとなしい」生徒が集中している学年であった。しかし、生徒は学校に来ない。出席率が70%ちょいというクラスも出てきた。一つの学年から3分の1から、2分の1の間ぐらいの生徒が辞めると、さすがに2年次以降は落ち着く。
(授業で侵略戦争を取り扱う)
私は授業で次のことを特に注意するように努力している。一つは、生徒の学習要求に基づくこと。二つ目は、今のことと関わるが、生徒の生活と授業を結び付く方向で授業を作ることである。三つ目は目に見えるような具体性、私自身が目耳鼻手足で感じ取った具体性で話すという事である。四つ目はテーマ学習、総合学習のようなイメージで、ある問題を軸に非常に時間をかけ、今の世の中の本質に迫るようにするという事である。そして、五つ目は、自分の生い立ちや日常の中での失敗など雑談の類を多くして楽しい、物が言えるような空間作りに努力している。
そういう中で1学期の終りから2学期一杯、日本の侵略戦争を扱った。なぜ、それを扱ったか。実は市川のある工場の労働組合青年部の話しを聞いたことがきっかけである。すなわち、「若い人には侵略戦争か、原爆の事務で感性的にインパクトを与えるのが一番。必ず平和学習を青年部として行う。それが分かると現代の問題、例えば住専問題とかかすーとわかるようになる」という言葉である。
授業は2年と3年の政治経済のなかで次のようなものを扱った。南京大虐殺・強制連行・関東代震災朝鮮人虐殺・映画「黒い太陽(731部隊)」・従軍慰安婦など加害の事実。それから、家では優しい日本のお父さん、お兄さんがなぜ戦争の中であんな残酷なことをするようになったか、その背景にある皇民化教育(この中で、戦前の教科書と君が代、日の丸も扱う)。反戦抵抗・特高警察など国民統制、弾圧・「少年H」その他である。同時に広島修学旅行の事前事後学習として原爆を中心とした戦争被害の側面なども扱った。
(日朝、日中友好の歴史を)
その中で私は2年生の中にいる、在日朝鮮人の生徒、在日中国人の生徒に注目した。この生徒たちに加害の悲惨な事実を教えるほど下を向いていくという心配があった。だが、問題を自分の問題としてとらえてくれる可能性もあった。
そこで、私は、日朝、日中友好の歴史を常に意識するように話しつつ、日本の侵略がその友好関係を切り裂いていった事などを強調した。その中で、日本人と朝鮮中国人が繋がりあえる事を感じれる材料を集めた。例えば、関東大震災の朝鮮人虐殺に体をはって日本人から朝鮮人を守った神奈川県の警察官を題材にした。また、この虐殺事件そのものが3・1独立運動を体験した日本の支配層が日本国内で朝鮮人労働者と日本人労働者が労働運動のなかで連帯してきたことを恐れて、互いに敵対差別しあう状況を狙ったものであるとの指摘も紹介した。そして、当時の支配層と民衆である日本人一般とを区別する視点も提供した。また、植民地下の朝鮮の学校の日本人校長の中には民族差別をせず、時には体を張って朝鮮人の生徒に人間的に接した校長もいる事。その人に今も感謝する朝鮮人の体験談などを紹介した。
(在日朝鮮の生徒の反応)
この方向は正解だったと思われる。事実、本校の在日朝鮮の生徒は小学校のとき本名を名乗り、その名前が日本の動物名と同じ響きだったことから、からかわれ、苛められてきた経験を持っていることを後に語ってくれた。日本人と朝鮮人の間の断絶だけが印象に残る結果にならないようにしないと、彼女の思いに合わない事を直感した。
おりしも、サッカーの日韓戦があり、私は「なぜ韓国は日本との試合に並々ならぬ物凄いエネルギーをかけて戦ってくるのか」と質問した。私は「民族の誇りを日本に奪われた体験から、民族の誇りをかけてたたかってくるのだ」という答えを用意していた。しかし、在日の生徒は「日本と仲良くなるために必死に戦うのだ」と答えた。ここに彼女の願いがあることを実感した。同時に「あの試合のとき私たち家族は高速道路を車に乗って走っていた。国歌斉唱で君が代が聞こえてきた時、お父さんはぷつんとラジオを消した。」と皆に聞こえるように語ってくれた。
(授業・クラスで討論めいたこと)
やがて、このクラスは授業で討論めいたことができるようになった。例えば、「日本政府はなぜ侵略戦争と認めて謝る事を戦後ずーとしないのだろうか」と質問した。生徒はこのように答えた。「謝ると世界からひどいことをした国といわれ、信用を無くすから」。私は「きちんと謝る能登、謝らないのとではどちらが信頼されるかな」というと、「謝ったほう」と答える。「お金をたくさん払わなくっちゃいけないから」「分かった、謝るとアメリカに怒られるから。」などいろいろな答えが出てきた。
また、3年のあるクラスでは君が代の問題を教えた後、生徒たちは授業にくるいろいろな先生に「先生、君が代についてどう思う。」と質問をどんどんしていった。ある体育の先生は「俺は歌うに決まってんだろうが」と答えたり、「僕はどちらでもない。賛成の先生の気持ちも反対の先生の気持ちも分かる」と答えが返ってきたりした。そういう中で「君が代」の「君」が天皇の事なら「御代」になるのではないという疑問がある教員から生徒の方に出され、ひとしきり話題になった。私は戦前の修身の教科書で君が代の「君」とは天皇の事で、天皇の世の中が永遠に続くように願う歌だと解説していることなどなどを教えた。そして、君が代についての感情はいろいろある事、議論が分かれていること、そういう中で、卒業式などにこれを押し付けることが思想良心の自由からいってどうだろうかと、考えてもらった。
また、私のクラスでは「原爆落とされても仕方がない」という議論と「いや、原爆で死んだのは罪のない子供や女や老人だ」「いや、(南京大虐殺みたいに)首切られちゃうんだぜ。」「俺は、原爆のあの写真を見たら、『仕方がない』なんて言えない。いったい黒こげになった男の子に何の罪があったというのだ」。こういう議論が授業後に続いたりした。また、家庭訪問に行ったら、その家を溜まり場にしていた、なかなか難しい生徒が「先生、戦争の事を夜通し語り合おう」などと真剣に言ってきたりもした。
(卒業式)
やがて、3年生は卒業式を迎えた。当日、私はクラスの生徒たちに「君が代のとき、私は座る」と告げた。すると、生徒たちは「いいのそういうことして」「俺たちもやっちゃうよ。」と盛り上がる。私は「私の立場からは君達に座っていいとは言えないが、自分の責任で自分で考えなさい」「皆がやるから自分もやるというのでは戦前と同じだ。ちゃんと自分の頭で考えて、どうするか決めないと駄目だ。」と告げた。
いよいよ卒業式となった。私のクラスの生徒たちは君が代が流れた時、3分の1から2分の1の生徒が着席した。司会者は立つようにと身振りで表現した。しかし、生徒はそのままだった。その後、校歌斉唱の合図を聞くと、生徒たちは立ち上がった。生徒たちは君が代の意味を理解していたのだ。校歌のときは立ち上がったところに、単なる学校への反発、逸脱行動ではない事を感じた。「侵略」という言葉の国語的意味も知らなかった生徒たちが君が代の意味を理解し、抗議の着席をしたのである。しかも、全員揃ってではない。ある者たちは立ち続け、ある者は座り続けた。そこに自分の頭で考えた彼等の自主性を感じた。そして、頼もしいものを私は感じた。
朝日新聞5月13日付は、「君が代 中高の音楽でも」の見出しで文部大臣の諮問機関である教育課程審議会が「国歌『君が代』の指導の一層の充実を図る」とする答申案をまとめたことを報じていた。
この記事によると、音楽の時間の君が代の扱いについては、現行の学習指導要領は小学校で触れているだけで、中学校や高校の音楽の時間では扱っておらず、今回の答申内容が新指導要領に盛り込まれることになれば「現場で混乱も予想される」と記事を結んでいる。
この記事を読んで感じたのは、いよいよ強権的に「君が代」を歌わせようという時代になったのかということである。そして「君が代」問題で僕がいつも考えていることは、“歌をうたう”ということは何だろうという素朴な疑問である。
組合の活動家の皆さんが歌をうたうのはどんな時だろう? カラオケはともかくとして、組合の大会で「組合歌」や「緑の山河」を唱和するときだろうか? 僕は1990年以降、あの歌をうたっていない。
劇作家で演出家でもある佐藤信が作詞し、林光が作曲したソング(歌と言わずあえてソングとしたのはもちろんブレヒトの影響からだが・・・)に「うた」というのがある。その一節を紹介してみたい。
うたはどこでおぼえた
たったままでおぼえた
うたはどこでおぼえた
はしりながらおぼえた
うたはどこでおぼえた
いしをなげながらおぼえた
うたをどこでおぼえた
たたかいをしっておぼえた
三拍子のリズムが高揚していくなかで、このリフレインが断ち切られるようにして歌われ、締めくくられる、実に鮮烈な印象をもたらす僕の大好きなソングのひとつである。
学校で習った歌も嫌いではなかった。でも佐藤信がこのソングで語っているように、もともと歌とはそうやって身体に刻まれたものだった。僕が音楽の「授業」でめざしているのは、そんな“歌”であり、“うたうひと”である。
誤解のないように言えば、佐藤信が“覚えた”歌はけっして革命歌や闘争歌ばかりではない。「ローレライ」の一節をさりげなくこのソングのなかに織り込んでいるように、さまざまな「名曲」もまた、彼はたくさん“覚えた”のである。
それは歌そのものに対する、もっといえば音楽に対する鋭い嗅覚で“ホンモノ”と“ニセモノ”を見抜く力がもたらした確信のようなものだろう。それがこのソングにはある。
![]() (職員も入っての演奏、本文とは直接は関係ありません) |
だから、と僕は戦慄する。音楽は“使い方”ひとつでどうにでもなるやっかいな存在だということに。「緑の山河」をうたいながら崇高な使命感を感じる人がいて、その同じ人が「君が代」に同じような感情を抱く状況が生まれつつある、というのは言い過ぎだろうか? これは杞憂ではなく、現にわれわれの周りで進んでいる音楽状況そのものだ。
高校生にもなれば、音楽の授業で歌う「教材」だから“うたう”という生徒はほとんどいない。高校での音楽教育が問われているのは、“ホンモノ”の音楽を差し出すことで、生徒と共に“うん、こいつは面白い音楽だ”ということを実感として味わってもらえるかどうかだろう。
僕が2年生の授業で毎年取り組んでいるモーツァルトのオペラ「魔笛」でいつも感心するのは、ほとんどの生徒がこのオペラのアリアやデュエットを嬉々としてうたう、見事なまでの変貌であり、それを生み出す音楽の力だ。楽譜が読めない生徒でも、ホンモノの音楽は生徒たちの心をとらえて離さない。
音楽と歌詞(コトバ)の問題で言えば、シカネーダーが書いた歌詞はひどい女性蔑視のフレーズにあふれている。ところがモーツァルトの音楽は、それを見事に骨抜きにして対等な女と男の協働を歌っている。モーツァルトの楽譜をよく見てみるとそうした“音楽の力”にあふれていることに改めて感嘆する。
だから、と僕は確信する。“音楽の力”に心ひらき、思いがけないような素晴らしい声でホンモノの歌をうたう生徒を育てること、それが“「君が代」指導強化”をはねかえす最も有効な方法だということを。
“「君が代」指導強化”を言うのなら、「君が代」の出自、そして戦前・戦後どのような機会にどのようなかたちであの「君が代」が歌われてきたかを徹底的に語っていこうではないか。そしてほとんどの日本人が音楽的には“間違った”調子とテンポであの「君が代」を歌っているという「事実」も“教えて”いきたいものだ。
そして「うたをどこでおぼえた たたかいをしっておぼえた」と僕たち自身が言えるような、そんな“歌”をうたって「君が代」をはねかえしていこうではないか。
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上記大会が5月28日から30日にかけて、東京で開かれた。私は、28、29の両日、傍聴してきた。28日の朝、私は、会場入り口に通じる路上で『パートナー路線を打ち砕き、闘う日教組の再建を!』(次ページ参照)というビラを参加者に配布した。大会が始まり、来賓挨拶の際に、民主党の鳩山が立ち、元文部官僚の候補者を参院選でよろしくと言ったので、「支持しないぞ、ダメだ、ダメだ、だまされないぞ」と大声で野次った。社民党の土井、自民党の森山にも「サッカークジ」の件で野次った。彼等の顔は、強張った。一日目終了時、傍聴に来ていた市川教組の委員長が「一人で十分役割を果たしたよ。誰かが言わなければならないよ」と言ってきた。
大会では、実に様々な問題が出され、各地で諸矛盾が激化していることがよくわかった。具体的には、・中高一貫教育、・「心の教育」、・総合学科高校、・東京における教職員への管理強化、・人勧、・合理化、・統廃合、・30人学級、・安保、新ガイドライン、有事立法、・サッカ−くじ、などである。しかし、それらに対する日教組の答弁が抽象的(いいわけ的)で、パートナー路線では展望を示せなくなってきていることもよくわかった。
「日の丸・君が代」問題に関しては、北海道、埼玉高、大分、石川高、鳥取、千葉高、鳥取高、から意見が出された。ここでは、そのうちの三つほど紹介しておきたい。 (埼玉高)所沢高校の問題で、本部批判はしたくないが、現場と本部のズレが出てきていると言わざるを得ない。入学式当日、県教委から指導主事、管理主事が学校長個人を支援するため23名来た。それが指導主事の実態だ。また、入学生に対して、県教委が文書を送ったことで、大問題に発展した。そういう時に、なぜ、日教組の声が聞こえて来ないのか。日教組が進める方針に抵抗があるのは事実だ。みんなに、言って来てくれと言われた。
(大分)「日の丸・君が代」強制が強まっている。日教組は「75年見解」を繰り返すだけだが、これがどう生かされているのか。先程、教課審の答申案の件での質問に、「文部省に問い合わせたら『決まったことではないので見解はない』と言われた。来年3月の指導要領でどうなるか、警戒心をもって見守っている」という答弁があったが、そのようなことではこの動きを止められない。再度答弁してもらいたい。(しかしそれに対して西沢委員長は4/2の国会に出席し政治問題化するのはやめろと言ってきたと述べるに止まった)
(石川高)「心の教育」で県教委は、各学校に推進委員会を作れと言ってきた。10万円を予算化して、体験的道徳教育をやれ、そのために山に登れ、夜の歩行をやれ、と言ってきている。そして、和の精神などを重視、日本人としてのアイデンティティを確立せよ、としている。これは危険な国家主義的教育である。愛国心を狙ったものである。それを貫徹するために、広島で道徳教育をしないことを叩き、所沢高校を潰しにかかり、あくまでも「日の丸・君が代」を貫こうとしている。他面で、ガイドラインを見直し、アメリカと一緒に戦争準備を進めている。自民党の「心の教育」の提言には「国防教育」「国家観の確立」という言葉が出てくる。教育基本法の改正も考えられている。日教組は今こそ警鐘乱打しなければならない。戦前の教訓を学ぶならば、文部省と一緒にやることは危険である。職場で仲間たちは、「日の丸・君が代」反対をやっている。
全体的には、諸矛盾の激化がパートナー路線を破綻させつつあるとの感想を抱いた。
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パートナー路線を打ち砕き、闘う日教組の再建を!
1998年5月28日
日教組第85回定期大会に参加された代議員の皆さん!日教組の路線転換に反対する連絡会(代表世話人、千高教組・渡部秀清) 日教組が1995年に路線転換し、3年が経過しました。 この間、日教組中央は、文部省とのパートナーシップを強める一方、生徒・保護者・教職員の要求や闘争には冷たい態度、ないしは無視をしてきました。そのいい例が、東京都にあらわれている教職員への管理の強化に対する態度(東京のスト特別指令の要求拒否)であり、所沢高校に対する全国的な支援組織化の放棄です。また、戦争に結び付く日米新ガイドラインや有事立法に対しても、明確な態度を示していません。 こうした日教組中央の姿勢をいいことに、文部省は現在、教職員へのいっそうの管理強化と合理化、「日の丸・君が代」の強制、差別選別(中高一貫教育や高校改編など)の強化を進めつつあります。そして、彼等はこれらを称して「教育改革」と言っているのです。 しかし、日教組中央は、文部省のすすめるこうした「教育改革」に理解を示し、今回の議案書にも『さあ、教育改革へ!!』と大書しています。これこそ、労使協調の御用組合と言わずして何と言えるでしょうか? しかし、全国の良心的な教職員の中には、こうした日教組中央の路線転換に反対する仲間が多数います。そのことは、この3年間の全国教研などにも表れています。1996年の大阪教研では、多くの分科会で日教組中央への批判が巻き起こりました。1997年の盛岡教研では、現場組合員の声を恐れた中央は、アピール起草委員会をなくしました。しかし、参加した現場組合員により、『日教組の路線転換に反対する連絡会』が組織され、独自アピールが採択されました。1998年の鹿児島教研では、中央は分科会会場を広い地域に分散させ、全国の教職員の交流を妨げようとしました。しかし、第二回『日教組の路線転換に反対する連絡会』がもたれ、独自アピールが採択されました。中央が出したアピールは配布のみで、採択はされませんでした。 この間のこうした動きは何を物語っているでしょうか。それは、他でもなく、労使協調・御用組合の道を歩む日教組中央は、現場組合員からますます遊離・孤立化し、逆に包囲されつつあるということです。 日教組の路線転換に反対する代議員の皆さん!皆さんの後ろには、多くの現場組合員がついています。日教組のパートナー路線を打ち砕くために、大きな声を轟かせて下さい。それが現段階における『教え子を再び戦場に送るな!』の具体化です。 |
千葉県議会における教科書記述にかかわる意見書攻撃へのとりくみと、生徒の教育参加、学校参加のとりくみの2点について報告し、意見を述べます。
昨年の10月千葉県議会において、自民党より、中学校の歴史教科書から「従軍慰安婦」の記述削除と教科書検定強化を求める意見書が提出されました。
千高教組は早速反対の声明を出し、それが新聞に報道されることで県民が知るところとなりました。又、傍聴行動に努めましたが、傍聴席を埋め尽くす傍聴者が見守る中、自民党議員は、反対討論者の歴史の事実に基づいた質問に一切答えることもできませんでした。そして、議場内の野次、怒号の中を、最後は数による暴力で強行採択してしまいました。傍聴後、私たちは、それぞれ組織毎に総括することになりました。しかしその1ヶ月後の11月15日、反対行動にとりくんだ人々に呼びかけて、実行委員会形式による集会を開催し、それぞれの取り組みの交流を深め合うことができました。そのすぐ2週間後、今度は、千葉市議会において、県議会と同趣旨の意見書が提出されました。この時には、県議会の集会で集まった人々のネットワークによって、FAXなどを利用しながら、それぞれの取り組みを交流し、連帯しあって、市議会への抗議行動を行いました。結局、提出会派は、会期途中で、意見書を取り下げざるを得なくなりました。これ以降、千葉県内の他市町村では、意見書提出の動きはありません。
今回の意見書取り下げの大きな教訓は、この意見書に反対するという同じ意志に基づいて、広範な人々が共に反対の行動をしたことといえます。あるいは教育の自由を守ろうとする立場から、あるいは女性の人権を尊重しようとする立場から、あるいは平和を守ろうとする立場から、さまざまな立場の人々が違いを乗り越えて、共に行動できたのです。そしてその核として千葉高教組がありました。これは、一致点で共に行動していくことで、状況が開かれていることを表しています。今、このネットワークによって、有事立法に反対する取り組みをおこなっています。先日は集会を開催し、千葉市内をデモ行進しました。意見書に反対する取り組みは、今さらに進展しています。
さらにもう1点、今回の教科書攻撃を通して、考えるべきことは、教育内容にかかわることを、議会の多数決で、政治の権力によって決めようとする不当性です。ことのほか学ぶ主体である、生徒が無視されています。しかし、その一方で、生徒の学ぶ権利と参加する権利は、各地の様々な学校で実践されています。
千葉県の小金高校という学校では、3年前の1995年、入学式、卒業式において「日の丸・君が代」の強行をしようとした校長に対して、学校運営の「自主自立を守る」運動の中から、生徒・親・教職員の3者による学校協議会が、学校の中に位置づけられるようになりました。この協議会に決定権はないものの、互いの意見交流の場となって機能しており、学校運営のみならず、現在では、教育にかかわること、評価の問題と教育課程にかかわることも課題の1つになっています。小金高校の生徒や親の参加による学校改革、教育改革の実践を、私たちは、千高教組全体として共有していく取り組みの準備をすすめています。
小金高校においても、埼玉県の所沢高校においても、校長による「日の丸・君が代」の強行は、生徒の学ぶ権利を侵害するものです。私たち千葉高教組は、生徒の人権を尊重するべく「日の丸・君が代」強制に反対する運動方針を掲げ続けています。そして「日の丸・君が代」対策委員会が『ひのきみ通信』を発行して、「日の丸・君が代」強制に反対する運動の交流に努めています。最近インターネットを開きました。全国からのアクセスをお待ちしています。次期学習指導要領では「日の丸・君が代」の一層の強化が図られようとしています。日教組本部の路線転換の責任は大きいと言わざるを得ません。しかし、わたしたちは「教え子を戦場に送らない」為、全国的に取り組みを強めていく必要があります。その為にも共同をすすめていかなければなりません。共に取り組むべき仲間はけっして政府・文部省ではありません。全国の教職員、働く人々、そして生徒、保護者・国民と共に取り組んでいくことで状況が開かれることは、この間の千葉高教組の実践が表しています。皆さんともに頑張りましょう。
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編集記「君が代」を中・高の音楽でもやれ、という攻撃が出てきた。そこで今回は音楽の担当者に原稿を依頼した。情勢の激化により、「うたをおぼえる」人が増えてくるかもしれない。われわれは、インターネットにホームページも開設した。そういえば私もインターナショナルをおぼえたのは、学園紛争とその後の73、74春闘の中でだった。
(stylo rouge)
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