ひのきみ通信 第191号

2015年1月17日



「教科書と教育を考える千葉県民の会」
設立集会(2014.11.24)

目次

沖縄スタディーツアー(辺野古・高江訪問)報告記[1]
 深夜23:00-3:00の機動隊との衝突
石井 泉(天羽高校分会)
「日本を再び、世界の中心で輝く国としていく」(安倍首相)は、
 「八紘一宇」の焼き直し
渡部秀清(千葉高退教)
今年の目標、十一度(じゅういちたび)
 2015年を、「安倍政権とサヨナラ」の年にしよう!
T.T.0529(千葉高教組市川
 支部「ひょうたん島研究会」)

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沖縄スタディーツアー(辺野古・高江訪問)報告記[1]

深夜23:00-3:00の機動隊との衝突

石井 泉(天羽高校分会)

 千葉高教組の有志5名(みつはし・高木・鳥塚・石井・條)で、1月10〜12日の3日間、沖縄を訪れた。今回の目的は、仲井真前知事の容認で新基地建設着工の緊迫情勢にあり海とゲート前両方で住民の抗議行動が続く名護市辺野古(キャンプシュワブ)と、映画『標的の村』(監督の三上智恵さんは千葉県出身)でも話題となり現在もヘリパッド建設阻止の闘いが続く東村高江(北部訓練場)に行き、座り込みなどに参加し激励することだった。レンタカー移動で宿泊場所は運動家がよく利用する名護市瀬嵩の「海と風の宿」にした。3日間ともゲート前座り込みに参加し、深夜の機動隊との激突(初逮捕者も出た)も経験した。3つの大学も訪問でき充実したツアーだった。行程は次の通りである。

1/10 那覇空港→ペリー上陸碑→嘉数高台→沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故の碑
(土)  →佐喜眞美術館→辺野古海岸→16:00-19:00シュワブゲート前座り込み
    →宿→深夜23:00-3:00ゲート前機動隊との闘い→宿
1/11 宿→ジュゴンの見える丘→慶佐次ヒルギ→13:00-16:00東村高江座り込み
(日)  →名桜大学映像祭「文科省 疑惑の教科書検定」→宿
1/12 宿→10:00-12:00シュワブゲート前座り込み→くすぬち平和文化館(沖縄市)
(月)  →琉球大学→浦添市美術館→不屈館(瀬長亀次郎、那覇市)→那覇空港

 初日は、嘉数高台から普天間基地を見た。オスプレイが10台余り駐機していた。実際の飛行訓練は見なかったが、翌日の新聞には「また夜間制限超え オスプレイ2機が飛行」(23時過ぎ2回にわたり22時までの騒音防止協定違反)の記事が載っていた。千葉も他人事ではない。木更津への訓練移転案に反対運動も始まっている。
 続いて、2004年沖縄国際大学のヘリ墜落現場に造られた碑と事故の痕跡を残す校舎壁一部と焼け焦げたアカギの木を見学した。現場周囲は学校やマンション・店が建ち並ぶ人口密集地で、まさに普天間基地が「世界一危険な米軍基地」であることを実感した。
 次に名護市辺野古に行き、まず海岸を散策。何度見てもこのジュゴンが泳ぎ貴重なサンゴ礁の海を埋め立てるという発想が信じられない。沖合に埋立範囲を示す杭が立ち、その広大さに驚く。工事を進めようとする沖縄防衛局側か、着工を監視・阻止する反対運動のカヌー隊かわからないが、何隻か船が出ていた。港の座り込みテントに書かれた座り込み連続日数を示す数字は、3100日を超えていた。命を守る会事務所(カヌー隊拠点)は手前に移転していて、挨拶をした。
 続いてシュワブゲート前に行くと、門は開いているがALSOK警備員10人程度が常時横並びし封鎖状態で、奥には沖縄県警の機動隊バスが見えた。今朝も座り込み準備中の8時過ぎに大型トラックの資材搬入が強行され、今年初の機動隊による抗議行動の強制排除が行われたらしい。警備員前で約50人が座り込み抗議を続けていた。やはり、地元のオジー・オバーが多く、地元大学生や子ども連れの母子もいた。沖縄高教組国頭支部の旗もある。防衛局は、ゲート入り口に「ギザギザ鉄板」を何列も敷いていた。泥よけ目的という名目だが、座るとお尻がひどく痛い。明らかに座り込みへの嫌がらせである。皆が折りたたみイスを置き座っていた。私は新聞を敷き座った。
 リーダーの山城博治(沖縄平和運動センター議長)さんがマイクを持ち、政府や防衛局・米軍を厳しく批判し、ユーモアを交ぜながら反対運動を鼓舞していた。16:00頃から3時間の参加の間、皆で歌を披露しあい、次々に参加者が紹介され前に出てアピールした。山城さんはギザギザ鉄板について、「この鉄板の上で倒れたら大怪我するね〜。だから県警は無茶なことはできない。私達を排除することはできないはずさ〜。敷いてもらい感謝しなきゃいけないね〜」と言い放った。私達5人も挨拶し、私は「千葉の高校の多くは沖縄修学旅行です。私も今年引率します。基地問題の事前学習を深め辺野古や高江の問題を一緒に考えられる生徒を育てたいと思います」と訴えた。19:00に機動隊バスも出て行き門が閉められたので、「明日もがんばろう」と皆で叫びこの日の座り込み終了。宿に車で行き、夕食をとって皆で島酒を飲んでいた。
 22:00過ぎのことだった。突然、同じ宿に泊まる座り込み参加者の方が、「緊急事態です。解散後、機動隊が来て資材搬入が強行されてると連絡がきました。阻止行動の応援に行きたいので車を貸して欲しい」と言った。事態は急を要し私はOKして、その方に運転してもらい、一緒にゲート前に向かった。沖縄とはいえ、夕方からはだいぶ冷え込んで寒いので私もジャンパーを着込んだ。
 23:00頃到着した。深夜のゲート前は強い照明の中、機動隊50名余りが2列にゲートを封鎖し、背後に警察官や公安?らしき職員がたくさんいた。その前で、20名余りの市民が立ったり座り込んで激しく抗議し、異様な雰囲気だった。琉球新報や沖縄タイムスの記者もカメラを持って取材していた。話では、市民解散後の20:55時頃、突然機動隊が再来して、その後重機の搬入が始まり、以降も断続的に出入りが続いているようだ。情報を聞きつけた市民は22:00頃から次々に集結し、22:50頃にも入ろうとするミキサー車の前に立ちふさがったり座りこむ市民とそれを排除しようとする機動隊や警察官との激しいもみあいがあったようだ。その深夜の興奮状態の現場に、到着した。
 市民は深夜のだまし討ちのような強行に激しく怒っていた。「こんな深夜に作業する必要があるのか。3連休中の真夜中だぞ!非常識だ!」「こそこそ作業を進めて恥ずかしくないのか!」「総選挙での県内移設反対の県民の声を無視するのか」「真夜中にこんな闘いしてるのは沖縄だけだ。本土なら有り得ないぞ!」「こんなことやって、あんた達のオジーやオバー・子ども達に顔向けできるか!」と抗議が続いた。再び、ミキサー車が来た。市民が集まりミキサー車前に集まる。横並びした機動隊が入口を開けようと市民をどかしにかかり押し合いになる。「危ない!押すな!」「やめて!」「警官!何するか」と怒号と叫びがとびかう。涙しながら、「海を守れ」「子どもに辺野古の海を残せ」と叫ぶオジーもいた。まさに機動隊との激突である。市民は非暴力を貫き10数分間粘るが、機動隊に押され抱きかかえられ、強制排除・ごぼう抜きされ、少しずつ車は入っていく。映画『標的の村』そのままのシーンである。マスコミはフラッシュ・ビデオ撮影をとり続けた。私の目の前でこのような光景が、11日未明の午前3:00まで3・4回繰り返された。
 時折、山城さんを中心に市民は円陣を組んで打ち合せをした。その中で、「今○○くんが警察に連れて行かれた。別ゲート前で警備員ともみあいになったらしい。初の逮捕者を出してしまった。先ほど怪我人もでて病院に向かった者もいる。皆さん興奮しないで整然と抗議して欲しい。無理をしないで引く所は引く、闘いは続くのだから」の話もあった。
 午前3:00頃、機動隊がゲート奥に入りゲートが閉められた。山城さんから「防衛局職員の話では今日の搬入は終了だ。明日は成人式で機動隊が忙しく、搬入はないらしい」「私達はこれから名護署に行き、逮捕された○○くんを取り返しに行く。怪我人の病院にも寄ってくる。明日の朝は座り込み行動は休みにする。ただし、念のため数人が監視し24時間監視する。明日からも闘うぞ」と話があった。怒りと寒さと緊張の」疲れの中、宿に帰ったのは午前3:30だった。

(次号に続く)

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「日本を再び、世界の中心で輝く国としていく」(安倍首相)は、
「八紘一宇」の焼き直し

渡部秀清(千葉高退教)

(1)

 今年は、第二次世界大戦終結70周年、天皇制日本帝国主義敗北70周年にあたります。
 当時、日本帝国主義が掲げたスローガンの一つに「八紘一宇(はっこういちう)」というのがありました。これは、天皇制の大日本帝国が世界を一つにまとめて、一家のように和合させるという意味で、海外侵略を正当化するスローガンとして打ち出されたものでした。太平洋戦争前年の1940年、第二次近衛内閣の「基本国策要綱」には、<大東亜共栄圏の建設の精神>として次のように述べられています。
「皇国ノ国是ハ八紘一宇トスル嚢国(のうこく)(天皇が国譲りをする)ノ大精神ニ基キ、世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ、先ツ皇国ヲ核心トシ、日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スル」
 今年1月1日、安倍首相は「年頭所感」の結びで、「国民の皆様とともに、日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく」と述べました。
 ここで「再び」というのは、何時のことでしょうか。安倍首相はいつも「戦後レジームからの脱却」と言っているのですから、戦後でないことは明らかです。ということは、戦前の天皇制日本帝国主義の時代、とりわけ「八紘一宇」を掲げ侵略戦争に邁進した時代のことを、安倍首相は「世界の中心で輝く国」だったと述べているのです。
 安倍首相は、戦前の帝国主義的侵略戦争を美化しその再来を期待している、と言わざるを得ません。まさに「八紘一宇」の焼き直しです。

(2)

 しかし、敗戦後作られた「日本国憲法」前文には次のように述べられています。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 ここには、安倍首相の言う「世界の中心で輝く国」などというニュアンスは全くありません。むしろ「世界の人々と『対等関係』で平和な世界を作って行こう」というようなことが述べられています。
 しかし、安倍首相は「世界の中心で輝く国」などと言い始めました。 行き着く先は憲法「改正」ということなのでしょう。安倍首相は、歴史の(失敗の)教訓に全く学んでいません。

(3)

 かつて日本は、「八紘一宇」を掲げて太平洋戦争を起こし敗北しました。しかし、当時、日米間には、「鉄鋼1対24、石油産出力1対無限、石炭1対12、電力1対5、アルミ1対8、飛行機1対8、自動車1対50、船舶保有量1対2、工業労働力1対5といった格差があり、重工業においては1対20」というような調査結果もあったのです。それでも政府は、それらを無視し、観念的なイデオロギーや道徳を振りまき「八紘一宇」「鬼畜米英」などと叫び、国民を総動員して無謀な戦争に突入して行ったのです。
 ところでIMF(国際通貨基金)は、「2014年には中国がGDP(国内総生産)でアメリカを抜いて世界一になる」との見通しを、昨年10月にまとめました。それによると、2014年の購買力平価GDPは、(1)中国17兆6320億ドル、(2)米国17兆4162億ドル、(3)インド7兆2772億ドル、(4)日本4兆7880億ドル、(5)ドイツ3兆6213億ドル、の順となっていました。
 こうした流れは今後さらに強まると思われます。日本の経済力は年々相対的に低下しているのが現実です。安倍首相の「世界の中心で輝く日本」などというのは、 戦前の「八紘一宇」同様、身の程知らずというものです。
 またこうした背景のもとで、 安倍首相が進める「中国包囲網」は実質的に破綻し、11月には日中の「四項目合意」に至りました。また、今年1月5日の記者会見で安倍首相は、今夏までにまとめる戦後70年の首相談話で、過去の植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」を含め、 歴代内閣の方針を踏襲する考えを示しました。
 同日、米国務省・サキ報道官は、「村山談話や河野談話で表明されてきた謝罪が、日本の近隣諸国との関係改善の努力のなかで重要な区切りとなってきた。友好的な対話を通じて歴史問題を解決するよう促したい」と安倍政権に釘を刺しています。

(4)

 にもかかわらず、安倍政権は昨年7月には「集団的自衛権」の行使容認を閣議決定、12月には「特定秘密保護法」が施行されました。これらは本格的な戦時体制作りに他なりません。これと並行するかのように、教育の面では[1]「道徳」の教科化、[2]教科書への政府見解の強制と批判的な教科書採択への圧力、[3]教育委員会の行政への下請け機関化、[4]高校生の自衛隊での宿泊防災訓練の開始、などなど、戦前同様の国家主義・軍国主義的教育が進行しつつあります。
 ここでは[4]に関して少し補足しておきます。東京では一昨年から高校生への「防災訓練」に名を借りた自衛隊への「体験入隊」に対する反対運動が取り組まれています。そして、その反対運動を通して、去る11月25日、『高校生をリクルートする自衛隊・自衛隊の手法を取り入れる教育行政』 (編集委員会発行、800円+税、(株)同時代社、電話03-3261-3149、FAX03-3261-3237)というパンフレットが発行されました。 全体の目次は次の通りです。

  はじめに 
1.高校生に届く自衛隊からの手紙
2.「防災訓練」の名のもとに、教育現場に入り込む自衛隊
3.自衛隊駐屯地で行われた高校生の「防災訓練」
4.都立田無工業高校二回目の自衛隊との「宿泊防災訓練」
5.沸き上がる自衛隊の「宿泊防災訓練」への抗議・反対運動の取り組み
6.都立大島高校の「宿泊防災訓練」
7.東京都総合防災訓練とこれへの児童・生徒の参加
8.銃剣道による自衛隊への子どもたちの取り込みは許されない! 

 そして、「8」には、明治初年に陸軍で生まれた「銃剣術」は、戦後禁止されたが、その後「銃剣道」と名をかえ復活し、その連盟が立ち上げられ(1956年)、日本体育協会にも加盟(1973年)し、 国体の正式種目(1980年)となり、現在小中高校生とりわけ中高生の間に浸透させられている状況が述べられています。その上で、次のように結ばれています。
 「銃剣道にしろ、防災訓練にしろ、『軍事色』『戦争色』を隠した上での、子どもたち・高校生の取り込み(リクルート)策なのです。しかし、実際の自衛隊は、集団的自衛権容認や特定秘密保護法の施行によって、水面下で『軍事化』『戦時下』が進行しています。・・その矛盾をしっかり見すえつつ、反対運動をより一層強めていかなければなりません。」
 現政府は、「国益」と称して、 実際には世界中に進出している現代の財閥=独占資本の利益のために、 憲法をも変え、青少年に再び銃を持たせ戦場に送ろうとしています。
 しかし、それに反対する大衆的な運動も内外から起きています。それは昨年11月に行われた沖縄県知事選での翁長氏の大勝などに現れています。また日本を取り巻く状況も戦前とは異なります。それでも、安倍政権が戦前同様の政治を進めようとするなら、またもや現実と衝突し破綻するでしょう。逆に反対運動が盛り上がれば戦前回帰を阻止できます。
 いずれにしても日本は、歴史の歯車の逆転を許さず、「日の丸・君が代」の強制のない社会に再生することになるでしょう。
 なお、現在、東京と大阪の仲間たちを軸にしながら、千葉の仲間たちも参加し、「日の丸・君が代」問題などの「全国ネット」(準備会)が作られ、「日の丸・君が代」強制などに反対する「全国ネット」が作られつつあります。

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今年の目標、十一度(じゅういちたび)

2015年を、「安倍政権とサヨナラ」の年にしよう!

T.T.0529(千葉高教組市川支部「ひょうたん島研究会」)

 ちょうど1年前の14/01/13にも似たような文章を書いたが、「抵抗は継続することに意味がある」のだから、今年も飽きずに書くことにする。
 ぼくはもともと生活保守の人間なので、日常生活での変化は好まない。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。昨日飲んだビールを今日も飲み、明日もきっと飲むだろうと、固く信じている。
 「今年の目標」も「50冊・50デモ・50万馬(車)券」を変えず、11年目に突入する。目標に向かって邁進するためには、過去を総括する必要がある。昨年までの推移を確認すると──。(ここまでは、昨年書いたものとほとんど同じである。)

  05年 06年 07年 08年 09年 10年 11年 12年 13年 14年
44 30 15  5 14 20 10  5  2  1
デモ 30 41 33 31 23 27 43 53 32 54
万馬券 29 24 29 24 23 27 22 29 25

 表を見てもらえば分かるように、昨14年には、本を1冊しか読むことができなかった。
 その1冊とは、『加藤周一対話集[6]/憲法・古典・言葉』(08年2月発行、かもがわ出版)である。対話の相手は、一海知義・奥平康弘・都留重人等、いわゆる戦後知識人と呼ばれる人たちである。
 もうハード・カバーの本を読めなくなってから久しくなるが、またそろそろ、そういう本を読みたくなってきた。いつまでもパソコンでメールを読んでるだけじゃいけないような気がする。

 デモについては、ぼくの最高記録である12年の53回を、1回だけだが更新することができた。デモなどしなくてよい世界の方が望ましいとも思うが、安倍が首相をやってる限り、デモの回数は増えざるを得ないような気がする。

 万馬券(万車券含む)については、過去10年間、ほとんど変化が見られない。この21回から29回の間というのが、ぼくの性(しよう)に合ってるのだと思う。

 ・・・で、始まったばかりの今年15年である。目標の本筋は表題に書いたとおりの「50冊・50デモ・50万馬(車)券」でよいのだが、それだけでは、あまりにツマラナイ。
 この目標に「戦後70年で安倍打倒!」という「究極の善なる目標」を加え、今年もほどほどに頑張っていこうと思う。「歴史がどうなるかなど誰にも分からない」のだろうが、「歴史も自分で変えられる」と考えた方が面白いような気がする。
 さあ、みんなの力で、安倍強権政治とサヨナラをしましょう!

(15/01/14になったばかりの深夜)

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