ひのきみ通信 第59号

2001年1月12日

2000年春異議申し立てをした生徒たち
「卒業式は誰のものなのかを勉強したことで、生徒自身の卒業式ができてうれしく思います」(都立永山高校卒業生の答辞)
「強制に従うことが当たり前になれば疑問を持たず考えない人間を作ってしまう校長先生は学校の代表者として生徒や教師の意向をもっと〜上に伝えるべきです。そうでなければ誰が僕たちの意見を代弁してくれるのでしょうか」(都立国立高校卒業生クラス代表のスピーチ)
「僕達の卒業式に『君が代』は要らないと話したのに、校長先生はどうしてもやると言っている。納得がいかないので曲が流れたら自分達の意思で退席します。趣旨に賛同してくれる人は一緒に退席して下さい」(大阪府立鳥飼高校卒業式委員長の会場での呼びかけ)
(『岩波ブックレットNo.517「日の丸・君が代」と子どもたち』より)

目次

「新聞意見広告」と「2・25県民集会」を成功させよう!!
 〜「日の丸・君が代」強制の職務命令を跳ね返すために〜
「日の丸・君が代」対策委員会
県教委の「通知」の撤回を求める 「日の丸・君が代」対策委員会
12.17全交全国集会「日・君」分科会参加記 石井 泉(浦安南高校分会)
右派攻撃の激しい国立市の宣伝に参加して 酒井・東京都学校ユニオン
『12・23国立市教職員不当処分撤回集会』参加記 ひのきみ通信特派員I
「ひのきみ通信」に右翼サイバーテロ?!
 「サンケイ」記事の影響か
*ソフィーの愛人*
2000年12月「女性国際戦犯法廷」レポートより 羽山 圭子(市川北高校分会)
蠢動する右派議員たちの議会マニュアル 「ひのきみ」問題教科書取材班
「国民の道徳」と扶桑社「公民」教科書
 −シンポジウム
 「徹底検証!憲法違反の『あぶない教科書』」に参加して−
みつはし ひさお(船橋旭高分会)
お知らせ

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「新聞意見広告」と「2・25県民集会」を成功させよう!!

〜「日の丸・君が代」強制の職務命令を跳ね返すために〜

「日の丸・君が代」対策委員会

 2001年、明けましておめでとうございます。
 一昨年、小渕首相の下で、「日の丸・君が代」が法制化され、天皇在位10年の式典が行われ、天皇制が強化されました。しかし、その暮れに待っていたのは、皇太子妃・雅子さんの流産のニュースでした。
 法制化の際、首相は、「国民の皆様に新たに義務を課すものではありません」と述べましたが、その後、学校現場をはじめ様々な所で「日の丸・君が代」の強制が強まりました。しかし、法制化をした小渕首相は、昨年4月「脳死状態」となり、5月には亡くなりました。
 また、「日の丸・君が代」法制化後も、日本の社会や教育は低迷を続け、青少年の殺人犯罪も後を絶ちません。むしろ、卒・入学式での「日の丸・君が代」実施率100%(「正常化」?)に近付けば近付く程、日本の教育は、その生命力を失い、悪くなっているのが実際ではないでしょうか。
 そのことは、現場にいる私たちには当然のことと思われます。
 なぜなら、「日の丸・君が代」強制とともに、上意下達の学校現場になり、自由で民主的な「生き生きとした」教育現場ではなくなりつつあるからです。生徒も教職員も自由に物も言えないような「死んだ」学校になりつつあるからです。「死んだ」学校が青少年に展望を与える事ができるでしょうか。
 ところで、昨年暮れ、首相の私的諮問機関である『教育改革国民会議』が「最終報告」を出し、「教育基本法の見直し」や「奉仕活動」を打ち出しました。しかしこれは、「日の丸・君が代」の強制と結び付いて、戦後民主教育を根底から否定し、戦前のような国家主義教育を復活させるものに他なりません。だから、森首相も「天皇中心の神の国」発言を撤回しないのです。
 また、昨年暮れ(12/6)、千葉県教委は「産経新聞」の圧力に屈する形で、「日の丸・君が代」未実施校8校の校長に実施をせまる職務命令を出しました。
 彼等は、自ら憲法や教育基本法に反して、「死んだ」学校を作りつつあるのです。行き着く先は「天皇や国、家族の為に死ぬことが尊い」という教育に行き着くでしょう。極めて犯罪的なことです。
 しかし、こうした中で、こういう動きに反対する私たちの連帯の輪も着実に広がって来ています。昨年2月の「日の丸・君が代」強制反対の「意見広告」には、2300人以上の方の賛同を得、「2・11県民集会」には、実に1200人もの方が参加しました。また、「11・29松戸集会」は、「全教」とはじめて組織を越えて協力し合い、170人参加という大きな成功を収めました。さらに、国立の教職員や父母との連帯も進み、「12・23国立集会」(約500名が参加)には、千葉高教組から10数名が参加し、職務命令反対闘争への支援を訴えるまでになりました。
 そして、千葉高教組の闘う姿勢もより一層明らかになりました。職務命令後に開かれた12月8日の拡大中央委員会では、船橋支部書記長から出された「新聞意見広告」と「2・25県民集会」への補強修正案が、討論と採決の結果、賛成多数で可決したのです。
 私たちはこれまで、繰り返し「強制・弾圧は闘いを生み、広げる」と主張してきましたが、そのことはこの間確実に実証されてきています。また、この間の闘いの中で私たちは、「私たちは道理のある多数派である」ということも掴んできました。
 現在、職務命令を跳ね返す闘いが、高教組の組織を挙げて、また該当校の生徒・教職員・父母が力を合わせ連携を取り合い、展開されています。
 民主教育(「生きた」学校)を守り発展させていくのか、国家主義教育(「死んだ」学校)に道を開くのか、道は二つに一つです。私たちは、仲間を信頼し、「私たちは道理のある多数派である」ということに確信を持ち、職務命令を跳ね返す闘いを全力を上げ発展させ、前者の道を切り開こうではありませんか。
 そのためには、一人でも多くの人が立ち上がり、「新聞意見広告」と「2・25県民集会」を圧倒的に成功させていくことが極めて重要です。
 ともに頑張りましょう!!

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県教委の「通知」の撤回を求める

2001年1月9日
千葉高教組「日の丸・君が代」対策委員会

 千葉県教委は、1月5日、「国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」という(通知)を、教育長名で各県立高等学校長に出した。
 これは、昨年12月6日、未実施校の校長を呼び、口頭で「職務命令」を出したことに対応するものである。しかし未実施校の校長だけに出すわけにも行かないので、このような(通知)として、全部の校長あてに出したのだろう。
 そのなかには、次のようなことが述べられている。
 「・・・多くの県立高等学校で適切に実施されているところであります。
 しかしながら、一部の県立高等学校においては、国旗掲揚・国歌斉唱が完全実施されていない状況にあり、遺憾なことであります。
 ついては、すべての県立高等学校において、平成12年度卒業式から、学習指導要領に基づき、国旗掲揚・国歌斉唱を実施するよう通知します。」
 しかし、ここにはいくつかの問題がある。
 第一に、「多くの県立高等学校で適切に実施されている」というが、それは多くの場合、有無をいわさず強制したものであり、それらの学校に於いても、それを心良く思わない生徒・教職員・保護者は数多くいるのである。その証拠に、「君が代」を歌う生徒・教職員・保護者がどれだけいるかを見てもわかる。決して「適切に実施されて」はいないのである。いやいやながらやらされているのが実態なのである。
 第二に、「一部の県立高等学校においては、・・・完全実施されていない状況にあり、遺憾なことであります」と述べているが、それらの学校では、これまでの教育活動を通して、「日の丸・君が代」を掲げることは、生徒の自治や民主教育のためには相応しくないと判断しているのであり、何も「遺憾」なことではない。むしろ、「日の丸・君が代」強制を通して推進されようとしている国家主義教育に対し、憲法や教育基本法にもとづく民主教育を推進しようとしている学校として、誇るべきことである。しかも、それらの学校の多くは生徒自ら考え行動するような教育実践がこれまで行われてきたのである。むしろ民主教育の鑑ではないか。しかし、県教委はそれを「遺憾」なことと言っているのである。このことは、県教委がいかに憲法や教育基本法から離れ、民主教育から離れつつあるかを示すものである。
 第三に、「すべての県立高等学校において、平成12年度卒業式から、学習指導要領に基づき、国旗掲揚・国歌斉唱を実施するよう通知します」としているが、これは、明らかに強制以外の何ものでもない。そのことは、法制化の際に政府や文部省が「強制するものではない」と述べたことと、真っ向から反するものである。しかも我々は、このように「国旗掲揚・国歌斉唱」を強制することによっては、学校教育が良くなり、人間性豊かな人間を育てることになるとは決して思わない。むしろその逆になると考えている。学校教育からその生命力がなくなり、「死んだ」学校となるだけであろう。そしてその結果は、「適切に実施」されればされる程最近ますますひどくなってきている青少年犯罪や、成人式での青年の様子によく現れていると言って良い。逆効果なのである。たとえ「適切に実施」されても、青少年には学校や社会というものに対する不満か無力感しか植え付けないだろう。また反対する教職員や保護者に対しても同じである。それは行き着く先、「日の丸・君が代」を強制する県政や国政に対する反感ともなろう。そのことを県教委はしっかりと認識すべきである。
 したがって我々は、以上のような問題を持つ今回の(通知)に強く反対し撤回を求めるとともに、民主教育を守るため、強制に反対し闘うであろう。 我々は、「おかしい事はおかしい!」と言い続けるであろう。

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12.17全交全国集会「日・君」分科会参加記

石井 泉(浦安南高校分会)

 12/17(日)東京お茶の水スクエアで、「働く青年の全国交歓会・子ども全交実行委員会」主催の12月全国集会が実施され、その中の「日の丸君が代強制反対!」の課題別分科会に参加した。分科会は40人以上の出席者だった。報告では、東京国立市や大阪豊中市など関西・関東各地での取り組みを聞くことができた。特に、大阪の方々からの報告は、現在の攻撃や闘いの様子を初めて直に聞くことができ貴重な機会となった。もちろん、千葉高教組の「日・君」対策委員会からも発言することができ(私ではないが)、先日決定した[1]12/23の国立集会への組織支援、[2]2月に昨年同様「日・君」強制反対の新聞意見広告の実施、[3]2/24に「日・君」強制反対県民集会の実施などの取り組みを紹介し宣伝してきた。
 報告の中で最も印象に残ったのは、大阪のある高校の教員からのものだった。昨年度卒業式に「日・君」導入が強行され、式では「君が代」が流されている時、卒業生と在校生は一人も立たなかった。今年度は3学年団の教員で話し合い、「生徒に今まで以上に自分自身の問題として考えてもらおう。生徒たちの3年間をしめくくる卒業式を自分たちの手で作りあげてもらおう」を学年目標に決めた。そして、卒業式委員会(生徒)を中心に、アンケートや話し合いを何度も行う取り組みが進められている。例えば、アンケートでは、在校生は卒業式に全員参加か希望者か(従来希望者のみ)、式場の暖房の台数、フロアー形式か壇上形式か、卒業証書渡しは一人一人か代表か、式の司会は先生か生徒か、スライド上映をやるかどうか、退場での花吹雪や花投げをどうするかなど、生徒自身に検討させている。「日・君」問題に関しても、考える材料として、教員たちが、岩波ブックレット『日の丸・君が代と子どもたち』( 昨年度の小金高校のことも紹介されている)を参考に短い放送劇を作った。それを各クラスで生徒が聞き、全員の感想・意見を集計、さらにその意見をプリント配布し再び各クラスでの話し合いを実施した。その間、PTA学年懇談会で教員と保護者との話し合いも行われた。保護者の意見を生徒にプリント配布し、それをふまえての話し合いも実施した。最初の学年懇談会(11月)に参加した保護者は少人数でそこでの意見は「日・君」実施賛成が多数だったそうだ。しかし、その時も「とことん子どもたちに考えてもらい、自分の意見をもってもらおう。そして意見を自由に言える雰囲気やそれを聞ける態度が大事。今後も話し合っていきましょう」という点では意見の一致をみたそうである。生徒と校長との話し合いもすでに行われている。今後、各クラスの話し合いを通じて生徒の案を決定し、3学期に職員会議にはかられる予定だそうだ。報告者が強調していたのは、「子どもたちが今起きている問題にきちんと向き合えるよう、子どもに自分自身で考え自分の意見を作ることを、教員はもっと提起すべきではないか」ということだった。まさに、民主的学校作りの実践である。これは全ての学校で取 り組むべき方向であり、生徒の自治に危機が迫る千葉県の状況にあっても非常に示唆に富む報告だった。
 また、東京大田区の教員からも「子どもたちの意見や考えそしてその努力を、否定したり潰そうとする教員や親はほとんどいない」「(学校での諸問題について)生徒や保護者に開かれた学校作りが大切ではないか」という発言もあった。
 その他、大阪豊中市の学校に対する産経新聞の誹謗・中傷攻撃の報告、大阪市住吉区での地域まつりで子ども向け創作劇「日の丸君と君が代さんの自慢合戦」上演の報告、大阪や千葉での市民による「日・君」問題を考える集会の実施・各学校への申し入れ運動・卒業入学式当日のビラまき実施などの報告があった。
 日本中で「日の丸・君が代」攻撃は強まっている。しかし、同時に全国各地でその闘いや新たな取り組みもたくさん行われている、ということを確信できた集会だった。

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右派攻撃の激しい国立市の宣伝に参加して

酒井・東京都学校ユニオン

 小金井公会堂で開かれた、国立市の教員処分に抗議する集会の実行委員として、11月から12月にかけて何回か駅頭でのビラ配布に参加しました。
 国立駅頭での宣伝でうれしいことが二つありました。
 一つは、私がマイクで訴えている間、ずっと近くで聞いていた男性が「署名用紙があったら欲しい、職場で集めるから」と話しかけてくれたことです。市内に住む人で、病院に勤務しているとのことでした。
 もう一つは、他の人が訴えているときに盛んに文句をつけている人がいるので、やめさせようと間に割って入ったときのことです。30代はじめぐらいの男性でしたが「国立の教員は子どもたちを洗脳しているのではないか!」と言うのです。
 そこで、今回の処分の経過について、特に産経新聞がいかに事実を歪めた報道をしているかについて丁寧に説明しました。そうしたら、この人は最後には「良くわかりました、実は私は産経新聞を購読しているのです、すみませんでした」と、最初とは態度を一変させたのです。
 このことからわかることは、まず第一に、いかに人々の間に事実・真実が伝えられていないかということです。国立の問題について最近まで産経新聞を除いてどの新聞もほとんど口をつぐんできました。そして、それをいいことに産経新聞は一面的で歪んだ報道を雨あられと浴びせて、国立の教員を中傷・誹謗しつづけてきたのです。
 そして、第二には、ともすればしり込みしがちになるこの困難な状況を打ち破っていくカギは、少しでも真実を自覚したものが、粘り強く勇気をもってそれを伝えていくこと以外にないということです。
 12・23の集会は多くの人々に真実を知らせ、また、闘う者の連帯を強め、強まる反動の攻勢に対する労働者・市民の反撃の貴重な第一歩となったのではないでしょうか。

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『12・23国立市教職員不当処分撤回集会』参加記

ひのきみ通信特派員I

 12/23に、小金井公会堂で行われた『なぜ?どうして?「日の丸・君が代」に反対してはいけないの?校長に意見を言ってはいけないの?〜国立市教職員への不当処分を問う!〜』の集会に参加した。今回は千葉高教組としては異例だが、他の組織の集会に支援(通常の動員並みに参加要請・交通費負担等)を決定した。その成果か、休日遠距離での集会にもかかわらず、大多喜や市原などからかけつけてくれた人もいた。千葉高教組全体では15名ほどが参加していたと思う。
 1時間半電車に乗り武蔵小金井駅を降り会場へ歩き始めると、すでに異様な雰囲気だった。世間では冬休みクリスマス直前の連休の土曜日、うきうきするはずの午後である。しかし、会場への道には、右翼とすぐにわかる街宣車数台(まだ音は出してなかった)と警察車両、もちろん警官も10人以上みかけた。何というものものしさ。昨年2/11の千葉市民会館周辺を思い出した。集会途中には、外で街宣車が大音量で音楽を流し吠えているのが会場内からもうかがえた。近隣の住宅や待ち行く人々にとって、全く、彼等はひどい迷惑・恐ろしい集団でしかありえない。「西の広島・東の国立」と言われ右翼や産経新聞等に集中的・恒常的に攻撃されこのような光景がくり返される国立市の深刻さを痛感した。 集会は、第一部が西原博史氏( 早稲田大学教員)の講演で、内容で印象に残ったのは次の5点。[1]憲法で規定した「思想・良心の自由」は特に国家の干渉を否定したはずだったが、現在国家自身が「愛国心を持て」「こういう国への愛し方が正しい」とかイデオロギーを押しつけている。[2]いかなる機会でも「日・君」への忠誠心を強制したり意思表示を迫ることはできない(それを理由に不利益をもたらすこともできない)。[3]学校で教員が「日・君」に関して生徒に命令することは強制であり、式での『国歌斉唱・起立』も強制にあたる。やるとしても強制でない旨を説明するなど様々な配慮が必要。生徒や教員が自発的に意思表示できる環境を保障し、様々な考えを尊重することこそ教育である。[4]ひどい例として、北九州市教委は「教員は起立し心をこめて歌わなければならない」を含む所謂『四点指導』を行っている。これは教員に強制的に歌わせその姿を生徒に見せようとするもの。まさに生徒に強制的に心をこめて歌えと命令する一歩手前の状況である。[5]今後さらに政府は「望ましい態度」を強制するため教員や生徒の心の中に踏み込み、「日・君」は式だけでなく授業の中での問題となる。このような攻撃に立ち向か うためにも、教員は授業で子供たち自身に考えさせ、一人一人の考える力や判断する力を育てなければならない。そして教員にとって子供たちの自由な考えや判断を守る闘いとなる。
 第2部は、被処分者や弁護団・国立市民・各地の団体からの発言だった。最初に国立二小や五小の教員から、「この一年間、右翼や産経新聞・国会議員など外から様々な攻撃・圧力があり非常に大きな力が働いているという印象」「この処分は私たちが培ってきた国立の教育を否定するもの、つまり国立の子どもや市民全体にかけられたものである」「全国の多くの学校の職員会議で反対意見もあり議論があることを一般の人々は知らない」等の話があった。また、国立同様、集中的に攻撃されている広島から高教組の女性役員の方の報告があった。裁判闘争や県教委交渉など活発な闘いの様子を明るく話し、非常に勇気づけられた。レジメの最後は「私たち広高教組は、県教委・反動勢力によって今苛酷な弾圧を受け続けていますが、それへの闘いこそが、広島県の全ての子どもの教育を守ることを確信しています。ですから決して譲れぬ、あるいは譲ってはならない闘いとして、今後ともがんばることを決意しています」とまとめている。その他、東京や神奈川の教職員組合や団体からの発言があり、千葉県からも千葉高教組として佐久間執行委員が新聞意見広告や県民集会の取り組みなどを状況説明し、 続いて国府台高校の保護者の方が現在の取り組みを説明し「ともに生徒を守る運動に頑張りましょう」と述べた。
 発言者は、皆熱弁し時間オーバー気味であった。全国それぞれの地で、皆が、熱く闘いに取り組んでいるのだなあと感じた。国立は、右翼や産経新聞など反動勢力によって、他に例をみない集中攻撃を受けている。だからこそ、この集会にも各地から多くの人々(参加者500名以上)が集まり様々な人の話を聞くことができた。全国の仲間とともに千葉でも「生徒を守る、譲れぬ闘い」を頑張りたい。3時間半の集会だったが短く感じた。

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「ひのきみ通信」に右翼サイバーテロ?!

「サンケイ」記事の影響か

*ソフィーの愛人*

 「産経新聞」と称する右翼・暴力団のデマ宣伝機関(以下、「サンケイ」と略す)が、各地の民主的市民運動に攻撃を仕掛けている。「サンケイ」にいわれのないデマを書き立てられたために大きな迷惑を被った市民運動の関係者は多いことと思う。面倒なのは、カレラが「新聞」を自称しているため、本当の新聞なのではないかと勘違いしてしまう人が多いことである。ところでこの「サンケイ」が、いよいよわたしたちの「ひのきみ通信」に攻撃を開始した。2000年12月22日付千葉版の紙面を大きく使って、「ひのきみ通信」についてあることないこと書き立てているのである。その内容に関しては、だいたい想像がつくことと思うが、論評に値するものではないので省略する。また、「サンケイ」に攻撃されること自体は、民主的市民運動であることの証でもあるので、誇りを持ってよいことである。しかし、迷惑なこともまた多々発生する。
 サイバーテロと言うにはいささかお粗末な話だが、この「サンケイ」記事から10日も経たない31日、「ひのきみ通信」のメールアドレスになんと22通ものメールマガジン配信確認のメールが殺到した。つまり、これ以降毎日、「ひのきみ通信」宛に、数10通のジャンクメールが自動的に送りつけられるという寸法なのだ。これは明らかに、「ひのきみ通信」の活動を妨害する目的の悪質な嫌がらせ行為である。いたずら防止のため、ここでは詳しい手口を明らかにするわけには行かないが、配信元が相互に関連のない複数個所にわたること、「ひのきみ通信」のアドレスはきわめて間違えにくいものであることから見て、これは単なるミスやアクシデントではなく、何者かによる悪意を持った攻撃である。また、メール送信日時が非常に近接していることから、これは単独犯の仕業であると思われる。インターネットの世界では、このような手口は「メール・ボム」とよばれる犯罪行為である。
 しかし、この犯人、なかなかの間抜け者である。なぜなら、メールマガジン配信元の多くは、いたずら防止のために、受信確認の返事を出さないと配信を開始しない仕組みになっているということを、知らなかったようなのだ。したがって、いまのところ実害はほとんどない。さらにお間抜けなことに、配信メールのジャンルが、おそらく犯人が日頃親しんでいると見える、「LOVE CHAT BOX」「Adult Mail Magazine」「アダルト画像リンク」「無料女子高生水着」「アイドルセクシー画像」「薄けしインディーズビデオ速報」などなど。犯人の精神生活の貧困さが透けて見えるようで、いささか笑いを誘うものなのだ。
 さて、さきほどの「サンケイ」の記事に戻ろう。およそジャーナリズムに携わる者なら、ネット上の犯罪行為を防ぐために最大限の注意を払う義務があるだろうし、それが職業倫理というものであろう。ところがこの記事は、「ひのきみ通信」に対する攻撃を書きたてたうえで、そのアドレスはここですと、「ひのきみ通信」のアドレスを記載しているのである。まるで攻撃先を指示し、犯罪行為を教唆しているかのようである。今回の「ひのきみ通信」へのサイバー攻撃(?)が「サンケイ」の教唆によるものかどうかは、定かではない。問題は、ネット上の犯罪行為を誘発するような、無責任きわまりない記事の書きかたそのものにあると言えるだろう。などと書いてきて、とんでもない勘違いをしていることに気づいた。最初に書いたように、「サンケイ」をジャーナリズム扱いすること自体、そもそもの間違いなのであった。新年早々、ムダなことに紙面を費やしてしまったことをお詫びする。

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2000年12月「女性国際戦犯法廷」レポートより

羽山 圭子(市川北高校分会)

 20世紀最後の暮れに、日本軍の性奴隷制を裁く「法廷」が国際的NGOの手によって開かれた。
 そして、50年間の沈黙を破ってこの10年間の被害女性達の訴えにもかかわらず、とうとう日本の裁判所が認めなかった、赤裸々な事実が、検証された。それに先だって、56人もの被害者(元「従軍慰安婦」とされた人達のサバイバー)の方達が来日された。「法廷」の最終日の結審の日に私はその方達に会うことができた。ほとんどが、見慣れたアジアの老女性の顔で、あまりの親近感と懐かしい祖母の顔に同一化され、胸が熱くなった。
 証言の中では、『南京大虐殺の時7歳で、目の前で父親を切り殺され、その息のあるうちに母親と一緒に日本兵に強かんされた。母親はその後発狂して死んだ。』と証言した人(朴さん)が生きてここにいる事に衝撃を受けた。『1938年に17歳で「工場で働けば稼げる」と騙され、南京大虐殺・大強かん直後の南京の慰安所「キンスイ楼」に連れていかれた。1942年頃ビルマへ移送されラシオの慰安所「イッカク楼」へ、最後は日本軍の玉砕の地、拉孟で捕虜となった。』という証人も今生きている。(軍「慰安所」は1932年日本軍侵略の後に設置されたことが、『上海派遣軍参謀復調長岡村寧司の回想録』という文書で確認される最初のものである。)「法廷」では、『「慰安所」制度の構造化は、南京における数々の虐殺、強かん、略奪など、「南京大強かん」として知られる残虐行為の発生に対する、日本政府の対応策として行われた。…こうした施設にため女性達を徴集し確保することは、戦略の不可欠な一部であり、占領地での施設外での強かんを減らし、それにより地域住民の抗日運動を抑制し、日本の国際的悪評を回避し、また日本軍兵士を性病から守るという狙いがあったこと は明らかである。女性と少女達は強制または強要され、またしばしば詐欺的甘言によって「徴集」されてこうした施設に入れられた。当局によるまたは当局の容認に基づく徴集でしばしば標的にされたのは、もっとも貧しい層の女性達であった。』(原文)という事実認定である。このことを、まず怠慢の第一の責任が、当時の連合国側が証拠を保持していたにもかかわらず、「東京裁判」で不問にされた事にある、として、1945年当時の法と検察団が提出したものや主張した事(現在残っている文書や証言を基に)、さらに筆舌に尽くしがたいこの暴力が1945年当時までの法では犯罪と見なされなかったとする日本政府の主張を細心に検討して法的認定が行われた。この中で、元日本兵2人の証言が注目を浴びた。『私は昭和18年ある部落で1人の女性をとらえ、6人の兵士でくじびきをして順番を決めて輪かんしました。』とはっきり証言した。慰安所は1円50銭、強かんはただだったから、金があまりない兵士は強かんしたという。『性暴力のことは話しづらいが、この問題を抜きにしたら戦争の実態は語れない。恥を忍んで証言します。』と勇気ある加害者証言もあった。
 判決は、当時の国際慣習法と日本軍が批准していた国際法に照らし合わせて言い渡された。裁判官はガブリエル・カーク・マクドナルドさん(旧ユーゴ国際戦犯法廷前所長、米国)、P・N・バグワティさん(国連人権規約副委員長、前インド最高裁長官、インド)、カルメン・マリア・アルヒバイさん(判事、国際女性法律家連盟会長、アルゼンチン)の3人が交互に言い渡したと思う。同時通訳のイヤホンが馴染めなくて、会場の反応もワンテンポ遅れてしか理解できなかった。わーっとどよめきが起こり数人が立ち上がり、拍手が起きようとしていたとき、『昭和天皇裕仁は、共通起訴状中の人道に対する罪の訴因1と2である強かんと性奴隷制についての責任で有罪と認定する』と聞こえてきた。さらに『日本政府が、「法廷憲章」第4条が述べる意味で、「慰安所」制度の設置と運営について、国家責任を負うと判定する。』と聞こえたときには、会場は総立ちで拍手が巻き起こっていた。私自身もこのような言葉をはっきりと言い渡されたのは生まれて初めての経験で、自分自身がいかにフィルターがかかった人間だったか思い知らされた。と同時に言いようのない感動の胸の痛みに耐えられず困 ったなと思っていたら、周囲の人もハンカチで頬を押さえていた。
 日本政府に対しての「勧告」の中に、謝罪と損害賠償以外に生存者の尊厳を回復することとし、図書館・博物館・碑を建てること、教科書に記述し、若者に不法行為の事実を伝えること、性の平等性を確立することなどがあげられている。さらに、判決文の中には、『大戦後女性が男性と平等な発言権も地位も持っていなかった点に留意する、…国際的な平和交渉がこのようにジェンダー認識を欠いたまま行われることは、武力紛争下で女性に対して行われる犯罪が処罰されないという、今も続く「不処罰の文化」を助長するものと認識している。』『不法行為を不法行為として認める責務があるのと同時に適切な公的歴史記録をつくり、将来の世代にこうした残虐行為が二度と繰り返されないようにする必要がある。「法廷」の認定では、日本政府には現在の日本人や将来の世代を教育しようとする努力が全くみられない。』とあった。これは、首席判事ガブリエル・マクドナルドさんの言葉である。最高の国際感覚である。グローバリゼーションが言われている時、私たちは、国際社会が日本の教育を同人指揮しているか知らねばならないし、その中で生きていくことになる子供達に責任を持たなければな らない。
 サバイバーの人たちが来日された際のインタビューで、ある記者が、証言者朴さんに『日本では、南京大虐殺がなかったという人もいますが、どう思いますか。』と質問したそうである。朴さんは『この体が証明している。』と答えられたそうである。証言の途中で気を失って救急車で運ばれたサバイバーの人もいる。50年以上たっても重しの蓋を開けるとトラウマにみまわれる。PTSD(心的外傷後ストレス障害)専門家の証言で、『加害国が責任をとることで、被害者は回復できる』といわれた。その逆は、とてもセクハラとは比較にもならないが2次被害、3次被害…と日本政府が責任をとらない限り、救われない。少なくとも20万人以上の少女や女性が被害者として亡くなっていった。せめて、サバイバーの最後の一人が亡くなる前に必ず日本国は責任をとって欲しい。子供達に次の世代を引き渡す前に日本国は責任をとって欲しい。これは、国民としての私の願いである。

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蠢動する右派議員たちの議会マニュアル

「ひのきみ」問題教科書取材班

 全国に先駆けて結成された「教科書を良くする千葉県議員連盟」は、これまでも藤岡信勝などを講師に呼び「学習会」を開いてきたが、ここにきて「つくる会」の教科書採択の営業別動部隊として本格的な動きを見せ始めた。この議員連盟会長の宍倉清蔵千葉市議は県内各地の地方議員に議会での質問マニュアルを11月に配布した。
 カレラは「外務省の政治圧力や、中国・韓国等のマスコミ攻勢に屈しないのが『いい教科書』だ。」として、地方議会で各地方教育委員会を議会の質問で締め上げて「誇りと責任ある採択」を行わせるとしている。
 ここでカレラが言う教科書とは現在検定が行われ、2001年8月に採択が決定される教科書だが、すべての教科についてカレラは採択運動をすすめている訳ではない。特定の教科、教科書であることは皆さんご存じのとおり。「新しい歴史教科書をつくる会」扶桑社発行の「中学校歴史教科書」である。
 そこで、カレラの活動マニュアルには「歴史教科書の採択改善」と銘打たれている。
 具体的な活動として議会での教育長、首長、現場教師に対して「追及質問や要請活動の方向」が示されている。教育長には「教科書採択権は地教委にある」のだから「文部省や現場教師の思惑に責任を負わせる」採択(?・取材班)は行わないとしている。首長には、「教育委員会が『町の子弟の教育に携わる機関』として権威ある地位を確立できるようサポートしてほしい」としている。そして、「つくる会」教科書採択の具現化に向けて、「管内の現場教師・学識経験者などによる諮問機関を設け下読みをさせ、その答申を受けて『地教委』としての『採択候補』を持って協議会に臨む」としている。つまり、採択協議会の諮問に従う必要はないと迫っているのであり、ここでいう「候補」というのはもちろん「つくる会」の教科書である。
 また、現場教師に対しては「教師が自負している『教育の中立性』から、外圧のない『歴史教育教科書』を自信と誇りを持って選び『答申』してもらう」としている。ここでいう「外圧のない歴史教育教科書」とはもちろん「つくる会」の教科書である。
 特定の教科書についてのこのような露骨な営業活動が、議会という場を通じて行われようとしている。教科書の採択が行われる2001年8月に向け各地の右派議員が蠢動を始めている。このような「教育」を語ることのない、採択運動を許す訳はいかない。自分たちの主張をとおすための「教科書」こそ「偏向教科書」に他ならない。

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「国民の道徳」と扶桑社「公民」教科書

−シンポジウム「徹底検証!憲法違反の『あぶない教科書』」に参加して−

みつはし ひさお(船橋旭高分会)

 12月16日、「徹底検証!憲法違反の『あぶない教科書』」と題するシンポジウムが水道橋の全水道会館で開催された。「自由主義史観」グループの「新しい教科書をつくる会」がフジ・サンケイ・グループの扶桑社から中学の「歴史」と「公民」の教科書を出版しようとして、現在検定にかけられている。検定の途中経過については、数百個所の検定意見がつけられて検定通過が難航しているようだが、教科書の内容が明らかになるにつれて、そのあまりにも非科学的・国粋主義的な記述が大きな反響を呼んでいる。「つくる会」は、秘密裏に検定を通過させ、世間に知られる前に教育委員会に働きかけて採択させようと目論んでいたようだが、反響の大きさを恐れ、真実が広く知られるのを阻止するために、各地の「つくる会」教科書批判集会に対して妨害活動に出てきている。そんな中で開催されたシンポジウムである。反響の大きさを反映して、約300席の会場に入りきれないほどの参加者数であった。右翼も姿を現わしたようだが、別室に隔離されて、実害はなかった。
 シンポジウムは、君島和彦氏が「歴史」教科書の内容を、渡辺治氏が「公民」教科書の内容を、それぞれ批判的に検討し、俵義文氏が全体的状況について報告するというかたちで進行した。「歴史」教科書の皇国史観にもとづく内容については、これまでも多く指摘されているので、ここでは君島氏の報告は割愛したい。ただ、一言で言えば、この教科書は西尾幹二著「国民の歴史」の教科書版だということであった。また、俵氏の全体的情況に関する報告についても、おそらくこれ以降の動きまで含めて「1.21『子どもと教科書』県民集会」でお話を伺えると思うので、同じく割愛したい。「公民」教科書についてはこれまであまり広く知られていないので、今回の渡辺氏の報告を紹介することにする。
 渡辺氏によれば、「つくる会」の「公民」教科書執筆の中心人物は、あの「国民の道徳」の著者、西部邁である。しかし、保守的イデオローグの中でも西部のあまりに特異な反動的性格のため、これまでかれは体制内主流派にはなれないできた。保守主流派と西部との基本的な性格の相違は、およそつぎのようなものである。すなわち、保守主流派が曲がりなりにも民主主義の立場をとり、個人主義を肯定し、新自由主義的経済を指向し、国際協調的外交方針をとるのに対して、西部は反民主主義、反個人主義、反産業主義、反国際主義の立場に立つ。したがって西部は、現在の政治・経済情況に対して、非常にシニカルである。
 そんな西部が「公民」教科書を執筆するに至ったのは、小林よしのりら「自由主義史観」グループと接近し、大国主義的ナショナリズム諸潮流の統一を目指す動きが底流にある。それゆえこの「公民」教科書は、本来の西部の主張である「国民の道徳」のたんなる教科書版とは言えない、複雑な性格を持っている。いわば薄められた「国民の道徳」であり、保守主流派との妥協の産物なのである。したがって、この教科書をよく読むと、いたるところに矛盾が見え隠れしていて、内容が首尾一貫していない。まずこの教科書には、西部の主張である「市場批判」「アメリカニズム批判」が出てこない。また、民主主義を基本的に衆愚政治と見る西部にとって、民主主義のプロセスの説明は矛盾に満ちたものである。ここでは、「直接民主主義」「住民投票」「新しい人権」などが批判されている。逆に、産業社会に対する批判やグローバリズム批判は出てくるが、これは体制を支える財界の利害と矛盾することになる。そして、これらの矛盾点をすべて、日本の「国柄」(さすがに「国体」とは書けない)にもとづく秩序の下に解消しようとするのである。
 このような矛盾を内包した「公民」教科書であるが、「歴史」教科書に比べてあまり問題点が知られていないだけに、かえって採択される可能性が高いかもしれない。「歴史」教科書は陽動作戦で、真の目的は「公民」教科書の採択にあるのではないかとの見方もあるとのことである。
 さて、右翼の動きであるが、情報によるとやはり「1.21『子どもと教科書』県民集会」をターゲットとして狙っているようである。12.16シンポジウムの成功をふまえ、民主主義に対する卑劣な攻撃は、みんなの力で断固としてはねのけよう。

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お知らせ

1月13日(土)
 〜14日(日)
14:00〜
〜12:00
「戦争する国民」づくりの阻止を!反天皇制労働者全国交流集会
 主催:反天皇制労働者ネットワーク
部落解放センター
 (大阪JR環状線芦原橋7分)
1月13日(土) 15:00〜 「おしつけないで」の思いをつなぐコンサート
 わたしの唄はわたしの心の中にある
 寿コンサート、子どもたち、大人たちの発言
本多公民館(国分寺北口10分)
1月13日(土)
 〜14日(日)
15:00〜
〜12:00
自前の生き方を創りだす全国集会・ゲルニカ事件最高裁判決を受けて
 問合・申込:子どもたちの「ゲルニカ」を考える福岡市民の会
湯布院温泉
1月14日(日) 14:00〜 和太鼓ワークショップ 主催:千葉荒馬座を観る会 千葉県立桜ヶ丘養護学校体育館
 (千葉市若葉区加曽利町1538)
1月18日(木) 14:00〜 白井佳夫の映画の映像から日本を考える2
 「仁義なき戦い」は政治的映画
杉並区阿佐ヶ谷地域区民センター
 (JR阿佐ヶ谷4分)
1月18日(木) 18:30〜 阿佐ヶ谷市民講座「突破者のケンカのしかた」講師:宮崎学 劇団「展望」(阿佐谷南3-3-32)
1月20日(土) 14:00〜 731部隊・細菌戦をよりよく理解するために 第2回学習会
 「731部隊で父が為したこと」 主催:細菌戦裁判キャンペーン委員会
シニアワーク東京5F第2セミナー室
 (JR・地下鉄飯田橋)
1月20日(土) 14:00〜 第3回「子どもと人権」を考える集会 川田龍平講演会
 「若きリュウヘイの悩み〜どうする日本の人権」
四街道市文化センター
 (成田線四街道北口10分)
1月20日(土) 16:30〜 「死刑廃止」を考える入門セミナー(要予約) アムネスティ東京事務所(高田馬場7分)
1月20日(土) 17:30〜 大人・子どものいじめ問題を素人の目から語る集い13 調布市文化会館たづくり1103学習室
 (京王線調布南口3分)
1月21日(日) 13:20〜 どうなる?どうする?杉並の教育
 〜杉並区教育委員の人選をめぐって〜 講師:高嶋伸欣
杉並公会堂3F(JR荻窪北口5分)
1月21日(日) 14:00〜 1.21「子どもと教科書」県民集会 連絡先:千葉高教組
 −あぶない教科書がやってくる− 俵義文他
千葉県教育会館302
1月22日(月) 14:00〜 厚木爆音訴訟第26回公判 横浜地裁
1月24日(水) 10:00〜 731部隊細菌戦被害国家賠償請求裁判 東京地裁103
1月25日(木) 18:00〜 人権の21世紀をつくる文化の集い ピーター・フランクル、大谷明宏 東京都きゅりあん大ホール(大井町3分)
1月25日(木) 19:00〜 少年法は改正されたけど−私たちができること
 保坂展人・石井小夜子
北沢タウンホールB1ボランティア協会
 (小田急線下北沢5分)
1月26日(金) 19:00〜 第31回水俣セミナー
 「開かれる記憶:水俣からたどる失郷民の東アジア」 姜信子
環境パートナーシップオフィス
 (コスモス青山B2F・地下鉄表参道9分)
1月27日(土)   横須賀現地見学会(来夏歴教協大会下見) 参加費7000円
 締切11/15・問合j-uraga@edu.city.yokosuka.kanagawa.jp
 
1月27日(土) 13:30〜 環境・原発について、学習・討論会 主催:いろりばた会議
 日本の反原発運動の歴史
たんぽぽ舎(千代田区三崎町2-6-2
 ダイナミックビル5F)
1月27日(土) 14:00〜 第11回"だべりの会"−渡辺治さんを囲んで 代々木区民会館(JR代々木5分)
1月27日(土)
 〜28日(日)
15:00〜
〜12:00
第10回「日の丸・君が代」反対!学校と地域をむすぶ交流会
 国旗・国歌法から1年 「日の丸・君が代」強制の現場で
 何がおこっているのか?
日本キリスト教会館・早稲田奉仕園
 (東西線早稲田5分)
1月28日(日) 9:00〜 エネルギー施設見学ツアー 主催:たんぽぽ舎
 環境エネルギー館、東京電力横浜火力発電所
たんぽぽ舎前集合
 (千代田区三崎町2-6-2)
1月28日(日) 13:00〜 大人・子どものいじめ問題を素人の目から語る集い14
 「いじめが原因で自殺をした中学生の父親の話を聞く集い」
調布市文化会館たづくり・百日紅和室
 (京王線調布南口3分)
1月29日(月) 13:30〜 文京七中・早川さん分限解雇取消訴訟、本人尋問 東京地裁710
1月30日(火) 16:30〜 竹内洋子さん東京都非常勤講師不当処分撤回訴訟判決 東京地裁710
1月30日(火) 18:30〜 「奉仕活動義務化」を問う
 講師:楠原彰(日本ボランティア学会) 主催:国連・憲法問題研究会
文京区民センター(三田線春日)
1月30日(火) 18:30〜 シスター・プレジャンさん(『デッドマン・ウォーキング』原作者)のお話 豊島区民センター(池袋7分)

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