ひのきみ通信 第14号

1998年5月15日

「哲学者たちは世界をただ様々に解釈してきただけである。しかし、肝腎なのはそれを変革することである。」(マルクス『フォイエルバッハに関するテーゼ』より)

目   次

戦争への道、「日の丸・君が代」指導強化に反対する 千高教組「日の丸・君が代」対策委員会
所沢高校事件を見て、学校と学校儀式を反省する 鎌ケ谷西高分会 本田 昴
『´98 私と憲法の広場』に参加して 白井高校分会 下島 聡
編集記 stylo rouge
埼玉県福岡高校卒業式(1998年3月7日)での滑稽な事件について 文責 渡部秀清
校長出張記録情報公開裁判・県教委はなぜ上告するのか 鳥塚義和(小金高校分会)
お知らせ

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戦争への道、「日の丸・君が代」指導強化に反対する

1998年5月15日
千高教組「日の丸・君が代」対策委員会

 去る5月8日付け『朝日新聞』朝刊の1面トップに、「2002年度に実施される完全学校五日制での教育内容を話し合っている教育課程審議会(文相の諮問機関)の特別委員会は、日の丸・君が代について『指導の徹底を図る』とする答申案をまとめた。」との記事が載った。これは、現行の学習指導要領の「指導するものとする」より、さらに踏み込んだ表現であり、まさに有無を言わさず「日の丸・君が代」を強制しようとするものである。
 我々はこのような、日本の民主主義、民主教育を公然と踏み躙るような「答申案」に、強く反対するものである。
 そもそも、第一に、文部省は、法律でも決められていない「日の丸・君が代」を勝手に「国旗・国歌」とし、それを青少年に強制しようとしている。このような、暴挙はない。何の根拠があってこのような強制ができるというのか。あるとすれば、それは、「権力には逆らってはいけない」ということでしかない。しかし、それは、民主主義や民主教育とは縁もゆかりもないものである。
 第二に、「日の丸・君が代」は戦前の侵略戦争に利用されたものである。それを、再び強制するというのは、同じ間違いを再び犯そうというものである。日本の侵略戦争で多くの犠牲を出したアジア諸国民に対して、何と無神経なことであろう。    第三に、新ガイドラインにもとづく有事立法などの戦争準備が進むなかでの「日の丸・君が代」の強制は、青少年の中に、排外主義、国家主義を煽り、日本をして再び誤った戦争への道に導くことになるということである。
 しかし、同時に我々は、所沢高校の例を引くまでもなく、日本国民の中にはこうした強制に対し黙って従う者ばかりではないことも知っている。必ずや、こうした道理のない強制は政府や文部省自らを窮地に追い込むことになろう。
 千葉と全国の仲間の皆さん、お互いを信頼し、ともに闘いに立ち上がりましょう。

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所沢高校事件を見て、学校と学校儀式を反省する

鎌ケ谷西高分会 本田 昴

 埼玉の所沢高校で卒業式と入学式のあり方をめぐって紛糾が続いた。新聞やテレビを見ていて、実態を推察すると、生徒会・教員・PTAの側と教育行政や校長との間には、随分、学校というものの見方に隔たりがある、という印象を受ける。
 前者は、学力を獲得すれば入学も卒業も可能であり、式とはまず参加者それぞれの立場の気持ちを互いに交歓しつつ、生徒達を祝福する事だとする。それに対して後者の考えだと、学校とは校長を中心とする体制なのであり、その権威のもとの入学と卒業であると主張するもののようである。そして当の校長のとった行為は、私には、文部省の言う日の丸・君が代を実施することで、自分の儀式こそ「正統なもの」として位置づけたいかのように映った。
 しかし、社会においては、塾や予備校で学ぶ、あるいは医師や調理師の資格認定を受けるなどの際に、「厳粛なる儀式」は不要である。これに比べて、学校は、何だか気難しい機関なのだ。教育とはそうしたもの、と心得るべきなのか?
 ほとんどの学校が今もそんな儀式なのだが、学校の日常は生徒の無気力・不登校・中退が続き、数も拡がっている。また学校施設でも地域でも、学齢期といわれる子供たちのいじめや暴力、自殺や「切れ」の行為が問題になっている。私にはこれが、「お前は学歴をどうする積もり?学校でちゃんとやれてるの?」と親や先生たちから迫られつつ、学校化した今の社会で自己の確立を図る、そんな境遇の切なさ。それでもやはり若者はとにかく生を求める。もがき、ぶち当たり、拒否もする。大人には対応が難しいが、これはやはり若者の今の姿というしかない。
 歴史の流れから考えて、今の社会は、消費社会とか、情報化社会とか、共同体の絆の弱化等が指摘されているが、子供たちに現れた前述の変化からも、明らかに社会が変わってきている。これは技術・産業・教育・政治を業とする大人の思惑を超えている。事態は進み、見通しは立てにくい。そんな中、依然として日本の学校は囲いと肩書きの機能によって保身し続ける。別の論理の確立がないままだ。
 そんな今だからこそ、教員達も社会の一員として、職場とする学校の改革を成し遂げなければならない。それは文部省の号令に従って全国一律に行えば済むような性質のものではなく、自分の学校での生徒達のいろいろな動き、教師への反応、子供の生活の全体像の把握、そして社会において学校というものの果たすべき機能を整理して、その学校なりの変革を遂げなければならない。それをせず、厳粛な式典にこだわるのでは、学校が今の教育行政下の権力関係に依存して社会から隔絶しつつ存在を維持する、社会価値のない機関になり終わる。
 でも学校だけでなく、出席する親達の多くも、日本ではみょうに儀式のつくる晴れがましさへの思い入れが強いように感じるがどうか。学校とは元々生活共同体ではない、機関存在なのだ。此拠では、近代的価値の伝達、職業能力の一定部分の開発、教室での個性の発見と励まし等の機能が相応に果たせるとは思う、教員の個々がそれを意図して当たるならば。しかし反面、自覚せずに通勤通学し、自己を全面解放しうるユートピアと想定するならば、たちまち教師にも生徒にも抑圧が眼につき、結局人間性を歪める空間を招来する。このことを踏まえた理性的な営みの積み重ねにこそ、学校価値が宿る。これに比べ、いっ時の晴れがましさなど、何のことか。だから本当は、ただ整った式場風景よりも、若者が主体的に行動することを見守り支援する日常的学校体制造りの方がずっと大切と思う。その一つの典型が所沢高校に存在する。
 そんなわけで、今は、教員という職業そして学校という施設について、社会で「なぜ必要か?」を根底から問い直し、確かめて、学校を構築し直す時に至っているのではないだろうか?−−−以上に加えて、「厳粛なる儀式」の場に毎回臨みつつ、感じることを言えば、閉め切った体育館の中で、壇上からフロアーに何が話されようがどんな振る舞いがあろうが、いいのやら悪いのやら、参加者の間に何の応答もなく、拍手も表情のやりとりも、ない。号令の声にひたすら己れの体の動きを合わせることが恰も参加者としての分、と心得るかのようだ。その結果、全員が一挙手一頭足まで揃う統一だが、果たして参加者は高揚を感じているのだろうか?本当に美があるのだろうか?人の内面は知る由もない。ただ、終わった後、ひそひそ話する光景を時々眼にするのみ・・・。
 しかしながら、仮にそんな儀式に人々が空虚でなく充実しているとしたら、どうだろうか?人に、顔と責任を問うのが当たり前の国際社会において、そういう「日本文化」とは一体何だろうか?対するに「孤島だからこれでいい」とは、誰も言って済ませられまい。

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『´98 私と憲法の広場』に参加して

白井高校分会 下島 聡

 51年前のこの日も雨と風に見まわれたそうです。5月3日、憲法記念日。朝から小雨がぱらつく中、私は両国国技館の隣にある江戸東京博物館ホールで開催された『´98 私と憲法の広場』に参加してきました。
 毎年5月3日には憲法関係の講演会や集会に行くことにしていますが、特にどこの主催する集会に行くと決めているわけではありません。昨年は全国憲法研究会主催のアカデミックな講演会だったので、今年はいくつかの市民運動が集まって企画した集会に参加することにしました。
 開会10分前に入場しましたが既に500人弱収容できるホールは8割方座席が埋まっていました。この集会には「平和が、人権が危ない!憲法が危ない!あなたはどうする?」というサブタイトルが付いていて集会の中では、新ガイドラインに伴う「周辺事態法」を始め、「組織犯罪対策法」(盗聴法)、夫婦別姓や婚外子の相続差別撤廃を含む民法改正の遅滞、そして労働基準法「改正」等々、様々な分野での憲法と憲法的価値観の危機が報告されました。
 私自身これまで憲法問題といえば第9条に関する自衛隊・日米安保関連と反射的に考えてしまう傾向が強かったのですが、この集会に参加して第9条だけにとどまらず今まで「まさかここまでは」と油断していた基本的人権までもが危機に瀕していることを教えられました。また、それらいくつもの個別の問題が決して「個別」ではなく、国民を国家の方針に巧妙に従わせ、かつての総動員態勢を復活させる危険性を孕む点で実は見事につながりを持つのではないかとも思えました。
 会場では報告・問題提起の他にもベトナム戦に参加した経験のある元米海兵隊員の発言や歌と詩による構成などがあり、最後に集会アピールを採択して終りました。それにしても気になったのは、集会に若い人が少なかったことです。
 51年前のこの日と51年後のこの日。同じ雨模様でも「気圧配置」はだいぶ違うようです。

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編集記

「日の丸・君が代」問題がまた表面化してきた。矛盾の激化は、真実を浮かび上がらせると言う効果もある。真実が問われているのである。恐れることは無い。反対運動を強めよう。
ところで、委員会では現在、卒業式の時の『答辞』を集めています。どんどんお寄せ下さい。
(stylo rouge)

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埼玉県福岡高校卒業式(1998年3月7日)での滑稽な事件について

 埼玉県所沢高校の卒業式に20人の卒業生しか参加しなかった事件が起きていた頃、同じ埼玉県の福岡高校でも滑稽な事件が起きていました。
 福岡高校の川上先生から資料を送って頂きましたので、以下に事件の概要をお知らせします。
 3月7日(土)の卒業式については、2月5日(木)、2月19日(木)の職員会議において、式場には「日の丸」なし、「君が代」なし、の「実施要項」「実施要項細案」が決定されていた。
 ところが、卒業式当日の朝会で、突然、「職務命令」が校長によって読み上げられた。職員からの質問に対して、校長は、「これは法的執行措置だ」と回答した。職員はさらに、「法的根拠」「違反時の処罰規定」などを質問し、職員会議決定の順守、「職務命令」の撤回などを要求した。その間約40分。しかし、校長は答えることができず、終始無言で、だんまりを決め込んだ。
 結局、未決着のまま卒業式が始まることになった。
 「来賓入場」。校長以下、来賓が入場、ステージ向かって右側の来賓席に着席。
 ところが、校長は、その後、自席に着席することなく、近くに設置されていた3年担任呼名用マイクスタンドに近付き、そのマイクを用い、「国旗掲揚、国歌斉唱、式次第の掲示」を場内に宣言した。
 そして、左手に持っていた買い物袋状のもの(白色紙袋)から、丸められていた「日の丸」、「式次第」を教頭と事務長に手渡した。両名はそれを5分間にわたり、掲示。両名はその後、「式次第」をすでに貼られていた従来使用の式次第の下方にピンで貼り付けた。また「日の丸」を壇上正面に掲げられている県旗、校旗を下方4分の1を覆う形で貼り付けようとした。もう一人の職員がそれに参加し、4つの安全ピンでだらしなく止められた。
 「一同起立」で開会。続いて、教頭が「開式の言葉」。本来ならここで教頭は降壇、「校歌斉唱」に移るが、教頭は降壇せず。
 中央マイクに向い小声で「国歌斉唱」と宣言。やおら懐中より、小型テープレコーダを取り出し、壇上マイクに近付ける。しかし、音量小さくほとんど聞こえず。さらに近付けること再三。「君が代」、細々と鳴り出す。生徒らほとんど歌わず。3年担任団、黙して歌わず。「君が代」終了後、教頭、テープを止め、降壇。
 この事件に対し、3月19日、8名の教諭が、職員会議の承認をへて、校長に公開質問状を提出した。
 しかし、校長はこれに答えないまま、4月9日の入学式において、同じ事を再び強行した。これに対し、職員は当日の午後の職員会議で再度抗議した。
 闘いは、ひきつづき継続されている。

(文責 渡部秀清)

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所沢高校を迎えての交流会を開きます
  日 時 6月21日(日)14時より
  場 所 小金高校

校長出張記録情報公開裁判・県教委はなぜ上告するのか

鳥塚義和(小金高校分会)

*東京高裁判決も県教委の敗訴
 3月12日、東京高等裁判所は花井校長の出張記録の公開を求める情報公開裁判で、県教育委員会の控訴を棄却する判決をだした。昨年の千葉地裁の判決に続き、再ぴ原告(元小金高校保護者)の勝訴である。
 千葉地裁の判決は原告の主張をほぼ全面的に認める全面勝訴判決であったが、東京高裁の今回の判決は一部県教委の主張を入れる点もあり、判決の内容は後退したものであった。しかし、二度も県教委が裁判で敗れたことの意義は大きい。
 本来ならば、県教委は自らの過ちを認め、司法の判断に従い、即刻花井校長の出張記録を公開するのがすじである。ところが、3月26日、県教委は教育委員会会議を開き、最高裁への上告を決定したのである。
 暴挙というほかない。全国的にみて、出張職員名を非公開にしているのはわずか11県のみであり、千葉県は明らかな少数派だ。全国市民オンブズマン連絡会議事務局長の弁護士は、こう述べている。
 「出張記録は公開してない都道府県の方がむしろ少数派で、地裁・高裁レべルで敗訴すれば、従う自治体がほとんどだ。最高裁で争うこと自体が情報公開の後進性を端的に示している」(朝日 3.26)

*上告の理由
では、上告の理由は何か。新聞報道によると、県教委は次のように述べている。

高裁判決は裁判所の法令解釈権の範囲を超え、地方自治体の立法権を侵害している(朝日 3.26)

 そもそも県教委は行政機関の一部であり、自らが立法権を担っているかのような発言はおかしい。しかも、「法の支配」のもとで、まず行政こそが法に従わなければいけないはず。行政がここまで司法権や立法権に干渉するのは越権行為もはなはだしい。では、上告した本当の理由は何か。関係者の間では次のような説がでている。

  1. メンツ説…とにかく一市民に二度も裁判で負けて悔しくて仕方がない。「恥の上塗り」なんのその、上告に及んだという説。
  2. いいわけ説…高裁判決に従った場合、県の一部には県教委に対する不満が残り、突き上げもある。そこで、県教委は「最高裁まで争ってだめだったのだから」という言い訳を用意する必要がある。
  3. 松本教育裁判との連動説…松本さんの強制配転をめぐって裁判が続いているが、そこで花井校長が県教委の人事係と打ち合わせた日付が問題となっている。校長の出張記録が公開されると、花井証言が真実であるかどうか判明する。校長の出張記録の中に、松本裁判にとって不利な情報が含まれているので、上告したという説。
  4. 県政疑惑隠し説…花井氏ひとりの出張記録など大した問題ではないはず。もっと県の中枢に近いところで、絶対公開されてはならない公文書があり、それへの波及をくいとめるために上告したという説。
  5. 時間稼ぎ説…4と同じだが、そもそも最高裁で勝たなくてもよい、最高裁の判決が出るまで時間稼ぎをする。実際、新聞報道(朝日 4.11)によると、県は公文書の保存期間を短縮した。つまり、判決が出るまでの間に、公開したくない過去の公文書は期限が来しだい、次々に廃棄できるというわけ。
  6. 国との連携説…今、国の情報公開法がつくられようとしている。その内容は原則的に「個人情報は非公開」というもの。そこで、千葉県と政府が連携し、「いきすぎた情報公開」に歯止めをかけるため、この案件を最高裁に持ち込み、千葉県や政府に有利な判決をとろうというねらいで上告したという説。

 さて、読者は上のどの説に賛同するだろうか。

*市民の力で行政に反省を迫ろう
 専門家の話では、最高裁は書面審理が原則なので、上告が棄却される場合はそのまま判決がでるし、控訴審の判決を変える場合には口頭弁論が開かれることになり、原告側に連絡がくるという。いずれにしても、最高裁の判決がいつでるか、まったく見当がつかないとのこと。最近では上告後、数か月で判決がでることもあるが、3年先、5年先になることもありうるという。
 特に、情報公開をめぐる裁判では、同じような訴訟が何件も最高裁に上がってきた段階まで待って、統一的な法解釈を示すことも予想されるので、その場合裁判は長引くことになるそうだ。
 以上のことを総合すると、どうやら県のねらいは上記の4,5にありそうだ。最高裁への上告、特例条例の制定、公文書保存期間の短縮は情報隠しのための「3点セット」であり、県は公開されてはまずい過去の公文書を闇から闇へと葬り去ろうとしていると疑われても、弁明できないのではないか。
 情報公開の理念は、千葉県公文書公開条例の第1条に明記されている。

(前略)県民の県政に対する理解と信頼を深め、県政の公正な運営の確保と県民参加による行政の一層の推進を図ることを目的とする。

 今の千葉県の姿勢がこの理念に逆行しているのは誰の目にも明らかだろう。このままでは、県政に対する信頼はますます失われていってしまう。今こそ、私たち市民が声を上げ、行政に反省を迫ることが必要になっている。

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お知らせ

5月11日(月) 18:30〜 中村さん「分限裁判」第2回月例会 千葉市市民会館3階第7会議室(千葉駅歩4分)
5月13日(水) 13:45〜 宮城県・工藤先生「日の丸」処分第4回公開口頭審理 仙台かんぽヘルスプラザ
5月13日(水) 15:30〜 上岡さん「日の丸」処分撤回裁判 東京地裁710
5月13日(水) 19:00〜 関釜裁判・山口地裁判決緊急報告集会 シニアワーク東京1階セミナー室
5月14日(木)
 〜17日(日)
  反戦地主と連帯するツアー 申込 FAX.03-3368-3110
5月15日(金) 15:00〜 「豊かな海づくり」住民訴訟 千葉地裁505号
5月15日(金) 19:00〜 基地がなくなる日・学習会 江戸東京博物館
5月16日(土) 14:00〜 有事立法に反対する千葉県民のつどい
 講師・山田朗氏「平和憲法と有事立法」
教育会館
17:00〜デモ
5月20日(水)
 〜24日(日)
10:00
〜18:00
「いのちの絵画展」(死刑囚の描いた絵画展) 新宿区立区民ギャラリー
 (新宿中央公園内 Tel:03-3348-6277)
5月22日(金) 18:30〜 「半生を語る〜水俣病と部落差別から」仲村昭一氏 環境パートナーシップオフィス
 (国連大学裏・コスモス青山B2F)
5月23日(土) 11:00〜 ゴミ拾い散歩 集合・JR船橋さざんかさっちゃん
5月23日(土) 13:00〜 「知らない」ではすまない人権侵害 杉並・産業商工会館大ホール
 (JR阿佐ヶ谷駅南口歩3分)
5月23日(土) 14:00〜 全国キリスト教学校人権教育研究協議会
 関東セミナー・フィールドワーク・横浜寿町
(申込・5月15日締切・RAIKへ FAX.03-3202-4977)
寿地区センター集合
 (横浜市中区寿町3・10・13 金岡ビル303)
5月23日(土) 18:00〜 「なんで住民が決められないの?地方自治の問題点」
 講師・富野暉一郎
豊島区民センター
5月25日(月) 15:30〜 都立足立ろう学校・前田さん「日の丸」誤処分裁判 東京地裁721
5月25日(月) 10:30〜 前田さん(いじめ)学校の調査報告義務を問う裁判 東京地裁721
5月25日(月) 13:30〜 前田さん(いじめ)個人情報非開示処分取り消し裁判 東京地裁813
5月26日(火) 14:00〜 三栄紙製品地労委闘争 県庁南庁舎3階
5月26日(火) 13:00〜 「思いやり予算」違憲訴訟 東京地裁713号
5月29日(金) 18:30〜 「周辺事態法(仮)」に異議あり! 文京シビックセンター
5月29日(金) 18:30〜 在日朝鮮人人権セミナー「地方自治体の外国人会議」 シニアワーク東京
6月1日(月) 15:30〜 田畑さんの嘱託拒否違法訴訟 東京地裁813
6月4日(木) 16:30〜 中村さん「分限免職」裁判 千葉地裁505号
6月6日(土) 18:00〜 へリポート基地を許さないつどい 労働スクェア東京601
6月6日(土) 14:00〜 心の闇・中学生のつきつけるナイフの刃先は…
 講師・藤井誠二氏
松戸市勤労会館
6月13日(土) 15:00〜 東京地教研例会「アムネスティーの活動と現状」 アムネスティー日本支部東京事務所
6月13日(土) 18:00〜 横浜教科書裁判・判決報告集会
 講演・山住正己氏
神奈川県民ホール(JR横浜・歩5分)

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