ひのきみ通信 第147号

2009年1月17日



千葉高教組県教研で講演する
鎌倉孝夫さん(08.12 千葉)

目次

世界同時不況と私たちの展望 荒川 渡
高教組県教研「平和・人権・民族の教育」分科会(第2部) 近 正美:生浜高校分会
今年の目標、ごたび T.T.0442(千葉高教組東葛
 支部「ひょうたん島研究会」)
来し方 行く末
 -「日の丸・君が代」強制強化にどう立ち向かうか-(1)
被処分者(東京都) 近藤順一
お知らせ

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世界同時不況と私たちの展望

荒川 渡

(1)

 「ひのきみ通信」第145号(2008年10月18日)に投稿した「世界金融危機と日本社会の動向」の最後のところで、私は次のように書いた。(少し長くなるがご容赦願いたい)

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 「世界恐慌」の危機を前に、世界と日本の政治は打つ手がないような状態になりつつある。まさに「行き詰まり」である。日本では総選挙が行われようとしているが、多くの人々が考えているように「自民党でも民主党でも余り期待できない」。ただ、自公政権が倒れることは、多くの人々が政治や社会変革に関心を抱く大きな転機になるだろう。また、手放しの『資本主義』に対し、大きなブレーキをかけることになるだろう。しかし、資本の論理は無慈悲に貫く。だから、国内外における貧富の差の拡大に典型的に見られる階級矛盾は激化せざるを得ない。
 この「行き詰まり」を解決する道として現体制に残っているのは、体制をさらに強化し資源・市場争奪競争に勝ち抜くことである。行き着くところ<ファシズム>と<戦争>である。だから、再び日本の教育では「道徳」や「規範意識」が重視され、教員管理が強化され、「愛国心」が盛られるようになってきた。他国も同様である。
 しかし、私たちは再び戦前のような道を許してはならない。
 戦前、私たちの先輩たちの中には貧困とファシズムと戦争に反対し闘った人々がいた。ただ、彼らの運動は弾圧され、戦争を止める大きな力にまで発展することができなかった。現在も似たような状況が進みつつある。しかしその中で、多くの働く仲間たちが貧困とファシズムと戦争を食い止めるために声を上げつつある。また、世界中でも同じように声を上げつつある仲間たちがいる。したがって私たちは、戦前の反省も踏まえて国内外のそうした人々と連帯し、「行き詰まり」を打破し、貧困もファシズムも戦争もない世界を作り出す仕事に、理論的にも実践的にも着手しなければならないだろう。

…………………………………………………………………………………………………………

(2)

 その後、事態はさらに深刻化した。「金融危機」はそれまで信用で覆い隠されていた「貧富の差の拡大による市場の狭隘化」を表面化させ、そこから必然的に資本主義下での「相対的過剰生産」による「世界同時不況」に突入してきた。「相対的過剰生産」は「減産」「操業停止」「倒産」を引き起こし、「相対的過剰労働力」を作り出し、リストラ、首切りの嵐が吹き荒れ、世界的規模で「大量失業」を生み出しつつある。それは、アメリカのビッグ3と言われる自動車会社(GM、フォード、クライスラー)が倒産の危機に直面し、「大リストラ」を条件に政府に救済を依頼していることを見ても明らかである。また日本においても、年末から「派遣」や「期間工」の首切りが激しくなり、今後3月末の決算期に向けてさらに倒産や失業が増加すると考えられている。こうした動きを受けて世界的な株安は引き続き進行中である。まさに「世界同時不況」≒「世界恐慌」の到来である。

(3)

 こうした中で、年末からイスラエルはパレスティナ自治区の「ガザ地区」(そこはすでにこれまでもイスラエルにより封鎖されており、収容所化されていた)への大規模な侵攻を開始した。「ハマスによるロケット砲攻撃を止めさせるため」と言う。しかし実際には、周囲を完全に封鎖し、海には戦艦を浮かべ、空には無人偵察機・ジェット戦闘機・攻撃型ヘリコプターを飛ばし、陸では戦車と地上軍を突入させ、民間人や子どもまでも標的にした無差別攻撃をしている。その結果「ガザ地区」では、多くの死傷者(1月12日現在、約900人近くの死者と約4000人近くの負傷者)が出ており、さらに電気・ガス・水道が止まっている。援助の食料も入ってこず、150万人(うち難民が100万人とも言われる)もの命がまさに飢餓・病気・死の危機に晒されている。これはイスラエルによる「大量虐殺」以外の何物でもない。そしてそこで使われている兵器の多くはアメリカ製である。これまでも不況や恐慌は「相対的過剰生産」を解消するために戦争を引き起してきた。今回のイスラエルの「ガザ侵攻」も明らかにその一環である。

(4)

 ところで、「貧富の差の拡大による市場の狭隘化」(相対的過剰生産)は経済恐慌を引き起こす大きな原因である。物が相対的に有り余るために、「大量失業」が発生し人々は貧しくなる。その結果市場はさらに狭隘化していく。まさに矛盾であり、悪循環である。その悪循環を断ち切るために、最後は大規模な戦争(過剰な生産設備や労働力を破壊し新たな市場を作り出す)に突入するようになる。これは第一次大戦、第二次大戦で人類が経験したことであり、現在進行している事態でもある。私たちはこの事態の進行を食い止めなければならない。
 前述した論文の最後に、「貧困もファシズムも戦争もない世界を作り出す仕事に、理論的にも実践的にも着手しなければならないだろう。」と私は書いた。では、その展望はあるのか。それは難しい。しかし、「貧富の差の拡大」が大きな原因になっていることを考えれば、それを取り除く運動がどうしても必要になる。また、「貧富の差の拡大」をもたらす根本原因をも取り除くことが必要になってくる。そうしてこそはじめて、戦争への道をも食い止めることができる。それは確かに難しい課題である。しかし最近、日本社会の中でも「ワーキング・プア」とか「ネットカフェ難民」という問題が大きくクローズアップされ、それらを解決しなければならないという意識と運動が急速に生まれつつある。

(5)

 2008年4月に出版された湯浅誠氏の『反貧困――「すべり台社会からの脱出」』(岩波新書)は、これらのことを考える上で大きな参考になる。その「まえがき」には次のような記述がある。
 「日本社会を『聖域なき構造改革』が席巻し、その影の部分で貧困問題が深刻化するにつれ、それに対して声を上げる人たちも増えてきた。労働分野、社会保険分野、公的扶助の分野で、さまざまな人たちが貧困に抗する『反貧困』の活動を展開し始めている。」(以下の引用も同書より)
 この本は<第I部 貧困問題の現場から>と<第II部 『反貧困』の現場から>からなっており、第II部にある「第五章 つながり始めた『反貧困』」には、その具体的な経過と活動、さらには以下のような教訓が紹介されている。
 「たとえば労働組合には、ともすればすでに組合で一緒に闘っている人、またこれから組合に入って一緒に闘おうという人だけが仲間だ、といった意識がある。組合員増加、組織拡大だけに着目すれば、それは合理的な選択に見える。しかし『反貧困』は、それでは闘えない、と私は感じている。」
 「個別対応の充実と社会的問題提起、その双方の歯車が噛み合うことは、ある課題について社会的な動きをもたらすための極めて基本的な条件である。しかし残念なことに、一般的には両者が相互に軽視し合う傾向が散見される。個別対応に力を入れる側から見れば、社会的問題提起は現場を『お留守』にした人気取りのように見えてくるし、後者からすれば、前者は原因や構造に目を向けずに個別対応に埋没している自滅路線と見えてくるからだ。しかし、まさに両者がそうした危険性を内包しているがゆえに、お互いの弱点を補い合う連携が必要だ。」
 これらは、今後私たちが運動を進めていく上での、貴重な教訓であり指摘ではないだろうか。
 そして、「終章 強い社会をめざして」には次のようなことが述べられている。
「他の多くの国々において『貧困と戦争』はセットで考えられているテーマである。日本も遅ればせながら、憲法九条(戦争放棄)と二五条(生存権保障)をセットで考えるべき時期に来ている。衣食足るという人間としての基本的な体力・免疫力がすべての人に備わった社会は、戦争に対する免疫力も強い社会である。」
 これも、極めて重要な指摘である。
 その上で、湯浅氏は「あとがき」のところで次のように述べている。
「考えれば考えるほど、この『すべり台社会』には出口がない、と感じる。もはやどこかで微修正を施すだけではとうてい追いつかない。正規労働者も非正規労働者も、自営業者も失業者も、働ける人も働けない人も、闘っている人もそうでない人も、それぞれが大きな転換を迫られていると感じる。問われているのは“国の形”である。」
「一つ一つ行動し、仲間を集め、場所を作り、声を上げていこう。あっと驚くウルトラの近道はない。それぞれのやっていることをもう一歩進め、広げることだけが、反貧困の次の展望を可能にし、社会を強くする。貧困と戦争に強い社会を作ろう。」
 まだ、“国の形”がどのようなものか、また“貧困と戦争に強い社会”とはどのようなものか、という大きな問題は残るものの、私はここに私たちのこれからの一つの展望が示唆されていると思う。

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高教組県教研「平和・人権・民族の教育」分科会(第2部)

近 正美:生浜高校分会

 2008年12月13日の午前中、千葉県教育会館の2階の会議室に、想定されるメンバーが三々五々集合して、問題別教研「平和・人権・民族の教育」分科会が開かれました。拡大「日の丸・君が代」対策委員会という雰囲気ですが、昼間に時間をとって、問題の焦点を明確にして議論することができました。
 この日のメインはDVD「あきらめない―続・君が代不起立 2007年〜2008年 抵抗する教員たち」の視聴でした。

 「君が代不起立 2003年〜2006年 抵抗する教員たちのドラマ」は、根津さんがメインですが河原井さんや藤田さんなど、「君が代」不起立への思いが丁寧に描かれていました。
 「あきらめない―続・君が代不起立」では、2008年度末の根津さんの首切りへの都教委と根津さんへの闘いが大きな柱として描かれています。丁寧に根津さんの動きを追ったカメラに思わず見るほうも引き込まれてしまいます。
 集まったメンバーの何人かは、画面に登場していますし、支援に足を運んでいます。また、都庁や集会には行けなくても、明日はわが身のメンバーにとっては身近に感じる映像が続きます。
 その中で印象に残った場面は、日教組の教研集会の会場で、日教組副委員長の高橋さんを追い詰める根津さんの姿です。日教組全国教研は根津さんの教研レポートを内容に問題ありと拒否しました。「君が代」処分は、まさに教育内容にかかわる大きな課題であり、東京の突出した処分による教育内容への介入の報告が「全国教研のレポートとして相応しくない」などと強弁して、レポートさせなかったのです。その責任者の一人である日教組副委員長に詰め寄る迫力に圧倒されます。
 もう一つの場面は3月末に都教委がついに根津さんのクビをとることができず、6ヶ月の停職処分を言い渡した場面です。「勝った!勝ったのよ〜!!」という根津さんの笑顔を忘れることができません。
 「あきらめない」を観るのがはじめてという参加者もいれば、何回か観たという参加者もいます。DVDを観終わったあと、それぞれに感想を出してもらいました。「東京の異常さがよく描かれている」「根津さんを柱とした展開がわかりやすかった」「根津さんが首にならなかった結末に、気持ちが明るくなった」「停職6ヶ月で喜べるわけではないが、免職を押しとどめた根津さんと支援者の力はスゴイ」など正直な感想が出されました。また、今後の見通して「今年度末(2008年度末・2009年3月)への闘いは厳しいかもしれない、昨年のような闘いに集中できるだろうか」「東京都は、この問題ではクビにできないのではないか」「苦しいのは、どちらも同じで、どちらが押し切るかのせめぎあいだろう」などという意見が出されました。「日の丸・君が代」対策委員会としては、全力で根津さん、河原井さんの免職阻止のため支援を集中したいと考えています。

 さて、その後の短い時間でしたが、2009年2月の全国教研平和分科会に出されるレポート「映画とドキュメンタリーで学ぶ戦争の歴史」の授業実践報告が行なわれました。第五福竜丸展示館への遠足や沖縄修学への旅行を踏まえて、総合的学習の時間に「平和」をテーマとして設定し、年間を通じて行なわれた授業の報告です。
 まず「本当の戦争」を知り考えるために映画やドキュメンタリを視聴し、プリントに整理するという作業から授業は展開していきます。そして、さらに自分自身がそれらを、自分の頭で租借しながらどう理解し、どのように考え、平和構築に向けて何が必要かも真剣に考えさせていく授業構成は迫力があります。そして、卒業式答辞での「今までの高校生活で一番印象に残っているのは戦争と平和についての授業です」という言葉になっていくのでした。そして、その答辞を聞いた保護者が「拍手が起きた卒業式の答辞」とした投書が新聞にも掲載されたのでした。教員冥利につきる生徒の言葉と保護者の評価だと思います。このような実践の積み重ねの大切さを改めて考えさせられました。

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今年の目標、ごたび

T.T.0442(千葉高教組東葛支部「ひょうたん島研究会」)

 年始めの原稿は楽である。毎年、「今年の目標」を書くのだが、目標を変えるつもりがない。今年5年目も、「50冊・50デモ・50万馬(車)券」でいく。
 まず、過去の確認をする。これも昨年の原稿に書き加えるだけだから楽である。

  04年 05年 06年 07年 08年
不明 44 30 15  5
デモ 47 30 41 33 31
万馬券 21 29 24 21 29

 表を見て驚かれると思うが、去年08年は、本をまったくと言っていいほど読めなかった。「字=書かれたもの」は、ウンザリするほど読んだ。自宅に戻ると、送られてきた山ほどのメールを読み、『朝日』の夕刊を読むのが習慣であった。
 「読むこと」にウンザリしただけでなく、ウンザリするほど書きもした。読んだメールや夕刊を参考に、あるいは心に浮かぶ「よしなしごと」(でよかったっけ)も含め、たくさん書きなぐって、メールを飛ばし、職場新聞『ぶらんこ』をでっち上げ、『東葛支部情報』と『ひのきみ通信』への原稿も書き続けた。
 昨年のわずか5冊の読書体験に話を戻す。本当に少ないので、以下にすべて記す。日付は、読了日−といっても、読み始めた途端に読み終わったものが多いのだが……。

  1. 1月7日、『鎌田慧痛憤の現場を歩くII/絶望社会』。まあ、一昨年に読み始めたものを、年の始めに読み終わっただけだけど……。
  2. 5月22日、比嘉慂(すすむ)『カジムヌガタイ/風が語る沖縄戦』。『朝日夕刊』の「マンガ紹介」欄に載っていたので、学校の図書館で購入してもらい、それを読んだ。修学旅行の準備なので、ぼくにとっては仕事である。だから、学校で読んだ。マンガなので、1時間で読んでしまった。
  3. 7月30日、比嘉慂「美童(みやらび)物語」(講談社モーニングKC)。2.と同じ。読んだ日が違うのは、図書館に届いた日が違うから。これも1時間。
  4. 同日、石内都「ひろしま」(集英社)。これも『朝日』に紹介されていた写真集で、戦争つながりなので、図書館で購入してもらった。写真集なので文は「あとがき」?しかなく、読み終える(見終えるか?)のに、10分かからなかった。ちなみに、この写真集と同じ展覧会を、8月に「ヒロシマ大行動」に行った時、広島で観た。
  5. そして、飛びに飛んで11月3日、『世界臨時増刊/沖縄戦と「集団自決」』。一昨年07年の「沖縄県民集会」の写真が表紙の、一昨年末に出た『世界』を、丸一年かけて読み切ったことになる。

 「これだけ!」が、去年のぼくの読書生活のすべてであった。情けない限りである。「今年は目標の50冊にできるだけ近づけるぞ!」と、年頭にあたり心に誓う(T_T)であった。

 本の話だけで紙幅が尽きた。後は流す。
 デモは31回。横須賀に何回も通ったのが、去年の特徴である。
 万馬券(万車券含む)は29回、過去5年で、05年と並び最多であった。普段の行ないの良さが証明されたのだと思う。

 「派遣切り」と「ガザ攻撃」で暮れて明けた年末年始を越え、新たな闘いが始まる。以下、去年の文を使い回す。

 最後に、数値目標は前述の通りだが、我が「ひょうたん島研究会」のもっと大きな今年の目標を書いて、この文を終える。
 「今年こそ民衆の手に社会を取り戻そう!」

(09/01/12未明)

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来し方 行く末

〜「日の丸・君が代」強制強化にどう立ち向かうか〜(1)

2008.12 被処分者(東京都) 近藤順一

はじめに
 東京都の学校における管理・統制は確実に強化されている。
「主任教諭は、教育課題解決に向けた学校全体の取組に、より一層主体的・積極的な役割を果たしていきます。」(東京都教育庁人事部 平成20年11月)
「初任者から管理職まで、職層や経験に応じて身に付けるべき力(特に学校組織の一員としての役割と意識)を校内で計画的に育成していきます。」(同上)
「任用候補者資格の抹消 (3)心身の故障その他により、主任教諭としての適格性を欠くことが明らかとなった場合」(平成20年11月19日 東京都教育委員会)
 これは、東京都教育委員会(以後略称、都教委)が、平成20年度「合格予定者数」13500名、段階的に在職教諭の「約5割程度」の2万2千人任用をめざす、としている「主任教諭」の中身である。給与格差を付け階層化し、教員集団を真っ二つに分断するものである。これを「日の丸・君が代」強制とリンクさせれば、かつて都教委が喝破したように、「不起立・不斉唱。不伴奏」者をゼロにするという「学校経営上最大の課題」解決に向け、「教育公務員として校内でお互いに服務事故を防止する体制」がとられるかも知れない。
 さて、「分限処分指針」「主任教諭」制と次々に発せられる攻勢に対して、それを止める抵抗主体の側はどうか。「日の丸・君が代」強制を止め、教職員や児童・生徒の思想良心の自由を保持し、教育の自由、学習の自由を確立していく運動は、時代の要請に比して、極めて不充分である。具体的には、2003年都教委が発した「10.23通達」、それを前後して各地教委が発した「通知」、校長の「職務命令」は、5年を経過した今日已然として強化され進行している。
 多くの裁判が2008年12月結審、来春判決を迎えている。処分撤回裁判は各処分を案件として公判がすすめられているが、同様の事態は一過性ではなく学校現場で繰り返し引き起こされている。従って、裁判のゆくえにも現実の運動、対抗関係が反映するのは自明のことである。
 「日の丸・君が代」強制とそれに反対する運動は、歴史認識をはじめ国家のあり方と行方、そして個々の人間にとっては、社会と自分、自分のこれまで何十年かの生き様と未来が問われることとなった。それ故に、特に強制反対の運動に対しては、運動の内外から多様な評価・異論が提示されている。次もその一例である。
「大衆と切断されたまま『日の丸』『君が代』と闘わねばならない現代日本の教師たちの困難…この困難が、単に権力の暴圧といった皮相なものではなく、…戦後民主主義大衆の鈍感な判断停止に由来している」(山口泉「受動的『平和』と主体的『反戦』とを分かつもの」『週刊金曜日』728号)
 強制反対運動の主体が常に感じているこのような情況にはいかなる背景があるのか。時として、「英雄気取り」だとか、「先陣争い」だとかの中傷さえ聞こえてくる。これほど明確な、そして広範な影響をもつ権力側の弾圧に対して、未だ運動主体の形成が不充分であることを自認しなければならない。これを突破する道はあるのか。
 また、来る3月には、懲戒処分、分限処分のダブル発令が予想され、一層厳しいものとなる可能性がある。この小論では、「日の丸・君が代」強制が、学校現場でどのように浸透しているのかを明らかにし、いかなる運動が必要かを考えるものである。


(一)「日の丸・君が代」強制の背景となる歴史的経過
(1)90年代の戦後体制をめぐる攻防

 戦後50年を一つの契機として、戦後体制のあり方が問われた。従軍慰安婦(軍性奴隷)、大量虐殺、毒ガス被害などの被害者からの戦争責任、賠償の追及が起こされた。
歴史認識を深化させてこなかった多くの日本人にとって、「とまどい」をきたし、改憲勢力にとっては戦後体制の改変を迫られるものであった。「新しい歴史教科書」勢力、そして「若手議員の会」が誕生し、「河野談話」にさえ攻勢をかけた。
 本課題と直接関連する1999年「国旗・国歌法制化」について概観する。「法制化」が、異論を封じ、内心の自由を侵害していく萌芽となった。

「日の丸・君が代を我が国の国旗・国歌と認めない意見が国民の一部にあることも事実であり、国旗・国歌が慣習法として定着しているだけでは不充分と考え、法制化を行うことにした」(小渕首相)
「内心にかかわるかどうか、あるいは内面的な作用にかかわってくるかどうかという問題と、それが内心にわたって憲法が保障するような内心の自由を侵害することに当たるかどうかと、この問題は教育上きちっとわけて論議をされるべきだ」(御手洗初等中等教育局長)

 ここには、今日争われている「少数者の内心の自由」「教育と強制」の問題がすでに提示されている。学習指導要領と結びついて学校教育に強制され、「内心」と「外部行為」を分離せよと言う極論にまで至るのである。「内心」はいかに反対でも「起立・斉唱・伴奏」を強制され従うならば、「内心」と「外部行為」との見かけ上の分離だけではなく、「内心」そのものの激しい葛藤、分裂を来すのである。なぜなら、強制に反対する意志と論理も、強制を受け入れる「外部行為」も、共に「内心」から発しているからである。

 さらに、「国旗・国歌法制化」は憲法第1条の象徴天皇制の問題を浮かび上がらせた。
「1.日本国憲法においては、国歌君が代の『君』は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指す。
 2.君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のこと。
 3.君が代の歌詞は、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当である。」(1999.6.29 小渕首相の政府見解)
「国歌『君が代』は、天皇のご長寿を祈り、同時に国と国民の繁栄を祈った歌なのです。現在の日本国は、国民主権の民主主義国家でありながら、その中心に天皇陛下を象徴として戴いています。この日本の国の根本的な形は、日本の歴史が始まって以来、今日まで全く変わっていないのです。」(畠山文雄「日本の国歌」『私たちの美しい日の丸・君が代』明成社より)

 こうして、正に日本国憲法成立時の対抗と妥協は、今日、軍隊の成長、海外派兵と万世一系の天皇制によって、重大な局面となって再現してきた。そのイデオロギーとして「日の丸・君が代」は格好の道具であり、畠山文雄が賛美して語るように、古来日本人をすくませてきたのである。大和政権の覇者も、藤原貴族も、征夷大将軍となった強者も、そして錦の御旗を掲げた明治維新の志士も、はたまた敗戦国日本を占領統治したマッカーサーでさえも、この天皇を大いに利用したのである。今日それは、強制を「受忍」させる威力を発揮している。強制の「受忍」は「日の丸・君が代」から発してとどまることを知らないだろう。

(2)アフガン・イラク参戦下の「日の丸・君が代」強制
 今世紀になっての急激な戦争路線の進行は、戦後史の偽造をテコとしている。アフガン・イラク戦争への参戦を進めた小泉首相の靖国参拝は“戦後の平和を築いた御霊に参拝する”というものであり、イラクサマーワへの「陸上自衛隊」の派兵、多国籍軍への給油活動も“平和日本の国益を保持する反テロ国際貢献”というものである。
「国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことができるのだ。」(田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」)
 今や「平和で豊かな生活」とはとても言えない格差、ワーキングプアなどの現実がある。それだけに、一層戦後の社会、歴史を偽造しバラ色に描く。その極めつけが改定された06教育基本法であった。冒頭は次のごとく。
「前文 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。」
 戦争責任にまともに向きあわず、その侵略の事実を否定する歴史修正主義を標榜してきたこと、戦後の戦争においてアメリカに追随加担し、ついには海外派兵にまで至った事実を何ら顧みようとはしない。海外派兵は違憲の判決が確定している。そんな「民主的で文化的な国家」が「愛国心」「道徳」を前面に出した。
 06教育基本法の実働化は、教員免許更新制、新学習指導要領、教育振興基本計画(第17条)、教科書検定となって激しく学校教育を直撃している。この動向と「日の丸・君が代」強制が無縁であるはずはない。ここでは2つの事実を報告しておこう。
 まず「靖国神社訪問」について、2008年5月、政府は平沼議員の質問に答えるかたちで「文部科学省としては、学校における授業の一環として、歴史や文化を学ぶことを目的として、児童生徒が神社、教会等の宗教的施設を訪問してもよいものと考えている。そのような主旨で、例えば、御指摘の靖国神社等についても、同様の目的で訪問してよいものと考える」(答弁本文情報 内閣総理大臣 福田康夫)と述べ、靖国神社の関係者から「歴史、由来等について知識として説明」を聴取してもよい、と答弁した。
 もう1つは、神奈川県の教職員が「国歌不起立」情報の消去を求めて提訴したことに関して、塩谷文科相は「『起立して(歌うよう指導する)』と書かなければならないのかなとも思う。どこにも書かれていない」と述べ、指導要領改定も示唆した。(2008.11.18 毎日新聞夕刊)
 「戦後の平和と繁栄」という虚構と「イラク派兵・多国籍軍支援の給油」を結合する愛国心高揚にマッチした「日の丸・君が代」起立、斉唱、国家忠誠表明儀式は不可欠となった。日本国憲法(第1条と第9条)下で、国益と国際貢献に国民精神を動員する必要があった。


(二)戦後の教育への介入・統制と「日の丸・君が代」強制
(1)2つの教育介入と学テ・教科書裁判

 60年代の学力テストと教科書検定は、戦後史の中でも特徴的な国家の教育介入であり、同時に今日でも再浮上、継続している問題である。今や、学力テストは、一部不実施の自治体はありがらも全国的に実施され、その結果の公表をめぐって、大阪府をはじめ地方自治体において行政権力が教育介入に乗り出す契機となっている。また、教科書検定では、沖縄地上戦における集団自決への軍強制の有無が争われている。この他、従軍慰安婦(軍性奴隷)問題や戦時強制連行なども教科書問題となっている。両者とも、国家・文科省の意向が働いている。
 さて、60年代の学力テストに対しては、1976年、旭川学テ最高裁判決が出されている。子どもの学習権保障、学習指導要領の大綱的基準性、教師の教授の自由など重要な内容である。特に教授の自由では、教師が特定の意見や一方的な観念・理論を教え込むことを強制されないこと、教化の強制が違憲、違法とされた。「教師に完全な教授の自由を認めることはできない」が、「教師の裁量権」が保障され、自由な創意と工夫の余地が要請される、としている。
 学力テストは国家が学校教育に介入する手段として、「調査」の名の下に実施し児童・生徒・教師に競争をあおり統制する意図をもっていたが、学力テスト=限定的知識を介在する間接的なものであった。それは今日の学力テストでも変わらない。そして、旭川学テ最高裁判決は、教育の自由に大いに貢献するものである。
 後者の教科書裁判でも、教科書検定をめぐって教育の自由が争われた。1970年の東京地裁・杉本判決は「学問と教育とは本質的に不可分一体である」として教育の自由を全面的に認めた。1997年の家永第3次訴訟上告審判決では、「教師は、高等学校以下の普通教育の場においても、授業等の具体的内容及び方法においてある程度の裁量が認められるという意味において、一定の範囲における教授の自由が認められ」るとした。教科書は戦争責任、歴史認識を形成する1つの重要な要素であるが、ここでも、介入・強制は教科書という教材を介する間接的な問題であった。教師による教授、子どもの学習の材料を通じてのことである。

 今日、学力テスト、教科書検定とも復活・強化されているのは、教育行政による介入、統制の実態を示している。さて、学テや教科書検定に比して「日の丸・君が代」問題は、どんな性格を持つか。

(2)第3の介入・統制である「日の丸・君が代」強制
 まず、「日の丸・君が代」強制は学校教育の教育課程そのものに直接介入し統制と排除を強行する。児童・生徒の学習権、教職員の教育の自由、思想、良心の自由を深く侵害するものである。都教委の2003「10.23通達」をはじめとする通達、地教委の通知、校長の職務命令は、全教職員を対象に強制し意図的に処分をはかるものであり、直接的、強権的である。抵抗者には容赦のない累積処分が課されている。
 第2に、この強制は21世紀初頭における全面的な教育反動化の一環として、その突破口とされていることである。06教育基本法の実働化にともなって、各自治体における教育破壊の進行が見られる。「日の丸・君が代」強制は東京都が先行突出しているが、その動向によっては全国波及の可能性がある。
 第3は強制に反対する主体の問題である。学テ、教科書検定問題に見られた広範な世論・学校教職員をはじめとする教育界の抵抗・共同の広がりが、「日の丸・君が代」問題においては、未だ形成されていないことである。この強制は、学校内部の分断、「日の丸・君が代」に対する見解の相違による国民内部の分断、果ては、教職員労働組合内部にすら分断が持ち込まれている。

 このような特徴を持つ強制に対していかに対抗するかでは、憲法19条思想及び良心の自由からの視点、23条・26条教育の自由(子どもの学習権・教職員の教授権)からの視点があるが、かなり幅広いのである。例えば次のような極めて限定的な権利を提示するものもある。
「教師が児童・生徒を教育する立場において憲法上の権利を享有することはありえないことになる。教師は公教育の担い手として憲法遵守義務を負い、子どもの学習権を侵害する行為の遂行を拒否する義務を履行するという文脈のおいてのみ、憲法上の権利侵害を主張することができるにとどまる。」(渋谷秀樹『憲法』)
 学校現場で「日の丸・君が代」強制が行われるのは正に「子どもの学習権侵害」であり、教職員が防波堤となり、その「侵害」された権利を回復する道を子どもに提示しなければならないと思う。また、19条については、教師の学校現場での職務遂行上の思想及び良心は、一般的な市民のそれではなく教育的思想、教育的良心の問題である。教育的思想はともかく、子どもの自主的な成長を願い、いかにすれば教授内容を理解させられるかを子どもに寄り添って考え、実践している教育的良心をもつ教員は誰でも「日の丸・君が代」強制に反対する理由がある。この点については後に再論する。

(次号へ続く)

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お知らせ

1月17日(土)
 〜18日(日)
11:00〜 アムネスティ・フィルム・フェスティバル
17日:「免田栄 獄中の生」「にくのひと」
    「アンナへの手紙」「刑法175条」「プロミス」
18日:「関西公園」「サルバドールの朝」
    「スタンダード・オペレーティング・プロシーシャ」
    「イベント〜日本の中の多文化共生って?〜」
    「ヴィットリオ広場のオーケストラ」
ヤクルトホール(新橋6分)
1月17日(土) 13:15〜 柏市教育対話集会 柏市中央公民館4F集会室1,2(柏東口10分)
1月18日(日)   高岩仁監督追悼上映会「資本主義は戦争を必要としている」
 上映10:05〜,11:00〜,14:30〜 講演13:30〜高嶋伸欽
明治大学リバティタワー1001
1月18日(日) 18:00〜 政治の変革をめざす市民連帯記念講演会
 「憲法第9条と平和維持活動」講師:伊勢崎賢治
アカデミー茗台(地下鉄茗荷谷)
1月19日(月) 16:00〜 遺棄毒ガス チチハル事件裁判 東京地裁103
1月20日(火) 10:00〜 新春特別学習会「昭和と戦争」 葛城公民館(千葉市立葛城中学校隣り)
1月20日(火) 11:00〜 市東さん行政訴訟 千葉地裁
1月20日(火) 15:30〜 東海村・JCO臨界事故健康被害裁判 東京高裁822
1月20日(火) 19:00〜 保坂のぶとトーク・ライブ「まちを壊すな!都市再開発を問う」 ASAGAYA/LOFT A
1月23日(金) 18:30〜 「日の丸・君が代」強制に反対!板橋のつどい
 講師:鎌田慧 ビデオ上映:「学校をやめます」
板橋・グリーンホール
 (東上線大山4分・三田線板橋区役所7分)
1月24日(土) 14:00〜 SANAフィルムフェスタin市川
 「イラク女性の叫び・ムサワ」上映
市川教育会館(本八幡7分)
1月24日(土)   原発がいらない社会へ 提起:安藤多恵子 たんぽぽ舎(水道橋)
1月25日(日) 14:00〜 わかば新春「平和と文化のつどい」 若葉文化ホール(千葉モノレール千城台3分)
1月26日(月) 19:00〜 那良伊千鳥さんと琉球正月を祝う会 琉球センターどうたっち(JR駒込東口3分)
1月27日(火) 14:00〜 改正教育基本法違憲訴訟控訴審第2回口頭弁論 東京高裁809
1月31日(土) 18:40〜 学校に言論の自由を求めて!(土肥校長集会2) 杉並公会堂(吉祥寺5分)
2月6日(金) 18:30〜 保坂のぶとvs森達也 対論「教育を語る」 杉並商工会館(丸の内線南阿佐ヶ谷5分)
2月7日(土) 13:00〜 とりもどそう東京に憲法が生きる教育を 山本由美、李政美 社会文化会館(地下鉄永田町3分)
2月7日(土) 14:00〜 「慰安婦」問題をつたえる 平和をつくる 戦争と女性の人権博物館
2月8日(日)   千葉県自治体学校 全体会:10:00〜 分科会:13:00〜 蘇我勤労市民プラザ(JR蘇我6分)
2月8日(日) 14:00〜 わらび座「天草四郎」 青葉の森公園芸術文化ホール
2月8日(日) 13:00〜 都教委包囲ネット 総決起集会 全電通会館(JR御茶ノ水聖橋口5分)
2月10日(火) 18:40〜 「タクシー・トゥ・ザ・ダークネス」上映会 アテネフランセ文化センター・ホール
2月11日(水)
 〜14日(土)
  東京演劇アンサンブル公演「アンティゴネ」 俳優座劇場
2月14日(土) 13:30〜 「日の丸・君が代」の強制にNO! 教育の今後を考える集い
 「戦争は教室からはじまる」って? 北村小夜
市川教育会館(本八幡7分)
2月14日(土) 午後 NPO現代の理論・社会フォーラム「新春のつどい」松本仁一 専修大学神田校舎
2月16日(月)
 〜22日(日)
11:00
〜19:00
山本英夫写真展「沖縄・辺野古“この海と生きる”」 ギャラリー・パオ(JR東中野西口2分)
2月18日(水) 18:45〜 障がい児学校における「日の丸・君が代」強制の問題点
 講師:渡辺厚子
本郷文化ワーカーズ・フォーラム
2月19日(木) 14:00〜 強制連行長野事件裁判 東京高裁812
2月20日(金)   「歌わせたい男たち」(二兎社・DVD:5000円)販売開始
 問合Tel.03-3991-8872
 
2月22日(日) 15:00〜 ABC企画委員会総会
 講演「伊藤ハム工場の地下水汚染は遺棄毒ガスか?」北宏一
新宿消費生活センター(高田馬場5分)
2月26日(木) 14:00〜 強制連行群馬事件裁判 東京高裁825
3月3日(火)
 〜9日(月)
  東京演劇アンサンブル「セチュアンの善人」ベトナム公演ツアー  
3月7日(土) 13:30〜 「アメリカばんざい」上映 東京ウィメンズプラザ/ホール
3月10日(火)
 〜15日(日)
  伊藤和也君・追悼写真展「アフガンに緑の大地を」 福岡市健康づくりセンター1F
3月15日(日) 19:00〜 アムネスティ・コンサートinよこはま みなとみらい小ホール
3月25日(水) 15:00〜 強制連行山形事件裁判 仙台高裁

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