ひのきみ通信 第196号

2015年8月24日



8.2 「日の丸・君が代」問題等
全国学習・交流集会(東京・日比谷)

目次

「戦争法案」反対運動の広がりと
 姑息な「安倍70年談話」
渡部秀清(千葉高退教)
私たちは戦争法案に反対するために
 立ち上がった
 8月2日、渋谷での高校生デモ・スピーチ
T−ns SOWL (ティーンズ ソウル)
 あいね(高2) じょー(高2)
届かなかった忠告/「安倍談話」雑感 T.T.0537(千葉高教組市川
 支部「ひょうたん島研究会」)

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「戦争法案」反対運動の広がりと
姑息な「安倍70年談話」

渡部秀清(千葉高退教)

(1)

 今年は天皇機関説事件(1935年)80年にあたります。その今年、政府は国会に「戦争法案」(安保法制)を上程しました。それに並行する形で、文科省は6月国立大学への「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を要請しました。小・中・高校への強制に続く大学への実質的な強制です。
 しかし、これに対し7月4日、東大本郷キャンパスにおいて「学問の自由を考える会」主催の公開シンポジウム(『学問の自由をめぐる危機―国旗国歌の政府「要請」について考える―』)が開かれ、約500人が参加しました。また、7月31日には、「安全保障関連法案に反対する学者の会」と、学生らの「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs=シールズ)」が呼びかけた集会と請願デモが行われ、計4000人が参加しました。
 自民党は7月8日、18歳選挙権を念頭に主権者教育のあり方を首相に提出しました。高校教員に対し「学校における政治的中立性の徹底的な確立」を求め、「政治的中立」を逸脱した場合には「罰則」を科すというのです。
 しかし、8月2日、高校生たちが渋谷でデモを行い、約5千人が参加しました。主催は高校生らが立ち上げた「ティーンズ ソウル」です。船橋市から参加した女子高生は、「高校生に政治はタブーという風潮があるが、小さな声を集めてタブーを壊したい」と語っています。
 またそれ以前の7月26日には、「安保関連法案に反対するママの会」が、「だれの子どもも、殺させない」と書かれた横断幕を掲げて渋谷でデモを行いました(数千人が参加)。
 このように、「戦争法案」反対運動は、これまであまり政治舞台に登場してこなかった層にも広がりつつあります。現在、全国各地で「戦争させない」「9条壊すな!」「アベ政治を許さない」などのスローガンが掲げられ、様々な活動が展開されています。

(2)

 安倍政権は、反対運動の広がりと支持率低下を恐れ、7月16日に衆議院で法案を強行採決しました。しかし、前述のように反対運動はますます広がっています。そうした中で、翌17日には新国立競技場建設計画を白紙撤回せざるを得なくなりました。辺野古新基地建設も一次中断せざるを得なくなりました。
 また、7月末には、磯崎首相補佐官が「法的安定性は関係ない」と述べ、武藤自民党議員が法案に反対する若者らに対し、「彼ら彼女らの主張は・・自分中心、極端な利己的考え」とツイートしたことは、大きな反発を招いています。
 8月に入ってからも、中谷防衛大臣は5日国会で「核兵器も運搬できる」と述べ、安倍首相も6日広島の平和記念式典で「非核三原則」を挨拶からはずしたことなどは、大きな批判にさらされました。
 さらに11日には、自衛隊が<8月法案成立>を前提に準備を進めている内部資料が共産党により暴露されました。12日には沖縄沖で特殊部隊の訓練中の米軍ヘリが着艦に失敗し、そこには自衛隊員も同乗していたことが明らかになりました。
 こうして第二次安倍政権の支持率は、「毎日新聞」によると、7月6日に支持42%、不支持43%とはじめて不支持の方が上回り、強行採決後の7月19日には支持35%、不支持51%、広島・長崎での式典後の8月10日には支持32%、不支持49%、というように大きく低下してきています。「戦争法案」反対運動の広がりの中で安倍政権は追い込まれてきました。

(3)

 そうした中で出されたのが8月14日の「戦後70年の安倍談話」(閣議決定)です。これはきわめて姑息な「談話」でした。
 この「談話」では、まず明治維新以後の日本の歩みを積極的に肯定しています。そのことは「日露戦争は、植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」などの言葉にあらわれています。一方帝国主義時代の日本の朝鮮・中国への侵略については明確に語っていません。
 その上で、「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました」、日本は「世界の大勢を見失って・・『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」と述べています。ここでも「侵略戦争」とは言っていません。
 そして、その戦争では内外で多くの人々が犠牲になったことを述べ、「我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。・・ただただ、断腸の念を禁じえません」と他人事のように述べています。
 今回の談話で焦点となった「侵略」「反省」「お詫び」などの言葉については、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」、などと述べていますが、これも単に言葉だけのことです。それは現在武力行使を認める「戦争法案」を出していることからも明らかです。また、彼は自分の言葉で「お詫び」しているわけではありません。
 しかも、その後では「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました」と述べ、次のように続けています。
 「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
 これは、裏返して言えば「お詫びはここまで」と一方的に宣言しているようなものです。先ほどの「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」という言葉がいかに軽いものかがわかります。
 そして、「談話」では次のような言葉で「未来」のことが述べられています。「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。」しかし、これは安倍首相の本音の言葉を借りれば「世界の中心で輝く日本」(「八紘一宇」の現代版)になるということです。
 またそれに続く文脈の中では、「経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去」とか、「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」などを再度持ち出しています。これは、日本のことではなく、最近の中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)や、中国の国際政治における力の台頭に対する牽制だと思います。
 そうして「談話」は、「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」と結ばれています。
 これは、「自由、民主主義、人権といった基本的価値」を強調し、社会主義や共産主義に敵対した戦前や冷戦期の資本主義陣営の思考です。ですから、これは極端な話、共産党政権の中国包囲網の形成のために、欧米諸国と手を結んで積極的に資本主義陣営に奉仕すると言っているのに等しいと思います。ですから、「積極的平和主義」の名のもとに、実は「集団的自衛権容認」の「戦争法案」の必要性のことを述べているのです。今回の「未来志向の談話」で彼が一番言いたかったことはこれだと思います。これは日本・アジアの人々を(さらには世界中の人々を)再び帝国主義的世界戦争に巻き込む危険な道です。
 しかしそれでも、安倍政権は確かに追い詰められています。だからこそ、今回のような姑息な「談話」を出さざるを得ませんでした。今回の安倍首相の「言行不一致」と「積極的平和主義」の危険性をどんどん暴露・追及し、デマゴギー安倍政権を倒しましょう。

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私たちは戦争法案に反対するために立ち上がった

8月2日、渋谷での高校生デモ・スピーチ

T−ns SOWL (ティーンズ ソウル)
あいね(高2) じょー(高2)



 高校2年のあいねです。
 ここにいる人は、なんでデモやっているか、すっごい不思議だと思うし、こういう活動って親からの影響じゃねとか思うかもしれないけど、わたしの親は、言っておくけど、すっごい普通のサラリーマンです。なんでわたしがここにいるかって、まず小学校4年生のころにイラク戦争の存在を知り、それにPKOで日本がかかわったことを知りました。小学6年生のころに東日本大震災に遭い、なにが正しくてなにが間違っているかって、無関心でいちゃいけないと思いました。そんなときに、特定秘密保護法や集団的自衛権、これはわたしにとても衝撃を与えました。まだ過去にしていけない、まだ忘れてはいけない過去を、日本人はすぐに忘れてしまう。そんな少しずつの小さな積み重ねがわたしに、無関心でいたら日本ってもしかしてやばいんじゃないかって思わせてくれました。
 私の将来の夢は、戦争で困っている子供や女の人たちを助けることです。小学校や中学校で戦争を学び、アフガニスタンの戦争や中東での戦争を知り、いろんな人たちを助けたいと思いました。だから、戦争の加害者になんか絶対になりたくないんです! 安倍総理は、第二次世界大戦は侵略戦争だ、間違った戦争だと、絶対に認めません。けど、わたしは言いきれます。あの戦争は、絶対に間違った戦争です! 二度と繰り返してはいけないはずです!
 このあいだマレーシアに行ったとき、私は戦争慰霊碑を訪れました。そこで、日本が犯した罪のお話を、現地マレーシアの被害者の人から、直接聞きました。すごい胸が苦しかった、日本のことが大好きなのに、日本人ってこんな事したんだって、すごい胸が痛くなりました。だからわたしは、70年もすぎた罪だけど、この罪をまだまだまだ償わなければならないと思います。
 罪から逃げようとする政権を、わたしたちは許してはいけない。そして、「平和のために武力を持とう」とか「攻撃される前に先に攻撃をしよう」とか、戦前のような政府の言うことなんか、絶対に聞かない。
 わたしたちは、安倍総理のような、戦争が良いことか悪いことか判断できない総理に、わたしたちの未来を預けても、本当に良いんでしょうか? アメリカのようになりたい、アメリカともっと仲良くなりたい、そんな小学生みたいな欲望のために、わたしたち若者は、なんで言うことを聞かなければならないのでしょうか!
 こういうことをやっていると、「なんで高校生が」とかよく言われます。でもわたしは、政治のことを考えることに、年齢なんて全然関係ないと思います。選挙権がないから政治のことを考えるななんて、いつ誰が決めたんですか?? もう、政治とかに無関心なんていう時代はやめにしませんか?? そんなことだから、安倍総理みたいな独裁者が生まれたんじゃないんでしょうか! 18歳選挙権なんていう制度が生まれましたが、このままでは言葉だけで終わりそうで、わたしはすごく怖いです。
 これからは、未来の子どもたちに希望を与えられるものになって欲しい。「高校生が選挙に行っても行かなくても、べつになんの関係もないし」とか思っている人、絶対いると思うんですけど、わたしは安倍総理に言いたい。あなたを政権の座から引きずり下ろす存在に、18歳選挙権はかならずなるとおもいます。高校生だって、思考し行動し続けます。まだまだ、勉強不足だったりするかもしれない。学校の勉強だって忙しいし、部活だって忙しいし、友達と遊びたいし、デモなんてやらないでわたしだって原宿行ってショッピングしたい! けど、ずーっとそのあたりまえの生活を守りつづけるためには、いま声をあげなければいけないんです! 一緒に声をあげようって思ってくれる人、いまからだって飛び入り参加OKなんで、ここでいっしょに民意を示しましょう!
 2015年8月2日、わたしは戦争法案に反対します!

 こんちはー!! 高2のじょーです!
 僕は7月の頭に、今となりにいるあいねと一緒に、"T_ns Sowl"という団体をつくりました。
 そして、今日こうしてデモをすることができます。1ヶ月でここまで大きなデモが出来るとは、正直思ってませんでした。本当に色々な方のおかげです。ありがとうございます!
 僕は7/31に、自民党など、国会要請に行ってきました! そしたら、彼らはなんと言ったと思いますか!? 衆議院でさんざん「国民へ説明が足りない」「国民が理解してない」って話をしたのに、ろくに話を聞こうとせず気だるそうにしてる秘書や、話が長い!と威圧してくる秘書など、なんか自民党感じ悪いよね?と言わざるを得ない対応でした。彼らには国民の声を聞こうとする心も伝えようとする心もないのかと、憤りを覚えました。また今回は、「中国がミサイルを日本に向けている」とか「軍事費が拡大し続けている」とか「北朝鮮が危ない」など、国民の感情を煽らないと、もうあの人たちは法案の中身では国民や議員を納得させることができないんだ感じました。6月に国会要請に行った時より、明らかにここまで追い込んでるのかと実感しました。
 僕は少し前まで、高校生が憲法や政治に興味を持つのは、どこか違和感がある気がしていました。ですが、こうやって活動している中で、僕は思いました。高校生に政治に興味を持たせないようにしてるのは、社会の空気だと!
 いま学校では、政治の話はタブーになってしまっています。選挙権が18歳に引き下げられます。今こそ高校生が政治について関心をもたねばならないんじゃないでしょうか!?
 このままでは『まぁ選挙権とったからとりま選挙いってみるけど、どこにいれていいかわからないし、大きいし、自民党でいいや。』と、そういう票を伸ばす結果になってしまいます。そういう人が増えれば増えるほど、権力者は喜ぶのです! なぜかって、それは何も考えずに票を入れてくれるのだから!
 知らぬ間に国民の暮らしづらい社会になってしまうんじゃないかと、僕は思います。
 だから僕らは今回、高校生に興味を持ってもらうため、高校生が参加しやすいデモを企画し、実行しました!
 このデモをキッカケに、きょう来てくれている高校生や、夏休みに渋谷で遊んでる高校生や、TVやパソコンの前にいる高校生に、これから僕らが有権者なんだということ、僕らが政治を動かしていくということを、すこしでも感じてもらえたらなと思います。そして、僕らが今後、安倍みたいな独裁者を見張り、歯止めするということの、重要さとチャンスを、少しでも感じてもらえたらなと思います。
 2015年8月2日、僕は安保法案に反対します。

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届かなかった忠告/「安倍談話」雑感

T.T.0537(千葉高教組市川支部「ひょうたん島研究会」)

 全国にメール発信した『瓢箪通信』(号外8/15早朝)に、次のように書いた。

 本題に入る前に、昨日8/14の「安倍談話」について、雑感「未満」を少々・・・。
 ぼくが「安倍談話」に最初にちょっとだけ触れたのは、昨日8/14に日本教育会館で行なわれた「戦後70年、東アジアフォーラム」終了後のデモに出発する前でした。
 出発を待っていた隣の女性が、フェイスブックだかスマホだかで(ぼくには区別がつきません)、安倍談話を見ていました。「植民地支配」や「お詫び」という「単語」を探していましたが、見つけることができなかったようです。
 その操作を見ながら思ったのは、「ながいなあ」ということでした。
 途中から雨で大変だったデモ終了後、東船橋に戻って、行きつけの赤提灯でTVを見ていたら、NHKのニュースが流れてきました。「安倍談話」のニュースでした。安倍の説明を聞きながら思ったのは、「アクロバティックだなあ」ということでした。
 今日8/15の『朝日』に載った「談話」を眺めただけですが、「長い」「アクロバティック」という感想は間違ってなかったようです。まだちゃんと読んでないので雑感「未満」ですが、ざっとこんなもんです。

 8/15(土)のその後、水道橋に向かう電車の中で、赤ボールペンを手に、真面目に『朝日』に載った「談話」全文を読んだ。そして、真面目に批判を書こうと思った──が、やめた。
 理由は簡単なことで、3つ。
 [1]この「談話」、ツッコミ所満載で面白いのだが、もともとが「長っ!」って文章なので、批判も長くならざるを得ない。この『ひのきみ通信』、長い文章を書くと編集長が怒るような気がする。
 [2]誰が書いても、似たような批判になる。ぼく、オリジナリティのある文章を書くのが特長なので、他人(ひと)と同じ文章は書きたくない。
 [3]前項とかぶるが、どうせ渡部さんが「談話批判」を書くと思う。ぼくと渡部さんが同じ内容で書くのは、多様性を追求しているこの『ひのきみ通信』の編集方針に合致しないと思う。
 ・・・ということで「談話」に対する真面目な批判はやめて、「談話」発表の前日8/13(木)の夜、首相官邸前で発言した安倍への「忠告」のことを書く。ぼく、安倍とは同学年なので、彼には親近感を持って──などいないが、まあ我が愛する日本(これもウソです)の首相に恥をかかすのもナンなので、忠告してあげたのである。
 発言は、毎週木曜日夜に行なわれている「戦争させない・9条壊すな総がかり行動実行委員会」による「国会前集会」の後に官邸前で行なわれた「あじさいアクション」の集会で行なったものである。

 最初に、「非核3原則」について話します。安倍が広島での挨拶では触れなかったのに、長崎では触れた──例のアノ件の話です。
 安倍は去年の挨拶で、「コピペ」を批判された。だから、お友だちに、「去年と違う挨拶文を書いて」と頼んだ。去年と違うものを書こうとした友だちは、「非核3原則」を除外した。それを読んだ安倍はそのことに気付かず、あるいはたいした違いじゃないと思って、そのまま広島で読んだ──ら、みんなに怒られた。しょうがないから、長崎では入れた。
 ・・・というのは、あくまでもぼくの想像です。全然事実と違うかもしれません。でも、こんな風に考えないと、あのドタバタの説明が付かないと、ぼくは思います。熟考して外したのなら、長崎で入れることなどできないはずです──もちろん「普通の感覚なら」という留保が付きますが・・・。
 ・・・で、「首相談話」です。先ほど「あじさいアクション」の司会の方は「お詫びが談話に入りそう」と言ってたけど、本当かなあ? ぼく、かなり疑問を持っています。安倍はお詫びしたくないんじゃないかなあ?
 (ここから官邸に向かって)・・・で、安倍サン(急に「サン付け」になっちゃいました)に提案です。お詫びをしなければ、アメリカや野党(公明党も?)に怒られる。お詫びをしたら「お友だち」に怒られる。これじゃ、身動き取れないよね。
 こういう時は、茶化すに限る──ということで、提案です。「若者言葉」による「首相談話」。
 「この前の戦争、侵略戦争だった、みたいな〜。」
 「朝鮮等を植民地にした、みたいな〜。」
 「お詫びしないと超ヤバイ、みたいな〜。」

 残念ながら安倍は官邸にいなかったのか、ぼくの「忠告」は届かなかったらしい。せっかくの同学年からの忠告を聞いててくれれば、あんなにミットモナイ「談話」、出さずに済んだのにと、残念でならない──ような気がする。

(15/08/16未明)

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