![]() 「秘密保護法」廃止! 国会包囲 ヒューマンチェーン(1.24 国会前) |
安倍政権の危険な動きと人々の新たな闘い | 渡部秀清(千葉高退教) |
日教組第63次全国教研(滋賀) 「平和教育分科会」参加記 |
石井 泉(天羽高校分会) |
映画『小さいおうち』雑感 | T.T.0521(千葉高教組市川 支部「ひょうたん島研究会」) |
今年に入ってからも安倍政権はその危険な言動を加速させている。安倍首相はスイスのダボス会議(1月22〜25日)で「靖国参拝」を開き直り、現在の日中関係を第一次大戦前の英・独と比較し、戦争は不可避と言わんばかりであった。また、安倍首相のオトモダチのNHK会長や経営委員が次々と問題発言を繰り返している。極めつけは、長谷川三千子経営委員が昨年10月、1993年に朝日新聞本社で拳銃自殺した右翼活動家
への以下のような追悼文を書いていたことである。
「すめらみこと、いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。 |
長谷川氏はまるで「神がかり」の巫女(みこ)のようである。少なくとも正気ではない。
そして安倍首相は、2月11日、「建国記念の日」は「建国をしのび、国を愛する心を養う」という初めてのメッセージを出した。これは<皇国史観>に基づく考えである。また翌12日には、国会で「集団的自衛権の行使」に触れ、「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ」と
述べた。まるで独裁者である。さらに、武器輸出三原則の見直し・平和憲法改悪など、日本社会を一気に戦前に戻すような言動がこの間続いている。教育委員会も上意下達の戦前型制度に変えようとしている。中国や韓国との関係も対立を激化させるようなことばかりやっている。
そうした中で、この間、沖縄の名護市長選(1月19日)と東京都知事選(2月9日)が行われた。前者では普天間基地の辺野古移設に反対する現職の稲嶺氏が勝利した。これは安倍政権の戦争準備政策にたいする大きな打撃となった。後者では、マスコミなどは連日、自民・公明が押す舛添氏と、脱原発を掲げ小泉元首相が支援した細川氏の闘いのように報道した。しかし、フタを開けると共産・社民が支援した宇都宮氏が細川氏を上回る得票で次点となった。その宇都宮氏は最後の訴えで次のように述べている。
今回の選挙選は、1%の富裕層のための都政から、99%の都民のための都政を確立するための選挙です。都民の手に都政を取り返す選挙です。・・さらには、安倍政権の暴走にストップをかけるたたかい。戦争の道ではなく、平和憲法を守り、平和のもとで暮らす、そうした社会をつくるための選挙です。・・・今回の選挙は、新しい政治を始める歴史的な第一歩となる選挙です。市民の力で、そして市民と労働組合と政党が連帯した力で、新しい政治を始められるかどうか、それが問われています。このような取り組みは、過去の歴史を振り返ってみても、はじめてのことではないかと考えています。 |
またこの間、東京と大阪では相互に連帯して、卒業式を前に「日の丸・君が代」強制に反対する集会が持たれた。「10・23通達」から11年目となる東京では『2・2総決起集会』(主催:都教委包囲首都圏ネットワーク)が開かれ、主催者の予想を超える130人が集まり成功した。「口元チェック」の攻撃が起きている大阪では『2・11大阪大集会』(主催:「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク)が開かれ、約500名が集まり成功した。しかも、これらの集会の取り組みの過程では人的交流も持たれ、昨年11月『許すな!「日の丸・君が代」強制 止めよう!安倍政権の改憲・教育破壊 全国ネットワーク(仮称・準備会)』が結成され、『全国ネットワーク』の形成に向けての動きが進んでいる。この準備会が中心となり、4月20日(日)(13:00開場)、東京の日比谷図書文化館で『4・20全国集会』(講演者・高橋哲哉東大教授)が開かれることになった。
こうした動きの中、橋下大阪市長はついに行き詰まり、2月7日辞職届けを提出せざるを得なくなった。昨年12月19日の猪瀬都知事に次ぐ辞職である。しかも、大阪も東京も教育現場では管理職のなり手がなくて困っているようである。
たまたま読んでいた『淮南子』の「兵略訓」に、次のような言葉があった。
「事を挙ぐるに人の為にするをもってする者は、衆これを助け、
事を挙ぐるに自らの為にするをもってする者は、衆これを去る。
衆の助くる所は弱しといえども、必ず強く、
衆の去る所は、大なりといえども必ず亡ぶ。」
要するに、私たちの前途は困難ではあるが明るいということだろう。
1月24〜26日の3日間、滋賀県で日教組の第63次教育研究全国集会(通称:全国教研)が行われ、平和教育分科会(近江八幡市)を3日間傍聴した。私にとっては、2010年山形・2011年水戸・2012年富山・2013佐賀と続く5年連続の参加となる。私は4年前(山形)に、平和教育分科会で『「日の丸・君が代」問題の教育実践』レポートの発表を日教組本部に直前に拒否された。前年にもやはり東京の「日の丸・君が代」問題のレポートが拒否され、その理由は「教研は教育実践の討論の場であって運動論(不起立闘争など)は相応しくない」であった。私の場合の表向きの理由は、「報告集へのレポート掲載や発表を認めれば、新聞等の攻撃が予想される。そうなれば、当該校に右翼が来たり議会で本人が攻撃されるなどの事態が考えられる。分会や単組が守りきれるか厳しい事態となる。だから辞退して欲しい」であった。
平和教育分科会は、かつて「日の丸・君が代」問題についても活発に討論し、内外から注目され産経新聞から攻撃を受けた。ちなみに日教組は今回、数年ぶりにマスコミの分科会取材を認めた。すると、早速、産経新聞が1/26朝刊で平和教育分科会に対して「日教組身勝手な政治的授業 教科と関係ない『反原発』 憲法9条は自衛戦争放棄」と的外れで偏見に満ちた攻撃記事を掲載した。分科会参加者からも抗議すべきという意見が出た。
しかしながら、現在の日教組本部は、このような攻撃と対決せずやられっぱなしのままやり過ごそうとする。特に攻撃の標的になりそうな「日の丸・君が代」問題に関するレポートなどは自主規制のように内部排除を行い、闘う教職員を逆に厄介者扱いする。攻撃されそうな闘いは認めない・守らないでどう闘うのか? 教え子を戦場に送らなくて済むのか? と言いたい。日教組に組織をあげて守り支援して欲しいのである。
ただし、今年も平和教育分科会の発表者からは、平和教育に取り組む真剣な思い、日教組本部や全国の仲間への悲痛な呼びかけを聞くことができた。現場で闘う先生方の優れた報告ばかりである。討論では「日の丸・君が代」問題の発言も数多く登場した。
今年は28本のレポートだったが、昨年までの原発問題多数状況は一段落した。原爆、特攻隊、沖縄戦、原発問題、米軍基地問題、沖縄修学旅行、震災地の学習、憲法9条学習、朝鮮人強制連行、平和劇の取り組みなど多岐にわたる内容だった。
今回、私が印象に残ったレポートは、三重県の「親子で考えた沖縄平和学習」(命の大切さを親子で学び沖縄修学旅行当日に「家族からの手紙」)、鳥取県の「憲法9条学習」(9条解釈について自衛戦争放棄・自衛戦争容認・集団的自衛権容認を生徒が討論し子ども達の言葉から授業を作る)、福岡県の「6年間取り組んだ平和劇」(沖縄戦・特攻隊・原爆・地域の戦争・福島などをテーマとし、キーワードは感動)の3つである。そのほか、昨年9/18中国の反日暴動以後「平和教育が反日教育につながる」という言われ方が増えたとの指摘、中国の近年の「反日」の高まりは愛国教育が原因とするのは誤解で中国歴史教科書はずっと理性的記述で「なぜ普通の人が残虐なことをする兵士になったのか」「日本人民は一部の戦争指導者(軍国主義者)の犠牲者」という基本的立場を維持しているとの指摘もあった。また、「身近(今の)な平和」から「本当の平和」の学習にどうつなげるか、映画「永遠のゼロ」の加害を描かず美化している問題点、岩手での復興途上なのに「学力向上・研究授業」と言われ復興に専念できない状況、沖縄での年末の仲井真知事の辺野古受け入れにも関わらず名護市長選挙で地元は拒否の明確な意思表示をしたが今度は本土の人がどう行動するのかが問われているなどの指摘もあった。
次に「日の丸・君が代」に関連するものを中心に、発表要旨や発言などを紹介する。特に最後の総括討論の共同研究者3人の言葉に注目して欲しい。現在の日教組或いは平和分科会の基本姿勢を表している。確かに、分科会の実践報告や討論はスムーズに行われ活発である。しかし、実践報告の交流だけで平和教育が活発化するのか。現場の深刻さとかけ離れている気がする。「日の丸・君が代」強制反対など平和教育に取り組む教職員が処分攻撃を受け、組織として守り闘わなくてはならないはずなのに、日教組や単組は個々の教職員を全面的に支援してるとはいえない。組織として平和教育を守り抜く断固たる姿勢やそのための運動論を皆が期待しているのである。
1月25日の夜には、15回目となる恒例の自主教研「日の丸・君が代」問題交流集会も堅田教会(大津市)で開催された。この自主教研は、国旗国歌法成立の翌年から毎年開催地で行われ、各地の「日の丸・君が代」強制反対の運動の交流や冷淡な日教組本部(教研実行委)をどうしたら変えられるかを議論している。今年も北海道・宮城・東京・千葉・大阪・福岡・滋賀などから約30名が集まり、状況を報告しあった。今も東京や大阪を中心に全国各地で「日の丸・君が代」強制反対の闘いは続いている。本来、日教組全体で取り組み各地の運動を支援し学びあうべき問題である。北海道からの報告では、道議会での「実施率は上がったが本当に歌っているのか」という発言で各学校に指導主事が来校し1校1時間1クラスの「君が代」指導の授業見学が実施されているそうだ。東京では不起立による減給処分が未だにまかり通っている。いったい、日教組はこのような闘いや攻撃についてどういう姿勢・方針なのか? 参加した皆さんは、子ども達のため平和のためにと諦めず抵抗し続ける尊敬できる人々で、話を聞けて自分もまた頑張ろうと非常に勇気づけられた。来年もまた自主教研に参加したいと思う。
メール発信した『瓢箪通信2/10未明』に、次のように書いた。
昨日2/9、(高教組役員選挙の)選挙管理委員会から解放されたのが、14時くらい。酒を飲むには早すぎたので映画でも観ようと京成ローザ・ウェスト?に行くと、山田洋次の『小さいおうち』が14時10分からということであった。予告編の上映中であったが、入場。ドンピシャのタイミングであった。 |
山田洋次との付き合いは、古い。「男はつらいよ」──といっても、映画よりTVのイメージが強い。TV版の最終回で寅は、たしか奄美大島かどこかで、ハブに噛まれて死んだはずだが・・・。まあ、映画で復活して吉永小百合相手に「バター」か何か言ってるシーンは、なかなか平和でいいもんであった。
その山田洋次の最新作『小さいおうち』のことを、今回は書く──といっても、実際は『日刊ゲンダイ2/7号(2/6午後発売)』に載った原作者・中島京子へのインタビュー記事を横流しするだけだが・・・。
この記事のリードが、映画の内容を次のように紹介している。
山田洋次監督の「小さいおうち」(松竹)が評判だ。戦争がいかにして、ふつうの人々の生活に忍び込んでいくのかを描いたものだが、ゾッとするのは今の時代との類似点だ。ちょうど、幻に終わった昭和15年の東京五輪が決まった頃で、人々は五輪招致と好景気に浮かれていた。日中戦争が始まるが、誰も悲惨な結末を予想せず、三越の戦勝バーゲンなどに足を運び、「勝った」「勝った」と騒いでいたのだ。 「今の空気に似ていて本当に怖くなる」とは映画の原作者で直木賞作家の中島京子さん。安倍首相に映画と本を見せたいくらいだ。 |
正直なところ、安倍に山田洋次作品は似合わないと思う。彼に相応しい映画は、何といってもアノ百田尚樹センセイ原作の『永遠の0(ゼロ)』だと思う──閑話休題。
中島京子という小説家のことは、全然知らなかった。でも、この記事で紹介されている彼女の発言はなかなかいいものだと、ぼくは思った。関心のある人には原典に当たってもらうとして、ここでは、2つだけ紹介する。
教科書には満州事変があって、日中戦争、太平洋戦争が始まり、学徒出陣があって終戦みたいな歴史的事実だけが書いてありますよね。みんな反対したけど、戦争になった。ハチマキ巻いて竹やり持って戦ったと。でも、祖母からは当時も三越で買い物したとか聞かされていて、何か教科書に書かれているのとは随分、イメージが違うなと思って、調べ始めたんです。そうしたら、当時の人々も買い物に行くし、子供の受験で悩んだりして、結構、ほのぼのとしているんです。今の私たちとメンタリティが変わらなかった。そうしたら、非常に親近感を覚えましたね。
* 時間を追って、戦争の経緯を背景に人々の日常を調べていったら、怖くなりました。今もまた、いつの間にか、ハチマキを巻き、竹やり持ってしまうんじゃないか。そういう可能性があるわけです。この小説を書いたのは安倍政権の前です。当時は「もしかしたらちょっと怖いな」という感じでした。でも、一昨年、安倍政権が誕生し、あっという間に時代が進み、今は「もしかしたら」が外れた感じがしますね。本当に私、怖いです。 |
映画には、戦争を望まずに戦争に巻き込まれていく人々が登場する。もっとも、その人々の多くは、「南京陥落」を喜ぶ人々でもあるのだが・・・。
安倍がアジアの平和に敵対する政策を推し進め学校に手を突っ込んでくるこの時代に、せめて国家になど絡め取られない自立した思想を生徒たちとともに持ちたいな──みたいなことを映画を観ながら考えてしまった(T_T)であった。
(14/02/15未明)