![]() 都教委包囲・首都圏ネット 7.24集会 (2011.7.24 東京・文京区) |
最高裁判決その後と反撃について | 渡部秀清 (松戸国際高校分会) |
勲章3題 | (T_T)0491(千葉高教組市川支部 「ひょうたん島研究会」) |
(1)
5月30日から7月19日まで、最高裁で11件の「日の丸・君が代」関連判決が相次いで出され、全て上告棄却(一部却下)でした。さらに、7月25日には東京地裁(青野裁判長)で、東京「君が代」裁判(二次、原告66名)に対し、最高裁判決を背景にそれを全面的に展開した「大反動判決」(155ページにわたる)が出されました。以下に判決のうち「第4 争点に対する判断」(56〜154頁)の項目を紹介します。
判決ではまず、「判断の前提となる事実関係」について――1989年の「学習指導要領」<国旗国歌条項>により「国旗掲揚・国歌斉唱」が義務付けられ、それ以来都教委は一貫して現場に指導してきたことを強調しています。そして、この「学習指導要領」は、1976年の「旭川学テ最高裁大法廷判決」により「法的拘束性」がある、と行政側の解釈を前面に出しています。しかし、1989年当時、「日の丸・君が代」はまだ「国旗」とも「国歌」とも法制化されていませんでした。にもかかわらず、文部省によって、「学習指導要領」に勝手に「国旗・国歌」として記述されたのです。これこそ「学習指導要領」の法律違反というものです。しかし、そのことには全く目をつぶり、1999年の「国旗国歌法」が出来ても東京では「適正」な実施率が低かったとして、2003年に「10・23通達」を出さざるを得なかった、それに違反したのだから「処分」、「再発防止研修」は不可避のものであった。――と全面的に都教委の言い分を採用しているのです。
次に、(ア)から(コ)までの<争点>についても全面的に都教委の主張を取り入れ、最高裁判決をさらに補強する形で、ことごとく原告の主張を退けています。そして、以下のようなことまで述べるに至っています。
「本件不起立等は、児童・生徒にとって学校生活に有意義な変化や折り目をつけるために重要な学校行事である卒業式等の場において、公教育を担う教育公務員が、公教育の根幹である学習指導要領に基づき教育課程を適正に実施するために発せられた重要な職務命令に違反するという重大な非違行為であること。」
つまり、「不起立など絶対あってはならないものだ」と、裁判所自ら声高に宣言しているのです。しかも、今回の案件は2006年の「教育基本法改悪」以前の案件だから、それ以後の案件に対する判決はよって知るべし、というのでしょう。
これによって青野裁判長は、原告らの主張を全面的に「粉砕」したと思われたので、最高裁にも政府にも覚えめでたくなったのか、8月1日付で法務省大臣官房訟務総括審議官に転勤(栄転?)しました。
しかし結局、一番肝心な問題、<「君が代」は天皇制賛美の歌、天皇主権の歌>であり、その歌を将来の主権者たる児童・生徒に義務付けることは何を意味しているのかという問題、つまり<現在日本社会における主権者は誰か>という問題については、最高裁も東京地裁も<争点>としては取り上げず(Nさん裁判の東京高裁は一応取り上げたものの判断を回避)、何も語ってはいないのです。
(2)
東京地裁判決の前日(7月24日)、『最高裁判決糾弾・大阪府条例撤回7・24集会』(主催:都教委包囲・首都圏ネット)が160人の参加で開かれました。7月21日の再発防止研修でもそうでしたが、公安警察の数が多かったように思います。最高裁判決後の反対運動の動きが気になるのでしょう。集会内容は、以下の通りでした。
[1]東京における入学式での不起立処分・Tさん
[2]板橋高校事件最高裁判決・藤田さん
[3]「君が代」不起立最高裁判決原告(5人)
[4]「君が代」最高裁判決批判・退職教員で原告のKさん
[5]横浜の教科書問題・横校労のMさん
[6]大阪府「君が代」条例反対と撤廃の闘い・大阪「日・君」ホットラインのIさん
[7]福島原発事故現地からの特別アピール・福島県教組郡山支部のSさん
[8]集会のまとめ・集会決議・行動提起
その中で、[2]の藤田さんは、「最高裁では被告人席がなく被告人は傍聴席<いの1番>に座らされる。死刑などは、被告人さえ最高裁に呼び出されず、判決が下される。検察・公安は何でもでっち上げる。最高裁は、原発設置許可無効の訴えをことごとく葬り去って、今回のような悲劇を招いた。最高裁裁判官は全員辞職すべきだ。」と述べました。
[3]の原告5人の方々は共通して、・最高裁判決のいい加減さに対する怒り、 ・これからも闘っていく決意、を述べましたが、その中でSさんは次のようなことを述べました。「裁判所は一方的に裁く権利を持っていると思っているかもしれませんが、裁く側もまた裁かれていることに気づくべきだと思います。」
7月14日(フランス革命記念日)に判決だったAさんは、「最高裁は『バスティーユ牢獄』のように見えた」と述べました。
[4]の『最高裁判決批判』は、Kさんが「こんな紙切れをもらうために7年間闘ってきたのではない」と切り出しながら、冷静かつ力強く、以下のように展開してくれました。
<最高裁判決の特徴>として、
<「主文」批判>として、
<最高裁判決の意味するもの>として、
[6]の大阪府「君が代」条例反対と撤廃の闘いではIさんが、まず6月3日の条例制定経過と中味、最近の橋下知事のメールやツイッターによる発言、のいくつかを紹介してくれました。その発言の中から幾つかを紹介します。
ついでIさんは、この間の大阪での反対の取組みを紹介し、最後に、今後9月府議会に向け、『署名運動』『9・24全国集会』(於:大阪)に力を入れていくことを述べました。
[7]の「福島原発事故現地からの特別アピール」では、福島県教組郡山支部のSさんが、3・11当時の状況から現在にいたるまでの状況を生々しく語ってくれました。その中で、組合の機関誌『どんとこい』(日刊)を出しつづけ、組合員だけでなく一般市民にも正確な情報を伝えてきたことは、新しい組合運動のあり方ではないかと思いました。(そこには毎回、自分たちで測定した支部内各地の放射線量も書かれていました)
また、現在、人々の間にさまざまな葛藤が生まれている実態なども話してくれました。例えばどこでも「大丈夫⇔心配」「残る⇔去る」などで人々の間に亀裂が生じるのです。原発事故が、如何に地域・学校・家庭などを破壊していくのか、と思いました。
集会は最後に、「まとめ」・「決議」・「行動提起」・「シュプレヒコール」で終了しました。なお、集会には、<石川>、<愛知>、<三重>、<大阪>、<兵庫>、<福岡>、からの参加者もいました。
『7・24集会』は最高裁判決と大阪府条例強行採決後の「反撃」の第一弾になったと思います。
(3)
反撃の第二弾は、8月12〜13日の東京での『日の丸・君が代裁判全国学習・交流集会』です。
8月12日、全国学習交流会の前段行動として、[1]<最高裁要請>と[2]<文部科学省交渉>が、並行して行われました。[1]には17人が参加(私は不参加)。この間の最高裁判決について、・19条以外についてはまともに判決を出していない、・個々別々の裁判を十把一絡げにして判決を出している、・現在まだかかっている4件はなぜ全て第一小法廷になっているのか、などを追及したとのことでした。また、最高裁では「一団体月1回」は要請を受け入れるので、様々な団体が今後も要請しよう、との提起もありました。当面、以下の行動が計画されています。
・9月8日(木) 「予防訴訟」第2回要請行動
12:30〜 最高裁南門集合、宣伝行動
13:30〜 要請行動
・9月20日(火) 「君が代」裁判第一次訴訟第1回要請行動
14:40 最高裁東門集合
15:00〜 要請行動
[2]には約40名が参加(私も参加)。文部科学省からは7人が参加。ここでは、
・「日の丸・君が代」強制 ・国際人権規約、子どもの権利条約など国際法との関係 ・教科書問題 ・大阪府条例
などが問題になりました。
「日の丸・君が代」強制については、「学習指導要領は法規としての性質を有している」と述べ、「最高裁判決を重く受けてとめている」、「司法の判断を尊重する」ということを繰り返していました。
国際法については、「一義的には外務省が判断するもの」と逃げていました。
教科書問題で自由社などが盗用したことについては、検定で見抜けなかったことは認めていましたが、盗用がわかったからといって何をするわけでもない、(普通ならば検定取り消しだろう)という無責任な回答でした。
大阪府条例については、「各地方公共団体がやっていることだから」と、全く傍観者的な態度でした。
これらの回答に対し、参加者からは多くの質問や抗議が出され、交渉時間は60分の予定が80分になりました。
いずれにしても、この前段行動は大きな意味があったと思います。それは何よりも、約60名の参加者がみんな元気で、これからも元気に運動していく気概に満ちていたことです。
夜の交流会では、ジョニーHさんから『ダッ!ダッ!脱原発』の替え歌『ダッ!ダッ!脱君が代』が披露され、参加者一同おおいに盛り上がりました。
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8月13日、東京社会文化会館にて、『「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会』が開かれ、全国から120人が結集しました。
集会の目的は、<最高裁判決>や<大阪府「君が代」条例>などで、単に教育現場だけではなく日本社会全体のさらなる右傾化が危惧される中、裁判闘争をはじめ全国で闘っている教職員・市民たちが、お互い学習・交流し合い、今後どうやって闘いの戦線を築いていくか、を明らかにしようというものでした。
集会は、午前中全国各地から以下の報告と質疑がありました。
<全国から>
[1]北海道(北教組)、[2]宮城(小学校教員)、[3]新潟(被処分者の会)、[4]三重(三教組組合員)、[5]大阪(ホットライン)、[6]大阪(教育合同)、[7]大阪(門真三中君が代裁判、[8]兵庫(阪神連絡会)、[9]香川(日教組香川組合員)、[10]福岡(北九州ココロ裁判)
<関東から>
[1]東京の全体状況、[2]東京の個別報告(・予防訴訟 ・被処分者 ・河原井根津裁判)、[3]神奈川(予防訴訟と個人情報)、[4]藤田裁判
報告はそれぞれ短時間でしたが、レジュメも用意されており、この間の全国的な情勢をかなり共有できたと思います。また質疑も活発に行われました。特に、<最高裁判決>と<大阪府条例>をめぐる動きは、決して単に教育現場だけの問題ではなく、社会全体にも大きな影響を及ぼすものとしてとらえられました。
午後からは、討論で、
(1)「日の丸・君が代」を中心とする裁判闘争の分析と課題
(2)大阪・橋下の攻撃の分析と課題
(3)今後の全国的な闘いの課題
の三つの柱にわたる討論が展開されました。
(1)では、最高裁判決などに出てきた「儀礼」論や「間接的制約」論、「外形的行為」論などの、教育や思想・良心以前の理屈でない理屈の検討と、<判決に表れた権力の意思>と闘うために、裁判闘争だけではなくいかに大きな運動をつくっていくか、などが論議されました。また、東京高裁の裁量権逸脱・濫用(処分取り消し)判決をいかに最高裁で守っていくかという意見も出されました。
(2)では、大阪府条例の危険性が、橋下のその後のツイッターなどとともに紹介され、9月の府議会定例会に『教育基本条例案』を出そうとしていることも報告されました。この条例案には、次のようなことも述べてあります。
そして、大阪から参加したある教員は、「私たちは政治を理解しなければならない。そして私たちは、社会通念・時代・社会を変えることが求められている」と述べました。
また、全体として大阪で9月に行われる『「君が代」強制大阪府条例はいらん!9・24全国集会』を成功させ、条例化を阻止しようということが確認されました。
(3)では、最初に、この春の入学式で唯一処分されたTさん(A特別支援学校)が、それに至るまでの経過を具体的に語ってくれました。その中には、以前校長が自分の不起立を現認しようとしないので、わざわざ都教委に「自分を処分してくれ」と連絡したが、それでも処分されなかったこともあった、ということです。いくら都教委が処分行政をやろうとも、かえってこのような教員が生まれてきているのです。
(3)の討論では、以下のような意見がだされました。
最後に司会から、[1]来年もやろう [2]全国的なネットワークを作りだそう [3]若い世代に伝えよう [4]『9・24全国集会』を成功させよう、ということが提起され、二日間にわたった学習交流集会は終了しました。
(4)
以上、東京地裁の「大反動判決」と反撃の第一弾『7・24集会』、第二弾『8・12〜13「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会』について長々と紹介してきました。
ここからいえることは、[1]「日の丸・君が代」をめぐる情勢は段階を画して厳しくなっている、[2]しかし人々はそれに屈せずあくまで抵抗し反撃する動きを示している、ということです
そして、現在大きな焦点となっているのが、9月大阪府議会に出される『大阪府教育基本条例案』です。これは政治による露骨な教育支配であり、権力に都合の悪い教職員は3回の処分歴でやめさせることができるというものです。これに対し、諸教組の動きは鈍いのですが、現在、大阪の教職員・市民・知識人・労組などが自主的に抗議行動に立ちあがりつつあり、きたる9月24日には以下の全国集会を計画するまでになりました。この集会は、反撃の大きな第三弾になると思います。また、教育基本法改悪後の新たな運動構築の第一歩になると思います。皆さんの参加・ご協力をお願いします。
『「君が代」を起立して歌え?!立たないとくび?! 「君が代」強制大阪府条例はいらん!9・24全国集会』 <日 時> 9月24日(土) 13:00〜16:00 <場 所> サーティホール (大阪府・大東市立総合文化センター大ホール) <参加券> 1000円(集会へのカンパも含みます) <主 催> 「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪 全国集会実行委員会 |
8月11日(木)夕方、新宿・紀伊国屋ホールで、女優・二宮さよ子のひとり芝居『杉村春子物語/忘れ得ぬひと』を観た。
二宮さよ子という女優さんのことは、この芝居のチケットを買うまで、名前すら知らなかった。
杉村春子については、さすがに名前くらいは知っていたが、二宮がひとり芝居で取り上げている有名らしい芝居『女の一生』『鹿鳴館』『欲望という名の電車』『ふるあめりかに袖はぬらさじ』だって、観たこともない。
その杉村の年表を見ていたら、1906年に生まれ(ぼくの父親と同年だ)、27年に築地小劇場に憧れ上京(その筋の人だと思う)と書いてあって、95年文化勲章を辞退−と書いてある。上にも書いたように、ぼく、杉村のこと、よく知らないから、この「文化勲章辞退」の理由は分からない。
75年には文化功労者になっているらしいので、それから95年までの間に何かあったのか? よく分からんが「勲章を断る人間は信用できる」と思いこんでいるので、二宮が演じる杉村を尊敬の目で見ていた。
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この夏、けっこう映画を観て過ごした。この7月に亡くなった原田芳雄が主演・出演した映画も、3本、観た。1本は、当然彼の遺作となった『大鹿村騒動記』で、残りの2本は原田を観に行ったわけではなく、銀座シネパトスで行なわれた特集『梶芽衣子スタイル/その魅力にはまる』で梶を観に行ったわけだが、その中の『新宿アウトロー/ぶっ飛ばせ』と『修羅雪姫/怨み恋歌』に出演していた。
『新宿アウトロー』が70年、『怨み恋歌』が74年の作品で、監督は両方とも藤田敏八。原田の役は両方とも当然アウトローである。
その原田について、8月10日(水)の『日刊スポーツ』に、「政府は(8月)9日、原田さんに旭日小授賞を贈ることを決めた」と書いてあった。「アウトローに勲章なんて似合わないよなあ」と考えながら同じ記事の別の所を観たら、「03年に紫綬褒章を授章」と書いてあった。
もう、もらってたんですね。他人事(ひとごと)なので野暮なことは言いたくないけど、原田さんを好きだったので(彼の歌う『リンゴ追分』なんて絶品です)、少し残念な思いをしている。
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8月7日(日)、元フラワー・トラベリン・バンドのジョー山中が死んだ。彼について、12日(金)の『日刊スポーツ』が次のように書いている。
山中さんはボランティア活動にも励み、過去にカンボジア、中国など22の国と地域を駆け回った。東日本大震災直後も、体調が思わしくなかったが内田(裕也)とともに都内で義援活動を行った。内田は後日、自身が発起人となってしのぶ会を開催することを明かした。「世界でボランティア活動したこんなすばらしい人に勲章をあげてもいい。政府の勲章はいらない。自分がボブ・マーレー賞を(山中さんに)あげる」。最後は「ジョー山中さん、君のことは忘れない、ロックンロール」と(内田はコメントを)締めくくった。 |
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たまたま部屋に散乱してる「紙の山」を整理していたら、昨10年5月16日の『朝日』「声」欄の投書「人の序列つくる叙勲に反対」(筆者:宮川全)を見つけた。その最後は以下のとおり。
人は生まれながらに平等である。国が人の序列をつくるがごとき行為は許されない。我々の血税で賄われている費用をそのような目的に投じるなら、その前に難病に苦しんでいる人たちの救済や福祉に役立ててほしい。そう思うのは、叙勲に無縁な者のひがみだろうか。こんな叙勲であるなら、即刻、廃止すべきだ。 |
ぼくはこの意見に、まったく同感である。今なら、「金があるなら被災地に回せ」となるのだろう。
勲章などいらない。尊敬すべき人が死んだら、それぞれの心の中で、内田裕也のように、勝手に「**賞」(ぼくなら「(T_T)賞」か?)をあげればいいと思う。
【追記】
8月21日(日)午後、千葉市民会館で行なわれた「核兵器廃絶をめざす千葉県平和事業実行委員会」主催の「いま、力をひとつに/ピース・フェスティバル」に参加した。このフェスティバルの最後を飾った「政治風刺コント」の中で、松元ヒロが次のように語った(要旨)。
もう故人だが元日弁連会長・土屋公献さんが存命中、叙勲の話があった。土屋さんはその話を断ったのだが、その時、ご夫人に次のように言ったらしい。 「勲章などもらえば、国に言いたいことが言えなくなる。」 |
ぼくも、「言いたいことが言えなくなる」のはイヤだから、叙勲の話が来たら、断ることにしようっと!
(11/08/23早朝)
都合により、「お知らせ」欄は休ませていただきます。ご了承ください。 |