![]() 空母ジョージ・ワシントン反対集会 (08.9 横須賀) |
河原井純子さんのお話を聞きました | 市川東分会 羽山圭子 |
世界金融危機と日本社会の動向 | 荒川 渡 |
憲法2題 または クイズを3題 | (T_T)0435(千葉高教組東葛支部 「ひょうたん島研究会」) |
06教育基本法の実働化と 「日の丸・君が代」強制の現局面(1) |
被処分者(東京都) 近藤順一 |
お知らせ |
七生養護学校で起きたこと
千葉県ではセクシュアル・ハラスメントの被害を告発しても中々取り合ってくれない状態のときに、七生養護学校での取り組みを、“生と性”についての学習会で知った。バッシング前であった。そこで教材の“人形”も見せてもらい、日本にもこんなに素晴らしい取り組みをしている人たちがいるとショックを受けた。私にとっても、性教育への脱皮が、当時セクハラにどう対応したらいいかという悶々とした自分に一つの道を教えてもらい、生徒に力をつけることが、性被害対策の一つの光だと確信した。
実際に、七生養護で性教育が行われるようになったのは、性被害が多く発見されたことに発していた。具体的事例として、「こころとからだの学習」裁判の原告の一人が、「ことばを話せないダウン症の生徒が、妊娠をしていて、どこで誰に妊娠をするようなことをさせられたのかも分からなかった。・・彼女は人工妊娠中絶のために学校をしばらく休んだが、事の重大さも分からず、ニコニコとした屈託のない表情は今でも忘れません」と証言している。
2003年7月都議会で、土屋都議は、七生のオリジナル教材である「からだうた」をとりあげ、横山教育長も、男・女性器の名称を歌詞として歌うことに、(それこそ異常な)反応を示し、「きわめて不適切な教材」と決め付けた。2日後に「視察」と称して、土屋・古賀・田代都議は都教委指導主事7人と市議3人、マスコミとして産経新聞(のみ)を同行して、七生養護学校に介入を行った。土屋議員が陣頭指揮をとり、保健室に保管されていた洋服を着ていた人形を集めて、その服を脱がせ、下着をひざまで下ろして人形の性器の部分を露出させて産経新聞の記者に写真を撮らせた。(その写真が産経新聞に出た)――まさに、これこそが「旧来の男らしさ」を植え付けられた男のセクシュアリティー丸出しの行動であり、健全な性教育の教材までもポルノと化させてしまった。人間の性(セクシュアリティー)とは文化であり、受けた教育であると実感できた例である。
やはり始まりは、「日の丸・君が代」の強制であった
七生養護学校で起きたことを、性教育バッシングと捕らえがちであるし、私もそう思っていた。
しかし、その教育への不当介入と強制の手法をじっくり検証すると、河原井さんは「茶色の朝」が起きていると講演で力説した。
強制とは、対話・議論をしないことであり、一つの強制を許すことは、その後はどんなことにも、問答無用がまかり通るのことであった。
河原井さんのお話の前に、1989年、学習指導要領に「起立して歌うものとする」という文言が入ったときのNHKニュースのビデオを見た。千葉高教組のひのきみ対策委員会はその時にできたそうである。しかし、多くの教員(人々も)は、憲法で思想信条の自由があるから、「強制」は出来ないだろう、と思った(私も思っていた)。その後、国旗国家法が成立したが、まだ強制はできないだろうと思っていた。しかし、東京都は、2003年10.23通知を出して起立斉唱を強制し、「3回の不服従で免職とする」、とした。日本国憲法を無視したその通知に元づく処分は延べ388人に上っている。七生養護学校では通達前は約100人の教員のうち3人だけが起立して歌っていたのが、通知後は、河原井さん以外は全員が一斉に立ったそうである。他の人々は、「40秒間起立するだけのこと、授業で対抗できる」と思っていると主張したそうである。
しかし、「日の丸・君が代」にとどまらず、東京都は同時に服務全体に対してもどんどん管理強化を強め、教育現場でのあらゆる自主性・独自性を排除し、同じ手法で民主的な制度を破壊しつづけている。そして、河原井さんが持参した最新の東京都の通知文、「平成20年7月15日付通知 分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針」は、上司に逆らったもの、言うことを聞かず仕事をしなかったもの、病気のものはすべて分限処分の対象である、などと書かれている。つまりどんな教員も処分の対象となるのである。東京都の初任者研修では「君が代」を大きな声で歌う練習もあると聞いている。明らかに憲法に抵触するものであると思われるが、「茶色の朝」はもうここまで来たのかと思う。
千葉県はどうだろうか、まだ大丈夫だと思うべきかどうか。しかし河原井さんは、「東京都を叩けば全国を制覇できると支配者は考えている」、という。私もそう思う。まず東京があり、東京がやられたことよりはまだましであるとの理由で、少しづつ、千葉県も遅ればせながら同じ道を進んでいる気がする。しかも何の抵抗もなくである。河原井さんは「戦争は教室からはじまっている」と言っている。すでに「強制」に対しては、「ノー」と言えない職場作りが確かに着々と進んでいるようだ。
私は、石井泉さんの副担任をしたとき、卒業式で前に座っていた石井さんが「君が代」斉唱のときに立たなかったので、そういう(「君が代」に「ノー」という)方法があったのかと、私も立たなかった。それ以来ずっと不起立である。そして、河原井さんが不起立は、「自分らしく生きているあかし」であると言ったのを今回聞いて、私も全くそのとおりだと、なぜか溜飲が下がる思いがした。河原井さんのモットー「がんばらない、あきらめない、楽しみたい、つながりたい」は、私が男女平等推進委員会に参加している基本理念であることにも気づかされた。これからも、がんばらないで自分らしく生きることを大切にして健康でいたい。強制には「ノー」と言おう、お互いを大切にして、みんなでつながっていこうと思った。河原井さん自作の詩「決してあきらめない〜雑木林の決意」も広めていきたい。
河原井さんは、すでに5回の懲戒処分を受けている。根津公子さんは二度目の停職6ヶ月である。まだ解雇に至っていないのは、反対運動の広がりと国歌斉唱義務不存在確認と損害賠償を求めたいわゆる「予防訴訟」における東京地裁の「難波判決」が影響していると思われる。また、次の3月の卒業式は、当然、“「君が代」解雇”かどうかの瀬戸際になる。今ふんばっているこの二人を、解雇させないために、またこれ以上「茶色の朝」を進行させないために、3月には私達もぜひ加わって、4桁(1000人以上の)の人で都教委包囲網作って一緒に抗議したいと思う。“「君が代」解雇”の次は、従わないものすべての解雇につながることを肝に銘じるべきである。
(1)
アメリカのサブプライムローンに端を発する金融危機が世界に広がっている。
アメリカでは9月29日、金融危機を回避するための金融安定化法案が下院で否決されると株価が一気に暴落、日本、欧州を含め世界中でも株価が暴落した。
その後、アメリカの上院で修正法案が可決され、10月3日には下院でも可決され、金融危機は一段落したかのようであった。しかし、株価はその後も下落を続け、金融危機はさらにその深刻度を増している。
この問題に対し経済評論家たちはいろいろと論評している。しかし、多くの評論家たちは一番重要な点を曖昧にしているのではないだろうか。それは、今回の金融危機の真の背景や原因の問題である。
(2)
今回の金融危機の直接的な背景には、確かにサブプライムローンにおける不良債権問題がある。ローンで貸した金が大量に回収できない、また家を差し押さえてもそれを転売できず、証券化された資産価値は日々暴落していくという問題である。
では、それはなぜ起きてきたのか。
それは一口で言えば、アメリカ社会における貧富の差の極端なまでの拡大によってである。アメリカではこの間、一部のものに莫大な富が集中する一方、多数のものには耐え難い貧困がのしかかってきた。そして、アメリカは「相対的貧困率」(年収が全国民の中央値の半分に満たない国民の割合)が2005年には世界一の国となった。(OECD経済協力開発機構調査)。その結果、国内市場は狭隘化し、物(家や車など)が売れなくなってきたのである。たとえ信用(ローン)で売りつけることができたとしても代金が回収できなくなった。また安い商品を外国から大量に輸入できたとしても、購買力が弱まりやはり売れない。しかも資産家たちは莫大な金をさらなる利潤追求の為により確実な食料や資源に投機するので、世界的な食料・資源高を呼び起こし、それが物価に跳ね返るのでますます買えなく。つまり、貧富の格差がもたらしたいわゆる「相対的(買いたくても買えない)過剰生産」(<資本主義の不治の病>とも言われる)がその根本的原因になっているのである。だから、金融機関を救っただけでは問題は解決しない。
(3)
では、アメリカの貧富の差の拡大は何時ごろから起きてきたのだろうか。
ディヴィッド・ハーヴェイ著の『新自由主義―その歴史的展開と現在』には、この問題を考えるうえで興味深いグラフが幾つか載っている。以下三つほどグラフ(略)の内容を紹介する。
[1]<アメリカにおける実質賃金と生産性>では、1960年代から1970年代末頃まではどちらも並行して上昇していた。しかし、1980年代以降<生産性>は引き続き上昇しているが、<実質賃金>は上がるどころかダウンしている。
[2]<アメリカの所得上位階層と下位階層の税率>では、最高所得階層の税率は1970年代から引き下げられ(90%から70%に)、1980年代後半以降はさらに引き下げられた(70%から30%に。ただし1990年代中頃から40%に)。
[3]<アメリカ、イギリス、フランスにおける人口上位0.1%の国民所得に占める割合>では、アメリカは1950年代から1970年代後半頃までは約2%で変わらなかった。しかしその後、1988年には5%を越え、1998年には6%を越えるまでになった。
これらのことから、[1]〜[3]のどれをみても、「1970年代後半」が大きな変わり目だったことが分かる。この時期は、世界的には社会主義体制が揺れ動き、東西冷戦「デタント」(雪解け)の時期であった。その後、1989年には、ベルリンの壁が崩壊、米ソ首脳会談(マルタ会談)が行われ、冷戦が終結した。そして1991年には、社会主義ソ連も消滅した。
つまり、社会主義の動揺、崩壊と期を一にして、アメリカにおける貧富の格差は開いてきたのである。
(4)
ところで、[3]のグラフは実は1913年から扱っているが、1913年の頃(第一次大戦直前)には、アメリカの「人口上位0.1%の国民所得に占める割合」は9%に近かった。しかし、1917年のロシア革命後、多少の上(1929年の世界恐慌直前には再び8%を上回る)下はあるものの1970年代後半までは、それは基本的には下がり続け、約2%に落ちていたのである(イギリス、フランスも同じ傾向)。
つまり、社会主義の誕生とともに「人口上0.1%の国民所得に占める割合」は下がり続け、社会主義の動揺、崩壊とともにそれは再び上がるようになった。その結果、貧富の格差は再び第一次大戦前の水準(あるいは1929年の世界恐慌直前の水準)に達しようとしているのである。1990年代以降、「新保守主義」(ネオコンサーヴァティズム)とか「新自由主義」(ネオリベラリズム)という言葉がよく使われるようになったが、それは、前者が社会主義国誕生以前の古い資本主義に帰ることを意味し、後者が社会主義陣営崩壊後の新しい資本主義の到来を意味するものであり、社会主義に規制されない『資本主義』という点では本質的に同じなのである。
(5)
ところで、現在貧富の差(それは相対的過剰生産恐慌を生み出す)が「第一次大戦前の水準(あるいは1929年の世界恐慌直前の水準)に達しようとしている」ことは何を意味するのであろうか。それは他でもなく、今後世界的に資源や市場をめぐる争いが激化し、ついには世界的な規模の戦争へと発展する可能性が増大してきているということを意味する。
資源や市場をめぐる争いの激化は、すでに今年7月に開かれたWTO(世界貿易機構)の多角的貿易交渉(ドーハラウンド)の決裂による世界貿易自由化ルールの見直しの頓挫(交渉はしばらく開かれそうもない)と、それに反する形での特定の国同士で貿易を推進するFTA(自由貿易協定)締結の増大にもよく表れている。世界全体で見ればブロック経済(保護主義)の復活である。また、かつて日本の局地的な中国侵略戦争が泥沼化し大きな太平洋戦争へと発展していったが、1990年以降起きてきたアメリカによる湾岸戦争(1991年)、アフガン戦争(2001年)、イラク戦争(2003年)も局地的な侵略戦争で、現在泥沼化している。
したがって、世界は今、アメリカをはじめとする先進資本主義諸国内での貧富の差の拡大の中で、「世界恐慌」の危機と「世界的な規模の戦争」の危機に直面しているといっても過言ではないだろう。
(6)
こうした中で、日本社会における貧富の格差はどうか。昨年財務省が発表した「06年度の法人企業統計」では、全産業の経常利益は5年連続の増加で過去最高(54兆3786億円)であった。また、国税庁の06年「民間給与実態統計調査」でも年収1000万を超えた人は9万5千人増加し224万人であった。しかし同じ調査で年収200万円以下の人は42万人増加し1023万人と21年ぶりに1000万人を超えたのである。また、厚生労働省の「生活保護速報」(2006年3月分)によると、「生活保護世帯」は1990年(62.4万世帯)、2000年(75.1万世帯)、2005年(104.2万世帯)と急上昇している。まさに、一部のものには冨、多数の者には貧困がともに蓄積していることが分かる。それをさらに裏付けるように、OECDの対日経済審査報告書06年度版によると、日本の「相対的貧困率」はアメリカに次いで2位になった(2000年は5位だった)。ということは、日本においても「相対的過剰生産」恐慌が起きる可能性があることを意味している。そして「相対的過剰生産」は、先程見たように、金融機関を救っただけでは解決しない。むしろ前回の金融危機後の日本社会が示したように、公的資金投入は貧富の格差をさらに拡大させるのである。だから「相対的過剰生産」恐慌は<資本主義の不治の病>と言われるのである。
(7)
「世界恐慌」の危機を前に、世界と日本の政治は打つ手がないような状態になりつつある。まさに「行き詰まり」である。日本では総選挙が行われようとしているが、多くの人々が考えているように「自民党でも民主党でも余り期待できない」。ただ、自公政権が倒れることは、多くの人々が政治や社会変革に関心を抱く大きな転機になるだろう。また、手放しの『資本主義』に対し、大きなブレーキをかけることになるだろう。しかし、資本の論理は無慈悲に貫く。だから、国内外における貧富の差の拡大に典型的に見られる階級矛盾は激化せざるを得ない。
この「行き詰まり」を解決する道として現体制に残っているのは、体制をさらに強化し資源・市場争奪競争に勝ち抜くことである。行き着くところ<ファシズム>と<戦争>である。だから、再び日本の教育では「道徳」や「規範意識」が重視され、教員管理が強化され、「愛国心」が盛られるようになってきた。他国も同様である。
しかし、私たちは再び戦前のような道を許してはならない。
戦前、私達の先輩達の中には貧困とファシズムと戦争に反対し闘った人々がいた。ただ、彼らの運動は弾圧され、戦争を止める大きな力にまで発展することができなかった。現在も似たような状況が進みつつある。しかしその中で、多くの働く仲間たちが貧困とファシズムと戦争を食い止めるために声を上げつつある。また、世界中でも同じように声を上げつつある仲間達がいる。したがって私たちは、戦前の反省も踏まえて国内外のそうした人々と連帯し、「行き詰まり」を打破し、貧困もファシズムも戦争もない世界を作り出す仕事に、理論的にも実践的にも着手しなければならないだろう。
9月23日(火)午後、国立市公民館で行なわれた講演会「武力によらない平和/地域から世界へ」に参加した。主催は「非戦のまち・くにたちの会」で、講師は前田朗(日本評論社『軍隊のない国家/27の国々と人びと』著者)と上原公子(ひろこ)(前国立市長)。
前田は、軍隊のない国・地域を、映像や音楽とともに紹介した。
ここでクイズを2つ。答えはともに軍隊のない国──だか地域・島です。
問1.日付変更線というものがあります。元々はまっすぐだったそうですが、ある国──というか島というか──が原因で、あたかも百里基地(かつて市川支部で行ったことがあります)の滑走路のように、現在は曲がっているそうです。その原因となった国──というか島というか──を答えてください。
問2.日本の周りがすべて海であるように、周りがすべてイタリアである国を、答えてください。
*
9月27日(土)昼、神保町・岩波ホールで、今年26本目の映画として、『シロタ家の20世紀』を観た。公開初日初回ということで、上映前に、ホール支配人・岩波律子と、監督・藤原智子の挨拶があった。藤原によると、この映画のできた経緯は、次のようなものである(『上映プログラム』より)。
2005年12月、パリの日本文化会館で私の前作『ベアテの贈りもの』が上映されたことによって、『シロタ家の20世紀』は運命の赤い糸から紡ぎ出されました。 ベアテさんの従妹の娘アリーヌ・カラッソさんが、偶然、職場で日本文化会館の年間パンフレットを目にして、会場に現れたことは、ベアテさんの叔父、ピエール・シロタがパリで大活躍した音楽プロデューサーであったことを考えれば、不思議ではないかもしれません。しかし、アウシュヴィッツで生命を絶たれたその人の孫が目の前に現れたことは、私にとって大きな驚きでした。しかもそこでうかがったシロタ家の話は、まさに20世紀の縮図といえるものでした。(後略) |
この映画、けっこう良い映画です。興味のある方は、ぜひ観てください──と書いておいてナンですが、この雑文が載ってるこの『ひのきみ通信』、10月18日(土)の拡大中央委員会での配布なんだよね。実は『シロタ家』、前日の17日で岩波ホールでの上映は終わっていて、長門裕之・有馬稲子主演の『夢のまにまに』(これも面白そう)に、既に変わってるんだよね。まあ『シロタ家』、またどこかでやることもあるだろうから、その時、観てください。
では、最後のクイズに移ります。映画『シロタ家』のラストシーンに関わる問題です。
問3.国名だか地域名だか島名だかサッパリ分からんので、「空欄を埋めよ」という問題にします。2カ所の( )には、同じ言葉(カタカナ)が入ります。
スペインの( )諸島、グラン・( )のテルデ市にあるヒロシマ・ナガサキ広場には、スペイン語で書かれた日本国憲法9条全文の碑が掲げられ、市長は「あの条文は世界の希望です」と語る。 |
(08/10/05)
はじめに
東京都教育委員会が、2003年「10・23通達」を発し学校現場に対して本格的に「日の丸・君が代」の強制を始めてから5年になる。この間、延べ400名以上の処分者を出し、今日、その強制と処分を一層エスカレートさせている。これは、東京都下の都立、市区町村立を問わず全ての小中高の学校現場に及んでいる。教員の思想・良心を侵害し、それを通して児童、生徒への強制が行われている。都教委=>地教委=>校長=>教員=>児童・生徒の強制ベクトルである。同時に、この強制はダイレクトに教職員から教育の自由を奪い無条件に服従させ、児童・生徒の学習の自由を奪い従順さのみを強要する機能を果たしている。つまり、学習や教育が、異なる考え、方法を認める多様性・寛容性を基本に成り立つものであるならば、儀式で強制的に「日の丸」にひれ伏させ、「君が代」を斉唱させることは日本国憲法下での教育から大きく踏み外しているといえよう。この点から私は、児童・生徒の自主的で自由な成長を願い日々の教育実践を行っている良心的な(思想はそれぞれでも)教職員は、誰でもこの強制に反対する理由があり、行動する可能性があると考えてきた。しかし、この攻撃は学校現場に分断を持ち込むことによって推進されていることもあって、現場からの抵抗、反撃は未だ限定されている。多くの教職員がこの理不尽な強制に異議をもちながらも受忍しているのが現状である。教職員労働組合も総論的に強制・処分反対を掲げ、処分撤回裁判への取り組みは進めるが、強制の現場での行動提起は曖昧である。特に、「職務命令」に対して「不起立・不斉唱・不伴奏」を含む有効な行動方針が提起されていない。また、現実に経済的、精神的困難に直面している被処分者を救済する取り組みは不十分で孤立を余儀なくされている。本来、自ら掲げる強制反対の方針を実践して処分された者を救済・支援しない労働組合はその存在意義が問われるだろう。組合員をはじめ教職員も運動の展望を見いだせていない。そのため、教育の自由を奪い、思想、良心の自由侵害、人権侵害が明白であるにも関わらず、強制反対の運動は広範な市民への広がりを欠いている。
東京の「日の丸・君が代」強制と軌を一にして、教育基本法の改定が図られ、ついに2006年12月改定、施行された。そして、わずか2年の間に学校教育法の改定、新学習指導要領、教育振興基本計画の制定、教員免許更新制の実施へと進められている。福田内閣はその経済政策、福祉政策、労働政策などでは広範な国民の反発を受けているが、この教育政策はまだ危険な本質が隠されている。やがてくる総選挙が福田首相によって行われるのか、はたまた別の誰かが登場するのか、どちらにしても次のようなキャッチフレーズが考慮されているかも知れない。前回は<郵政解散>、今回は<教育解散>でどうか。
“安心、愛国、国際貢献、日本人の品格を鍛え直す起死回生の教育革新!”
福田改造内閣には、鈴木恒夫文科相、伊吹文明財務相、町村信孝官房長官それに保利耕輔政調会長など教育基本法改定に奔走した面々がそろっているようだ。
この小論では、06教育基本法の実働化により推進される教育の統制と排除の意味するもの、それとの関連で、「日の丸・君が代」強制がどのような局面を呈しているのかを明らかにしようとするものである。処分撤回を求める多くの裁判は今年(2008)末には地裁での結審、来年には判決が予定されている。今の局面において運動の核心は何か、何を目指すべきかを明確にしたい。
1.06教育基本法の実働化
2006年は戦後教育にとって画期をなす年となった。9月21には、東京都教育委員会の「日の丸・君が代」強制に対して東京地裁は“起立、斉唱の義務なし”とする「難波判決」を出した。そして年末、安倍政権は47教育基本法を改定し、日本国憲法と連動していた教育の根幹を転換した。
この06教育基本法がどのように教育の根幹を改変したかは、やはり47と06の法律の改定部分を見なければならない。このことについてはすでに安積力也『教育の力』(岩波ブックレットNO.715)に簡潔に提示されている。ここでは、この改定が現在どのように実施されているか見てみよう。
安積氏も指摘するように、47教育基本法から削除されたのは次の2カ所である。
[1]「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」
[2]「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」
A:憲法の理想より国家・社会の目的を優先
国家主義の推進
[1]に言う「この理想」とは言うまでもなく「日本国憲法の理想」であり「個人の尊厳」や「平和の希求」である。これをかなぐり捨て、代わりに何を対置したか。端的に「国を愛せよ」という。「伝統と文化」とか「郷土」をまぶしてみてもその本質は隠せない。国家が「愛国心」をはじめとする「教育の目標」(06教育基本法第二条)を規定した。その中には「豊かな情操と道徳心」とか「健やかな身体」まである。心も身体も管理するという。
06教育基本法に基づいた大綱的基準である「新学習指導要領」では「国旗及び国歌の意義並びにそれらを相互に尊重することが国際的な儀礼であることを理解させ」(中学校社会)、「国歌『君が代』は、いずれの学年においても歌えるよう指導すること」(小学校音楽)と規定された。「特別活動」では引き続き「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定された。
内心と外部行為の分離
東京都の「日の丸・君が代」強制においては、「思想及び良心の自由」を否定する「内心と外部行為の分離」が言われている。
例えば、「嘱託不採用撤回裁判」の2008「2.7東京地裁判決」(中西判決)の論理展開は次のごとく。
「国旗・国歌法」及び「学習指導要領」は合法、合理性を有しているから校長の「職務命令は」を合憲合法である。従って「歴史観ないし世界観又は信条と切り離して、不起立、不斉唱という行為には及ばないという選択をすることも可能であると考えられ、一般的には、卒業式等の国歌斉唱時に不起立行為に出ることが、原告らの歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結びつくものということはできない。」よって「外部的行為が強制されたとしても、憲法19条違反とはならないと解される。」(判決文40,41頁)という。
まわりくどい言い回しだが、戦後の出発である国家に対する個人の自立、その自立の証である「歴史観、世界観、信条」から発した行為を一方的に否定する論理である。先に述べた「愛国心」押しつけと共に「個人の自立」否定は、憲法と切り離された06教育基本法の意図を示している。
B:国民への直接責任より行政の権限を優先
[2]の「直接責任」の否定は、現実的に多大の影響をもつ。つまり、国民と直接つながる学校の児童・生徒そして教職員の意見よりも、文部科学省や教育委員会など教育行政の権限が強大となる。その権限と「この法律及び他の法律」が結びついた時どのような事態が引き起こされるか。まさに現在の東京の教育現場がそれを物語っている。
上意下達の命令と学校現場の分断
都教委の「日の丸・君が代」強制・処分を不服とする被処分者により人事委員会審理、裁判が進行している。都教委は処分理由としてあくまで校長の発した「職務命令」違反をあげ、地方公務員法の「上司命令違反」「信用失墜行為」を根拠としている。都教委=>(地教委)=>校長という上意下達の管理命令系統により、校長に「職務命令」を出させ学校現場を分断し、この理不尽な強制による教育の自由破壊にあくまで抵抗する教職員を処分するのである。反対者、批判者の口を封じるため、「職員会議での挙手・採決禁止」まで言い出す。これは表面化したものだが、実際には人事考課制度(勤評)や給与操作による日常的圧力は増している。
抵抗者の一掃を狙う
さらに、都教委は2008年7月22日に行われた「服務事故再発防止研修」を前に、7月15日付通知「分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針」を発し、減給処分者対象の「研修」で読み上げた。「服務事故再発防止研修」とは、その年の卒業式、入学式における被処分者を対象に都教委が「反省と転向」を迫るものである。これまでの処分は段階的累積加重処分であり、戒告、減給(1月・6月)、停職(1月・3月・6月)と進行した。ところが今回の措置により「段階的」が取り払われたのである。
「分限事由」として「研修を受講しない」「研修の成果が上がらない」「過去に非違行為を行い、懲戒処分を受けたにもかかわらず、再び非違行為を行い都及び教職員に対する信用を著しく失墜させている。」が明示された。分限処分も「降任、休職、免職」まである。つまり、2回目の不起立で直ちに分限処分に該当し、また「再発防止研修」を機会に「反省・転向」しない者は学校現場から排除するというのである。反対者、批判者の存在自体を認めないファッショ的強権の発動を意図している。都教委のある教育委員が言った「日の丸・君が代に反対する者は長年巣くったガン細胞のようなもの、徹底的に取り除く」を、文字通り実施するというわけだ。国民、都民の声を聞かず、行政権力が暴走することにお墨付きを与えたのも06教育基本法である。
教員統制の強化
さらに、教育職員免許法の改定で2009年4月1日より(2008年より試行)開始される「教員免許更新制」の導入によって一層の教員「統制」が図られる可能性がある。東京都教育庁人事部選考課によると「社会の尊敬と信頼を得ることを目指すもの」とされ「大学などが開設する30時間の免許状更新講習を受講・修了した後、免許管理者に申請して修了確認を受けること」(教員免許更新制の概要)になっている。どのような「講習」が行われ、どのような「レポート」が要求され、「修了認定」「修了確認」にはどんな条件が必要なのか。「優秀教員表彰を受けた者」、「校長」や「主幹教諭」等は、なぜ「講習免除対象者」になっているのか。この「講習免除対象者」からは、この制度の恣意性が窺える。学校現場での「日の丸・君が代」強制に反対する被処分者は差別されないか。教育の自由を保持し生徒の自主的な成長を願い実践する教員が「修了確認」を受けられない事態は起こらないか。危惧されるところである。
(次号へ続く)
10月18日(土) | 18:15〜 | 連続セミナー「〈ナクバ60年〉を問う」3 | 文京シビックセンター4F シルバーセンターホール(地下鉄後楽園) |
10月19日(日) | 13:30〜 | 日本語を母語としない親と子どものための進路ガイダンス | 船橋中央公民館 |
10月19日(日) | 13:30〜 | 戦後補償のゆがみを正し、すべての人々が分かち合える 平和を求める浅草ウォーク 15:30〜ウォーク |
台東区民会館9F |
10月19日(日) | 19:00〜 | アイヌ民族ア・ライブ 講師:川村シンリツエオリパックアイヌ カムイユカラ:弓野恵子 ウポポ:床絵美 |
アミュゼ柏1Fプラザ(柏東口3分) |
10月20日(月) | 18:30〜 | 北大人骨事件の幕引きを許さない!集会 | 渋谷区氷川公民館2F(渋谷15分) |
10月20日(月) | 18:45〜 | アフリカはTICAD・G8サミットから遠かった 大友深雪・高木晶弘 | かながわ県民センター403(横浜西口5分) |
10月21日(火) | 14:00〜 | 「日の丸・君が代」強制反対!予防訴訟 | 東京高裁102 |
10月23日(木) | 13:10〜 | 東京「君が代」裁判第一次訴訟(10・23通達5周年) | 東京地裁103 |
10月23日(木) | 18:30〜 | いろりばた会議「その後の柏崎刈羽」 | たんぽぽ舎(JR水道橋西口7分) |
10月24日(金) | 18:30〜 | JR採用差別問題の解決・要求実現をめざす中央大集会 | 日比谷野外音楽堂 |
10月25日(土) | 10:00〜 | 環境シンポジウム2008千葉会議 | 千葉市文化センター |
10月25日(土) | 13:00〜 | アラカイパ友の会15周年記念 「マリアのへそ」上映&フィリピン現地スタッフによる講演会 |
船橋市東部公民館(JR津田沼北口4分) |
10月25日(土) | 13:30〜 | 反原子力の日 集会&パレード | 千駄ヶ谷区民館2F集会室 |
10月25日(土) | 18:00〜 | 学校に自由を!集会 講師:堀尾輝久 | 星陵会館 |
10月25日(土) | 18:00〜 | 「アメリカの時代」の終わり方 講師:板垣雄三 | 全水道会館4F(水道橋東口3分) |
10月26日(日) | 10:00〜 | 国鉄労働者1047名の解雇撤回!団結まつり | 亀戸中央公園B地区 |
10月26日(日) | 13:00〜 | 6歳の春を分けるな!シンポジウム&コンサート 講師:坂本セキ之輔(東松山市長)・東俊裕(弁護士) コンサート:李政美 |
東京都仕事センター(飯田橋東口7分) |
10月26日(日) | 13:30〜 | 共に育つ教育をすすめる千葉県連絡会・就学相談会 | 千葉市生涯学習センター大研修室 |
10月27日(月) | 18:00〜 | NPO現代の理論・社会フォーラム <変革の理論を考える・オルタクラブ> 報告者:湯淺誠 |
専修大学神田校舎1号館8A教室 (地下鉄神保町6分) |
10月29日(水) | 18:30〜 | 第9条と平和維持活動 国際紛争の現場から 伊勢崎賢治 | 総評会館201 |
10月30日(木) | 11:00〜 | 長尾原発労災裁判第1回控訴審 | 東京高裁812 |
10月30日(木) | 18:00〜 | 沖縄戦首都圏の会連続講座9「オーラルヒストリーの力 ―住民証言から見える沖縄戦」講師:中村政則 |
文京区民センター(地下鉄春日) |
10月31日(金) | 14:00〜 | 大江・岩波沖縄戦裁判判決 | 大阪高裁 |
11月1日(土) | 14:00〜 | いちまさこ出版記念講演会 | 神戸学生青年センターホール |
11月2日(日) | 12:00〜 | 国鉄1047名解雇撤回!全国労働者総決起集会 | 日比谷野外音楽堂 |
11月3日(月) | 13:00〜 | 平和への大結集・千葉・憲法講座5 「自衛隊イラク派遣違憲判決の意味」 西川研一 |
千葉市文化センター・セミナー室 (JR千葉&京成千葉中央10分) |
11月5日(水) | 13:10〜 | 河原井&根津裁判 本人尋問(河原井純子・根津公子) | 東京地裁 |
11月6日(木) | 13:20〜 | もんじゅ・西村裁判 | 東京高裁809 |
11月7日(金) | 10:30〜 | ともに育つ教育を進める千葉県連絡会 県教委交渉 | 千葉新都市ビル |
11月7日(金) | 18:30〜 | 「あきらめない―続・君が代不起立」大上映会 | なかのZERO小ホール |
11月9日(日) | 10:00〜 | マツシロのつどい | 松代・像山地下壕入口集合 (長野駅バス約1時間) |
11月13日(木) | 11:00〜 | 嘱託採用拒否裁判控訴審 | 東京高裁817 |
11月15日(土) | 14:00〜 | 東京地教研「江戸城から三番町へ」 | 地下鉄竹橋駅大手町方面改札口集合 |
11月16日(日) | 午後 | 市東さんの農地取り上げに反対する会パネルディスカッション | プラザ菜の花 |
11月17日(月) | 18:30〜 | こうなったら裁判に訴えるしかない 君が代不起立個人情報保護裁判 提訴集会 |
横浜市技能文化会館802 |
11月18日(火) | 14:00〜 | 強制連行山形訴訟 | 仙台高裁101 |
11月19日(水) | 15:00〜 | 休憩時間訴訟第3回控訴審 | 大阪高裁73(別館7F) |
11月22日(土) | 10:50〜 | 和光中学校・高等学校教育研究集会 全体会「新学習指導要領と和光の学び」 講師:田中孝彦 |
和光学園(小田急線鶴川駅より 鶴川団地行き「団地折り返し場」下車) |
11月22日(土) | 14:00〜 | 「週刊金曜日」創刊15周年記念“大集会”(全席指定) | 九段会館ホール |
11月22日(土) | 18:00〜 | 劣化ウラン兵器の禁止を求める国際行動デー 講師:豊田直己 | 文京区民センター(地下鉄春日) |
11月23日(日) 〜24日(月) |
第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議 | 東京在日韓国YMCA | |
11月29日(土) | 13:30〜 | 東京・教育の自由裁判をすすめる会 総会&記念講演 講師:醍醐聰 |
日本教育会館7F会議室 (地下鉄神保町6分) |
11月30日(日) | 13:30〜 | 「人権とジャーナリズムを語る」 講師:山口正紀 | かながわ県民センター1501 |
12月6日(土) | 18:00〜 | アジアフォーラム横浜・証言集会2008 | かながわ県民センター・ホール |
12月7日(日) | 19:00〜 | 「トラ・トラ・トラ」 佐渡山豊、中山ラビ、遠藤ミチロウ | ZHER THE ZOO YOYOGI(代々木1-30-1 代々木パークビルB1F) |
12月10日(水) | 18:30〜 | 南京大虐殺幸在者証言集会 | 神戸学生青年センター |
12月10日(水) | 19:00〜 | アムネスティ世界人権宣言60周年記念コンサート 鬼太鼓座×OKI |
新宿文化センター大ホール (新宿三丁目10分,地下鉄新宿苑前12分) |
12月13日(土) | 14:00〜 | 東京地教研「池袋〜『ヤミ市』から副都心へ」 | 東京芸術劇場正面エスカレータ前集合 |
12月16日(火) | 14:00〜 | 解雇撤回裁判控訴審第5回口頭弁論 13:30集合 | 東京高裁 |
12月20日(土) | 18:15〜 | 連続セミナー「〈ナクバ60年〉を問う」4 | 文京シビックセンター4F シルバーセンターホール(地下鉄後楽園) |
12月23日(火) 〜26日(金) |
東京演劇アンサンブル「銀河鉄道の夜」 | ブレヒトの芝居小屋(西武武蔵関北口7分) | |
12月25日(木) | 15:00〜 | 東京「君が代」裁判第一次訴訟結審 | 東京地裁103 |