![]() 「さようなら原発」(9.19 明治公園) |
ハシズム(前大阪府知事・橋下氏の独裁)との闘いと 大嶽業績評価裁判の勝訴確定 |
渡部秀清(松戸国際高校) |
12/3(土)9:30県教研「平和・人権・民族」分科会に参加を! 橋下暴政を許すな!大阪の闘いにエールを! |
石井 泉(市原高校分会) |
新たな世界恐慌の危機と世界民衆の動き | 荒川 渡 |
映画『五日市物語』雑感 | (T_T)0492(千葉高教組市川 支部「ひょうたん島研究会」) |
9月24日大阪にて、『「君が代」強制大阪府条例はいらん!全国集会』が開かれ、全国各地から762名が参加し大成功しました。警備担当者の報告によると、――集会会場に至る住道駅前には、<在特会>が計60名集まり、20本余の日の丸を持って、「(この集会に集まっている教師は)憲法違反だ。憲法を守れ」「今の若い者は、(韓流ドラマにうつつをぬかして)政治経済のことを語らん」などと言って、最後に全員向きを変えて(おそらく皇居遥拝)「天皇陛下万歳」をしたそうです。
しかし、集会は整然と行われました。集会では最初に<「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局長>の黒田伊彦さんが「基調報告」をしました。そこでは次のようなことが述べられました。
「教育基本条例は、服務の厳格化、組織のマネージメントの徹底のためというが、実は旧軍隊の『上官の命令は、朕(天皇)の命令と思え』という上の命令に絶対服従、抗命を認めないという上意下達の軍隊的官僚統制を敷こうとするものである。教育方針は知事が決め、それを実行しない教育委員をクビにし、校長に人事権、予算権、教科書採択権を与え、職務命令の絶対性を保障して、従わないものをあぶり出す『踏み絵』とし、人事評価を二年続けて5%枠のDにして分限免職にできるというもので、 教育の政治的中立性を侵すものである。また、『グローバル化した国際競争力に対応する競争力の高い人材を育てる』というが、人間を手段、資源とみなし、企業利益に奉仕する教育の強行でしかない。」
次に、東京大学教授の高橋哲哉さんが「『日の丸・君が代』強制条例と『教育基本条例』の思想」と題する講演をしました。高橋さんは「大阪の『教育基本条例』は、東京や北海道を上回る<教育破壊の極み>である。」とし、「条例案」の問題点を指摘しました。「これは、維新と言いながら王政復古の詔(みことのり)のようなものだ。知事を天皇とした天皇制だ。天皇制的システムの維持・確立だ。」、「子どもたちについては『人材』理念として[1]規範意識、[2]義務、[3]自己責任、[4]社会還元、[5]愛国心、[6]グローバル化に対応できる世界標準、が上げられている。[1]〜[5]は『王政復古』が求める人材だ。[6]は国際競争力に勝つための人材だ。これは改悪教育基本法の2大目標を実現しようとするものだ。」、「橋下は『教育とは2万%強制』と言っている。これでは学校での勉強は『強制収容所の強制労働』のようなものになる。」、「『民主主義とは独裁と強制である』などという奇怪な思想で大阪の教育を破壊させてはならない。」
その後、<弁護士からの発言>、<全国からの報告>、<野田正彰さんの講演>などがありましたが略します。
集会の様子は、翌日「読売」「毎日」「朝日」などの大阪版に写真入りで報道されました。『9・24全国集会』は、橋下府知事による「教育基本条例」「職員基本条例」に対し、反撃の大きな第一歩となりました。
その後(10月1日)、大阪府の教育委員6人のうち、府庁出身の教育長を除く5人は「教育基本条例案」に激しく反発、「条例案がこのまま可決されれば辞任する」という意向を固めていることが報道されました。
10月19日には、大阪府立高校PTA協議会役員12人(全員)連名による<府知事><維新の会><府議会議長>宛の教育基本条例に反対する「嘆願書」が出されました。
10月25日には、大阪の「教育基本条例にもの申す会」が、大阪市長選の立候補者に公開質問状を出しました。これに対し、橋下氏から回答が来ましたが、あたかも自分は「保護者や地域住民」の立場にたち、「外部からの意見等を尊重し」、「児童・生徒のためにより良い教育行政の仕組みをつくる」、「現場の校長や住民による主体的な学校運営を実現できる仕組みを構築する」のだといわんばかりの回答でした。これは、旗色が少し悪くなって来ているので、トーンダウンせざるを得なくなったことを示しています。しかし彼の独裁的な本性が変わったわけではありません。
11月10日、大阪府知事選が告示され、13日に告示された大阪市長選と合わせた「ダブル選挙」がスタートしました。10日の「朝日(夕)」の記事には、次のような部分がありました。「・・大阪市内で活動を始めると、橋下氏の自信は揺らぎ始めた。街中で中年女性は『独裁政治反対』と批判し、握手を拒んだ。大阪市西区の区民まつりでは、質問攻めにあった。『市をバラバラにするのか』『区民まつりもなくなるの』。会場を離れると、橋下氏はため息をついた。・・」、「橋下氏は10日、『宣戦布告』した。『自民、民主に共産までが手を組んだ。まるで大政翼賛会。この戦いに勝たねばならない』」
この記事から、橋下氏は自分の人気を過信し、思わぬ拒否反応に動揺している様子がうかがえます。また、「自民、民主に共産までが手を組んだ」のは、橋下氏の言うような「大政翼賛会」ではなく、独裁者・橋下氏に対する「反ファシズム統一戦線」ができたということではないでしょうか。
この間、大阪の闘う仲間たちは、毎日のように街頭宣伝、集会、抗議行動などを展開してきています。また、【堺からのアピール 教育基本条例を撤回せよ】が発せられ、11月15日には賛同者が目標を超えたようです。賛同される方は以下のブログをご覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/
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大阪の橋下前知事は、「業績評価でダメ教師は辞めさせる」などといっていますが、10月26日東京で、<大嶽業績評価裁判>の控訴審判決があり、地裁に続き高裁でも大嶽さんが勝訴しました。高橋弁護士は判決に対し次のように述べました。
一部、損害賠償については敗訴したが、トータルでは、≪地裁より一歩進んだ判決≫となっている。それは、[1]C以下の評価に関しては、評価者側にその根拠について立証責任があることが示されたこと、[2]管理職の教員に対する<指導>と<評価>を控訴人(校長・教委ら)は別々に主張しようとしたが、両者は関連しているとし、気づいていても何も指導をしなかったということは「(Cをつけるほどの)問題ではない」ということを示したこと、[3]職員実績記録はメモ程度のものであり、書いてあるものは軽微で、評価とは関係ない無視してもよいものであったことを認めたこと。[4]人事委員会での棄却判定(大嶽さんの提訴を棄却したこと)を取り消した例はめずらしい。[5]公正評価義務を正面から取り上げた高裁レベルでの初の事例となった。[6]管理職の安易な人事評価に対する強い警鐘となった。 |
今回の控訴審では、大嶽さんに対する人格的な誹謗・中傷とも思われる攻撃が激しく行われましたが、[1]大嶽さんの裁判にかける情熱、[2]高橋弁護士による冷静かつ周到な裁判への取組み、[3]職場・地域での教職員・児童・保護者からの信頼と支援、が大きな勝因となったのではないかと思います。
その後11月11日には、都教委側は上告を断念し、「大嶽業績裁判」の勝利が確定しました。以下に高橋弁護士の談話を紹介します。
まだ最高裁での戦いが続くものと思っていたので、驚くとともに大変に嬉しく思いました。おそらく事実認定の面で完膚無きまでに敗れたために、上告を断念せざるを得なかったのだと思います。6年以上もの長きにわたって、戦い続けてこられた大嶽先生に深い敬意を表します。大嶽先生のことを慕う多くの子ども達、保護者に対しても、本当に大切なことを教育者として身を以て示すことができたのではないかと思います。しかし、業績評価制度は今も厳然としてそこに存在しています。さらに、これを教育を支 配するための道具とすべく強化しようとする動きもあります。大嶽先生におかれては、この勝訴判決とともに、業績評価制度そのものの撤廃に向けて、その先頭に立って益々ご活躍されることを強く期待しています。私も微力ながら、引き続きご支援申し上げたいと思います。
2011年11月11日 弁護士 高橋拓也 |
千葉高教組県教研の「平和・人権・民族」分科会が、12月3日(土)9:30から千葉県教育会館202号室で行われます。今回のテーマは、「大阪の闘い」です。大阪高教組の井前弘幸先生をお呼びし、大阪の教育現場の状況や直前の大阪府知事・大阪市長ダブル選挙の結果を踏まえた闘いの様子を講演して頂きます。まさに11月27日(日)がダブル選挙の投開票日、全国的な話題のテーマです。
橋下徹氏は10月末に府知事を辞職し大阪市長選に立候補、府知事には自らが率いる「大阪維新の会」の松井一郎氏を立て、ダブル選挙に持ち込みました。任期途中の辞職や市長への鞍替え立候補、府知事への部下擁立は、橋下独裁体制を目指すものです。こんな行動は民主主義の破壊行為で許されるべきものではありません。
橋下氏の府知事時代に、大阪では「新勤評」と呼ばれる『教職員評価・育成システム』(2007年給与反映)が導入されました。大阪の先生方は、この制度がいかに教職員の協働体制を破壊し、やる気を削ぎ、子どもに目を向けなくするかを訴え、反対運動や裁判闘争を粘り強く続けてきました。
そして、「大阪維新の会」が今年4月の統一地方選で府議会で過半数を占めると、6月には全国初の教職員に起立斉唱を義務づける「君が代」起立条例を強行可決しました。選挙公約にも謳っていない「日の丸・君が代」問題を府議会で急浮上させ、「思想ではなく組織の問題」とすり替え、わずか2日間の審議で条例化です。多くの反対があっても、多数決で何でも決め従わせるという橋下氏の横暴な政治手法そのものです。
さらに、9月府議会には『教育基本条例案』と『職員基本条例案』を提出しました。前者は、知事が府立高校の教育目標を設定し、3年連続で定員割れの府立高校は統廃合する、相対評価で各学校の教職員の5%を最低のD評価とする等の内容です。後者は、人事評価で2年連続Dの教職員や同じ職務命令に3回違反した教職員は分限免職にできるという内容です。公権力の教育への介入であり、教職員を厳しく管理・競争させ、エリート教育を目指すという時代遅れの発想です。こんな素人考えの的外れな学校教育が実施されたら、学校は破滅し子ども達が犠牲となります。
橋下氏は、「教育基本条例案」と「大阪都構想」を争点に選挙を戦っています。石原都知事の東京よりもひどくなり兼ねない、無茶苦茶な政策を絶対に許してはなりません。井前先生から大阪の状況を聞き、教職員の闘いに学び、エールを送りたいと思います。なお、講演の前に、渡部秀清先生(松戸国際高校)からの報告『「日の丸・君が代」裁判の最高裁弁論について』があります。一人でも多くの参加を宜しくお願いします。
千葉高教組県教研「平和・人権・民族」分科会 『大阪の教育現場の状況〜橋下「教育改革」とダブル選挙〜』 【 講 師 】井前弘幸氏(大阪高教組) 【日時・場所】12月3日(土)9:30〜12:00 教育会館202号室 |
(1)
2008年9月15日のリーマンショック以来、3年2ヶ月余りが経過した。筆者はこの間、『ひのきみ通信』に以下のような文章を書いてきた。
[1]「世界金融危機と日本社会の動向」(145号、2008年10月18日)
[2]「世界同時不況と私たちの展望」(147号、2009年1月17日)
[3]「世界恐慌と保護主義の台頭」(148号、2009年2月28日)
[4]「歴史は繰り返す」(161号、2010年10月16日)
それらの中では主に次のようなことを述べてきた。(少し長くなりますが、この間の動きを振り返る意味で要約して紹介します。飛ばして呼んでくださっても結構です。)
[1]では、当時の金融危機について経済評論家たちはいろいろと論評しているが、その真の背景や原因については曖昧にしているとして、<アメリカにおける貧富の差の拡大>、<それが社会主義の動揺と崩壊後に起きてきたこと>、<その結果、貧富の格差は再び社会主義が生まれる第一次大戦前の水準に達しようとしていること>、<日本の貧富の差も同様に拡大してきていること>について紹介し、社会主義に規制されない資本主義では「貧富の差が拡大」する結果「相対的過剰生産」を作り出し、それが「金融恐慌」の大きな原因になっていると指摘した。そして、この行き詰まり解決の道として現体制側に残っているのは、体制をさらに強化し資源市場の争奪競争に勝ち抜くことであり、行き着く先は<ファシズム>と<戦争>である。だから、貧困もファシズムも戦争もない世界を作り出す仕事に、理論的にも実践的にも着手しなければならないだろうと述べた。
[2]では、その後の事態の深刻化について述べ、2008年4月に出版された湯浅誠氏の『反貧困――「すべり台社会からの脱出」』を紹介した。そこで湯浅氏は次のようなことを述べていた。「他の多くの国々において『貧困と戦争』はセットで考えられているテーマである」、「考えれば考えるほど、この『すべり台社会』には出口がない、と感じる。もはやどこかで微修正を施すだけではとうてい追いつかない。…問われているのは“国の形”である」、「一つ一つ行動し、仲間を集め、場所を作り、声を上げていこう。…それぞれのやっていることをもう一歩進め、広げることだけが、反貧困の次の展望を可能にし、社会を強くする。貧困と戦争に強い社会を作ろう。」
[3]では、事態のさらなる深刻化と、アメリカなどの支援策(景気対策法)、日本における「需給ギャップ」、G7の確認(「あらゆる政策的手段を用いること」)、「バイ・アメリカン(米国製品の購入)条項」などにみられる保護主義の台頭を述べた。そして、戦前のロンドン世界経済会議(1933年)での協調模索にもかかわらず、保護主義は止まらず、世界経済のブロック化と第二次世界大戦への突入(1939年)の歴史を紹介した。またアメリカ・オバマ政権のアフガニスタンへの増派の動きにも触れ、「行き着く先、市場争奪の侵略戦争か格差拡大社会を立て直す社会変革かということになろう。…私たちの歩む道は、内外の抑圧・差別・搾取されている人々との連帯であり、世界的な規模での格差社会変革の道であろう」と結論づけた。
[4]では、各国政府による「公的資金の注入」や「消費拡大策」により、人為的に需要を作り出してきたがそれは限界に来ており、貧富の差の拡大は解決できず、「世界的規模での失業者の増大が大きな問題になってきていることを述べた。そして、「これは、戦前の世界恐慌(1929年)後数年間に起きた世界的規模での失業者の増大と同じである。」と述べ、3年後(1932年)の失業者の具体的数値を紹介した。また、日銀の「ゼロ金利復活」(2010年10月)の意味を述べ、それは「『利潤』追求が至上命題の資本主義的経営が行き詰まっていることを示している」とした。さらに、戦前の「通貨切り下げ競争」と「ブロック経済」との反省から、戦後の「固定相場制」と「自由貿易体制」が生まれてきたことを紹介した。しかし、1971年、金=ドル交換停止により「固定相場制」は崩壊した。また1995年にはWTO(世界貿易機構)の結成により「世界的な自由貿易体制」が出来たかと思われたが、その後機能不全状態になっており、それに代わり国間・地域間でのFTA(自由貿易協定)による「新たなブロック経済」が作られつつあることを紹介した。また、戦前1932年に日本は「満州国」を建国(翌年国際連盟脱退)、1933年にはドイツ・ナチス政権が誕生し、右翼・ファシズム勢力が世界的に台頭するに至ったことを述べ、現在ではアメリカにおける「ティーパーティー」の台頭がみられることなども紹介した。
(2)
上記のうち、[4]を書いてから一年余りが経過した。この間事態はさらに深刻化してきた。最近では、ヨーロッパでは失業増大や財政赤字が表面化し、ギリシャやイタリアの首相が辞任する事態となった。共通通貨ユーロも危機に瀕している。また、アメリカにおいても経済再建がおぼつかず失業率が高止まり(9%)し、オバマ大統領(リーマンショックの約2ヶ月後の2008年11月に当選)の人気も急落、来年の大統領選挙では敗北するのではないかと言われている。日本では、今年3月「東日本大震災と福島第一原発事故」が起き、日本経済にさらなる打撃を与えている。結局この間、[1]で指摘した資本主義体制下での「貧富の格差」は解消されず、「相対的過剰生産(物があるのに多くの人が貧乏なので買えない)恐慌」がまた表面化してきつつあるのである。
では、その「格差」の実態を見てみよう。
<アメリカ>では、この間「1%が99%を搾取している」をスローガンに、ニューヨークなどでデモや座り込みが行われている。また、次のような実態も報道されている(「朝日」2011年11月6日)。
○1979年から2007年にかけて、所得上位1%の税引き後の収入は275%も伸びたのに対して、下位20%は18%にとどまった。(米議会予算局)。
○1980年当時、米国を代表する大企業の最高経営責任者(CEO)の年収が平均的な労働者の42倍だったのが、2010年は343倍に拡大。(労働組合系シンクタンク)
○金融機関大手25社の報酬総額はリーマン・ショックから2年後の2010年、前年比で5.7%増え、過去最高の1350億ドル(約10兆5千億円)を記録。米金融界を代表するゴールドマン・サックスのCEOは、1320万ドル(約10億3千万円)を手にした。(米ウォールストリート・ジャーナル紙)
○全米トップ400人の長者番付に、1982年では7500万ドル(約58億5千万円)でリスト入りできたが、2011年では10億ドル(約780億円)が必要。(米誌フォーブス)
アメリカでの貧富の格差はこの間このように拡大しているのである。
<日本>では、厚生労働省が発表している『国民生活基礎調査』の中の(貧困率の年次推移)を見ると、「相対的貧困率」(貧困線(等価可処分所得の中央値の半分。2009年は112万円)に満たない世帯員の割合)は、――1985年(12.0%)、1991年(13.5%)、2000年(15.3%)、2006年(15.7%)、2009年(16.0%)と上がっていることが分かる。
また、「国税庁」の『民間給与実態統計調査』には、次のようなことが書いてある。「平成21年(2009年)12月31日現在の給与所得者数は、5,388万人(対前年比1.6%減、86万人の減少)…民間の事業所が支払った給与の総額は192兆4,742円(同4.4%減、8兆8435億円の減少)」。要するに、給与所得者数は減り、さらに給与所得者数1.6%減に対し給与総額は4.4%減とより減っているということである。すでに2006年の時点で年収200万円以下の人は1,023万人と騒がれたが、事態はさら深刻化していることが想像される。
さらに、11月9日に公表された「生活保護」の7月の受給者数は約205万人で、これは敗戦の混乱を引きずる1951年度を超え、過去最高になったという。
<世界>の失業者も増え続けている。去る9月26日に「OECD(経済協力開発機構)」と「ILO(国際労働機関)」は共同声明を出した。それによると、世界の失業者数は約2億人で、「大恐慌時代のピーク時に近づいている」と言っている。また失業率を2008年の金融危機前の水準まで回復させるには、G20内で2千万人の雇用創出が必要と指摘、「雇用の伸びが現在の低水準のままだと、2012年末には失業者数がさらに4千万人増える恐れがある」と警告した。
「資本に国境はない」と言われるが、現在では「多国籍企業」(国際資本)が、世界中の働く人々を搾取・収奪し、各国の中小企業をなぎ倒し、貧富の格差を拡大している。しかし、そのために世界市場は狭隘化し、新たな「相対的過剰生産恐慌」(世界恐慌)を引き起こす可能性が大きくなっているのである。
(3)
こうした状況下で起きて来るのが、[4]「歴史は繰り返す」のところで述べたように、「通貨切り下げ競争」「経済のブロック化」、そして「ファシズムの進行」「戦争準備」などである。
「通貨切り下げ競争」では、最近の「円高ドル安」はまさにそれである。アメリカのオバマ大統領は自国からの輸出を増やすことを宣言し、ドル安を容認している。また、中国の元に対してもこの間一貫して「元切上げ」(=ドル安)を要求してきている。「ユーロ」はこの間のヨーロッパでの金融不安から安くなっているが、金融が破綻しない限りユーロ圏の国々の輸出産業にとっては有利なのである。韓国のウォン安も韓国の輸出産業を潤している。
「経済のブロック化」では、とくにこの間のTPP(環太平洋経済連携協定)交渉が上げられる。これを主導しているのがアメリカである。11月12日からハワイで開かれたAPEC(アジア・太平洋経済協力会議)で現地を訪れたアメリカのクリントン国務長官は10日、「21世紀には、戦略の面でも経済の面でもアジア太平洋地域に重点が移るのは明らかだ」と述べ、イラクやアフガニスタンからの軍の撤退を機に、アメリカ外交の重点をアジア太平洋地域に移す考えを強調した。そして、「21世紀型の貿易共同体」を築いて行くべきだと主張した。しかしこれは「世界的な自由貿易」ではなく、アメリカ主導の露骨な「アジア太平洋地域経済のブロック化」である。しかも、GDP第二位になった中国に対抗して作ろうとしている。日本の野田政権はアメリカに追随し、国内の反対を振り切ってTPP参加の道を歩もうとしている。これに対し、中国やロシアは独自の経済圏を築くかもしれない。ヨーロッパ、中東、アフリカの諸国はどう動くだろうか。いずれにせよ、WTO(世界貿易機関)が掲げる「世界的な自由貿易体制」は絵にかいたモチになりつつある。だからどこの国も「国益」を前面に持ち出してきているのである。
「ファシズムの進行」については、まだ、戦前ほど大きくなっていないが、アメリカにおけるティーパーティー、ヨーロッパにおける右翼政党の台頭、日本における橋下前大阪知事などの登場などとなって現れている。橋下氏は公然と「今の日本の政治に必要なのは独裁」と言い放ち、府知事・市長のダブル選挙(11月27日)で市長選に立候補し、「大阪のかたち、日本の政治の枠組みを変えるような重大な選挙だ。大阪府庁と市役所を一つにまとめて、新しい大阪都を作り、世界と勝負をする」と述べている。彼の大阪都構想は、結局、日本の政治全体を独裁政治(ファシズム)に変えて行くことを目標にしている。また、「世界と勝負をする」というのは、世界の市場争奪競争に勝ち抜くということであり、独占資本の願望を代弁している。(ファシズムはイタリアでもドイツでも日本でも独占資本・財界の代弁者であった。)
「戦争準備」については、米軍の再編強化、日米韓の合同演習の強化、沖縄普天間基地の移設と強化、中国軍やロシア軍の近代化と演習の増加、などとなってあらわれ、水面下でも着々と準備が進められていると考えられる。戦前、世界恐慌が起きてから第二次大戦が勃発するまではわずか10年だった。現在、リーマンショックが起きてから3年2ヶ月余り。今後、世界の情勢はどのように急転して行くかはわからない。しかし、戦争に向かって行く可能性は無視できない。
(4)
では、私たちに展望はないのだろうか。否である。「貧富の格差」が大きくなった世界では、それに反対する闘い・運動が様々な形で起きている。
一つは、「アラブの春」と呼ばれる新しい民衆の動きである。今年に入りアフリカ北部の長期独裁政権は次々に崩壊した。1月14日には、高い失業率抗議から発展したデモは23年間独裁を続けたベン・アリ政権を打倒した(アフリカ初の民衆革命、「ジャスミン革命」)。2月11日には、「ジャスミン革命」に触発された反政府デモが30年に及ぶムバラク独裁政権を打倒した。10月20日には、42年間独裁を続けたリビアのカダフィ政権も崩壊した。さらに、現在、イエメン、シリアなどで長期独裁政権に反対する大衆的な反政府運動が起きている。
二つには、「ウォール街を占拠せよ」と立ち上がったアメリカを始めとする先進国の若者たちによる「反失業」「反貧困」「反格差」の抗議行動である。9月17日には、1000人ほどの集団がニューヨークのウォール街を埋め尽くした。警察の弾圧にもかかわらずその後も運動は全米に飛び火しながら続けられている。10月15日には、「国際行動デー」が取り組まれ、先進国の若者が立ち上がり、日本でも「東京を占拠せよ」をスローガンにデモが行われた。
三つには、福島原発事故を契機に立ち上がり始めた「反原発・脱原発」の大きな大衆運動である。9月19日明治公園で行われた「脱原発全国集会」には主催者の予想(5万人)を上回る6万人が参加した。この運動は引き続き継続中である。外国では、イタリアで6月12・13日に行われた国民投票により、94.05%の高率で「脱原発」が決定された。ドイツでも、大衆運動の高まりで、7月8日「脱原発法」が成立、2022年までに全ての原発を停止することになった。この運動ではとくに女性が大きな役割を果たしている。
こうした世界民衆のダイナミックな闘い・運動は、今後、格差拡大や貧困、ファシズムや戦争に対抗する新たな力となって行くだろう。その際にはおそらく、資本家同様国境を持たない無産階級(労働者階級)が指導部隊かつ主力部隊になるだろう。世界中で「国歌」や「君が代」ではなく「インターナショナル」が歌われる日が、また来るのかもしれない。
11月13日(日)昼前、銀座シネパトスで、キャッチコピーに「心温まるヒューマンストーリー」とある映画『五日市物語』を観た。数日前に同じ映画館(別のスクリーンでだが)で観たのが「生誕70年/川谷拓三映画祭」の2本立て『狂った野獣』『ピラニア軍団/ダボシャツの天』だから、何て番組編成なんだと、観た自分は棚に上げて思ってしまった(T_T)であった。
『五日市物語』は、五日市町と秋川市の「平成の大合併の先駆的合併」により誕生したあきる野市の15周年を記念して作られた映画らしい。ぼくは元々地域独立派だし、「あきる野市」みたいなセンスのない名前は嫌いなのだが、宣伝チラシに写っている風景がキレイなので、観ることにした。
主人公も学生時代にキャンプに行ったらしい秋川渓谷には、ぼくも学生時代に、たぶん同じくキャンプで行ったような気がする。
物語の舞台である旧五日市町は、もちろん五日市憲法が作られた町で、ぼくももうかなり昔になるが、千葉高教組市川支部の仲間と、憲法所縁(ゆかり)の場所を巡った経験がある。余談だがその時案内してくれた東京都の高校教員Tさんは、「君が代」裁判を闘っている仲間の一人である。
先ほど、「チラシに写っている風景がキレイなので、観ることにした」と書いたが、実は、そのチラシのどこにも、「憲法」のことは書かれていない。ストーリー自体も主人公はTV番組のための情報収集を仕事とする女性(遠藤久美子、俳優名です。以下同)で、どう考えても、恋愛映画としか思えない。
ところがどうしてどうして、これがなかなかの「憲法映画」だったんだよね。
遠藤久美子が取材で訪れた旅館の女将が、草村礼子。お父さんも、お祖父さんも、伐った木を川に流す筏乗り。そのお祖父さんが15歳の頃は、明治初期。ちょうど、千葉卓三郎が五日市学芸講談会で憲法草案を作ろうとしていた頃−といま偉そうにパソコンのウィキペディアを見ながら書いているが、このことも映画を観て知った。
その学芸講談会に、お祖父さんも誘われ、千葉卓三郎から人権の大切さを教えられる。このお祖父さん、最後まで筏乗りだったのだが、孫である草村礼子(じゃなくて子役だけど)に、自分の未来は自分で切り開くことができる−みたいなことを、話していた。
・・・ということで、最初はそんなに期待していなかったんだけど、けっこう当たりの映画だと思った。後半のストーリー展開は多少無理筋だとも思うが(これから観る人のために、具体的には書かない)、おとぎ話だと思えば、ぼくには許容範囲内である。「チラシ」には「全国順次公開」とあるので、近くで上映されたら、観て損はないと思う。
(11/11/13夜)
都合により、「お知らせ」欄は休ませていただきます。ご了承ください。 |