ひのきみ通信 第68号

2001年8月29日


目次

最近気になること 中村美彦・京葉高分会
県下すべての採択区で「つくる会」教科書不採択
 市民の良識の勝利です!
「子どもと教科書」千葉ネット21
いじめ死と学校の対応 岩脇克己・富山市
小泉首相の靖国神社参拝とこれからの日本 戸田玄
中国の若者達と靖国問題 「ひのきみ」通信・中国特派員A
小泉首相の靖国神社参拝に強く抗議する 「日の丸・君が代」対策委員会
渡壁さんの第一回公判を傍聴して 渡部秀清(浦安高校分会)
小泉首相の靖国神社参拝問題で抜けている議論 小幡 勉(京葉工業高校)
お知らせ

バックナンバー一覧へ戻る
トップページへ戻る


最近気になること

中村美彦・京葉高分会

 新潟で行われた1999年の日教組平和集会以降ずっと気になっていることがあって、最近それが特に強くなっている。それは小林よしのりや西尾幹二らの著作が、もちろん財界のサポートがあるにしても、大ベストセラーになっていることにみられるような大衆意識である。例の教科書が市販され、すごい勢いで売れているというニュースが流れている。それに対するものはもちろん、「自由主義史観」以降の右派勢力にたいして、学問的にまじめに批判した書物が数多く発行されているが、発行部数的にはまったく勝負にならない状況だ。われわれは馬鹿にしているばかりだが、実はとても危機的な事態にあるのではないのか。
 卒業式で「君が代」を聞くとジーンとくる、と言う同僚がいると話す仲間がいる。彼は特に右翼的ではないそうだ。ある教科の若い者たちが集まって「南京大虐殺なんて嘘だ。従軍慰安婦なんていない」と受け売りの話をしているのを聞いたと話す仲間がいる。そしてその話は自然にその分会の批判につながるのだという。藤岡某が登場した頃、都市部の学校で、社会科教師にくってかかる高校生がいると話題になった記憶があるが、彼らも教員になる年頃になっただろう。卒業生と話していて、担任をしばらくやっていないという話題になったとき、その中の一人はこう言った。「国歌のとき座ったりするからじゃないんですか」と。
 「日の君」において我々は多数派ではないが、相手側も同様だろう。大多数の他の人々は、「そんなことはどうでもいい」と思っている。彼らは自分では「どちらより」でもないと思っているかもしれない。しかし、どちらよりでもないということは、現実的には我々の側ではないということになるのではないのか。考えてみれば、大衆が「権力」よりに立つのはめずらしいことではない。最近の「小泉ブーム」を見ているとそういう気がしてくる。「国のために死んだ人をお参りして何が悪い」という、感情的で粗雑な言説が、予想外に受け入れられているような気がするのは僕だけなのか。
 我々は「どうでもいい」と考えている大多数の人々を説得しようとしているが、ここできちんと認識しておかなければいけないことは、彼らは「教えられること」など決して望んではいない、ということだ。議論しても考えが変わるような人の方が少ないだろう。つまり「日の君」において多数派をしめることはきわめて難しい情勢だと僕は思っている。しかし、だからあきらめる、とはもちろんならない。一歩一歩やっていくしかないし、いろいろな問題でいつも思うように「短期的には悲観的だが長期的には楽観的」だと考えてもいる。人類史の流れは確実に我々の側にあるからだ。

(「ひのきみ」通信47号にいただいた原稿です。編集部のミスで掲載が遅くなってしまいました。スミマセン。)

目次へ戻る


県下すべての採択区で「つくる会」教科書不採択
市民の良識の勝利です!

 8月16日、県教委が県内各採択区の採択状況を発表しました。これによると、「つくる会」教科書はすべての採択区で採択されないことが明らかになりました。この間の私たちの取り組みを通して「つくる会」教科書の問題性が明らかになり、県民の多くが問題意識を共有したことが大きな力になったと考えられます。千葉ネットとして以下の声明を発表しました。

「つくる会」教科書不採択にあたっての声明

 昨日、県教委は来年度から中学校で使用される教科書の採択結果を公表しました。きわめて当然のことではありますが、県内各市町村教育委員会が、教科書議員連盟や改善連絡協議会などの不当な政治的圧力に屈することなく、扶桑社版公民・歴史教科書を採択しないという良識ある判断をされたことに敬意を表します。
 扶桑社版教科書が検定に提出され、内容が知られるようになると共に、教職員をはじめ保護者・市民の間に、歴史教育のあり方や教科書の内容について学ぶ運動がさかんとなり、この教科書が、平和憲法に背き、侵略戦争を美化し、近隣諸国を侮蔑し、人権を軽んじ、差別を認める反民主主義的なものであることが明らかにされてきました。
 この間、県内各地で数限りない学習会や集会が取り組まれ、市町村教委に対する扶桑社版教科書不採択の要請や委員会の傍聴・市民への宣伝活動など多彩な行動が展開されました。このような、かつてないほどの県民の世論の盛り上がりが、今回の決定に反映されたと考えられます。
 しかしながら、県教委は、選定資料において扶桑社版教科書にだけ「わが国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てるように配慮している」と高い評価を与えたうえ、市町村教委に対し徹底した密室審議をつらぬくよう強力な指導を加えました。
 県教委のこのような非民主的な姿勢が続く限り、教科書問題のみならず、教育行政全般についての公正と中立に疑念を持たざるをえません。今回は、幸いにも、県民の世論が市町村教委を動かし、憲法と教育基本法に基づく民主教育を守ることができました。
 全国的に見ても、扶桑社版の教科書が採択されたのは、保守的右翼的な行政権力が、教育の条理を無視してまで、強引に採択させた東京都と愛媛県の一部だけでした。このことは、従来の検定基準に背いてまで、この教科書を検定通過させた文部科学省の誤りを明らかにするものであり、国家権力による教科書検定の破産をしめしたものでもあります。
 私たちは、敗戦後50有余年の国民の努力によって、しっかりと根付いた平和と民主主義の勝利に確信を持つと共に、再び今回のような、学問研究の成果を踏みにじり、アジア諸国の人々の信頼を裏切って、憲法・教育基本法を否定する教育に戻らぬよう、教育行政の民主化と全ての情報の公開を求めて闘うことを声明します。
2001年8月16日

目次へ戻る


いじめ死と学校の対応

岩脇克己・富山市

 私たちの娘は、1988年12月いじめに耐え切れず自死しました。
 私は、娘のいじめの苦しみに気づかず、助けることができなかった親として、いじめを語る資格などありませんが、子どもたちの「いじめ」「いじめ死」はなんとかなくしたい思いで、学習する権利を掲げて学校が果たすべき子どもへの安全保持義務、親への報告義務を問い、いま、裁判を行っています。
 事件がおきると必ず学校長は「窓口一本化」を行います。遺族への対応にも大きく干渉し、クラスでどんな事があったのか良く知っている担任にも話をさせません。娘の事件でも同じでした。この事は情報公開請求で得た「対応経過綴り」に「窓口を一本化して外部との対応は校長が行う」と記載がありました。担任が私たちに話せなかったのはこの為だったのではないかと思います。いじめの事実についていくら聴いても何も話してくれないことは徹底していました。
 ごく最近ですが級友だった方から「生徒個人が岩脇の家にお参りしたいと願っても生徒単独でのお参りを禁止していた」というような事実があったと聞きました。学校は教育的配慮とよく言いますが、生徒が自分の意志でお参りしたい、と言っても否定することが生徒への教育的配慮と言えるのでしょうか。生徒の気持ちまでをもコントロールすることが教育者の言う配慮なのでしょうか。
 生徒たちが事故直後に書いた作文にも言えると思います。娘のクラスでは「岩脇さんへの別れの手紙」として作文を書かせています。クラスの生徒たちは娘への思いや反省など全霊を込めて書いてくれたと思います。その作文を娘の霊前に供えず、私たちにも見せずにたった三ヵ月で学校は燃やしてしまいました。教育者の横暴としかいえません。生徒の気持ちを踏み躙り燃やしたことを至極当然であるかのごとく、校長も教育委員会も認めています。このように学校は、いじめ事件を反省することなく、言葉では校長も教育委員会も「二度と繰り返さぬようにします」と言いますが、繰り返さない対策やケーススタディも行わずにただ事件の「風化」を待っていたのです。学校は、真剣にいじめをなくすための努力をしようとはしませんでした。
 学校管理者の保身と学校の名誉のため、いじめの犠牲になった子どもの心理、人権、学ぶ権利など考えません。
 娘は、いじめられていたことを担任に相談していました。いじめられていたことをプライドもあり、自分の惨めさを親には言えなかったのです。そのプライドや自分自身の惨めさなどをかなぐり捨てて担任を信頼し、相談して解決を願ったのです。
 しかし、担任教諭は、当時、学校が荒れていたことを理由に娘へのいじめのことなど「小さな事」として真剣に取り組まなかったのです。「岩脇殺すことに賛成、死ぬことに賛成」というメモをはじめいくつかのメモを証拠に相談しても担任教諭は「自分で証拠を押さえてから」と、即なさねばならない指導を先送りにして、娘の信頼を裏切る行為を行いました。そのため担任教師を信頼できなくなったのでしょう。その後、娘は担任に話をしなくなり、悩みを一人で抱え込んでしまうようになったと思います。担任は娘が「いじめの相談に来なくなったので、いじめがなくなったものと思った」と証言しています。
 教科担任制の中学校では、他の教諭たちに協力を求めなければ、到底無理なことが、担任や校長や教育委員会の方には理解されてはいませんでした。いまでも「自分で証拠をつかもうとしたことは間違っていなかった」と担任教諭は証言され、校長も市教委生活指導課長もそのことは「間違いではなかった」と認めました。教育者たちにいじめの認識があれば、他の教諭や親の協力を得て小さな段階でいじめをやめさせることができたはずです。子どもたちのいじめ自殺を止めることができるのです。
 職員室では「教師同士の軋轢がある」という教師体験手記を読んだことがあります。また、「学閥があって教師間のコミュニケーションがとれていない」ということもよく聞きます。そのような学校ではいずれ信用・信頼がなくなり、子どもたちにいい結果が生まれるはずがありません。
 教育は、教師と親や子どもたちとの信頼関係が成り立つと思います。そのことを学校はしっかりと自覚しなければなりません。
 子どもを亡くした親のほとんどは学校の対応を経験して信頼を無くしています。いじめに苦しんだ我が子のことを知りたいのです。親の当然の心なのです。生きていれば抱きしめて苦しみを聞くこともできますが、亡くなった今となっては学校に聴くしかないのですが、学校は教えてくれないのです。かけがえのない我が子のことを知るために裁判までも行わざるを得ないのでした。
 一人ひとりの教師がいじめに対する深い知識を持ち、生徒たちからの相談には即刻対処をして悩みを持っている生徒の苦痛をいち早く取り除く努力をしていただきたいと思います。また、学校は、何も隠さずに学校での出来事を保護者に伝えることが保護者に不信感をもたせないことになると思います。
 私たちが起こした裁判は、学校のなすべきことはなんだったのか、それはなぜできなかったのかを追求しています。自殺事件から、学校が学び、反省され、改善されることを願っての裁判です。当事者の処分や責任を求めようと思っていません。
 娘は「この世は、大嫌いだったよ」と残して逝きました。子どもたちにしてみれば、「この世」とは学校そのものなのです。娘の遺書からも私たちは、いじめがなく楽しく学べる学校にしていただきたい思いでいっぱいです。
 学校は事件を風化させるのではなく、子どもたちのいじめ死から学び。教訓を無駄にすることなく、ケーススタディなどを行い、二度と起こさない努力をしていただきたいと思います。

2001年6月27日

目次へ戻る


小泉首相の靖国神社参拝とこれからの日本

戸田玄

 8月13日、内外の強い反対の声を押して、小泉首相は靖国神社を参拝した。
 当初、「8月15日に行く」と言っていたが、それを前倒ししたのは、日に日に反対の声が高まり、15日に行ったんでは、中国や韓国との関係が決定的に悪化し、かつ国内での世論が一気に反小泉に傾き、彼の今後の政局運営に大きな支障をきたすことを恐れたためである。こういうのを「姑息な手段」という。もし、彼が信念にもとずいて行動するのなら、15日に参拝した結果、国内外の反対に会い、首相を辞めざるを得なくなってもそれは本望というものだろう。しかし、彼はあくまでも権力にしがみついたのである。
 ところで、小泉首相はその「談話」の中で次のように述べている。
 「この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとずく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています。
 私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。」
 ここに述べてあることに私も異論はない。
 しかし、もし、彼が本当にそう思っているのならば、あの戦争に国民を駆り立てる上で大きな役割を果たした靖国神社に参拝することは、決してできないはずである。
こういうのを「言行不一致」と言う。人は、その人が何を言うかより、何をやるかで判断する。彼は決して「虚心に受け止め」てはいず、「深い反省」などしていないのである。われわれは彼の言葉にごまかされてはならない。
 しかも彼は、このように人をぶん殴るようなことをやっておきながら、「できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝を交えて、…お話ししたいと考えています。」と言っている。こういうのを「無神経」と言う。誰がこういう人と「はい、そうですか」と言って素直に会談に応じるだろうか。
 当然、中国や韓国からは大きな反発が起きた。中国の全国人民代表大会の外事委員会は、14日、「厳正に糾弾することを表明する」との抗議談話を発表した。韓国外交通商省の次官は、14日、日本の在韓大使を呼び、「靖国神社は軍国主義の象徴だ。韓国政府として深い遺憾の意を表明する。国民も強い憤りを感じている」と述べた。中国ではインターネット上に国民からの抗議の声が多数上がっているという。韓国では青年たちが小泉首相の靖国参拝に抗議して小指を切り落とすというようなことも起きた。今後の中国や韓国との外交関係、経済関係はこれまでのようには行かないであろう。かなり、不安定になるだろう。その大きな要因を彼は作ったのである。
 また、彼は「談話」の中で、「今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし」と述べているが、果たして本当にそうだろうか。
 敗戦後日本は経済復興がなかなか進まずあえいでいた。その日本経済が復興し始めたのは他でもない朝鮮戦争による特需からだったことは、教科書にも書いてある。こういうのを、「すり替え」という。これはあくまでも戦死者たちを美化するためである。他でもない、このことこそ彼が靖国参拝を強行した最大の理由なのである。しかも、現在の日本社会が「平和と繁栄」と果たして言えるのだろうか。リストラによる失業者が増え、ホームレスが増大し、自殺者も年間3万人を超えている。そして、毎日のように悲惨な事件が起きている。身近なところでは授業料を払えない生徒たちも増えている。苦しんでいる多くの人々がいるのである。しかし、首相はこういうことに思いが行かないから、平気で「平和と繁栄」などと言うのである。
 今後、この問題がどのように推移するか分からないが、いずれにしても今回の靖国参拝は今後の日本の政治の大きな分岐点となるだろう。15日に参拝できなかったことは、国内外の反対の力の大きさを示した。しかし、13日にあくまで参拝したことは日本社会の右傾化への危険な第一歩を踏み出したことでもある。したがって、これから大きな力比べが行われることになるだろう。それは、簡単に言えば、経済の行き詰まりを解決するため、戦争の道を歩むのか、それ以外の道を歩むのかという、二つの道をめぐる力比べとなるだろう。前者の道を歩もうとする者は、当面、教育基本法や憲法の改悪、軍事力の増強などを狙ってくるだろう。後者の道を歩もうとする者は、それに対し大きな反対運動を構築することが迫られてくるだろう。いずれが勝つか、それは誰にも分からない。しかし、長い目で見ると、歴史は極めて厳格で、非情で、「姑息な手段」「言行不一致」「無神経」「すり替え」などは決して許さないものである。また、国内外の多くの人々は、戦争がなく安心して暮らせる社会を望むものである。だから、今後、様々な紆余曲折があろうとも、最終的には後者の道を追求する方が勝利するだ ろう。ただ、その為には、それなりの努力が必要になってくる。
 戦前にも、日本の人々の間に、戦争への道に反対し闘った人々はいた。しかし、弾圧され、戦争を食い止めることはできなかった。一方、戦争の道も破綻した。
 今また、そのことが我々に問われているのである。

目次へ戻る


中国の若者達と靖国問題

「ひのきみ」通信・中国特派員A

 この夏休み私は、8月6日から14日にかけて、中国特派員Bとともに西安と延安を訪れてきた。現代の西安と延安はいたるところ道路とビルの建設中であった。私たちはまず延安に行き革命旧跡を見、次いで西安に帰り主に西安事変の旧跡を見てきた。
 ところで、私たちが中国に行っている間、日本では靖国問題が大きな問題となっていた。その様子は、中国のテレビや新聞でも毎日取り上げられていた。そこで私は、中国の人々がこの問題についてどう考えているのか、機会があれば直接聞いてみたいと思った。そうしたところ、そうした機会が何回か訪れた。
 まず最初は、延安から西安に帰る途中、「ここまで来たら黄河を見たい、壷口瀑布というのを見て行こう」ということで、そこへ向ったマイクロバスの中でだった(8/10)。
 私たちは、後ろの席にいた若いカップルの女性(茶髪だった)の方から、 "Can you speak English?" と話しかけられた。 "A little." と答えると、「今夜は又延安に帰ってくるのか?」「いや、西安に行く」「壷口瀑布から西安へのバスはない」などの話しになった。その中で、私が、「靖国神社のことを知っているか」と聞くと、「知っている」というので、中国語の本を調べ、「あなたは靖国神社参拝をどう思うか?」と書き、英語で答えて欲しいと頼んだ。すると、男性の方から次のような答えが紙片に書かれて返ってきた。
 "It's wrong thing to bild and visit 靖国神社, especially to gouverments. It's hurt to chinese people."
 そこで、私は、「わかりました。私も同じ意見です」と答えた。
 その日は、迫力のある壷口瀑布を見、宜川というところに一泊することになった。夕食に入ったところはイスラム系の食堂だった。ここでは、いずれも回族だという若い店員やその友人たちと特派員Bが中心となり筆談でいろいろ話をした。「靖国神社、小泉首相を知っているか?」と聞くと、「知っている」というので、「どう思うか」と聞くと、逆に「あなた方は反対か反対でないのか?」と聞かれた。そこで「反対」と答えると、ニコッと笑い納得したような顔をした。特派員Bが「靖国神社是肯定日本侵略戦争」と書くと、「我們都是想和平」(私たちはみな(?)平和を願っている)と書いてきた。そして、筆談をした紙に、真中に星がついている「宜川県清真寺管理委員会」という丸い赤い判を押してくれた。
 3回目に会話のあったのは、翌日(8/11)、宜川から西安に向かうマイクロバスの中でだった。このバスに英語を理解するインテリ風の中年の女性とその息子(高校生)が乗っていた。その、息子の方が「西安に来たのは仕事か休日か」と聞いてきたので、「延安の革命精神を学びにだ」と答えると、母親は苦笑いし、彼は「自分も延安には行ったことがある」と返してきた。そこで、靖国神社参拝のことを聞くと、次のような答えが紙に書いて返ってきた。
 "I saw some news. I think Japanese have to know the war and know this history problem. I think "小泉純一郎" must stop do that."
 そこで、「私もそう思う。私たち日本人民も小泉純一郎に抗議している。私は8月15日に靖国神社に行き、彼に抗議する積もりだ」と書くと、彼はまた次のように書いてきた。"I Think you are right. But I hope he won't go there. It will be the best."。私は「その通り」と返事をした。
 最後に機会のあったのは、8月13日の夕方、西安駅前で中国西北地方の約20の大学の学生たちが新入生募集をしている所でだった。英語を話す若い女子学生が私に、「何時から西安にいるのか」などと聞いてきたので、「延安に、延安精神を学びに行ってきた」と答えると、 "You are old." と返ってきた。そのうち、学生たちが私を取り囲み始めた。そこで「長征」という字を書くと、彼等は「あまり良く知らない」と言う。次に、靖国神社のことを聞いてみた。「知っている」という。「どう思うか」と聞くと、その女子学生は "I don't think it's right" と言った。周りの学生にも聞いてみると、一人の男子学生から、 "mistake" という言葉が返ってきた。
 そこで私は、「8月15日に小泉首相の参拝に反対するため靖国に行く予定だ」と告げた。(しかし、この時には、すでに小泉首相は靖国参拝を前倒しして行なっていたことを、ホテルに帰りテレビを見て知った。そのテレビでは、韓国の若者たちが抗議して小指を切る生々しいシーンも映し出していた)。学生たちとはその後、「南京大虐殺、731部隊、従軍慰安婦」などの問題について話しあった。すると、「日本の高校生はそのことを学んでいるのか。関心はあるのか」と聞いてきた。そこで、私は「学んでいる。関心もある」と答えた。最後に、私が唯一知っている「我愛北京天安門」(少し古い)という歌を歌うと、そこにいた学生たちも途中から一緒に歌いだした。
 以上が、中国の若者たちから得た、靖国問題に対する彼等の反応だった。
 帰国した翌日(15日)、私は平和遺族会の抗議集会とデモに参加した。

(筆談個所は原文のまま:編集室注)

目次へ戻る


小泉首相の靖国神社参拝に強く抗議する

「日の丸・君が代」対策委員会

 小泉首相は、国内外の強い反対の声にも関わらず、8月13日、靖国神社参拝を強行した。私たちは、このことに対し、強く抗議するものである。
 当初小泉首相は、繰り返し、15日に参拝すると述べていた。しかし、15日に近づくにつれ、国内外から反対の声が高まり、中国や韓国とのこれまでの外交関係は決定的に破綻する寸前にまでになり、そうなれば小泉政権そのものの存立さえ危うくなった。そこで、国内外の反対運動のさらなる発展を恐れ、急遽、13日に前倒しして参拝したのである。
そもそも、首相の靖国神社参拝は、憲法第20条の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」という規定に対する明確な違反である。また、靖国神社は戦前国民を戦争に駆り立てる重要な役割を担った神社である。しかもそこにはA級戦犯も祀られている。首相の参拝は、どう弁明しようと、明らかに戦前の侵略戦争とその犠牲者を美化し、日本社会を再び軍国主義の道に導くようになることは避けられない。
 しかし、「内閣総理大臣」としての参拝はなされた。
 このことに対し、当然、中国や韓国は反発した。今後両国との関係悪化は避けられないであろう。アジア諸国との関係もこれまでどおりとは行かないであろう。さらには、国際的にも、今回の問題は日本に対し警戒感を抱かせることになった。つまり、日本は国際社会からの孤立化の道を歩み始める危険性を持つことになった。
 国内について言えば、この参拝により、この間日本社会に台頭しつつある右翼勢力を勢いづかせる結果となった。そのことは、15日の靖国神社参拝が例年を上回る数になったことにも表れている。しかも、靖国神社前では右翼が我が物顔で徘徊し、国会議員や都知事の靖国参拝に反対する人たちに一方的に暴力を振るうなどのことも行われた。明らかに、日本社会が軍国主義化への道を歩み始める危険性を持つことになったのである。
 したがって、私たちは、今回の小泉首相の靖国神社参拝に対し、強く抗議するとともに、二度と靖国神社の参拝をしないように強く求めるものである。また、私たちは、引き続き国内外の人々と手を携え、国際連帯と平和主義の道を歩むであろう。

目次へ戻る


渡壁さんの第一回公判を傍聴して

渡部秀清(浦安高校分会)

 5月8日、校長に車をぶつけて怪我をさせたという傷害容疑で逮捕された渡壁さんの第一回公判が、7月27日千葉地裁で開かれた。
 傍聴席はわずか18席。しかも、報道関係に6席。したがって、一般傍聴は12席のみ。傍聴券を手に入れるために、3時開始なのに、2時過ぎにはすでに約30人が集まった。人事委員会からも4人も来ていた。そのことが分かると、支援者たちから「今人事委員会『不服申し立て』の申請に行って来たが、係がいないというので、受け付けてもらえなかった。あなたがその係りか」「年休を取って来たのか。国民に開かれた裁判を妨害するものではないか」などという抗議の声があがった。また、裁判所の職員に対しても、傍聴席が少ないことについて抗議の声が上がった。しかし、くじ引きはそのまま行われた。運良く私はくじに当たり、傍聴出来るようになった。
 公判では、最初検察官の方から、次のような起訴状が読み上げられた。

「  公訴事実
被告人は、…5月8日8時すぎころ、…市立南小学校敷地内において、自己が運転・停止中の軽貨物自動車を、同車直前に佇立する高橋信彦(当49年)に向けて殊更前進走行させて同車前部を同人に衝突・転倒させ、よって、同人に加療約3週間を要する左上腕、左下腿部、後頭部、左肩胛部、腰部、左腕間接部打撲傷の傷害を負わせたものである。
   罪名及び罰条     傷害       刑法第204条     」

 これを読む限り、一方的に渡壁さんが車を発進させ、また校長の傷も随分ひどいように見える。しかし、これに対し、まず渡壁さんは次のように事実を否認した。

 その後、内田弁護士の求釈明が行われたが、次のようなことが明らかになった。

 その後、検察の冒頭陳述に移った。この中では、彼が研修所に行くようになってから、事件前日までのことも出されたが、その中で驚いたことには、4月14日に日本教育会館にて開かれた教科書問題緊急集会に渡壁さんが参加していたことまで、校長の耳に入っていたことである。また、渡壁さんは繰り返し校長に「校長先生進路妨害を止めて下さい。当たり屋は止めて下さい。」と言っていたことを認めていることである。
 次いで、渡壁さんの意見陳述に移った。
 彼は、まず、この間、繰り返し不当な処分、仕事はずしをされてきたこと、校長交渉も拒否されてきたこと、当日の朝も、職場に行くと自分の持ち物は隠され、衣服もダンボール箱に入れられていたことを述べた。そして、次のように続けた。
 「この日の朝、この4月から一方的に変更された旅費の受け取りの押印を校長から要求されたが、拒否し、話し合いは平行線になり、研修所へ出かけようとした。すると、校長が追いかけてきて、警告したにもかかわらず、車に近づき、マット運動のように転び、すぐ起き上がり、『カメラ、写真、みんな見ているぞ』といいながら、右手を車にあて、2回目の転びのポーズをし、『みんな見たか、転んだぞ』と言った。そのとき、自分はこれは罠だと思った。
 自分は車を降り、40メートルある校門に向かった。すると校長は自分を追い抜いて校門に行き、『どこへ行く』と聞いたので、『出張先に行くに決まっている』と言って出た。駅へ行く途中、市教委の木村課長と出会い右手をねじ上げられた。県教委に行き報告した。その後市教委から連絡があった。県教委の人も『事件を大きくしたくない。警察に連絡したほうがいい。市教委の罠にはめられたと思う』と言っていた。
 そこで、午後警察に行き話した。そこにいたのは公安三課の私服刑事だった。話しを終え帰ろうとしたところで、別の私服刑事に逮捕された。逮捕状には3時間40分も話したことは何も書いていなかった。『日・君』反対の集会を監視していた私服だった。
 このように、現在は戦前と同じようなことが行われるようになってきている。治安維持法時代に逆戻りだ。自分は過激派でもセクトでもない。それなのに公安事件にしようとしている。自分は子どもたちを洗脳しようとする教育に対して反対してきた。今回の事件はこれに対する私怨である。でっち上げをやめ、私を教壇に返して下さい。」
 当初から私は、「研修所に行かされている渡壁さんが自分から傷害を起こすようなことをするはずがない」と考えていたが、単なる「傷害事件」にもかかわらず、あちこちに「公安」が出てくるのを知り、今回の事件の本質が見えてきたと思った。
 なお、今後の公判は下記の通り。(いずれも千葉地裁、証人はいずれも検察側)

 9月 7日 13:15〜17:00  高橋校長の証人尋問
10月25日 13:15〜17:00  井内証人
11月 6日 13:15〜17:00  金子証人
11月22日 13:15〜17:00  下野、木村証人

目次へ戻る


小泉首相の靖国神社参拝問題で抜けている議論

小幡 勉(京葉工業高校)

 小泉首相が前倒しして、13日靖国神社に参拝した。これは、国内はもとより国際的にも大きな批判を浴びた。ここで参拝に賛成する人々の論理を批判的に検討する。

「ごった煮慰霊」こそ『英霊』を「冒涜する」もの

 テレビは、15日靖国神社前の喧噪を放映していた。そのなかで、参拝賛成派の人が「『英霊』を冒涜するから暴力を振るった」と自己弁護していた。ここに賛成派の本質が浮き彫りになったように思う。彼らの口にする『英霊』が、ゴマカシであることは、韓国の死者が合祀されている事実、天皇のために命を捧げた人(戦犯は当然!)しか合祀されない事実、仏教徒もクリスチャンも、その人の思想・信条に関係なく、すべての死者を「神様」とする身勝手さに端的に示されている。この無節操さは、クリスチャンである大平正芳首相の参拝や「仏様になったのだから」と述べた小泉首相などに顕著に見られる。それこそ死者への最大の冒涜である。

「慰霊」から「顕彰」へ、死者を引き回すご都合主義

 「戦争で犠牲になった人々を慰霊するのは当然で、なぜ悪いのか」「公人とか私人とか、そんな馬鹿なことを聞くな」「純粋に、人間として参拝した」など、参拝を合理化する感情を語っていた「公人」がいた。この「公人」たちが、「私人」の頃を抜きにして、「公人」になった途端、「慰霊参拝」を口にするのは、「慰霊」に名を借りた「顕彰」があるからである。「悠久の大義のために生きる」として死を選択していった人々が、「靖国で会おう」とか「天皇陛下が神様になった俺たちにお辞儀をする」などと言って、自ら死んでいったというのは、戦争遂行のために、政府が作った勝手な論理、作り話で、自らを納得させて死を選択しなければならない悲惨さが一層浮き彫りになってくる。「スーさん」で有名な三國連太郎さんの『息子を売った母親』は、一枚の赤紙などによって殺されたくない青年の感情、教育や地域社会などの「目」による「縛り」が見事に描かれている。若者を自虐的、かつ自暴自棄にしていった「もの」を語らない彼らのご都合主義と野望を見抜くことが重要である。

靖国神社は戦争を美化し、人殺しを賛美・奨励する軍事的・宗教的施設である

 靖国神社の目的は、「神道の祭祀を行い、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与し、その他、本神社の目的を達成するための業務を行う」ことである。こうした宗教行為を行う一宗教法人の施設に、「公人」が参拝するのは、明らかに憲法違反である。ここに祭られている「神様」を『英霊』として美化、「ひろめ」るのは、若者を戦争に駆り立てたい彼らのご都合主義・野望(票もある)があるからだ。「死者を弔う純粋な」気持ちは、彼らの専売特許ではない。すり替えである。「御国の為にいさぎよく花と散りにし人々の、命は軽く義は重し、その義を践みて大君に命ささげし」(尋常小学校唱歌)は、「殺人」を前提とした「自分の死」である。靖国の「大義」の意味は、これにつきる。

戦争に反対した人々のことを忘れるな!

 靖国・教科書問題で、いっさい語られていない問題がある。それは治安維持法によって、国家によって虐殺された人々のことである。どれだけいたか、みてみよう。

明らかな虐殺              65人
拷問・虐待が原因で獄死      114人
病気・その他の理由による獄死  1503人
逮捕後の送検者数        75681人
起訴数(1928〜1942)        5162人
未送検者をふくめた逮捕者数  数10万人

 この治安維持法は、当初10年の懲役又は禁固刑であったが、昭和天皇によって、緊急勅令が発せられ、死刑又は無期刑と強化されたのである。以後、言論をはじめとして、人権と民主主義一層が否定された。これによってはじめて戦争遂行が可能になったのである。これらはいずれも天皇の名において、しかも筆舌に尽くしがたい拷問、虐殺が行われたのであった。児童虐待が社会問題化している昨今では考えられないことである。戦前の特別高等警察による拷問などが、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」(憲法第36条)として明記された。侵略戦争を賛美する人々は、これらの事実があったことを、いっさい語ろうとしない。

「姑息」「外圧」はすり替えだ!

 13日に、小泉首相が、「前倒し」して参拝したことを、賛成派は、「姑息だ」「外圧に屈した」と批判した。彼らは「外国に屈していいのか」と強調することで、国民のなかに潜んでいる復古的なナショナリズムを呼び起こそうとしている。しかし日本国内の人権と民主主義を否定し、国内的にも、人権と民主主義への大きな「惨禍」があったことを、「姑息」に隠し、「愛国心」をすり替え、「外圧」を強調することで、彼らにとって、重大な「恥部」をすり替えているのである。

権力犯罪は「水に流す」ことはできない!

 「補償も終わったことだし、過去のことをいつまで掘り繰り返しているのか」も同様である。靖国・教科書問題にこだわっている「公人」は、少年法については、「被害者」を利用した。しかし国家権力の犯罪、戦争責任になると被害者を忘れ(?)た。ここにも彼らのすり替えとゴマカシがはっきりと見えてくる。戦利品の返還を含めて、戦争や権力犯罪の被害者の悲痛な叫びを忘れることは許されないのである。

命を懸けて戦争に反対した人々の「死」も無駄にしないために

 靖国神社や『新しい歴史教科書』は、「悠久の大義(=天壌無窮の皇運を扶翼する)」のために命を落とした特攻隊員を美化する。しかし人権と民主主義、平和のために国家に抗し、権力によって命を奪われた人々や被害者に対しては、国家として、反省し、謝罪し、国家補償等を具体化する責任は全く不問だ。これらの人々は、本来、憲法理念を先取りした「先駆者」として称賛され、顕彰されなければならない。小林多喜二が記念切手になった程度だ。諸外国の追及に対しては、世界の「常識」から孤立するのを恐れるから、一部のみだが、嫌々謝罪し、賠償もする。これはドイツやアメリカとは大きな違いである。しかし国内に目を向けると、彼らは内弁慶となる。

目次へ戻る


お知らせ

8月27日(月)
〜9月8日(土)
  第34回ピースボート「南北コリアクルーズ」
 〜韓国・北朝鮮の人びとと出会う旅〜
企画:ピースボート
 Tel.03-3363-7561
8月29日(水) 13:30〜 増田さん研修命令取り消し裁判
 足立十六中教頭、都研指導主事尋問
東京地裁722
8月29日(水) 13:00〜 本郷文化フォーラム・「戦争はどのくらい儲かるか」講師:澤昌利
 申込・問合せTel.03-5804-1656
HOWS講義室
8月30日(木) 18:00〜 ビッグレスキュー演習に反対する集会・デモ 船森公園(京王八王子1分)
9月1日(土) 15:00〜 「死の影の谷間から」出版記念・連続講演会 「あなたの知らない
 アメリカ」─死刑囚監房の黒人ジャーナリスト・ムミアをめぐって─
アムネスティ東京事務所
9月1日(土)
8:30
8:30
12:00
実働訓練抗議 調布集会・デモ
 立川基地申し入れ抗議行動
 八王子訓練監視行動
 調布基地跡地周辺監視行動

立川リーセントパークホテル前集合
JR八王子北口長崎屋前集合
京王線飛田給北口集合
9月1日(土) 10:00〜 七都県市合同防災訓練反対行動・ビラまき JR南武線矢向駅
9月2日(日) 13:15〜 勤労者自主講座「討論 小泉・石原改革」 豊島勤労福祉会館
9月4日(火) 16:30〜 中村さん分限裁判 千葉地裁506
9月5日(水) 10:30〜 加茂町解雇反対闘争裁判 京都地裁
9月7日(金) 13:15〜 渡壁さんでっちあげ傷害事件第2回公判 千葉地裁民事301
9月8日(土) 13:00〜 本郷文化フォーラム
 「沖縄に来て改めて見えてくる日本社会の反動化」
 講師:高嶋伸欣 申込・問合せTel.03-5804-1656
HOWS講義室
9月10日(月) 13:30〜 731部隊細菌戦裁判 東京地裁103
9月11日(火) 14:00〜 即位礼・大嘗祭違憲神奈川住民訴訟 東京高裁822
9月11日(火) 10:00〜 谷本さん分限免職撤回・公務災害認定訴訟 東京地裁民事11部
9月15日(土) 14:00〜 それでも基地は必要ですか?三多摩集会&デモ
 発言・高里鈴代(沖縄)、プリモ・アンバロ(フィリピン)
井の頭公園
9月16日(日)   映画「梅香里」上映フォーラム (1)11:00 (2)14:00 (3)18:00
 「誰もが安心して暮らせる街を」
 高里鈴代&西山監督トークライブ 15:30〜
文京区民センター
9月18日(火) 15:30〜 北九州「君が代」訴訟 福岡地裁301
9月18日(火) 10:00〜 安田弁護士公判 東京地裁104
9月19日(水) 10:00〜 安田弁護士公判 東京地裁104
9月24日(月) 13:30〜 9条塾・勉強会「女性の目でみた憲法第9条と平和」
 講演・江尻美穂子
国分寺勤労福祉会館
9月26日(水) 13:30〜 名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟 名古屋地方裁判所
9月29日(土) 15:00〜 本郷文化フォーラム・急速に進行する戦争体制づくりに抗して オリンピック記念青少年総合センター
9月30日(日) 10:35 東海村被爆大事故をくり返すな2周年行動 文部科学省前集合
9月30日(日) 14:00〜 「教科書をわたしたちの手で」千葉県民集会 千葉県教育会館303
10月6日(土)   映画「梅香里」上映フォーラム (1)13:30 (2)18:00 
 「ドキュメンタリーは人を記録すること人とつながること」 15:00〜
 趙博ライブ「バギやん大いに歌う〜思いをつなげ!〜」   19:30〜
津筈区民ホール
10月11日(木) 18:00〜 FORUM「記憶」の共有を求めて
 発言・高橋哲哉、安藤正人、土屋公献、他
早稲田奉仕園小ホール
10月12日(金)
 〜21日(日)
10:00
〜18:00
水俣病展
 主催:水俣フォーラム
水俣市立総合体育館
 (JR水俣18分)
10月13日(土)   中村さん分限処分10周年集会  
10月14日(日) 14:00〜 11月シンポジウム・プレ研究会
 「文学から見たロシア革命とソ連崩壊」 報告:川端香男里
文京区民センター
 (地下鉄春日3分)
10月22日(月) 10:00〜 安田弁護士公判 東京地裁104
10月23日(火) 10:00〜 安田弁護士公判 東京地裁104
10月25日(木) 13:15〜 渡壁裁判第3回公判 千葉地裁301
10月27日(土) 13:30〜 ベアテ・シロタ・ゴードンさん講演会in千葉 千葉ペリエ6Fホール(JR千葉駅)
11月6日(火) 13:15〜 渡壁裁判第4回公判 千葉地裁301
11月10日(土)
13:00〜
16:00〜
11月シンポジウム・ソ連崩壊から10年-社会主義の可能性を考える-
 分科会
 講演「20世紀社会主義が超えられなかったもの」
 
11月22日(木) 13:15〜 渡壁裁判第5回公判 千葉地裁301

目次へ戻る
バックナンバー一覧へ戻る
トップページへ戻る