真実の報道姿勢を 具志川市 会社員(45歳) 北海道、大阪豊中市、東京国立市、広島県等を一方的に偏向教育を行っている地域と名指しし、戦後の教育をゆがめてきた大きな原因は日教や全教などの教職員組合にある‥(新聞はそのような)報道姿勢を、との主張(投書)には驚いた。 ‥(これらの)地域では、日の丸・君が代の強制に反対し、「学校現場に真の民主主義の確立を」「子供たちの未来に戦争のない時代を」と父母や教師、子供たちが力を合わせ、国や教育委員会、校長、右翼等からの圧力にもめげずに頑張っている。‥彼らの抵抗運動は称賛こそすれ、偏向しているなどと、非難されるべきではない。新聞社は、権力者やそれに追随する人たちの攻撃に屈することなく真実の報道姿勢を貫くことを希望したい。
(琉球新報 1/23 朝刊投書欄より要旨)
|
生徒は見抜いている! | 千葉県立H高校教諭 N・K |
学校に混乱を招く報道に対しては毅然とした態度を! 県教委、うなづ< |
千高教組「日の丸・君が代」職務命令撤回要求 県教委交渉(1月19日)速報より |
嫌な時代がやってきた[1] 「産經新聞」を「3K新聞」と呼ぼう! |
T.T.0224 |
盛会だった「子どもと教科書」県民集会 | 秋元 健一(市川市) |
「日の丸・君が代」は卒業式にいらない | 石井 泉(浦安南高校分会) |
日教組第50次全国教研に参加して | 渡部秀清(浦安高校分会) |
お知らせ |
「『ひのきみ』未実施校の校長に対して『実施せよ』との職務命令を出した理由は?」「学習指導要領に基づく、ということがひとつ。それから学校行事に企画段階から生徒が直接参加することは大切だが、やはり適切な指導も必要だということだ。」
およそこんなやり取りがあった、某月某日の県教委「指導」課と高教組代表団との交渉。彼らの言う「適切な指導」とはいったい何なのだろうか? 残念ながら説明はなかった。
「戦後の日本の教育は『個人の自由を尊重する』という立場を採ってきた。しかし、ボランティアなど『社会への奉仕』という観点も大事だと思う。だから『国旗国歌』を蔑ろにはできない。『日の丸・君が代』には血塗られた歴史がまとわりついているという指摘もあるが、どこの国の国旗国歌だって血塗られた歴史を持たないものはない(これはひどい、相当な問題発言だ!)云々」
と、県立H高校の某教頭は生徒に力説するが、しかし生徒は見抜いている!
「今の教頭先生のご説明は、『国家』と『社会』とを混同しておられる。」
「教頭先生がご自分の言葉で語ってくださったことは良いと思いますが、内容には賛成できません。そもそもこのやり方が間違っている。押しつけで『国旗国歌』をやらされれば、かえってみんな『日の丸・君が代』が嫌いになってしまうのではないでしょうか?『国旗国歌』が誰からも愛されなくてもいいんですか?」
「私たちは『国旗国歌』に賛成とか反対とかの議論をしているのではありません。生徒の一生の思い出に残る卒業式に、何で『国旗国歌』が必要なのか、納得のいく説明もないのに一方的に押しつけられるのは、教育ではありません。」
未来の有権者たちは、すべてを見抜いている。彼らには「適切な指導」などは要らない。要るのはただひとつ、彼らに真実を悟らせること、それだけだ。
(組 合)この間S新聞の動きと県教委の動きが呼応している。実施率最下位の情報は、S新聞によるものか。
(県教委)実施率については、文部省からの情報。
(組 合)S新聞の記事の圧力に屈したのでは。
(県教委)……そんなことは絶対にない。
(組 合)S新聞が書くと右翼が来る。そういうことに県教委は抗議しないのか。悪口ばかり書かれて、生徒たちは傷ついている。千葉県の教育に責任を持つ者として、抗議しないのか。生徒たちを守るのが仕事ではないのか。
(県教委)……
(組 合)S新聞を先頭に右翼も学校現場にいろんな混乱を起こす。そういうことはないようにしたいという立場でしょうね。
(県教委)報道については、事実と違うことがあれば私たちの立場から連絡を。
(組 合)学校名とか校長名とか住所とか書かれて圧力をかけられている。県教委が黙っているということは、むしろ県教委がS新聞を利用しているのかと思われるのもやむをえない。
(県教委)報道を利用して何かをしようということはない。
(組 合)今後、おかしな報道があったら、S新聞社に申し入れをする気があるのか。
(県教委)……
(組 合)どうなんですか。黙っていてはわからない。やるということでいいんですね。
(県教委)(うなづく)
(組 合)教育現場は納得づくでやっている。職務命令で従わせようとするのは良くない。それぞれの学校でいろいろ考えてやっているので、各学校の事情・判断を最大限尊重してほしい。
せっかくの正月だからね〜。明るい話題がいいよね〜。「初詣でに行ったら素敵な彼女に会って恋に落ちた」とか、「金杯買ったら当たっちゃった」とか。因に、後者の場合を業界用語では「初儲け」と言う・・・ってな冗談を言う気にもならないほど、嫌な時代がやってきた。だから、同名の連載─たぶん─を始める。
昨年の11月18日、池袋で、歴史教育者協議会等の主催で、「教科書問題」に関する集会が開かれた。参加者は70名程度で、その中に、「口先右翼」が7人程度いて、集会を妨害したらしい。その上、報告者のSさんに因縁を付けた上、職場や家庭にまで、「脅迫電話」をかけてきたようだ。
そして、同じSさんに関する中傷FAXが、今年の1月11日─ぼくの誕生日だ─、千葉高教組にも送られてきた。ぼくも読んだが、例によって品の無い文章だ。嫌な時代がやってきた。
昨年の12月22日、産經新聞の千葉版に、「『ひのきみ通信』/これが教師の言葉?/中核派の幹部も登場/国旗・国歌で過激な主張」なる記事が載った(「勝っ支部通信」00/12/26号参照)。読んでいる方が気恥ずかしくなるようなオドロオドロシイ見出しだ。
その中に例によってぼくに触れた部分があって、「ひのきみ通信」(00/06/29号)でぼくが産經の記者の文章力を批判したのに対して、「自己批判」していた。曰く、「高校の先生に文章力のなさを批判されたことは謙虚に反省する」。やっとW記者もまっとうな人間になったのかと喜んでしまった。その後で記事のリード部分を読んだら、「インターネットは便所の落書き」というクリフォード・ストール氏なる人の洒落た言葉の引用で始まっていたから、産經のインターネットについてでも反省したのかと、つい思ってしまった。でも、本文は、我が「ひのきみ通信
Web版」への因縁だったので、ビックリしてしまった。
「産經」に「便所の落書き」呼ばわりされたんでは、泣きたくて言葉も出ない。嫌な時代がやってきた。
・・・ということで、20世紀末から21世紀初頭にかけてのこのニッポンの嫌な状況を書こうとすると、かなり頻繁に「産經新聞」が登場してしまうことになる。まともに相手をしていると誤解されても困る。「新聞」という名は付いていても、単なるゴロツキ紙でしかないのだから・・・。これからは、実態を正確に表現するために、「3K新聞」(=危険・汚い・小賢しい)と書くことにしよう。皆さんも、真似しませんか?
私は、県民の一人として、1月21日の「子どもと教科書」千葉県民集会(以下集会)に参加した。集会は、2人掛けの席を一部3人掛けにする程の盛会で、私の予想を上回る130余名も参加した。うち約50名が一般県民(市民)であったことは、注目に値する。それは、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下つくる会)の動向に対する教職員・市民の批判、危惧、反発の表れであり、最後の集会アピールに対して起こった盛大な拍手に、そのことが凝縮されていたように思う。
集会は、実行委員会代表の挨拶に続いて、俵義文氏の講演を挟む二つの報告を中心に進められた。特に私の関心をひいたのは、資料として配布された、つくる会編集の歴史教科書の抜き刷りであり、とりわけ前書きの「──歴史を学ぶとは──」の部分だった。そこ
に書かれた「歴史を学ぶとは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである。‥‥歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。」と「歴史は科学ではない。」という指摘こそつくる会の歴史観であり、この立場に立つ近現代史の記述は、歴史的批判抜きの現状肯定のものとなる。明治憲法の讃美、韓国併合・戦時体制の肯定などは、その表れであろう。明治憲法肯定、日本国憲法批判の態度を貫いたとされる同会編の公民教科書と併せれば、歴史の逆回転を目論むつくる会の意図が、ハッキリと浮かび上がってくる。俵氏によれば、こうした「あぶない教科書」出現の出発点は、7年前である1993年の自民党「歴史検討委員会」の動きにあったという。
私が小学校に入学した1937年には日中戦争が始まり、5年生だった1941年(この年から国民学校となる)には太平洋戦争に拡大し、旧制中学3年の1945年になって敗戦を経験した。こうして、私は戦時体制下に少年期と青年前期を送ったわけである。戦時体制下の拘束からの解放の中で、戦後に私が得たものは、天皇絶対主義と家族国家観・軍国主義・国家主義の否定、権力からの自由の尊さ、人権保障や人間平等の価値の重大性、そして平和主義のもつ重みなどであった。
しかし、戦後50年の間には、天皇絶対主義・国家主義などの明治憲法的価値を美化する政治勢力も存在した。彼らはその力の再生産を図りながら、ここ数年の間に戦争法、日の丸・君が代法、盗聴法などを実現し、今日、教育基本法体制を否定し、近い将来憲法の明治憲法レベルへの改正を目論んでいる。つくる会の動きは、正にその潮流のイデオロギー的役割を担うものである。戦前回帰を狙うあぶない教科書とその推進勢力をどう抑制するかは、県民集会に結集した教職員と市民の力をどこまで拡げられるかにかかっていると思うのである。
いよいよ卒業式シーズンが近づく。今年も県内8つの「日の丸・君が代」未実施校を中心に、生徒自身によるそして生徒を守ろうとする教員・保護者らによる闘いが続いている。
私も当該校の状況を教研や市民集会等で何度も聞かせてもらった。生徒たちの「自主」「自治」を守ろうとする熱い思い、「日の丸・君が代」問題への深い理解力、若者らしい正義感と一生懸命さ、時には大人を乗り越えるような行動力‥‥。そんな彼らの話を聞き姿を見ると目頭が熱くなってくる。彼らの思いや努力を教員・保護者が実現させてあげたいと応援するのも当然である。とにかく、今年の卒業式で生徒が喜びと満足感一杯に式を迎え、傷つけられることなく笑顔で巣立てるよう願いたい。そして、教員を始め大人たち皆が、彼らのことを真剣に考え学び、生徒に負けない努力・行動を取り責任を果たすことが必要である。
卒業式の「日の丸・君が代」の掲揚・斉唱について、「強制はしないから掲揚斉唱はやらせてくれ」「内心の自由は十分に保障するのでやらせてくれ」、「賛成の人・反対の人両方の意見を尊重して掲揚斉唱を実施する」「歌いたくない人は歌わなくていい、歌いたい人は歌えばいい」などという意見が出ているようだ。しかし、私はこのような意見は全く説得力に欠けると思っている。掲揚斉唱の実施と内心の自由の保障は決して両立できないと考えるからである。
そのわかり易い例が次のようなケースである。以前、「ひのきみ通信」にも紹介されたが日本籍朝鮮人の2世Pさんの「諸先生方へ」という手紙である(週刊金曜日5/26
No.316号『ダブル』田中伸尚)。
「君が代」は誰にとっても天皇を連想させます。あの天皇の名によって命を奪われ、心を踏みにじられたのは、私達朝鮮民族だけではありません。多くの日本人も苦しんで来ました。そして戦後民主主義と呼ばれている今日においてもそれは形態を変えて存在しています。「君が代」の強制に対し、その悔しさ悲しさを"退席"という形であれ、抗議できた私達はまだ幸せかも知れません。社会の根強い民族差別故、本名すら名のることのできない多くの朝鮮人、天皇の名によって「人間以下」とされた被差別部落民や「障害」者など、それらの多くの方々は態度に表すか否かは別として「君が代」強制に対し悲しんでいます。 (中略)」 今後先生方にお願いしたいことは、あのような形で退席せざるを得なかった私達の気持ち、とりわけあと一年、この学校でお世語になる幸子が流した涙を受け止めて欲しいのです。「君が代」が流れた時、心が痛み、傷つき、悲しむ人達が大勢いることを。「君が代」の果たした歴史を、今日もそれを背負っている子供達の存在を。 歴史教育の中で、この痛みや、苦しみを共有できなくとも、せめて痛み、悲しみ、苦しみが分かりあえる子供達に育ててください。 (後略)
一九八七年三月二四日 P
|
このように「見るのも聞くのもつらい、嫌だ」という人々は、退場する方法しか取りえなくなる(追い込まれる)。もし生徒であったら、大事な参加したい卒業式に「途中で退場してもいいよ」と教員が言うことがどうして内心の自由の保障と言えるだろうか。あなたが担任なら卒業生に言えますか? その子は泣いているかもしれない。一生の思い出の卒業式が「日の丸・君が代」によって台無しにされるのである。「歌わなければいい」「座って抗議すればいい」だけでは済まない人々、「日の丸・君が代」に対して深刻な嫌悪感・つらい感情をもつ人々の存在を、私自身ももっと真剣に考えなければならないと反省する。
もちろん、「じゃあ、歌いたい掲揚したい人の尊重は?」と反論する人がいるかも知れない。しかし、「日の丸・君が代」がなくて深刻な心の傷を受けたという話を私は聞いたことはない。それに、今、私が論じているのは、個人の賛成・反対意見のことではなく、多くの人々が参加する卒業式に掲揚斉唱することがふさわしいかどうか、なのである。
誰もが喜び合える卒業式に「日の丸・君が代」はいらない。
1月27日から30日にかけて東京で開かれた上記教研に参加してきた。
この教研は、全国的に「日の丸・君が代」強制が職務命令や処分を伴って強化され、さらに、首相の私的諮問機関である『教育改革国民会議』が「教育基本法」の改悪や「奉仕活動」の義務化などを打ち出した直後に開かれた。
当然日教組中央は、戦後民主教育を根本から否定するこうした危険な動きに対し、警鐘を鳴らし、全国的な反対運動を呼び掛けるべきであった。
しかし、初日の「全体会」で主催者挨拶に立った榊原委員長は、「7月の参議院選挙で教育基本法を最大の争点にする。改悪を断じて許さない。」と述べたものの、全国的大衆的な反対運動を組織化することには触れなかった。こうした日教組中央の姿勢は、来賓挨拶に国立処分、主任制、人事考課などを推進している、東京都の横山教育長を招くところに典型的に表れていた。氏が挨拶に立つやいなや、会場から当然、「引っ込め」「帰れ」という多くの野次が飛んだ。千葉高教組の仲間も野次った。そうした中で彼は「主任制の定着」とか「指導力不足の教員には適切な対応が必要」というようなことまで述べた。
ところが、翌日の「産経新聞」には、「来賓に罵声、まるで“荒れる成人式”」というような見出しの記事が出た。彼等は、日教組を攻撃する願ってもないことが起きたと思ったのだろう。しかし、その日の「主張」には、「変わっていない闘争体質」という見出しで、「要するに日教組の本質はほとんど変わっていないのである」と書かざるを得なかった。
28、29、30日は「平和教育」の分科会に参加した。
この分科会では最初、「平和教育を取り巻く情勢を論議すべきだ」という声が参加者から上がったが、司会はそれを無視、レポート報告と討議に入った。しかし、討議の中では昨日の全体会に対する批判、各地で進行している「日の丸・君が代」強制や教職員に対する抑圧の実態などが語られ、「教育改革国民会議」の報告の危険性なども指摘された。
レポートの報告と討議の中でも最も特徴的だったのは、「平和教育」の路線に二つの流れがあるということだった。一つは、これまでの「反戦平和教育」を教育実践と平和運動を結び付けながらさらに発展させていくというもの。もう一つは「新しい平和教育」として、間口を広げ、人権侵害・暴力・いじめなどを解決する教育が平和につながるというもの。そして、具体的には「総合的な学習の時間」を活用しようというものであった。
しかし、こうした後者の見解に対しては、「戦争を人権侵害や暴力と置き換え、戦争の本質を見えなくするもの」「総合的な学習の時間を使うと言うが、内容が規制されてきている」というような批判が出た。
私も発言の機会があったので次のような発言をした。「総合的な学習の時間を貫く哲学はプラグマティズムであり、主観的観念論である。これは、客観的な真理・真実を否定する。だから、教科書もなければ評価もなくなる。行き着く先は、知的レベルの低下と道徳や奉仕活動だ。また、戦争のとらえ方は、感情的にではなく、理性的にとらえる必要がある。とくに、階級的視点が重要だ。つまりどの立場から戦争をとらえるかということだ。」
ところで、29日の午後、「産経新聞社がこの会場にいるのでは報告できない」として、北教組が報告を取り止めるというようなことが起きてきた。
その後、私に報告(「日の丸・君が代」強制反対闘争の成果と教訓)の番が回って来た。その中で私が「産経新聞の記事はかえってみんなに反発を食らっている」などと言い始めると、「産経がテープをとっている。発言をやめろ」などと、会場が一時騒然となった。しかし、私は、「産経新聞が来ていても構わない。恐れてはいけない。攻撃は倍にして返す」と報告を続行、この間の最大の教訓として「我々は、道理のある多数派である」ことを強調し、今後の方向として「日教組中央に幻想を抱いてはいけない。われわれは自らの力で立ち上がって、各県のネットワークを作り、教育基本法改悪反対の国民運動を作って行こう」と結んだ。
そうした所、30日の「産経新聞」千葉版は、「県高教組が闘争強調」という見出しで、私の職場名と実名入りの大きな記事を出した。さっそく私は、分科会参加者にコピーを手渡した。この日も、分科会では「産経新聞」の扱いでもめた。私も発言する機会があったので、記事の話をし、闘うことの重要性を訴えた。また、千葉の高校生たちの闘いへの支援を要請した。そうしたところ、終了後、栃木の年配の教師が「頑張って下さい」と言って来てくれ、さらに北海道の青年教師は「意見広告」へのカンパを寄せてくれた。
翌日、職場での反応は「産経は自分で自分の体質を暴露している」だった。
この全国教研の最中、29日の夜、『第5回日教組の路線転換に反対する連絡交流会』が、東京の労働スクエアで開かれた。この交流会は、日教組が1997年の盛岡教研からアピール起草委員会を廃止し、分科会でも採択させなくなった時から始まり、一貫して独自アピールを採択、最終日に参加者に配布してきた。今回もやはり独自アピールを採択、最終日に配布した。日教組全国教研では、こういうアピールも採択されたことを知ってもらうために、以下にそれを紹介しておく。
「確実に自分の中で変わったものがあった。疑問・批判の先にあるもの。もしかしたら、変えられるかもしれない可能性。子どもの秘めた可能性を自分の中に感じることができた。」(児童労働問題に取り組んでいるインドの子どもとのキャンプに参加した子どもの言葉)
─「国際シンポジウム」の発言より─
子どもを主人公として、子ども一人ひとりの成長と発達を保障した実践、子どもが主体的に参画し、子どもや保護者との共同の実践が、日教組第50次教育研究全国集会において、多数共有されました。こうした実践は、教育基本法の理念に基づき、全国各地で行われてきた戦後の無数の民主教育の実践の成果としてあるものです。 しかし、今財界のねらいを体現するべく、政府、文部省、教育委員会が、子どもたちの主体的な取り組みを権力的にねじ伏せ、戦後民主教育を根本的に覆し、公教育の解体をもめざす大きな攻撃をかけてきています。 全国各地で、「日の丸・君が代」の強制の嵐が吹き荒れています。東京の国立市では、「日の丸・君が代」の強制に止まらず、生徒、保護者、市民と共に作り上げてきた民主教育への攻撃になっています。校長先生に、「日の丸」掲揚の説明を求めた、しっかりと意見表明のできる子どもたちが、理不尽な攻撃をうけているのです。 「新しい歴史教科書をつくる会」が編集し、産経新聞、扶桑社が発行を予定している、史実・事実を歪め、皇国史観に基づく、憲法違反の中学校歴史・公民教科書が、現在検定にかけられています。そして、この教科書を検定に通し、採択させる為に、全国各地での地方議会や教育委員会で、意見書や請願・陳情を採択させる「運動」が取り組まれ、教育への不当な介入が組織的に行われています。 教育改革国民会議は、昨年の12月22日に、最終報告を発表し、「奉仕活動の義務化」や、「教育基本法の見直し」等を明らかにしています。 これらの動きは、一体となって、日本の一層の軍事大国化をすすめ、日本を「戦争のできる国」にするために、教育を加担させようとするものです。 また、一層の競争に基づく新自由主義的教育改革が、学区の自由化・拡大、中高一貫教育の部分的導入、大学の入学年齢制限の撤廃等の形で強行されようとしています。戦後の単線型の教育制度を複線型のものにして、一部エリート以外は、基礎学力の保障も放棄しようとしています。学校の統廃合が強行され、公教育をスリム化、解体することで、教育費の削減が求められています。 さらに、これらの「教育改革」を実現する為に、人事考課制度の導入、「不適格教員」の免職等の措置等による物言わぬ教員づくりをすすめようとしています。 しかし、このような大きな攻撃の中にあっても、原則的な立場を堅持して、広範な共同によって、状況を切り開いている取り組みが数多くあります。教職員組合が取り組んだ30人学級実現を求める運動は、大きな国民世論になりつつあります。昨年の2月、千葉県では、「日の丸・君が代」の強制に反対して、県民と共に、氏名を掲載した新聞への意見広告と、1200人規模の県民集会に取り組みました。県民世論の力で、昨年は、新たな強制はありませんでした。国立への支援の輪が全国的に広がりつつあります。全国各地で、組織の枠を越えたさまざまな共同の取り組みが広がっています。 今次全国教研において、基調報告では、教育基本法改悪反対の明確な姿勢を示さず、「日の丸・君が代」の強制についても一言も触れていません。さらに、全体会では、人事考課を強行し、国立の民主教育への攻撃の先頭に立つ東京都教育長を来賓として迎え、「主任制の定着」等の挨拶を許しています。私たちは、こうした日教組本部に強く抗議するものです。 今、私たちは、戦前の教育勅語体制下で、天皇=国家の為に死ぬことを教えた教育を否定し、子ども一人ひとりの「いのち」を大切にし、「人格の完成」をめざして、教育基本法を制定したことに立ち返りたいと思います。すべての教室の実践を通して、憲法と教育基本法の理念を実現していこうではありませんか。 「日の丸・君が代」の強制を許さず、「つくる会」の軍国教科書の採択をさせず、教育基本法・憲法改悪を許さない取り組みを、日教組が先頭に立って、生徒、保護者、市民と共に、大きく展開しましょう。 今こそ「教え子を戦場に送るな」の旗を高く掲げて!
2001年1月29日
第5回「日教組の路線転換に反対する連絡交流会」参加者一同 |
2月15日(木) | 12:30〜 | ヘイルストン中将更迭と海兵隊削減を要求する行動 | 沖縄県庁前 |
2月15日(木) | 18:30〜 | 環境・原発について、学習・討論会 主催:いろりばた会議 環境問題の課題とゴミ 藤原寿和 |
神保町区民会館 |
2月15日(木) | 18:30〜 | 主権者は私たち 春のふなばし市民集会 〜子ども・くらし・いのち〜 |
船橋市勤労市民センターホール |
2月15日(木) | 19:00〜 | 連続拡大討論会第1回「改憲試案を読む」 | 日本キリスト教会館4F (東西線早稲田5分) |
2月15日(木) | 19:00〜 | 水俣セミナー「小池征人監督と映画『水俣の甘夏』を見る」 | 環境パートナーシップオフィス (地下鉄表参道10分) |
2月16日(金) | 18:30〜 | 「日の丸 君が代」の強制に反対!卒業式、入学式を考える集い | 市川教育会館(JR本八幡南口5分) |
2月17日(土) | 13:00〜 | 自由主義史観研究会埼玉地区定例会 | 埼玉会館5B会議室 |
2月17日(土) | 14:00〜 | 「日の丸・君が代」強制反対ホットライン開設集会 内田雅敏他 | 日本キリスト教会館4F (東西線早稲田5分) |
2月17日(土) | 14:00〜 | 子どもと社会をめぐる近現代史「子どもと憲法をめぐって」 | 港北公会堂2F(東横線大倉山) |
2月17日(土) | 17:30〜 | 80年代の「国際化と国粋化」を問い返す | 文京区民センター |
2月17日(土) | 18:30〜 | 成田空港・地球的課題の実験村を考える・柳川秀夫さんを囲んで | 千葉市民会館3F(JR東千葉3分) |
2月18日(日) | 10:00〜 13:00〜 13:30〜 17:00〜 |
「第2回ちば人権展」 展示10:00〜20:00 「内臓の解体新書」調理室 食肉加工農事法人谷中食品の技術者 「CAP(キャップ)ワークショップ・大人向け」2F第1小会議室 「CAP(キャップ)ワークショップ・小学生向け」2F第1小会議室 「辛淑玉・日本人の人権感覚を語る」大ホール 「竹の皮草履作り」1階和室 講師:部落解放同盟女性部 |
佐倉市民音楽ホール |
2月18日(日) | 13:30〜 | 白井佳夫の映画の映像から日本を考える2 「仁義なき戦い」は政治的映画? |
杉並区阿佐ヶ谷地域区民センター |
2月18日(日) | 13:30〜 | 子ども達があぶない!教育を私たちの手に! 今、「教育改革」を考える2.18シンポジウム |
浦和市文化センター |
2月18日(日) | 14:00〜 | 知ろう!「日の丸・君が代」 語ろう!私たちの自由 学校に「日の丸・君が代」なんで要るの?2.18北九州市民集会 |
北九州市立女性センター・ムーブ 5F大セミナー室 |
2月18日(日) | 18:00〜 | ジュゴン連続公開講座「ジュゴンと生物多様性」相生啓子 | 文京区民センター(三田線春日) |
2月19日(月) | 10:00〜 12:30〜 |
「第2回ちば人権展」 展示10:00〜16:00 「辛淑玉・日本の人権行政・人権教育を語る」大ホール シンポジウム「印旛の人権と岡村昭彦」大ホール |
佐倉市民音楽ホール |
2月19日(月) | 14:00〜 | 高嶋教科書裁判控訴審第8回公判 | 東京高裁101 |
2月21日(水) | 14:00〜 | 厚木爆音訴訟第27回公判 | 横浜地裁 |
2月23日(金) | 19:00〜 | 自由主義史観研究会第8回月例セミナー 「米国の対日訴訟とその背景」高山正之(サンケイ編集員) |
台東区民会館 |
2月24日(土) | 13:00〜 | 憲法の論じ方を変え、改憲論を斬る | 日本キリスト教会館6F会議室 (東西線早稲田5分) |
2月24日(土) | 13:30〜 | シンポジウム「教育改革国民会議のめざすところ」 主催:子どもと教科書全国ネット21 |
日本教育会館一ツ橋ホール (地下鉄神保町・竹橋) |
2月24日(土) | 14:00〜 | 神奈川県立障害児学校教職員組合「日の丸・君が代」学習会 「教職員の職務と思想・良心の自由」 新井章(東京中央法律事務所) |
横浜市西公会堂(横浜西口10分) |
2月25日(日) | 13:30〜 | 2.25「日の丸・君が代」強制に反対する集会とデモ・神奈川 ダグラス・ラミス他 主催:神奈川の会 |
横浜市技能文化会館802 (JR関内南口5分) |
2月25日(日) | 14:00〜 | 「日の丸・君が代」強制反対千葉県民集会 講演:暉峻淑子 主催:千葉県高等学校教職員組合 |
千葉県労働者福祉センター大ホール (京葉線千葉みなと13分 千葉都市モノレール市役所前5分) |
2月25日(日) | 15:00〜 | 戦争に協力しない!させない!練馬アクション記念講演 中北竜太郎 | 練馬勤労福祉会館 (西武池袋線大泉学園南口) |
2月27日(火) | 14:00〜 | 即位礼・大嘗祭違憲神奈川住民訴訟 | 東京高裁822 |
2月28日(水) | 10:00〜 | 731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟・原告本人尋問 | 東京地裁103 |