全国教研と教育基本法・憲法 | 渡部秀清(浦安高校分会) |
憲法・教育基本法の改悪に反対する 数学の問題、または壮大な統一戦線を作ろう!!! |
T.T.0259・船橋法典高校分会 |
教育行政への生徒参加を | とりづかよしかず |
まなび、考えることは、なぜ難しいのか? | 近 正美・生浜高校分会 |
歴史は繰り返すのか? | 日渡孫右衛門 |
憲法と教育基本法を生かすのは、 人類と日本国民の責任である! |
小幡 勉・県立京葉工業高校分会 |
真の自由をわれわれの手に取り戻そう | みつはし・ひさお 船橋旭高分会 |
おかしいことをおかしいと言うこと | 萩倉 良・松戸南高校分会 |
「女子供」しか頼りにならない | 中村美彦・京葉高分会 |
お知らせ |
1月26〜29日、宮崎で開かれた日教組全国教研に参加してきた。
開会全体集会の主催者挨拶の中で、榊原委員長は次のように述べた。
「文部科学省は、『教育の憲法』とも言われる教育基本法の『見直し』を中教審に諮問しました。その理由に危険な国家主義、民族主義の意図が見え隠れしています。憲法の平和的理念を実現するために作られた教育基本法を変えるということは、憲法のその理念をも変えていくことを意味します。私たちは全国民とともに『教育基本法を読み,生かす』運動を展開し、改悪を断固阻止していかなければなりません。日教組としてもまさに正念場、踏ん張りどころのたたかいです。」
また、地元を代表して挨拶に立った宮崎県教組の土田委員長は次のように述べた。
「11月9日以降、海空の自衛隊が続々とインド洋に向けて出動しました。『教え子を再び戦場に送る』ことを許してしまったのです。このような中で、『戦争のできる国づくり』の総仕上げとして、憲法・教育基本法の改悪をめぐる動きがいっそう強められることは明らかです。さらにその先に、徴兵制度の復活を見すえているのはまちがいありません。私たちは、憲法第9条を守り、『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンを堅持する立場から、自衛隊の派遣に断固反対します。」
さらに、今回の記念講演に立った加藤周一氏は、ぎっくり腰になった体をおして会場に駆けつけてくれ、講演の中で次のように述べた。
「現在の日本は二つの分かれ道にさしかかっている。憲法の前文にある理想を捨てるのか、それを積極的に生かしていくのかという分かれ道だ。前者は、『戦争廃止は理想にすぎず、非現実的』と言う。しかし、そうとは限らない。理想は現実味を帯びてきている。逆に今の戦争は現実的ではない。目的達成の適切な手段ではない。朝鮮戦争では統一を目的としたが、分断になってしまった。湾岸戦争はイラクのフセイン体制を覆そうとしたができなかった。アフガン戦争はビンラディンの捕捉とテロ根絶が目的だったが、その目的はいずれも達成されていない。だから、平和主義が非現実的とは言えない。むしろ現実的なのだ。……憲法を再生することが求められているが、教育こそはその再生をする仕事だ。平和や民主主義はその理想に向かって努力をしていく過程である。教育は『これでおしまい』ということはない。教育基本法は理想に向かって進む過程を述べている。」
私の参加した「平和教育分科会」でも、各県の参加者から戦争に結びつく教育基本法・憲法改悪の危機と日教組がそれと闘うことを要求する声が上げられた。
しかし、教研の基調やアピールでは闘う姿勢は極めて曖昧だった。
したがって私たちは、今回委員長の挨拶などに表れた日教組本部の闘う姿勢を評価し共に運動を発展させるとともに、パートナー路線の日教組本部に幻想を抱くことなく、自ら「教え子を再び戦場に送るな!」のスローガンをしっかり掲げ、教育基本法・憲法改悪反対闘争の先頭に立って奮闘することが求められている。それが、多くの生徒・保護者・市民の側に立つ教師としての社会的使命・責任ではないだろうか。
どうも誤解があるようなので最初に確認しておくと、ぼくは数学の教員である。「文章を読むととてもそうとは思えない」という人もいるかもしれないが、完璧な勘違い。だから、今回は、数学の―といっても簡単な問題からスタートする。
【問1】次の( )に適語を入れよ。
ベクトルは、( )と( )をもつ量のことである。
【問2】3つの集合A、B、Cについて、図の斜線部分を記号で示せ。
【同じ向きを持つすべての人と連帯しよう】
例えば、憲法や平和について、いろいろな考えを持つ人が一直線上に並んでいるとする。乱暴な仮定なのは承知している。でも、話を1次元ではなく多次元に移すと「アノ人は平和憲法に対する態度は立派だが、酒の飲み方が気に食わない」とか「運動をリードする才能はあるが、歌が下手だ」…とかいって、収拾がつかなくなる。だから、一直線上に並んでいると勝手に思う。
なぜこんなことを考えるかというと、ぼくには小さなことだとしか思えないことがネックとなって、統一行動ができないことが多すぎるからだ。
半ば笑い話として読んでほしいが、1997年秋に新・ガイドラインに対する闘争があった時に「新ガイドライン安保」と書いていた人たちと「新安保ガイドライン」という人たちがいた。ぼくには、この違いはサッパリわからない。きっと社会科学的に重要な違いがあるのだろうから、わかる人は教えて。
そして、去年の9・11以後。ぼくが出た集会の多くの基調は「テロにも、報復戦争にも反対!」。実は、このスローガンに対しても、いろいろな意見がある。「あのテロは絶対に許せない」から「テロと戦争を同一視するのはアメリカの犯罪性を免罪するものだ」−まで。要約の仕方が粗雑だって?数学の教員なんで、勘弁して。
ぼくは、この違いを些細なものだというつもりはない。ぼくの中にもかなりのこだわりはある。ただ、それでも、最初に断ったようにそれぞれの人が一直線上に並んでいるとすれば(繰り返すが乱暴!)、この違う意見を持った者同士が、戦争反対・改憲反対の思いで共同行動をしなければ、ぼくたちに勝ち目はない。
【内に籠るのではなく、それぞれを生かした運動を!】
紙数がつきてきた。でも、ここまで読んでくれた人は「集合」に関してぼくが言いたいことは予想できると思う。
それぞれの違いにこだわって仲間内だけの運動(共通部分)をするか。それぞれの違いを認め合って(そんなことは当たり前だ!)幅広い統一戦線をつくるか?
もう時間がない、今が最後のチャンスかも知れない。
先日、校長から校務分掌公選廃止、議長団制廃止の提案が出され、職員会議で採決の結果、賛成多数で可決されてしまいました。これまで学年主任や部長を全員の選挙で選び、職員会議も選挙で選んだ議長団が司会をし、必ず採決をしていました。そうした民主的な制度が廃止されたのです。教員が自らの権利を自ら放棄する、しかも民主的なやり方で民主的な制度を否定するというなんともなさけない事態です。
毎年生徒が出す「卒業式についての要望書」のあつかいについても同様。今年の生徒の要望は、従来の「日の丸・君が代なし」に比べるとずっと後退した内容だったのですが、それでも受け入れ賛成は少数で否決してしまいました。特に最近送り込まれた幹部候補生たちの発言は聞くにたえないものです。要望書の内容を問題にする以前に、生徒が要望を出すこと自体を問題視し「生徒は指導されるもの」などと言い「国旗にきちんと礼をするように指導しろ」などいいたい放題。
こうした教員よりも、生徒たちの方がはるかにりっぱです。先日松戸市で行われた「なの花県民会議」に、昨年の卒業生と在校生が出て、発言したそうです。昨年、卒業式問題で県教委に請願書を出した卒業生たちは、堂本知事にマイクを向けられると、昨年の県教委の不誠実な対応について語り、彼らがつくった『命令よりも話し合いを』という冊子を知事に手渡したそうです。在校生は、三者会議について語り、いずれも会場から大きな拍手をもらったとのこと。
読売新聞地方版は、冊子を手渡している卒業生のカラー写真を載せ、「若者中心に積極発言」という見出しで紹介、堂本知事の「高校生がどんどん発言してくれて頼もしく思った」との言葉を載せています。「千葉日報」も「積極的に若者発言」との見出しをかかげました。
自分の言葉をもたないあやつり人形のようなヒラメ教員と自分の頭で考え自分の言葉で語り行動する若者たち。未来をきりひらくのがどちらであるかは言うまでもありません。
最近、中教審や文部科学省が子どもの学力問題をとりあげ、朝の読書や宿題を増やすことなどを提言していますが、年寄り連中が自分の何十年も前の体験だけをたよりに井戸端会議をしているようにしか思えません。どうして子どもや現場の教員の声を聞こうとしないのでしょう。
欧米では、学校運営を教員だけで行う時代はすでに20年も前に終わり、今は教員・生徒・保護者の三者で学校をつくることが当り前とされています。フランスでは、教育行政への生徒参加が法的に認められ、中央教育審議会に正式に高校生代表が3名参加しています。日本でも中教審に高校生代表が参加するようになれば、教育も大きく変わっていくはずです。県や市町村の教育委員会会議に生徒の代表を参加させて、これからの学校教育をどうすべきか、ともに考えていけばいいではありませんか。
「生徒は指導されるもの」という見方から、生徒は「ともに学校教育をつくっていくパートナー」という見方に転換することが求められています。教育基本法はけっして古びてはいません。むしろ「自主的精神に満ちた」人間を育成するという教育改革の理念をはっきりと示していると思います。
9・11の前と後で世界は変わったのか?実は何も変わってはいないのはなぜか?
それは、アメリカ合衆国が9・11の前に学ぶべきことを学び得なかったように、9・11の後にも何も学んでいないからだ。この何も学んでいないということから、私たちは何を学ばなくてはならないだろうか。
中学生が図書館で注意をしたおじさんを殴り殺した事件が起きた。かれらは、いまの社会から多くを学んでいる。あの中学生や高校生は「悪かどうかは、自己の判断に基づいて裁かれ、その結果として、非があれば際限のない制裁を加えて構わない」ということを言っている。まるでブッシュの演説を聴いているようではないか。
いま、私たちはそのような時代に生きている。翻って日本国はどうか。「戦後」一貫して歴史を無視し、事実から何も学ばずにきたのが日本である。いろいろあったことも「なかったことにしてしまえば済むのだ」ということが堂々と語られる時代になってしまった。「一国平和主義は世界に通用しない」と騒ぐ人たちがいるが、カレラこそ「一国ご都合主義」以外のなにものでもない。なにしろ自分たちに都合の悪いものはないことにしてしまうのだから始末に負えない。こんなことがもっともらしく語られる時代。かつてそんな時代があったと高校のころ習ったような気がするが…。
歴史は繰り返すのか?
グローバル資本主義がキリスト教なら、奪回すべき聖地エルサレムは全世界か?
ホワイトハウスがヴァチカンなら、教皇はブッシュか?
対テロ戦争が十字軍なら、小泉はリチャード獅子心王か?
ネットバブルの崩壊が大恐慌なら、アフガニスタンは満州か?
暫定政権が満州国なら、溥儀はカルザイか?
9.11テロが柳条湖事件なら、盧溝橋事件はいつどこで起きる?
イスラエルがドイツなら、パレスチナはズデーデンか、ポーランドか?
パレスチナ人がユダヤ人なら、ヒトラーはシャロンか?
ナブルスの今夜が「水晶の夜」なら、国際連合は国際連盟なのか?
やめてくれ、悪い冗談は。
俺たちは新しい歴史を書く。
聖書にも、「最終戦争論」にも、「我が闘争」にも書いてない歴史を、俺たちの言葉でね。
はじめに
教育基本法の改悪が国会の日程に上ってきた。それは教育基本法が「さきに日本国憲法を制定して、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようと決意」し、その「決意」を実行できる人間を育てるためには「根本において、教育の力にまつべき」として制定されたからである。だから、憲法改悪の手始めに、教育基本法を国会内の多数をもって改悪しようという魂胆なのである。
−憲法・教育基本法改悪論者も認める憲法・教育基本法の価値とは−
教育基本法改悪は、戦後保守層の悲願であった。その経緯と概要が「教職研修」2月号に掲載されている。面白いのは「確かに条文を見ているだけでは、問題点は浮かんでこない。世界中のどこにでも通用する普遍的な理念が盛り込まれているからである」と憲法と教育基本法の人類的価値を憲法と教育基本法改悪論者でさえ否定できない。それでは、憲法と教育基本法の基本的価値とは一体何であろうか。私なりに言えば、第97条に明記されている「基本的人権の本質」に注目する。これが国民主権主義、議会制民主主義と地方自治と連動し、第9条の平和主義として具体化されるのである。憲法は天皇であっても、尊重が・擁護が義務づけられている。それは人類の価値が明記されているからである。
−人権尊重こそが、憲法の平和主義の土台−
私は、憲法を「憲法の家」として図式化して教えている。
憲法では前文で「平和とは『戦争のない状態』だけでなく、[1]安全と生存が保持・維持されている状態、[2]専制と隷従のない状態、[3]圧迫と偏狭のない状態、[4]恐怖と欠乏のない状態、を「平和」な状態と規定している。これは私の解釈である。
4F | 平和主義 |
3F | 議会制民主主義 地方自治 |
2F | 国民主権主義 |
1F | 人権尊重主義 |
これが「平和のうちに生きる権利」と言われているのである。平和の土台は人権が尊重されてはじめて成り立つ。人権が尊重されていなければ、平和であるはずがない。土台が崩されているのである。こうなると「戦争のない」日本が「平和でない」ことが一目瞭然となる。「平和ボケ」などと言ってはいられない状態が、現在の日本である。詳しくは言わない。
−人権を尊重するからこそ、非暴力的手段で紛争を解決することが明記された−
憲法9条に、国際紛争を解決する手段として戦争や武力、威嚇を永久に放棄した。だから、戦力も国家の交戦権も否定したのである。では国際紛争をはじめとして、人間社会の争いはどんな手段で解決できるのだろうか。それは非暴力的手段によって解決するのである。これこそが、人類が到達した最高の価値である。それは人権尊重を前提にしている。
次に対等な人間関係・立場が見えてくる。「自国のことのみに専念し、他国を無視してはならない」という考え方である。これは個人から民族、そして国家にも通ずる人類的到達点である。これを否定することは不可能であろう。しかし、改悪論者たちは、この到達点をねじ曲げているが、このウソとペテンは歴史の進歩によって是正されるであろう。
−教育基本法改悪論者のウソとペテン−
教育基本法改悪論者たちは、その理由を「誇りある日本人」を育てることを教育目標として、自然・伝統・文化の尊重や仮定・郷土・国家の尊重、宗教的犠牲教育などいわゆる日本人の道徳的規範を育てることをあげている。しかし、この課題は「世界中のどこでも通用する普遍的な教育理念」を徹底して教えていけば、憲法と教育基本法を「改正」しなくてもできる問題である。彼らの本音は「教育勅語には戦前の超国家主義的な文言もあったが、親孝行・友情・夫婦愛といった時代を越えた道徳の基準=先人の知恵も参考にする必要」を説いているところに端的に見えている。教育勅語が「天皇のために死ぬ」ことを最高の美徳としていたからこそ、戦後排除・失効の決議をあげたのだが、これをGHQの責任にスリカエている。そんなにアメリカが憎いのであれば、安保条約をどのように評価するのか。また、日本の道徳の基準=先人の知恵は中国から輸入されたものでもあり、侵略した中国や朝鮮にも、親孝行や友情、夫婦愛があったことを戦前はどのように子供に教えたのか、はっきりさせてほしい。ゴマカシもいいかげんにしてほしいものだ。
−天皇制も歴史の中で変わらざるを得ない産物である!−
教育勅語は、天皇を現人神として「神聖絶対不可侵」として教え、絶対服従を学校や社会で強要した基本的文言として、大きな役割を果たした。これは歴史的事実である。また、昨年NHKが「日本人、はるかな旅・私たちはどこから来たか」の中でDNA研究の成果として、私たちの祖先がシベリヤ中部のバイカル湖周辺で生活しているブリヤート人であることを放映した。また、昨年の天皇誕生日には、天皇家の祖先が百済の武寧王の関係者であることを歴史上はじめて明らかにした。これはすでに周知の事実であったが、天皇自身の言葉として語られたことの意味は大きなものがあった。
−「人間はみな平等である」ということが一歩一歩確認される時代が…−
「朝日」の世論調査によれば「女性も天皇になれるようにした方がいい」と思っている人は、83%に上ったそうだ。具体的な理由となる記事がなかったから分からないが、明らかに憲法の人間<男女>平等原則の「定着」(現実は不平等が多い!)と見てよいのではないか。歴史上「女帝もいたから」などという理由を持ち出している人物や記事があったが、明らかに憲法理念は定着してきたと言える。マスコミが、菊タブーを打ち破り、男女<人間>はみな平等であり、主権は国民にあるということをもっと意味づけて報道していれば「象徴」とはいえ特別の人間集団(皇室)が存在することに疑問を持つ人間が出てきてもおかしくはない。それは「皇室に親しみを持っている」と答えた人が男性54%、女性73%いたという「朝日」の世論調査や愛子ちゃん誕生の特番の視聴率が軒並み3%に届かなかったことを見れば「親しみ」の中身が見えてくる。これはある意味では歴史の進歩であろう。これが今日のご時世である。
−非人道的行為には時効は適用されないことが明らかに−
愛子ちゃん誕生からまもない4日、オランダのハーグで「日本軍事性奴隷制」を裁く「女性国際戦犯法廷」が従軍「慰安婦」問題で昭和天皇を含む10人の戦争し同社を「人道に反する犯罪の責任があり、有罪とする」判決を下した。これが今日の国際社会の常識である。このことを抜きにして「日本人の誇り」を語ることはできない。これは歴史的事実、歴史の進歩である。憲法や教育基本法を改悪しようと必死になっている人々は、今日の日本の経済や国民生活、国際社会の現実をスリカエルことなく直視する必要がある。アメリカ一辺倒になって集団的自衛権の行使に道を開こうとして、教育基本法改悪から憲法改悪へと、その道を上り詰めようとしているが、これまで見てきたように、それは無理である。
われわれは、自由を守るために闘い続けている。思想・良心の自由のために、内心の自由のために、信教の自由のために、表現の自由のために、学問の自由のために、あらゆる精神的・社会的自由のために闘い続けている。われわれは、われわれを拘束するいかなるものにも断固として反対する。これらのことは、われわれが絶対に譲ることのできないもっとも基本的な権利、人間の人間たる証だからである。
だからわれわれは、学校においても、職場においても、一般社会においても、自由が侵害されることに対しては、徹底的に反撃しなければならない。生徒・保護者・職員の内心に土足で侵入して「日の丸・君が代」への崇拝を強制するような状況を許してはならない。
人間の自由は、近代という時代が目指してきた崇高な理想であった。ルソーにとって自由とは、人間のもっとも根源的な姿であったはずだ。カントが「人間としての義務」を説くとき、そこには人間の自由に対する限りない信頼があったはずだ。サルトルが「人間は自由の刑に処されている」と言うとき、そこには人間が自由であることの価値と責任が語られていたはずだ。そして近代という時代は、自由な人間を基本単位として、相互に平等な、自由な市民社会の建設を目標として、これまで進んできたはずだ。
しかし、今日、世界には「自由」を僭称する魑魅魍魎が跋扈している。資本という名のその魑魅魍魎は、「自由」の名の下にあらゆる収奪を正当化し、「自由」に人の自由を奪い、「自由」に人の幸福を奪い、人の命を奪うことさえその「自由」の範疇に含めようとする。新自由主義を信奉する人々は、規制緩和による「自由」な市場が活力ある経済社会をもたらすと主張する。そのためには、自由貿易を全面的に推進し、まったく規制のないグローバルな市場の実現を目指す。これに抵抗する「自由」世界の敵は、武力をもって殲滅しなくてはならない。発展途上国の遅れた人々に対しては、物欲による誘惑が効かないときは、実力をもって従わせるほかはない。
たしかに経済指標は、経済の量的拡大を示している。しかし、それによってだれが幸福になったのだろうか。たしかに、リストラによって一部「優良」企業の業績は向上している。しかし、それによってだれが満足を得たのだろうか。かつては、一部の富める者たちが「幸福」を手に入れることができた。しかしいまは、富める者も貧しき者も、資本家も労働者も、企業戦士も失業者も、「勝ち組」も「負け組」も、だれも幸福になれない。
不況下で社会の労働総量そのものが減少しているにもかかわらず、勝ち残るためには命を削って働き続けなければならない。そして、過労死する。このような企業戦士の不幸は、リストラされ路頭に迷う失業者の不幸と表裏一体である。しかも、そのような営みによって、経済社会は人間にとってますます住みにくい方向に向かっている。
経済活動は紛れもなく人間の活動であるが、にもかかわらず人間の意志から離れ、人間の意志に従わず、自分独自の行動原理を持ってしまった。自由は、人の営みのありかたであるが、人の意志を離れ、逆に人に向かって襲いかかっている。これを疎外という。
このような現象があることに最初に気づいたのはヘーゲルであり、それを具体的な労働現場の状況において分析したのがマルクスであった。マルクスを掲げる「超大国」ソビエト連邦が崩壊して10年。この間、資本の楽天地アメリカ合衆国は史上空前の経済繁栄を謳歌し、その支配を全世界に拡張した。そしてそれによって、解きがたい矛盾もまた全世界に蔓延することになった。この矛盾を解決するには、自爆テロしかないというのだろうか。
本来、自由とは自らの意志のみに従うことであったはずだ。このことは、「自由」という名の欲望に支配されることとはまったく違う。
われわれが真の自由を取り戻すためには、資本の「自由」な振る舞いを規制し、われわれ自身の意志に従わせなければならない。無駄な規制は緩和しなければならないが、経済活動に対する規制そのものは必要不可欠である。それをやらなければ、われわれは資本の奴隷になるだけだ。そのような「自由」な状況は、そのようなグローバリゼーションは、そのような規制緩和は、自由の名に値しない。
自由な討論と理性的な判断によって、資本の「自由」を制限しよう。魑魅魍魎を鎖に繋ごう。そして、だれをも幸福にしない、この狂った「自由」世界を、もう一度われわれの手に取り戻そう。真の自由を回復しよう。
アフガニスタン復興の会議が日本で開かれ、支援策が話し合われた。会議そのものは重要だが、20年に及ぶ戦争とどん底の貧しさにもかかわらず世界から見向きもされてこなかった国を、ミサイル攻撃でさらに破壊しておいて、今度は復興のための支援とは、普通に考えたらまったくおかしな話である。そんなおかしな話でも、テロでツインタワーが壊された衝撃の記憶の前では、平然と、もしかしたら美談のように流通する二重のおかしさ。オサマ・ビン・ラディンはいったいどこに行ったのか。そもそもかつて彼に武器や資金を提供していたアメリカが、どうして彼に向かって正義などを語れるのか。そして、罪のない人々や飢えた子どもたちが、ツインタワーの犠牲者と同様に死んでいく。
そんなアメリカでも、少数ながら報復の軍事行動を批判する人々がいる。ケイティー・シエラという高校生は、反戦の主張を記したTシャツを着て、アメリカの軍事行動に抗議した。学校から謹慎処分をうけ、退学したものの、自分の主張を曲げることをしなかった。ケイティーの母親は、アメリカの軍事行動を支持しながらも、娘の思想信条は尊重して守りたいと自分の信念を公言し、ケイティーの言動をめぐっては、地元新聞では延々と賛否の議論が続いている(インターネットで見られます)。
たとえ自分と意見が違っても、他者が筋を通して主張する権利を尊重するのは、互いの尊厳と自由を守る上で最も基本的な原則である。そこに命令や威圧、脅迫や暴力があれば重大な侵犯行為であり、事実をねじ曲げたり捏造したりするのは冒涜である。国家としてのアメリカは自分たちが世界の中心にあるかのような尊大さを感じることがあるが、この社会の健全さは、一人の高校生が投げかけた議論に真面目に向き合おうとする寛容で柔軟な精神にあるように思える。
おかしいと思っても言えない、もしくは言うのも面倒だし言っても無駄だから黙ってしまう。あるいは、まわりの動向を感知しながらそれに合わせたほうが有利だとする判断が優先する。そこに、組織や行政機関あるいは世間やメディアという圧力─これは同調圧力の場合もあるし命令や暴力の場合もある─が常態化する社会は、息苦しく、自他の尊厳も人間性も大事にできない社会となりかねない。
おかしな言説が流布しても黙っていることの多いこの社会で、筋を通して自由な議論をしていくのは、極めて消耗の激しい作業のように思われる。だからこそ、多様な意見をぶつけあいながら「おかしいことはおかしい」と共感し刺激しあうことは大変貴重で、そのことによって大いに励ましや勇気が与えられる。この数年、私たちの社会が閉塞していくなかで、見失ってはいけない古くて新しい当たり前のテーゼが、ますます明確になってきたように思えてならない。
いきなりひどいタイトルでカチンと来る人がいるかもしれませんが、しばしおつきあい下さい。ついでに少し関係はあるけど本論とはあまりつながらない雑談を一つ。
女性部はあるけど男性部はなく、青年部はあっても成年部はない。組合運動の中にもこの種の偏見が少なからずあるのでは、とたまに思います。民間では相変わらず、青婦部などという専門部が存在したりします。まさに「女子供」ではないか、と驚いてしまいます。先輩の一人で青年部延長案が出たとき、「みんないやがるのではないか、俺も早く卒業したいと思っていたよ」、と言った人がいて驚きました。ぼくは組合の役職としては青年部長が一番あっていたと思うし、出来ることならいつまでも青年部でいたかったからです。単にいつまでも成長できずにいるだけかもしれませんが、相変わらず年下の友人とわいわいやることが楽しくて仕方ありません。
ぼくは年に数回地元の駅頭でビラをまいています。こういう生活を十数年も続けていると、なにごとにも「習熟」というものがあるものだなという感慨を抱きます。ビラまきでも食っていけるのではないかと思えるほどです。しかし、最初は、ほとんどの人がビラを受け取らないことに愕然としました。でも、そんなことはまさに個人の自由であり、「なぜ受け取らないのか」と考えること自体思い上がりも甚だしいものだとすぐに気が付きました。自分は「正しいこと」をやっているのだから、ひとはそれに応えるべきだ、という卑しい思いを消したいものだと思いました。おっとまたずれてしまいました。ずれたついでにもう一つ。「受け取ってもらえない哀しさ」が良く分かりますので、街頭で配っているものは基本的に受け取ることにしています。同じように考えている仲間もやはりいるようです。何かほほえましい感じですね。
さて、いくら習熟したといってもビラを受け取ってくれるひとは一割を切ります。特に成年男子は非常にガードがかたく感じられます(ネクタイしてる奴は特にひどい)。何をそんなに身構えているんだ、と理不尽にも思ってしまいます。しかし、それは、まさに余裕がないということなのでしょう。仕事のことで精一杯、自分のことで精一杯なのだと思います。駅員への暴力が最近話題になりますが、国労の仲間に聞いたところ、ほとんどの加害者は中間管理職以上だとのことです。ビラなんか構っていられないわけです。
10月21日はベトナム北爆開始の日で、このことを忘れない取り組みとして「10.21国際反戦デー集会」がかつて日本中で行われていたようです。高教組も5単産の仲間と集会を開いていますのでご存じの方が多いと思いますが、ぼくの住んでいる市原でも地区労が中心となって毎年開催しています。この集会への参加を呼びかけるビラまきは他のものとは明らかに違いました。ネクタイ族の反応はほとんど変わりませんでしたが、お母さん(昔であっても、今であっても)らしき人はほぼ受け取ってくれました。面白いのは高校生の反応でした。結構受け取ってくれたのです。春闘や労働相談では興味がわかないが戦争には高い関心があるということでしょう。「テロも報復戦争も反対です」という呼びかけに強く反応したお母さんと高校生、この健全な反応を包み込める運動を目指せばよいのだと思った次第です。
ここまで書いてきて最初の意図とちょっと違った思いを抱いている自分に気が付きました。10.21集会で「リストラ」を取り扱うという本部の提起に、中央委員のかたがたは不平・不満を隠しませんでした。しかし「平和問題とリストラは一体である」ということはこういうことなのでしょう。労働運動即平和運動だと強く感じています。
2月9日(土) | 13:00〜 | 「日の丸・君が代」が強制される地域・学校を考える2.9集会 野田正彰 |
ヴィータ多摩市関戸公民館 (京王線聖蹟桜ヶ丘3分) |
2月9日(土) | 13:30〜 | 西川重則講演学習会 | 山梨県立文学館(県立美術館隣) |
2月9日(土) | 13:30〜 | 教育基本法の見なおしを考える講演会 小森陽一 | 埼玉県労働会館 |
2月9日(土) | 14:00〜 | 教育基本法・憲法改悪反対! 「日の丸・君が代」強制反対千葉県民集会 |
千葉県教育会館大ホール (千葉15分、京成千葉中央6分) |
2月9日(土) | 18:00〜 | アフガニスタンの現状を知る長倉洋海さん「スライドとトークの会」 | 千葉市生涯学習センター (千葉10分、中央図書館内) |
2月9日(土) | 18:30〜 | 「君が代」ピアノ伴奏強制を許さない集会(仮称) 野田正彰 | 国分寺勤労福祉会館 |
2月10日(日) | 「蒼い記憶」上映会 10:00〜 13:00〜 | 市川市民会館(本八幡7分) | |
2月10日(日) | 13:00〜 | 山川暁夫さんの思い出を語る会 | 文京区民センター(春日2分) |
2月10日(日) | 13:30〜 | 勤労者自主講座「民主主義を生きるとは」 真崎洋(「ひらく」編集部) |
豊島勤労福祉会館 (池袋西口7分、消防署隣) |
2月10日(日) | 13:30〜 | アフガニスタン侵略反対 戦争法と憲法改悪に反対する2.10集会 | 天王寺区民センター |
2月11日(月) | 10:00〜 | 第28回千葉県自治体学校 「地域の豊かさと可能性」八幡一秀 | 勤労市民プラザ(蘇我3分) |
2月11日(月) | 13:00〜 | 「建国記念の日」に反対する神奈川県民のつどい 徳武敏夫 ビデオ上映「日独裁判官物語」 |
かながわ県民センター (横浜西口5分) |
2月11日(月) | 13:00〜 | 「建国記念の日」反対集会 講師:ダグラス・ラミス | ベルクよこすか6F (京急横須賀中央6分) |
2月11日(月) | 13:30〜 | 戦争から平和へ〜教育基本法を生かす2.11集会 荒井信一他 | 東京YMCA |
2月11日(月) | 13:30〜 | 「建国記念の日」反対関西集会 | エル大阪6F(地下鉄天満橋) |
2月11日(月) | 13:30〜 | 教育基本法の改悪に反対する学習集会 成嶋隆 | 東方2001(広島市) |
2月11日(月) | 14:00〜 | 反戦・平和と教育基本法を考える2.11集会 奈良本英佑・高橋清一 | 全水道会館(水道橋2分) |
2月11日(月) | 14:00〜 | 思想と信教の自由を守る静岡市民集会 竹岡勝美 | 静岡産業経済会館大会議室 |
2月11日(月) | 14:00〜 | 許すな!憲法改悪 2.11市民のつどい 保坂展人 | 群馬県教育会館 |
2月11日(月) | 14:00〜 | 佐高信講演会 | フェニックスプラザ(福井市) |
2月11日(月) | 16:00〜 | 2・11反「紀元節」集会 デモ(西神田公園)18:00〜 | 文京区民センター |
2月12日(火) | 11:00〜 | 海上町産業廃棄物処分場行政裁判第1回公判 | 千葉地裁 |
2月12日(火) | 18:30〜 | テロ・報復戦争反対、交流討論会 | 市川教育会館(本八幡8分) |
2月12日(火) -4月12日(金) |
「日の丸・君が代」強制反対ホットライン(Fax.24時間対応) Fax.06-4793-0234 |
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2月14日(木) | 14:00〜 | 安全・安心の医療を守ろう 2.14国民大集会 | 埼玉スーパーアリーナ (さいたま新都心) |
2月15日(金) | 14:00〜 | 第19回保険大学公開講座「子どもの生活と健康」 | 船橋二和病院健康管理センター3F |
2月15日(金) | 18:30〜 | 「日の丸・君が代」の強制反対! 卒業・入学式を考える集いin市川 | 市川教育会館(本八幡) |
2月15日(金) | 18:30〜 | 外国人への差別を許すな・川崎連絡会議学習会 | 川崎市産業振興会館(川崎西口7分) |
2月15日(金) | 19:00〜 | 琉球アジアのお正月祝い 佐渡山豊・遠藤ミチロウ 要予約:Tel.03-5974-1333 |
琉球センターどぅたっち |
2月16日(土) | 12:30〜 | エシュロン国際会議 | 京橋プラザ区民会館 (有楽町線新富町5分) |
2月16日(土) | 13:00 14:30〜 |
高麗博物館と平和祈念展示資料館を訪ねる会 平和祈念展示資料館入り口集合(新宿住友ビル31F) 高麗博物館訪問・見学(大久保1-12-1第2韓国広場ビル9F) |
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2月16日(土) | 14:00〜 15:00〜 |
沖縄修学旅行「キャンセル問題」を考える ビデオ報告 シンポ:新崎盛暉・柴田健・村上有慶・森寿博 |
都立工芸高校(水道橋3分) |
2月16日(土) | 14:30〜 | 東京地理教育研究会「インドネシアはいま(仮題)」 加納敬良 | 平井コミュニティ会館 (江戸川区平井4-18-10) |
2月16日(土) | 14:30〜 | 有事立法を考える連続学習会1 小多基実夫 | 杉並区阿佐谷産業商工会館 |
2月16日(土) | 14:30〜 | 「日の丸・君が代」の強制に反対する新潟県住民集会 | 新教組会館(新潟市) |
2月16日(土) | 18:00〜 | 国際盗聴システム・エシュロンに反対する神奈川集会 | かながわ県民センター402 (横浜西口5分) |
2月16日(土) | 18:30〜 | 「日の丸・君が代」押しつけお断り学習会 | 宇治市職員会館2F大会議室 |
2月17日(日) | 13:15〜 | Peace and Justice for Afghan! 前田朗他 | 星陵会館(永田町5分) |
2月17日(日) | 14:00〜 | 「日の丸・君が代」強制による人権侵害を許さない! させられる教育、押しつぶされる子どもと教職員 野田正彰 |
高槻現代劇場(文化ホール) 2F展示室(阪急高槻市5分) |
2月18日(月) | 13:00〜 | 谷本富子さんの分限免職撤回訴訟 | 東京地裁民事11部書記官室 |
2月22日(金) | 10:00〜 | 藤井雅子さんの分限免職撤回訴訟 | 東京地裁701 |
2月23日(土) | 14:30〜 | 知念良吉オキナワの光と影をうたう〜巡る命の営みの輪の中へ〜 | SPACEのびらか(三鷹南口10分) |
2月23日(土) | 13:00〜 | 第47回子どもを守る文化会議・全体会 | 石和観光ホテル慶山 |
2月24日(日) | 9:00〜 | 第47回子どもを守る文化会議・分科会 | 勤労青年センター他 |
2月24日(日) | 13:15〜 | 「日の丸・君が代」強制をはねかえせ! 2.24コンサート・集会・デモin神奈川 趙博、新倉裕史 |
横浜市従会館4Fホール (桜木町・日ノ出町10分) |
2月24日(日) | 13:15〜 | 第72回教育問題リレー討論 | 金町地区センター |
2月24日(日) | 14:00〜 | 小泉流医療「改革」阻止県民集会 | 千葉県教育会館 |
2月24日(日) | 17:00〜 | 模擬授業・優しく学ぼう中学の歴史 | 市川公民館(市川北口5分) |
2月26日(火) | 14:00〜 | 伴さん不当配転人事委員会口頭審理 | 都庁第一庁舎38階 |
2月27日(水) | 19:00〜 | 水俣セミナー「水俣病に見る『人間の政治』」 栗原彬 | 環境パートナーシップオフィス (コスモス青山B2F) |
3月2日(土) | 13:30〜 | 女性国際戦犯法廷最終判決報告会 西野瑠美子 | 千葉市蘇我勤労市民プラザ |
3月5日(火) | 13:30〜 | 渡壁さん冤罪刑事事件裁判 (30分前に傍聴券配布) | 千葉地裁301 |
3月4日(月) 〜7日(木) |
18:00 〜20:00 |
「日の丸・君が代」強制反対ホットライン Tel.06-6365-8881 | |
3月4日(月) | 18:00 | 第78回命どぅ宝ネットワーク署名提出行動 | 衆議院議員面会所集合 |
3月7日(木) | 14:00〜 | 国立二小処分撤回都人事委員会審理 証人:澤幡勇二(国立二小校長) 13:30整理券配布,13:45抽選 |
都庁第一庁舎39F |
3月9日(土) | 13:00〜 | 国際婦人デー3.9東京集会 | 文京区茗台区民プラザ (丸の内線茗荷谷8分) |
3月9日(土) | 13:30〜 | 千葉県自治体問題研究所創立30周年記念連続講座1 戦後千葉県の民主運動 鈴木正彦 |
千葉県教育会館 |
3月10日(日) | 13:30〜 | 命どぅ宝・平和世コンサート12 | 上野水上音楽堂 |
3月10日(日) | 14:00〜 | オルタフォーラムQ研究会「社会保障制度はどうなるか」 梶本章 | 文京シビックセンターB2F (地下鉄後楽園3分) |
3月20日(水) | 19:00〜 | 是枝裕和監督とドキュメンタリー作品「しかし…」を観る | 環境パートナーシップオフィス (コスモス青山B2F) |
3月23日(土) 〜25日(月) |
TEST教育力向上講座 | ERIC国際理解教育センター Tel.03-3800-9414 | |
3月26日(火) | 14:00 | 東京地理教育研究会「六本木周辺現地見学」 案内:豊田薫 | 六本木日産ビル1F集合 |
3月26日(火) | 16:30〜 | 渡壁さん冤罪刑事事件裁判 (30分前に傍聴券配布) | 千葉地裁301 |
3月28日(木) | 14:00〜 | 伴さん不当配転人事委員会口頭審理 | 都庁第一庁舎38F |
3月28日(木) | 16:30〜 | 早川さん文京七中職業病解雇無効訴訟 | 東京地裁710 |
3月29日(金) | 11:00〜 | 中国人「慰安婦」裁判判決 | 東京地裁709 |