![]() 「戦争止めよう! 安倍9条改憲NO! 2010年新春の集い」(1.7 北とぴあ) |
安倍首相の施政方針演説と平昌五輪 | 渡部秀清(千葉高退教) |
「日の丸・君が代」問題の授業報告 | 千葉県立高校の社会科教員 |
トム・プロジェクトプロデュース公演 『Sing a Song』雑感 |
T.T.0559(ひょうたん島研究会) |
(1)
2018年1月22日通常国会が開会した。午前中に開かれた自民党の両院議員総会で、安倍首相は、「我が党は結党以来、憲法改正を党是として掲げてきた。いよいよ実現する時を迎えている」と語り、通常国会で議論を加速させる考えを表明した。
しかし午後に国会で行った「施政方針演説」では、<おわりに>の部分で、わずかに「50年、100年先の未来を見据えた国創りを行う。国のかたち、理想の姿を語るのは憲法です。各党が憲法の具体的な案を国会に持ち寄り、憲法審査会において、議論を深め、前に進めていくことを期待しています」と述べただけだった。
これまで安倍首相は、 国会開会前や選挙期間中は「本心」を隠し、いかにも人々の声に耳を傾けるような言葉を発しながら、一旦多数の議席を取ると、「本心」むき出しの国会運営や政権運営をやってきた。今回も多数の議席を背景に同じことをやろうとしている。
施政方針演説では次のようなことが柱になっていた。<1.はじめに>では明治150年が強調された。<2.働き方改革>では「労働基準法」を70年ぶりに<大改革(悪)>することが強調された。<3.人づくり革命>では「全世代型社会保障」「教育の無償化」「多様な学び」など、つまり「一億総活躍社会(一億総動員?)」が強調された。<4.生産性革命>では「生産性向上」に向けての「政策の総動員」が強調され、そのための法人税減税が打ち出された。<5.地方創生>では「農林水産新時代」「地方大学の振興」「観光立国」などが強調され、同時に危機管理や福島イノベーション構想が述べられた。<6.外交・安全保障>では北朝鮮の脅威を煽り、「防衛力の強化」と「日米(軍事)同盟」が強調された。そして、<7.おわりに>のところに改憲についての短文が入っていた。
結局、「働き方改革」で戦後の「労働基準法」を骨抜きにし、「人づくり革命」で<一億総活躍(一億総動員?)>の社会にし、「生産性革命」でドンドン合理化を推進し、「地方創生」で地方でもイノベーション(合理化)を推進、「外交・安全保障」で北朝鮮の脅威を煽り、日米同盟のもと軍備を増強し海外に打って出る、そしてそのために「憲法改正」を成し遂げる、という筋道である。
安倍首相は、2018年をまさに「戦後レジームからの脱却」の年にし、2019年「天皇代替わり」、2020年「東京五輪」を経て、「世界の中心で輝く日本」にしたいと考えているようだ。しかしこれは、本質的には「大日本帝国」「八紘一宇」「大東亜共栄圏」等々への回帰であり、教育面では「道徳」の教科化(「修身」の復活)によく表れている。要するに、彼は歴史の歯車を逆転させようとしているのである。
(2)
平昌(ピョンチャン)五輪が2月9日〜17日にかけて行われている。
それに先立つ1月9日、IOCのバッハ会長は平昌五輪に北朝鮮の選手団、応援団などを派遣することで南北が合意したことについて、「オリンピック精神の偉大な進展だ」として、歓迎する意向を示した。また、1月17日板門店で開かれた南北朝鮮の次官級実務協議で、開会式に「朝鮮半島を描いた統一旗」を掲げて合同入場するほか、女子アイスホッケー競技に南北合同チームで出場することも合意された。アメリカのトランプでさえ、オリンピック期間中の米韓軍事演習を中止すると宣言し、ペンス副大統領を派遣することを決めざるを得なかった。さらにEUを含めすでに二十数名の首脳クラスの参加が確実になった。
ところが、2年後に五輪を開く東京都の小池都知事は欠席を表明、また安倍首相も当初、慰安婦問題などの為に欠席の方針だった。しかしその後、内外の世論を気にし態度が曖昧になり、結局出席せざるを得なくなった。
北朝鮮に対して一貫して軍事的・経済的圧力を声高に叫んできた日米は動揺し、1月16日にカナダで開かれた20ヶ国(朝鮮戦争で国連軍に部隊を派遣した国や日本など)が参加する外相会議で、ティラーソン米国務長官は「圧力を最大限強化」と主張せざるを得なかった。しかし、カナダの外相は、「外交的解決が可能であり、不可欠だと信じている。それが今日の会合の結果だ」と述べ、「北朝鮮が平昌五輪に参加することは希望の兆候だ」と評価した。
だが、南北朝鮮の融和は、日米同盟による世界戦略にとって不都合だと考える両国は、盛んに軍事的圧力を強めつつある。アメリカは多数の艦船・軍用機を東アジアに展開、五輪後すぐに米韓合同演習をやると言っている。また、五輪に参加した安倍首相はペンスと会い、「圧力を最大限まで高める」ことで合意した。そのペンスは開会式前夜のレセプションを欠席した(大人気ない)。要するに彼らは、南北の融和によって、彼らの世界戦略が破綻することを恐れ、あわよくば北朝鮮に対し先制攻撃までやろうとしているのである。
しかし、その後の動きを見ても明らかなように、色々な問題をはらみながらも、今回の平昌五輪を機会に南北朝鮮の融和の動きが進みつつある。いくら、日米が朝鮮民族の仲を切り裂こうとしても、そうはいかなくなってきている。もはや、彼らは何時までも大国の植民地状態の国ではないのだ。そうした意味では日米同盟による世界戦略の野望は動揺しつつあると言える。ということは、安倍首相の年頭の思惑もかなり後退せざるを得なくなるであろう。歴史の歯車は、紆余曲折しながらも、結局は前進するのだ。しかし、情けないのは、こうした状況下、マスコミや日本の多くの知識人たちが、安倍政権の「北朝鮮脅威論」から抜け出せないで、盛んに平昌五輪にケチをつけていることである。
(2018年2月12日記す)
三年生の現代社会の授業最終テーマは、いつも「日の丸・君が代」問題の学習と決めている。今年も3クラスで実施した。生徒は丁度、卒業を控えた身で、卒業式に関するニュースやビデオ映像には非常に関心が高まった。そして、今まで経験した厳粛で画一的な儀式とは全く違う、かつての東葛飾・小金・国府台高校などの卒業式(「生徒主体」「対面式」「制服じゃない学校」)の様子をビデオで見て驚き、改めて「卒業式とは何か?」「国旗・国歌とは何か?」を考える良い機会となったと思う。
ほとんどの生徒はこれまで「日の丸・君が代」の学習を全く受けていない。大昔からの旗と歌と思い込み、歌詞も意味も正確にはわからない(「岩音鳴りて」?)。国民の多くは正しい知識や多様な意見などを学ぶことなく、大人になっているのが残念な現実だ。「日の丸・君が代」問題こそ、卒業式・入学式つまり学校教育の問題であるはずなのに、扱うことが避けられている。教師が児童・生徒に問いかけなければ、問題意識を持ったり社会問題であることを知るのは難しいだろう。
今回の大まかな授業(5時間)内容は次の通り。新聞記事等のプリントを多用した。
また、昨年全米で起きたアメフト・野球・バスケ選手が国歌斉唱時に片ひざをつき人種差別に抗議する不起立行動や、昨年9/1中国での国歌の侮辱を禁止する「国歌法」制定のニュースも紹介した。
授業の最終盤で、「あなたの『日の丸・君が代』問題に関する意見」の自由記述アンケートも行った。毎回、学習すると「日の丸・君が代」に反対意見が多くなる。「卒業式にはいらない」論や「斉唱の強制はおかしい」論も少なくない。代表的な意見を紹介する。
[代表的な反対意見]
[代表的な賛成意見]
2月7日(水)夜、下北沢・本多劇場で、「トム・プロジェクト」プロデュースの芝居『Sing a Song』の初日を観た。
脚本は劇団「チョコレートケーキ」の古川健、演出は日澤雄介。主演は戸田恵子で、彼女が演じるのは戦時下でもドレスを纏って歌った歌手・三上あい子──と書いてもイメージが湧かないと思うので、以下ではそのモデルとなった淡谷のり子と書くことにする。
その淡谷のり子、戦時下でも軍歌を歌わず、ブルースやジャズを歌う。当然特高に目を付けられ、呼びつけられ始末書を書かされたりもする。その時、特高に対し、江戸っ子のように啖呵を切る──というのはウソで、淡谷の場合は青森出身だから、「じょっぱり精神」か?
そんな淡谷だから、特高とのやり取りも危なっかしい。そんな彼女をなだめるのが、敏腕マネージャー役の大和田貘。日露戦争に従軍した男で、203高地での戦闘の経験者でもある。
その特高とのやり取りの結果、淡谷+マネージャー+演奏の若い女性+目付役の若い特高が、戦地慰問の旅に出る。
この若い特高、なかなか面白い人物で、元々はジャズを聴くためにダンスホールに入り浸っていた男。今は宗旨替えをして退廃的なアメリカ文化の撲滅に奮闘しているのだが、その折々に昔の趣味が顔を出す。結局淡谷たちに言いくるめられ、戦地でブルースやジャズを歌ってることを、上司への報告では隠し通す。
劇の終盤で淡谷は鹿児島の特攻基地の慰問もする。これから沖縄に向かう若者──というより、ほとんど子どもたち。歌の途中で、感極まって泣いてしまう淡谷のり子。思わずウルウルしてしまった(T_T)であった。
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今年2018年も明けてもうひと月が過ぎた。朝鮮半島での危機も拡大しようとしている。戦争に向かう国家は、常に表現の自由を奪おうとする。
ぼくたちは決して一色に染められてはならないぞ──と、この芝居を観ながら考えていた(T_T)であった。「軟弱で退廃的な文化など撲滅!」と言われたら、「軟弱で退廃的でさえないものを文化とは言わない」と言い返そうと思う。
あ、学校なんてのも、変に勇ましいより(「毅然とした指導」なんて言葉もあったよな)、「軟弱」と言われるくらいのほうがいいような気がする。
(18/02/11「建国記念の日」なる日の早朝)