![]() 「どうなる?どうする?千葉の教育」 (6月13日 船橋市勤労市民センター) |
歴史の歯車を逆転させてはならない 鳩山首相の辞任と菅内閣の成立について |
荒川 渡 |
コンサート「ほうせんかの夕べ」雑感 | T.T.0475(千葉高教組東葛支部 「ひょうたん島研究会」) |
演劇『哀しみの南京』船橋公演 是非観に来て下さい!! 7/15(木)船橋市勤労市民センター(ホール)18:00開演 |
石井 泉(市原高校分会) |
私は前号(5月15日発行)に『人民大衆こそ歴史を動かす原動力である〜普天間基地移設問題について〜』という文章を書いた。その中で私は次のように述べた。「鳩山首相は何度も、『5月末までに決着する』と繰り返していたが、ここに至ってはもはや無理であろう。無名無数の沖縄や徳之島の人民大衆の力が鳩山首相を追い込んだのである。」
その後鳩山首相は、普天間基地移設は「最低でも県外」という自ら掲げた公約を公然と投げ捨て、アメリカ政府と一体となって、「日米共同声明」(5月28日)を発表した。この声明には、普天間基地の移設先として辺野古崎周辺と、訓練の沖縄県外への移転先候補地として徳之島が明記された。オバマ米大統領は称賛し沖縄や徳之島の人々は怒りに震えた。鳩山はアメリカ政府の圧力に屈し、沖縄や徳之島の「民意」を踏みにじったのである。これに対し、社民党は認められないとして政権を離脱した。
6月2日鳩山首相は、普天間基地移設問題と政治資金をめぐる問題で支持率下落が止まらず、参議院選挙が戦えないという民主党内からの突き上げもあり、首相を辞任した。
6月8日菅内閣が誕生した。彼は自らの内閣を「奇兵隊内閣」などと称し、あたかも人民大衆を代表したかのような内閣に見せかけた。それで自民党の安倍・麻生などの元首相経験者や谷垣総裁からは、「左翼政権」などと言われた。しかし、その後の彼の言動は人民大衆の期待をことごとく裏切ることばかりである。
普天間基地移設問題は「日米共同声明」を遵守すると述べ、さっそくオバマから喜ばれている。その一方、6月23日の「沖縄全戦没者追悼式」に参加した際には、沖縄の基地負担に対して「謝罪と感謝」の言葉を述べながら、「日米共同声明」に沿ってことを進めていくことを改めて明らかにしている。しかし彼は、野党時代は普天間の国外移設論者で、次のようなことを言っていた。「海兵隊は即座に米国内に戻ってもらっていい。民主党が政権を取れば、しっかりと米国に提示する」(民主党幹事長として那覇市を訪れた2001年)。
また、消費税増税と法人税減税である。これはこれまで財界が要求していたことであり、余りにも人民大衆の要求からかけ離れたことである。しかも「10%に」というに至っては、自民党と同じである。今でさえ厳しい生活を強いられている人民大衆からさらに税金を取る一方、財界には減税しようというのである。だから財界からは歓迎されている。奇兵隊の隊中諭示には「庶民のものは草一本たりとも奪ってはならない」というのもあったようであるが、菅首相のやっていることは、全くそれに反することである。
さらに、「日の丸・君が代」に関する言動も怪しくなってきている。彼は1999年の「国旗・国歌法」の際、反対投票を投じた。しかし、6月14日の衆議院本会議で自民党・菅原一秀議員(東京第9区選出)から質問されると、「国旗には敬意を表している、国歌も斉唱している」と答えている。これでは自民党と同じであり、「日の丸・君が代」の果たして来た歴史や「日の丸・君が代」強制のねらい、またそれにより苦しんでいる人々がいることには、彼は思いを致さないことを示している。幕末で例えれば、彼は決して討幕派などではなく古い幕府の旗印を守る佐幕派と言ってもいいだろう。
要するに菅内閣は、親米・親財界の内閣であり、自民党と本質的に同じ路線の内閣であり、決して人民大衆を代表した「奇兵隊内閣」などではない。だから、いつの間にか「奇兵隊内閣」という言葉も影を潜めてきた。自民党も「左翼政権」などと言わなくなった。
こうした菅内閣の成立により、現在、人民大衆にとっては大変厳しい状況が生まれつつある。昨年の「政権交代」とその後の「普天間基地移設問題」などに見られた人々の運動の成果が、いまや菅政権によって一気に押しつぶされようとしている。
しかし、かつての自公政権が復活することは無いだろう。また、果たして菅首相の思うように事態が進行するかどうかもわからない。その証拠に、今回の参院選挙では、民主党は沖縄で候補を立てることができなかったし、沖縄の自民党も、辺野古移設を盛り込んだ党本部の方針とは逆に、ローカルマニフェストに「県外・国外への移設を強く求める」と明記している。また、徳之島の「民意」も変わっていない。果たして日米両政府の合意が具体化できるかどうかはわからない。
突然出てきた消費税増税に対する人々の反発も出てくるだろう。
「日の丸・君が代」強制に対しても粘り強い闘いが続けられている。この夏(8月)には、東京で全国の原告団学習・交流会がもたれることになっている。東京の「10・23通達」7周年になる10月23日には、16団体共催で「全国集会」(東京にて)が開かれる予定である。
さらに世界を見ると、世界同時不況の下で貧富の差がさらに拡大しつつあるということがある。最近日産自動車のカルロス・ゴーン社長の高額報酬(約8億9千万円)が話題になったが、彼は「同じ売り上げ規模のグローバル企業では、最高経営責任者(CEO)の平均報酬は11億8千万円です」と述べ、自分は少ない方だと言っている。ちなみに日産は要職の4割以上が外国人だという。しかも今回の報酬の基となった2009年3月期は営業赤字(!)だったのである。大規模なリストラで経営を再建すれば赤字でも高額な報酬が得られる(!?)。また、日本経団連の米倉会長は、1億円以上の役員報酬の個別開示を義務付けた内閣府令について、「1億円よりもっと高い水準であるべきだ」と述べ、開示基準見直しの必要を主張した。これでは、持てるものと持たざるものとの格差は開く一方である。そうなれば市場の狭隘化は解決しない。だから、不況は長引く。長引けばまた賃下げ・リストラがおきてくる。これは悪循環(無間地獄)である。しかし、人々は何時までも無間地獄の苦しみに甘んじてはいないだろう。
人民大衆は、歴史の歯車の逆転を押し止めるために、また歴史を前進させるために、団結して立ち上がるだろう。
6月26日(土)の午後から夜にかけて曳舟文化センターで開催された「関東大震災韓国・朝鮮人殉難者追悼碑建立記念チャリティコンサート/ほうせんかの夕べ」に参加した。
司会が登場する前に、李政美(い・じよんみ)が、『セノヤ』という歌を、アカペラで歌う。朝鮮語だったので内容は分からなかったが、関東大震災で虐殺された朝鮮人たちへの追悼の歌に聞こえた。
今年の3月に高校を卒業したばかりという青年が司会として登場し、若々しい雰囲気でコンサートは始まった。
最初に歌ったのは、「1960(いちきゆうろくまる)」というデュオ(60年生まれだそうです)。元々は5人組で、「オヤジバンドコンテスト」で優勝したとか。「草野球」の歌とか、生活に密着した歌を歌っていた。
次は、「おにく・うどんえ」。「遠藤久仁雄」をひっくり返したとか。40年近く前?に、『忘れな草をあなたに』をレコーディングしたのに、菅原洋一や倍賞千恵子の歌は売れたのに、自分のは売れなかったと、MCで喋っていた。静岡の中学で教頭をやっていたとかで、「狂頭(くるつたあたま)、恐頭(こわいあたま)、狭頭(せまいあたま)を持った教頭」みたいな歌を歌っていた。けっこう真実を突いているかもしれない。
次は、「杉ちゃん&鉄平」。杉ちゃんがピアノで、鉄平がバイオリン。ヨハン・シュトラウス等が作曲した『美しき青きドナウ川のさざなみ火曜サスペンス劇場バージョン』というような冗談音楽が、けっこう楽しかった。初めて観たけど、かなりの優れものかも。
休憩を挟み、後半の冒頭は、「悼」と刻んだ「追悼碑」が昨年9月に墨田区で完成するまでを写したスライドの上映。この碑を作る中心となったのが、今回のコンサートのタイトルにもなった「グループ・ほうせんか」。最近、『朝日』でも紹介されたようだが、その記事は、まだ見つけていない。
李政美が登場し、『京成線』を歌い始める。バックは、ピアノが竹田裕美子で、バイオリンが向島ゆり子。向島が黒い忍者みたいな服で演奏していて、カッコ良かったです。
竹田はコンサートのプログラムで「2000年に再結成された”五つの赤い風船”のメンバー」と紹介されていたので、5月25日(火)に新宿・全労済ホールで行なわれた『風船コンサート』で、ぼくは彼女を観ていたのかもしれない。
最後に小室等が出てきて(一瞬、小室等(とう)と読んでしまいました)、テレビ『木枯らし紋次郎』のテーマソング『誰かが風の中で』から歌い始めた。圧巻はやはり谷川俊太郎作詞、我が(T_T)族が誇る武満徹作曲の『死んだ男の残したものは』。その4番は−
死んだ兵士の残したものは/こわれた銃とゆがんだ地球/他には何も残せなかった/平和ひとつ残せなかった |
軍は平和を作らないものなのですね〜。
小室の出番が終わり、出演者が全員揃って歌ったのが、『出発(たびだち)の歌』。小室のリードで、「さ〜今、銀河の向こうへ、飛んでいけ〜」と、会場のみんなで歌った。
余談だが、この数カ月で、西岡たかしのリードで「遠い世界に〜」と歌い、山本潤子のリードで「今〜私の〜願いごとが〜」と歌い、財津和夫のリードで「あ〜だから今夜だけは〜」と歌い、60年代から70年代を満喫している自分に気が付いた。
コンサートの最後の最後、韓国・朝鮮人の若者たちが、太鼓(チャンゴですか?)や鉦を打ち鳴らし、踊りながらステージに向かう。すると、会場にいた一人のおばあちゃんが、一緒に踊りながらついていく。ステージに行くまでは杖をついて歩いていたのに、ステージでは杖を置き、扇子を振りながら踊っている。なかなか感動的なシーンであった。
充実したコンサートに満足し、曳舟で酒を飲んで帰ったのであった。
(10/06/27早朝)
演劇『地獄のDECEMBER 哀しみの南京』が7月15日(木)18:00より、船橋市勤労市民センターで公演されます。この演劇は、第2次世界大戦の最大規模の虐殺・悲劇の一つ、つまり「アウシュビッツ」(ドイツのユダヤ人虐殺)と並び世界的に有名な「南京大虐殺」(1937年日本軍)を正面から扱うものです。劇団「IMAGINE21」の渡邉義治・横井量子両氏による朗読劇を中心に、お二人の家族の戦争加害を告白し、南京で女性や子どもを守り日本軍と闘った女性アメリカ人宣教師ミニー・ボートリンさんの日記や、生存者や従軍記者らの証言を紹介していきます。06年から今年2月までに南京・ニューヨークなど国内外で、現在70ステージ(64ヶ所)を数えています。県内では昨年2月市川、8月四街道・千葉に続く4度目の公演です。
「南京大虐殺」については、犠牲者の数が不確定であることを理由に大量虐殺そのものを否定し隠す攻撃が絶えず行われてきました。しかし、少なくとも数万人以上の民間人大量虐殺や、「従軍慰安婦」制度の契機となった2万人以上といわれる日本兵によるレイプ事件は明白な史実として通説となり裁判所等も認めるところです。中国の方々が決して忘れられない73年前の悲劇を、加害者である日本人は戦後どのように反省し総括したのでしょうか。私たちはどれだけ理解しようと努め、子ども達にどんなメッセージを伝えてきたのでしょうか。侵略戦争の加害責任を明確にとらずに、日中友好・日朝友好などできるはずもありません。「アンネの日記」や「シンドラーのリスト」は知っていても、「南京大虐殺」を知らない日本人がどれだけいることか・・・。私自身を含めて強く反省しなければなりません。今回の公演のチラシには次のように訴えました。
1000万人の中国人の命を奪った日本軍の戦争犯罪 それに加担した父の加害を告白する アウシュビッツの哀しみのように 広島、長崎の哀しみのように パレスチナ、アフガン、イラクの哀しみのように この大虐殺を忘れない |
公演の準備を進める中で、船橋市教育委員会が公演の後援申請に対し、「当該公演が様々な認識の存在する題材を扱っているので、教育委員会が公演の趣旨に賛同しその開催を援助するものにはあたらないため」との理由で不承認とする出来事もありました。
「南京大虐殺」について学び、戦争責任について考える非常に良い機会です。あなたも知るチャンスです。高校生にも是非見せたい演劇です。船橋公演を成功させるためにも一人でも多くの来場をお待ちしています。
【チケット】 前売り 大人3800円 大学生1000円 中高校生500円
【問い合わせ】 「哀しみの南京」上演実行委員会
事務局:石井 泉(市原高校分会)рO90・6183・6535
都合により、「お知らせ」欄は休ませていただきます。ご了承ください。 |