創刊のことば | 「日の丸・君が代」対策委員会 |
入学式の『珍』現象 | K高校分会・M |
増殖 II (multiply II) | |
「日の丸・君が代」と沖縄 沖縄の声(1) | 文責・佐久間美弥子 |
沖縄は痛快だ | 船橋旭高分会 みつはし ひさお |
沖縄修学旅行のネットワークを | 小金高校分会・鳥塚義和 |
卒業式『答辞』から | |
『日の丸・君が代』全国の状況[1] | 佐倉高校分会・近 正美 |
『教えられなかった戦争―フィリピン編』上映会その後 | 文責・佐久間美弥子 |
お知らせ | |
編集後記 | 素直な天邪気 |
1994年度より、高校でも、『日の丸・君が代』の「義務化」をうたった『新学習指導要領」が本格実施の段階に入った。これを前後し、県下の多くの高校や養護学校で、卒業式・入学式における「日の丸・君が代」反対闘争が闘われた。特に、小金高校での闘いは激烈であった。その年の11月、われわれは、それらの闘いをまとめた『侵入禁止』を発行した。
一方、県教委は、その一週間前、「妨害や不起立等の違法行為がなされた場合には、県教育委員会としては、当該職員に対して厳正に措置する」という、いわゆる「11・8通知」を出した。しかし、この通知は、かえって、多くの教職員、保護者、生徒の反発を呼び起こし、1994年度末の卒業式では、闘いはさらに発展した。
1995年6月、われわれは、この闘いをピデオ『卒業』に記録した。
ところで、この年9月に開かれた日教組第80回大会で、日教組中央は路線展開を図り、「日の丸・君が代」反対の旗を下ろすことになった。
しかし、職場段階での粘り強い闘いは堅持された。
1995年度末、われわれは、各職場の闘いを横に繋ぐため、「日の丸・君が代」反対全県支部連鎖集会を開いた。そうした中で、教職員、保護者、生徒の一貫した闘いにより、県教委はついに、小金高校の花井校長を飛ばさざるを得なくなった。
1996年7月、われわれは、『侵入禁止』以後の各職場での闘いをパンフレット「レジスタンス実践集」にまとめた。
また、11月には、我々が中心になり実行委員会を作り、沖縄国体「日の丸」焼き捨て事件の知花昌一氏を呼び、講演会を開いた。
1996年度末、「日の丸・君が代」に関する大きな動きはなかった。
しかし、レジスタンスはいろいろな形で続けられている。
この闘いを引き続き日常的に発展させていくため、われわれは今回、『ひのきみ通信』を定期的に(月一回の予定で)発行することにした。
この通信では、闘争や実践の報告、情報や教材の提供、方針や行動の提起などを行っていきたい。皆さんからの通信や投稿も大歓迎である。
知花さんは講演の中で「火種」という言葉を使ったが、われわれはこの通信が「日の君」ならぬ闘う「火の君」通信になればと思っている。
「日の丸・君が代」対策委員会
1997年4月9日の入学式でおかしなことが起きた。「君が代」斉唱のとき、新入生が一人も起立しなかったのである。立っていいかどうか迷うわけでなく、平然と座っていた。
保護者、来賓、職員が起立する中で、この珍現象は何故起きたのか。
本校では「日の丸・君が代」をめぐる職場論議の中で「君が代」斉唱に会っては、極力強制的イメージを与えないようにと管理職も含めて合意されている。
そのためか「君が代」斉唱のときだけは「一同起立!」ではなく、司会は「皆様、ご起立をお願いいたします」とトーンを落とし、命令調ではない口調になる。
教育現場の命令口調に慣れきっている今年度の新入生たちにとって、「皆様」とか「お願いいたします」という言葉が、まさか自分たちに向けられているとは到底思われなかったのだろう。「一同起立!」と「ご起立をお願いいたします」とで、どちらも大して差がないと考えがちだが、新入生たちにとっては大きな差なんだろうと思う。
このことに関し、教頭は少々慌てたようであるが、少なくない数の教員が起立しない本校では、これが特段職場の話題になることも、管理職が問題にしてくることもなかった。
「新入生が立たなかったね」「別にイインじゃない」、そんな会話で終わる職場の雰囲気を大切にしたいと思う。
K高校分会・M
(前回までのあらすじ)
いわゆる「国歌斉唱」時、ある組合員が「不起立行動」をとったところ、分会として特になにもしていないが、今までゼロであった着席をする組合員が3年間で4人まで増えた。
97年2月某日。職員会議。「卒業式について」。毎年のようになにもなく終わると誰もが思っていた。
・突然の発言、「国歌斉唱時の『生徒・職員起立』という号令を『一同ご起立願います』に変えてはどうか。」
*94年2月、「国歌斉唱」「一同起立」を「国歌斉唱」「生徒・職員起立」に変更。「学習指導要領にあるとはいえ、保護者には指導・強制はでさないだろう」という議諭。数名の少数分会でもあるし、大きな前進だった。
向こうの言い分
・式典だから、みんなそろってきちんとしていたほうがよい。保護者や来賓は迷うし、教員の中にも立たない人がいて、式の厳粛さを損ねる。
組合員の反論
1 本校生徒の保護者には外国籍の方も多い。以前の卒業生には父親から立たな<ても良い、と言われたものもいた。現行のままでよい。保護者としての経験で、命令ロ調の号令はほとんどない。式の最初にある「―同礼」こそ「―同ご起立願います」に変えたほうがよい。
2 「国歌斉唱」については(日の丸への礼以上に)いわゆるイデオロギー的な違いを配慮する必要がある。
本校で「生徒・職員起立」となっていたのも、それに配慮した結果ではないのか。
3 混乱があるというなら、式の前に保護者や来賓に説明を行ってはどうか。
校長決裁
「一同ご起立願います」のかたちでお願いしたい。(こいつは簡単に原案を変える)
組合 「一同ご起立願います」は職務命令か。
校長 お願いしている、という意味。
組合員ではない人 実施のかたちはわかったが、保護者や来賓への事前説明はあるのか。
式の進行係 説明はあったほうが良いし、可能である。
分会の反省として、3年前の「変更」は画期的なことだったので、変ってしまって残念だが、久しぶりに「君ガ代」の問題がいわゆる「イデオロギ−」上の問題があることをはっきり発言できたのは良かったし、組合員でない人が「事前説明があるのか」、確認の質問をして<れたのも、とてもよかった。
卒業式96
「国歌斉唱」「一同ご起立願います」
組合員4人、不起立。前と変らず。
入学式97
「国歌斉唱」「一同ご起立願います」
「あれっ、すわってる人がまた増えている」
multipIy
この人は組合員ではないし、職員会議で「事前説明」について質問した人でもない。
駐留軍用地特別措置法「改正案-1がきょう(4/17)にも国会で成立しそうな情勢である。橋本首相も、「少し残酷かもしれない」と言ったという、沖縄県の米軍基地固定化をもたらす差別的なこの法律「改正」にたいして、本土の側では、反対の世論があまり盛り上がっていない。最近よく思い出すのが、数年前に成立したPKO法の際の反対世論の盛り上がりである。あの時は国会内では社会党も頑張ったし、国会周辺では毎日デモが行われていた。私も何回も国会周辺に足を運んだ。ある卒業生が、「私も何らかの行動をしたい。でないと、将来年を取り、若者から、あの時何をしてきたのかと質問された時に、言い訳がたたない。」という電話があり、彼女とともに参加したデモもあった。しかし今回はあまりに静かではないか。今や自衛隊の性格は変り、海外へ出ていく「自衛隊」となった。また、米軍の海兵隊基地は沖縄に固定化され、自衛隊は米軍と共同して世界的規模で戦う準備が進められている。非常に危険な道を歩み始めている日本に、国内から「否!」と言っているのが沖縄の声ではないかと思う。
…以下次号へ
検見川高校分会新聞(4/17)より
文責・佐久間美弥子
ウチナンチューのやることは痛快だ。沖縄の置かれている厳しい状況に対する、県民の闘いがある。闘いの見通しは、きわめて困難なものだ。にもかかわらず、厳然として米軍基地が存在し続ける以上、闘わざるを得ない。このことが、ぺシミズムに陥るのではなく、逆にある種のオプティミズムにつながっていくところに、沖縄のすごさがある。つまり、今やれることを息長くやっていくしかないのだ。これが、ヤマトのわれわれにはじつに痛快に映る。
前置きが長くなったが、沖縄本島中部、読谷村のまん中に、米軍基地「読谷補助飛行場」がある。この基地は、現在では事実上使用されておらず、地主が「勝手に」サトウキビを栽培している「黙認耕作地」となっている。このサ卜ウキビ畑のまん中、滑走路のすぐ近くに、つまり米軍基地の敷地内に、このほど読谷村役場の新庁舎が完成した。先日、高教組「オキナワの旅」でこの地を訪れ、開業直前だった新庁舎を見学させていただいたとき、その前に立てられている碑を見て、おもわず手をたたいた。
「三代目読谷村役場」と題されたその碑には、つぎのように刻まれていたのだ。
鳴呼(ああ)!遂に村民の夢は実現した
読谷村の自治の殿堂として
米軍基地・読谷飛行場の真中に
誇らしく自信をもって建っている
お前は三代目読谷村役場なのだ
由緒ある座喜味城を腰当(くさて)に、風水(ふんし)よく
鳳鳳(ほうおう)の鳥として建っているのだ
アメリカ軍にも大和政府にも
読谷村の主人公は読谷村民だ、と
訴え続け、闘い続けた村民の勝利だ
読谷村の自治・分権・参加
民主主義・平和の殿堂として
村民と共に輝き
未来へ向かって雄々しくはばたけ
1997年4月1日
読谷村長 山内徳信
この碑の近くには、「日本国憲法第9条」の碑も立っている。沖縄の人びとの長くつらい闘いを励ますつもりだったのが、逆に励まされてしまった思いであった。
「駐留軍用地特別措置法」の改悪は、圧倒的多数で可決されてしまった。これが、戦後50年を経たヤマトの「民主主義」の現実である。現在、どこに展望を見出したらよいのか、きわめて困難な状況であることは確かだ。しかし、落胆していて何になるのだろうか。われわれも、今やれることを息長くやっていくしかない。これが、沖縄から学ぶペきことだと思う。
船橋旭高分会 みつはし ひさお
*沖縄修学旅行の魅力
千葉県でもようやく昨年度から修学旅行での航空機使用が認められ、沖縄修学旅行への道か開かれた。小金高は昨年11月、次のような日程で、県下最初の沖縄修学旅行を実施した
1日目と4日目はクラス別行動で、首里城や玉泉洞などを訪ねた。1日目の夜に元ひめゆり部隊の方に講演をしていただき、2日目は平和学習にあて、平和祈念公園、ひめゆりの塔、糸数壕などの戦跡めぐりと嘉手納基地・楚辺通信所(ゾウのおり)などの基地見学を行った。3日目は班別でコ−スを決め、ビーチや琉球村などの観光地をまわった。
沖縄修学旅行は生徒にも教員にもおおむね好評であった。青い海でグラスボートから見る珊瑚の美しさに歓声を上げ、市場通りの珍しい食材に目をみはり、チャンプルーやソーキそばに満腹した生徒も多かった。
事後のアンケートでは、クラス別行動、平和学習、班別行動について、「有意義だ(楽しか)ったか」の問に対し、「有意義(楽しかった)」と答えた割合は、平和学習が最も高かった。これは平和ネットの方や知花昌―さんのガイドの効果が大きいか、沖縄の戦跡そのものがもつ教育力も圧倒的だった。
ガラビ壕で生徒は「恐ろしいほどの闇と静けさの中で水滴の落ちる音、かすかな風の音が異常に大きく聞こえて、今にも当時の学徒兵や兵士のうめき声が聞こえてきそう」(感想から)だと感じ、「韓国人慰霊塔では、本国の方向を指した矢印に戦争の傷を感じ」た。
*ネットワークで交流を
今年は干葉県で、私の知っていろだけでも、次の13校が沖縄修学旅行を実施する予定である。
県立松戸 国府台 小金 市川北 船橋旭 行徳 八干代西 八街 流山 多古 薬園台 野田北 船橋芝山 |
おそらく来年以降もっと増え、「沖縄修学旅行プーム」の到来さえ予感させる。
小金では、2回目の沖縄修学旅行にむけて今準備をすすめている。まずは教員自らが学習しなければということで、春休みを利用して2学年の教員5人が沖縄を旅した。そして、修学旅行の日程もほぼかたまりつつある。
1日目は読谷村をフィールドにして座喜味城、チビチリガマ、シムクガマ、ゾウのおりを回る予定。夜は元ひめゆり部隊の方を招いて講演会。2日目は糸数壕、平和祈念公園、ひめゆりの塔・資料館、そして平和学習のしめくくりとして佐喜間美術館を訪れる。3日目は班別の自由行動。4目目はクラス別行動。
修学旅行をどうつくるか。各学校の教員・生徒の状況によって、多様な方法が考えられる。それぞれの学校で、修学旅行の企画をする際、事前学習はどうしたらよいのか、現地のガイドとどう連絡をとればよいのか、などいろいろ試行錯誤をかさねていることと思う。そこで、沖縄修学旅行の情報交換をして学びあえたらと思う。この通信をその1つの場にしたい。ぜひ皆さんの情報をお寄せください。
小金高校分会・鳥塚義和
生徒の生の声は、毎日授業をやっていてもなかなか聞こえてこない。そんな中で、卒業式の答辞は、型にはまった卒業式であっても、3年間の高校生活と今の世の中とを振り返って、『今』の高校生の考え方やものの見方が表現されている貴重なものだと思う。今年(1997年3月)の卒業式の答辞を連載していきたい。
今日私たちは卒業の日を迎えました。U高校に入学したのがほんの少しまえのように思われます。入学した当時は、右を見ても左を見ても金髪・茶髪だらけでした。自分のクラスは特に多くこれはひどいと思ったものです。実は自分もバンドの関係で茶髪にしたことがありました。
はじめは部活もがんばろう、勉強も簡単だ、と思っていたのもつかの間、だんだん学校がつまらなくなってきました。いっの間にかクラスの人数は半分になり、自分も学校をやめたいと思うようになりました。その度に、「やめてどうする。U高校を3年がんれば、それが自分の自信になるんだ」と親に言われ、反発したこともありました。
しかし、1年生の終わりに生徒会に入り、少しオーバーですが、生きがいを見つけたように思えるほど、良い仲間に巡り合うことができました。共に仕事をし、共に学び、共に遊んだりしながら、私はこの友人たちに支えられてここまでがんばってこられたのです。
U高校は自由な校風と言われます。この言葉はとても興味深い内容を含んでいます。自由とはなんだろうと思います。偏差値にとらわれることなく、ギュウギュウ校則に縛られることなもない。U高校は居心地のいい学校だ。とは言っても、それが自由なんだと思って大きく踏はずしてしまうと、自分も学校も盛り上がりはしないと思います。
三年間は思いのほか早く遇ぎ去ってしまいました。
保護者の皆様や先生方にも三年問の思い出があると思います。大半は私たちの掛けた苦労の思い出と思います。いろいろな、悩みを聞いてくれた兄のような先生、事務室や購買の皆さん、お世話になったすべての方々に、感謝の気持ちを込めて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。また、最後までさじを投げずに、見守ってくれた保護者の皆様、本当にありがとうございました。今、のこの気持ちを忘れず、私たちはU高校を卒業していきます。ありがとうございました。
1997年3月7日
1996年度末「卒業式」から、1997年度「入学式」にかけては例年になく穏やかな『式』が全国的に行われたようである。
『穏やかさ』の背景には、文部省の「日の丸・君が代」実施調査がなくなったこと。また、調査するまでもなく「日の丸・君が代」を『式』で実施するのは『常識』となってきたことの二つがあげられる。
しかし、その平穏さの中身を考えると二つの点を指摘することができよう。一つは、それぞれの職場や、教員による「日の丸・君が代」の意味の問い返しや拒否の意思表示は粘り強く広がっている。二つ目は、「自由主義史観」(加虐史観、捏造史観、歴史隠蔽史観、などなどとも言われる)、「新しい歴史教科書を作る会」(どうやら空中分解の兆しがあるが)などの動きを考える時、現在の学校における「日の丸・君が代」状況を見据えての動きとして考えることができる。
さて、全国の状況をここで、まとめて報告する力は私にはないので、いくつかの手もとの情報から紹介をしたい。
*東京都人事委員会、「日の丸」処分取り消し!
足立ろう学校の前田芳弘先生(現・立川ろう学校)の戒告処分が、1996年12
月20日「取り消し」の裁決を受けました。
前田先生は、「日の丸」を降ろしたとして処分されましたが、実はそのような事実はなく、校長のでっち上げであったことが人事委員会で明らかになりました。この事件は、日頃から前田先生を疎んでいた濱崎久美子校長が前田先生を陥れようと、警備員のHさんと事務のIさんの二人に嘘の供述書を書かせ、証言させたことが人事委員会審理で明らかにされたことによって処分が取り消されました。
この校長は、着任当時から「ゴマすりも能力のうち」「私の言ったことは全て職務命令」「日の丸掲揚に反対する教員は月給泥棒」と言うような不見識な発言を繰り返していたそうです。このような人間を校長にするから職場が良くならず混乱するのです。
*宮城県の工藤先生のこと
工藤先生は宮城県の県立高校の英語の先生です。工藤先生は、1995年3月1日、自分の勤める古川工業高校での「日の丸」掲揚に抗議し、その結果として「懲戒停職6ヶ月」の処分が行われました。
その後、人事委員会での公開口頭審理が始まるはずなのですが、今だ、『公開』の審理は行われておらず、人事委員会・県当局・被処分者側の3者による『密室』での準備手続きが進められています。
また、驚くのは元教育長が人事委員会委員長を勤めていることです。埼玉県でも、県教育庁の処分担当の部署の責任者が人事委員長を勤めていた福岡高校の件が現在裁判になっています。このような公平・中立であるはずの人事委員会が行政べったりでは処分そのものの適否をきちんと判断することが不可能であることは明らかです。
(佐倉高校分会・近 正美)
去年の3月、干葉北支部、船橋支部、市川支部の3支部が上映実行委員会に積極的に参加して、映画『教えられなかった戦争―フィリピン編』の上映会が開催されました。この映画は、日本のアジア太平洋戦争における加害の実態と、その同じ構造によって引き起こされている現在の経済的侵略の実態を描いています。上映会では、映画上映のみならず、高岩監督の講演や、市民、高校生も参加したパネルデイスカッションや客席からの意見交換なども行い、映画を鑑賞するだけではなく、観客が参加できる上映会を実現させることができました。その後の高岩監督との話しあいの中から、この映画をフィリピンで上映する為に、英語版を製作しようという話がもちあがりました。千高教組の平和教育推進委員会に『教えられなかった戦争―フィリピン編』英語版作成委員会(委員長森山淑夫)を設置し、英語科の教員が10人ほど参加して英語版シナリオが完成したのは、昨年の暮れのことです。今年の5月には、録音もすみ(ナレーション以外の部分では、我々英語版作成委員会のメンバーも参加しました。)完成を待つばかりです。実際の上映はどうなるのか。教材としての活用の可能性、参加型の上映
会など、ますます私たちの積極的参加の可能性を広げていくようです。
(文責・佐久間美弥子)
6/1(日) | 13:30〜16:30 | 韓国の元「従軍慰安婦」の話を聞く会 | 千葉大けやき会館 |
6/3(火) | 13:30〜14:00 | 中国人「慰安婦」裁判第7回公判 | 東京地裁第712法廷 |
6/3(火) | 14:10〜 | 学習会・「慰安婦」問題解決のために・西野留美子 | 弁護士会館 |
6/20(金) | 13:30〜14:00 | 中国人「慰安婦」裁判第4回公判 | 東京地裁第709法廷 |
6/20(金) | 14:10〜 | 学習会・戦後補償の財源はあるのか・田中宏 | 弁護士会館 |
7/9(水) | 13:00〜 | 横浜教科書裁判 | 横浜地裁 |
7/11(金) 〜23(水) |
海の沸点 | 紀伊国屋ホール | |
7/18(金) 〜21(月) |
毒ガス展と原爆の絵展 | 志津コミュニティーセンター |
編集後記「ひのきみ通信」創刊号をお送りします。皆さんの職場では、もう『日の丸・君が代』のことを「クズタズ」言う奴なんかいなくなっているでしょうか。おかげで、「職員会議が早く終わってありがたい』なんて時代に、こんな「ひのきみ通信」を作っている「奴ら」も千葉県にはいるのです。「なぜ、こんなことしてるの」と思う方もいると思います。今、皆さんの職場はどうでしょうか。明るく、楽しく、毎日やる気の沸いてくる職場ですか。多くの学校は、息の詰まるような雰囲気に覆われてきているような気がします。『ものの言えない学校』が増えてきています、上意下達・言われたことしかできない教員、主任の中間管理職化、教頭予備軍の増加、能力の低く人間的能力のない管理職とお役人。もういい加減にして欲しいのです。2年ぐらい前から、私は「日の丸・君が代」について、ただ一つだけ校長先生にお願いしていることがあります。「私の思想信条の自由は公務員だから我慢しろという、しかし、卒業式に参加する親や生徒の思想信条の自由ヘの配慮はどう保障していくつもりですか。私の良心はともかく親や生徒の良心は大切にしてあげてください」。しかし、校長先生のお答えは「そ のような思想信条の自由を保障する必要はありません」、これって、憲法違反だと思うんですけど。(素直な天邪気) |